第二章 ゲームの支配者(7)

【七】


 恋愛子は、夢を見ていた。過去の自分がそこにいる。“霊媒師”能力で自分の魂を見たら、こんな感じなのだろうと思いつつ、ぼんやりと眺めていた。


「お嬢様。朝の準備は整いましたか?」

「昨日から準備していたので、一応は……」

「リボンが曲がっています。今日から高校生活のスタートなのですから、胸を張ってください」

「……ねぇ、北条。あたし、ちゃんとやれますかしら……」


 恋愛子は、ずっと孤独だった。父親はいつも忙しく、母親は金を使うだけの人。姉か妹か従姉妹かはいるらしいが、会ったことはない。肉親さえまともに会えない自分に友人などおらず、本当にただただ、孤独だった。


 でも、一人だけ。家族でも友人でもないが、一緒にいてくれる人がいた。


 北条穂久斗。


 代々執事をやってくれる家系で、年は三周りくらい離れているが、物心つく前から一緒にいた。自分は女なのだから家政婦が欲しいと思ったこともあるが、北条は異性であることを加味しても唯一信頼出来るといっていい存在だった。

 普段は父の付き人として働いているが、仕事の前と後は、こうして共にいてくれる。いつだって優しく、柔らかい言葉で恋愛子を包んでくれた。


「また弱音ですか、お嬢様。お嬢様は多少発育が悪いものの、大変美人になられました。それに、誰しも羨むような家柄でもあります。もっと大きな顔をしても良いのですよ」

「は、発育が悪いのは余計ですわ! ……家柄なんて、あたしが作ったわけではないので、大きな顔をして良い理由にはなりませんわ……」


 希望に満ちていないといけないはずの、高校生活第一歩。それを自ら踏み外して泥沼に入っていくような言葉を吐いているのは分かっている。でも、小学校の時も中学校の時も同じ不安を抱え、結果、なんの思い出もない六年間と三年間を経ている。次の三年間だって、何かが変わるとは思えなかった。


「ふむ……ならお嬢様に、こんなおまじないを授けましょう」

「おまじない?」

「あたくし様、です」

「……なんですの?」


 北条の言わんとしていることは全く分からなかったが、冗談を発しているわけではないことは分かる。


「お嬢様は今日から、自分のことを“あたくし様”と言ってください。そして、そんな一人称に負けないよう、自分を奮い立たせてみてはいかがでしょう」

「高飛車お嬢様を演じろということですの? ……それはそれで、周りの方から引かれてしまうような……」

「お嬢様には、それくらいが丁度良いのですよ。これまでは、自分から話しかけることが出来ず、蘭光恋愛子という存在を知ってもらうことすら出来ていなかったのですから」


 北条の笑みは、ふわりと柔らかな羽毛布団をかけられたようにも感じる。恋愛子は少し迷ってから、その布団を身体に巻きつけるが如く、自らの身体を抱いてみた。


「あたしに、出来ますかしら……」

「あたくし様」

「あ……あたくし様にそんなこと出来……」


 一人称を訂正されるままに言い直せば、繰り返そうとした言葉が自然に止まっていた。


「あたくし様にかかれば、高校生活くらいなんの問題もなくこなしてみせますわ!」


 気付けば、腰に手を当て胸を張っている。無理をしている、と思わないわけではない。けれど、今まで北条の言うことに間違いがあっただろうか。


「あたくし様……あたくし様ですわね」


 不思議なものだ。自らの呼称を変えるだけで、少しだけ勇気が出てきた気がする。いや、違うか。不思議なのは、北条穂久斗という人間の魅せる世界か。彼なら何だって出来る気がする。


 果たしてそれで、高校生活が上手くいったか。いかなかった。いつだって過剰な自信を振りまく態度は、簡単に敵を作る。でも、恋愛子は満足だった。敵だろうとなんだろうと、内心ではドキドキしつつも、同年代の人達と会話が出来たのだから。


