第二章 ゲームの支配者(2)
【二】
「くそっ!」
幸い枯れた喉は一過性のもので、しばし黙っていたら回復していた。けれど気分は晴れず、陣は自室で、何度目かの拳を壁にぶつける。
目の前で死人を出してしまった。しかも陣自身は特に何もしてないに等しい状態で。恋愛子が動いているからと、全てを任せてしまった。
恐らく陣が主導しても結果は同じだったとは思うが、誰も死なせないなんて決意したのに、次の瞬間には人任せ。何が北条に決意を破られただ、これでは自分で破ったに等しい。いや、決意なんて嘘だったようなものだ。
痛む拳のせいで、もう吐き気はない。せめてこの体質だけ治せればいいのだが、この洋館が荒療治になるだろうか。
「北条穂久斗……!」
“霊媒師”能力者たる陣は、今日はまだ、一日一度使用出来るこの能力を発動していない。誰の魂を見るかなど、考えるまでもなかった。
北条は自分のことを“復讐者”だと言っていた。誰に対する復讐をしたいのだろう。館の全てを知る管理者であるような言い草だったが、その真偽も測れるかもしれない。ただ、衣鈴の時がそうだったように、誰に対して復讐をしようと企てているかは分からない恐れがある。
もっとも、北条は全員を殺すと息巻いているので、それを明らかにしたところで大した意味はないかもしれない。でも、少しでも北条に対抗しうる術が欲しい。本当に、少しでいいのだ。
「北条穂久斗の魂を口寄せする!」
陣が能力を発動すると、またあの、対象とした魂に吸い込まれる感覚がして、陣の目は自然に閉じていった。
◆
「お車を玄関に用意しておりますゆえ、どうぞごゆるりと」
「うむ」
北条は、目の前でふんぞり返って座る、恰幅の良い男に恭しく頭を下げる。北条より一回り年下のその男は、北条が仕える主だった。男の背後には高層ビル群が見えるが、北条らのいる階はそれらを見下ろせる位置にある。その男は社長であり、ここは社長室であった。
北条家は、その数万人を有した大企業を経営する一家に代々仕えており、漏れなく北条もその役目を担っている。すでに北条の父は他界しているが、幼少の頃から父に教わった執事たる教えを常に胸にしていた。主たるその男も、何も言わずとも必要なことを察して動く北条に対して全幅の信頼を寄せているようで、秘書を使わず全ての調整を北条にさせている。
北条は多忙を極めており、自身の息子の世話や教育は妻に任せきりであるが、強い責任感と義務感、何より信頼されているという承認欲求を満たし、執事の仕事を全うしていた。
……と思っているのは、北条以外の人間である。
北条穂久斗は、現在の環境になんら満足していない。責任感に義務感? あるわけがない。まして承認欲求など満たすどころか不満が溜まるばかりだった。
父は仕事に誇りを持っているようだったが、そんなものクソ喰らえだ。なぜ媚びへつらう立場を甘んじて受け入れる? なぜ自分の足で立とうと思わない? なぜその足で愚民どもを踏みつけようと前に出ない??
あるではないか。目の前にそれを可能とする椅子が。
「北条、出るぞ」
「はい。こちらへどうぞ」
社長が一通メールを出してから目的地に出るというものだから、北条はその完了を待って車へ誘導する。どうせゴルフの約束か、娘への気持ち悪い愛を振りまくものだろう。何せそれくらいなのだ、北条を介さず社長が取る行動とは。
道中の廊下で、他の役員とすれ違う。誰も彼も「社長」と口にし頭を下げているが、真に相手としているのは社長ではない。北条だ。皆、北条を見ている。分かっているのだ、実質誰がこの会社を牛耳っているのか。
社長はただ、虎の威を借る狐のように、北条を従えているだけ。いや、威を借りんと動ける狐の方がまだ数倍賢いといえる。
もう、いらないな。北条がそう考えるに至る、充分な関係が築けただろう。
社長の乗った車が事故に遭い、確かめるまでもなく死んだと連絡があったのは、それから数時間後のことだった。
「ははは」
乾いた笑いで、北条は社長の椅子に腰掛けていた。今はまだ、ただ椅子に座っているだけだが、間もなく社長というポストも手中に収められるだろう。真に経営状況を握っているのは北条だけ。そうなるようにずっと手を回していたのだ。社長というのは、他会社の役員がそのポストに就くこともある。他の経営陣からの信頼を得た北条がその道を歩むのは、もはや規定路線だった。
もっとも、こんなものはゴールではない。スタートですらないかもしれない。大企業とはいえ、ただの一会社。社員数が万に届いても、億いる国民のたかが一万分の一。世界を見ればさらに多い。自分は支配者になるべくして生まれたのだ。これを足がかりに、世界を牛耳る支配者となろう。今はまだ妄言かもしれないが、数年、数十年先には。自身の年齢など関係ない。やると決めたのだから。
それなのに。
「……仰せのままに、社長」
いったい、どこでミスをしたのだろう。それから間もなく、新社長が決定した。北条は相変わらず執事のままであり、新社長がそうあって欲しいと強く推したことによるらしい。
新社長は、社長の娘。年齢、十七。
北条は頭を下げたまま、上げることが出来ない。自らの表情を、新社長には見せられないのだ。
ふざけているとしか思えなかった。どうやら生前の前社長が、いつ自分に何があってもいいようにと、遺書を顧問弁護士に預けていたらしい。次期社長は娘である、と。さしもの前社長も、ここまでの若さで就任させることになるとは思っていなかっただろうが、直筆の署名に日付に拇印とあり、正式な遺書として受理されてしまった。
こんな小娘を操ることは訳ないだろうが、自らがまた日陰になることが許せない。いったいなんのために、あんなデブ社長の言うことを聞いてきたというのだ!