 まだまだ、自分は弱い。弱すぎる。いつか真に“あたくし様”に見合う自分になれたら。


 その二年後、父が他界し、自分なんかが社長に就任した。その結果、この復讐ゲームを行う館へ来ることになってしまった。


 恋愛子は“仇”であり、恋愛子を狙う“復讐者”は北条だ。ここに来たその日に、本人から復讐カードを見せられ、それぞれ“仇B”と“復讐者B”と刻まれていたので間違いない。


 恋愛子のような小娘が、なぜか大企業の社長になってしまった。恋愛子が望まずとも、拒むわけにもいかない。すると当然、納得がいかないと吼える人間は出てくる。


 事実、恋愛子の命を狙う輩がいると聞いた。そうした筆頭が、北条穂久斗なのだ。北条は恋愛子の前ではいい顔をし、裏では虎視眈々と恋愛子を狙っている。いつか恋愛子の寝首を掻くべく、同じ思想の人間と共に立ちはだかるだろう。


 ……と、周りの人間は思っている。北条がそう思わせるように動くことで、実は恋愛子と北条が繋がっていることは誰にも気付かれていなかった。


 北条の目的は、恋愛子を狙う連中をまとめあげ、恋愛子を追い詰めるように見せていつだって失敗させること。そうして恋愛子を守るためだったのだ。だから恋愛子自身の所に、そういった脅威が及んだのは見たことが無い。


 それでも守りきれない事態に陥った北条は、恋愛子を連れてここに来た。ここで北条は、恋愛子を殺しにくる。それを達成した北条は、洋館から出て恋愛子を狙う連中に報告するはずだ。


 だがそれは嘘で、恋愛子は自身の家に戻りこそしないが、生きて洋館を出る。つまり北条は、恋愛子を生かして逃がすために、“復讐者”のフリをしているというわけである。


 だから、この洋館に来てからの恋愛子の行動も、北条との打ち合わせによるものだ。


 彼は支配者になりたいと願っているが、うちの会社はすでに彼の支配下だ。誰よりも恋愛子が支配されているから間違いない。ただでさえそうだったのに、“あたくし様”というオマジナイを受けてから、より顕著になっていた。


でも、それだけ北条の支配力が本物ということだ。現社長が恋愛子になった今でなくても、父の代からとうに彼が要になっていたと思う。この洋館においても、他を圧倒していた。自らを魔王が君臨したと見せんばかりに力を振りまいていた。


 けれど。あれが北条の言う通り、彼単独の力であるかといえば、ノーだ。彼はこの館の運営ではないし、そもそも初めて来た。全ての能力を使えるわけもなく、ルールに縛られた北条の能力は、やはり一つのみ。そこに恋愛子の協力が加わることで、北条を魔王に伸し上げたのだ。


 北条は、風祭界の“能力無効化”を受けたのに“絶対服従”が無効化されなかった。あの時、先に風祭の“能力無効化”を無効化したからだと説明していたが、嘘である。そもそも北条は“絶対服従”能力者ではない。よって、いかに風祭が能力を行使しようとも意味がなかったのだ。的があるまったくの反対方向に銃撃しているようなものだったのである。


 ではなぜ、北条が“絶対服従”によって攻撃を全てかわせたかといえば、恋愛子こそが“絶対服従”能力者だからである。恋愛子が北条に、「全ての攻撃をかわせ」と一回目のマーダータイムが始まってすぐ、こっそりと命令していた。だから北条はそれを成し得たのだ。この能力は、一度かけたらゲーム終了まで効果は継続する。


 北条自身の能力が何かといえば、“必殺”能力である。ゆえに風祭を蘇生不可能な死に追いやることが出来た。


 当初は、誰しもその構図に気付いていないようだった。それもそのはずだ。組んでいる恋愛子自身が率先して北条を攻撃していたのだから。その実、北条と組んでいる恋愛子は北条を殺す気など毛頭ない。


 ではなぜ何度も銃撃し、味方をも作ったのか。それもこれも、北条は恐ろしい存在だとアピールするための、二人の策だったのである。


 最初の銃撃は、北条に攻撃は効かないのだと知らしめるためだし、“能力無効化”を炊き付けたのも北条には何をしても無駄だと思い知らせるためだった。

 その翌日、全員に尻尾を巻いて逃げるように恋愛子は言ったが、それは北条が適当に銃撃してたまたま命中した相手を殺すためだ。そうなれば、もはやプレイヤーらが北条に抗ったり逃げたりすることは意味のないことだと証明出来る。つまり、北条は絶対的な支配者として君臨することになる。


 これらは、恋愛子が生き残るための策である、と北条は言った。全てのヘイトを北条に集め、かつ恋愛子がそれを攻撃することで、絶対に恋愛子に脅威が及ばないようにしているのだ。


 だったのだが。城嶋陣。彼の存在が、その詰めの部分で邪魔をした。井口衣鈴と組んで、北条の攻撃を防いでしまった。


 だから今日、陣の策に乗ったフリをし、その全容を北条に伝え、逆に陣を潰す予定だった。でも、上手くいかなかった。ただ……。


「いんあん、あういんあ……。……んあ!?」


 恋愛子は、呟こうとした。本当なら「陣さん、悪人じゃないですわよね……」と聞こえるはずなのに、なぜだか口が上手く動かなかった。


「目が覚めたかよ」

「!」


 ふいに声が聞こえた。声の主を探したくとも、口だけじゃなく目も機能していない。瞬きはしているのに、闇から抜け出せはしなかった。さらに、身体もだ。脚は動かせないこともないが、腕は背中側で固定されている。


「取るぞ」

「!!」


 目から後頭部にかけた違和感が取り除かれる。なんのことはない、アイマスクをさせられていただけだ。目の前にいる男に対し、「陣さん……!」と言いたかったが、口にはガムテープが貼られたままなので、やはり「いんあん」としか聞こえなかった。


「悪いがガムテは外せないよ? “絶対服従”を使われたらたまらないじゃないのサ」


 陣の後ろには、益若マコの姿がある。相変わらずタブレットだけに視線を送る彼女は、ベッドに腰かけ脚を組んでいた。でも、それ以外に人影はない。


「ああ、北条穂久斗なら別の部屋にいる。お前以上に拘束しているが」

「ちなみにここはアタシの部屋だよ」


 恋愛子の視線が右往左往したことで、陣に何を考えているか読み取られてしまったらしい。益若も、大して興味もなさそうだが一応の補足をくれる。


「アタシらは反対だったんだよ。蘭光恋愛子と北条穂久斗を蘇生するなんて。だけど、一度は北条の攻撃を防ぎ、そして倒す策を考えた陣の希望だ。反対しようがないじゃないのサ」

「蘇生する前に拘束して無力化しちまえばいい、ってことで全員納得しただろ」

「そうだけどサ……」


 蘇生。益若も陣も、そんな言葉を使った。


 そうだ。今は拘束されているとはいえ、朝に目が覚めて気だるい気分を持っているだけといった心地だった。けれど、確かに恋愛子は一度死んだのだ。でも恋愛子がこうして健在なのは、陣が蘇生してくれたからだ。


 だから恋愛子は、陣の魂を見ている。決意に満ちたといえば聞こえだけはいい、トラウマと呼ぶべき魂を。


 それに北条。恋愛子は死に際、彼も死んだよう見えたものの、気のせいだと思っていた。でも陣らの話を聞く限り、北条も殺されたらしい。


 だがいったい、どうやって。北条に攻撃は当たらないし、陣が言っていたように狭い場所ならもしかしたら可能かもしれないが、あくまで北条はロビーの中心にいた。殺せるはずがない。


「困惑しているようだが」


 陣の言葉に顔をあげる。


「これはまあ、オレの策の通りに事態が進行した結果、ってところだな」

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