……ああ、そうか。そのクソ社長に対してしたことと、同じ行動を取れば良いだけか。
◆
陣が再び目を開けると、気分が幾らか落ち着いていることに気付いた。魔王のように感じた北条も、ただの人なのだ。やっていることは下衆の極みだが、悩んで失敗して、ここにいる。それならば、改めて対策を考えれば、看破する方法があるのではないか。やはり魂を見ることは、相手のことを知る最も早い手段だといえる。
それに、北条が彼の言葉通り“復讐者”であり、“仇”が誰なのかはっきりした。北条の魂ではその姿が見られなかったが、蘭光恋愛子しかいないだろう。社長令嬢で、十七歳。彼女を除いて当てはまりそうな人間はいない。
それは恋愛子の持つ雰囲気からの判断でしかないが、根拠は他にもある。
彼女は、北条に対抗すべく真っ先に動いていた。あれは北条の本性を知っているか、知り合いが北条しかいないために“復讐者”だと断定し、“仇”たる恋愛子が殺されまいとしているに違いないのだ。
「おい、恋愛子!」
そうと分かれば、陣の行動は早かった。昨日は悪目立ちしたくないなんて考えてしまったが、もはやどうでもいい。死人を出すことこそ恐怖であり、そのための行動なら惜しまないと改めて誓ったのだ。
『何ですの?』
インターフォン越しの恋愛子は、どこか機嫌が悪そうだった。時間は二十時前であり、決して遅い時間に来たわけではないのだが。
「北条を止めるために、話がしたい。開けてくれねーか」
『あなた、城嶋陣さんですわよね。あなたは人の死に強い恐怖があるように見受けられますわ。いざという時に動けなければ、足をすくわれるのではなくて?』
「そりゃ……」
『それに、仲間には困っていませんの。見ていたら分かるのでは? すいませんが、他を当たってくださいな』
「お、おい!」
扉は決して開かなかったが、ピシャリと閉められたように、一方的に会話は終了させられてしまった。断られるとは思っていなかったゆえ、しばし立ちすくんで動けなくなる。
「……ちっ」
止まってばかりはいられない。他を当たれと言われれば、そうするまでだ。頬をパンと叩いて次に向かう。
「で、アンタはどう考えているんだい?」
訪れたのは、益若マコの所だった。マーダータイムでの北条を嘲る様子から、何か知っているのではないかと思ったからだ。
幸いこちらは部屋に入れてくれはしたが、目線は彼女が持つタブレットだけを向いている。そんな益若からは、北条に関する現状分析を問われていた。
「北条が館の運営に携わっているっつーのは、たぶん嘘だ。その割には、ルールに縛られ過ぎている。わざとってセンもあるが。蘭光恋愛子が北条の対抗馬だから、バックアップするのが良いと思ってるが……あいつに追い払われた。何か策があるのかもしれねー。ただ、北条の野郎がなんで全能力を使えるのか、って点は分からん」
先程までの推理を話す。益若は「はっ」と鼻で笑った。
「んだよ!」
「じゃあ、北条を止めにはどうするのサ」
「“能力無効化”能力者はやられちまった。だが、“能力拝借”能力者なら、それを使えるはずだ。そいつを探して……」
「アンタ、本気で考えてそれなのかい? なら北条に対抗するのはやめときな。それ、北条も当然考えていることサ。無駄だね。アンタは考えが浅すぎる。まだまだサ」
一瞬だけそのツリ目をこちらに向けてきたが、すぐに目線をタブレットに戻して、しっしと左手で陣を払う。
ならお前はどう考える、と言ってやりたかった。けれどこちらの考えが浅いことは図星であり、益若が何か知っているのにあえて隠しているのは明らかだからだ。
どうも、手札が足りない。相手は二に一にキングに強いカードばかりを持っているのに、こちらは三とか四とか弱いカードばかりしかない大富豪をしているようだ。ならば、革命だ。一時的にでも北条を黙らせ、恋愛子や益若を見返すことが出来れば活路は見出せるのではないか。
自室に戻るのも違う気がして、陣はエントランスの二階部分にある、白い丸テーブルと椅子が置かれた休憩所で腰かける。縦に長い窓からは中庭が見えるようだが、ゆっくり見る気になんてなれはしない。
明日、北条が取る行動はどんなものだろう。
誰もが北条に攻撃しても無駄だと理解してしまった今、奴に攻撃をする馬鹿はいないかもしれない。ただ攻撃が当たらないだけならば最悪無視してしまえば良いが、死人を蘇生出来るはずのこの館で、北条は“必殺”能力を使って絶対的な死を与えてくる。ならば他のプレイヤーらは、逃げ惑うしかないだろう。
であれば北条は、背を向けて逃げる彼らをゆっくりと追えばいい。そうして適当に銃撃をし、誰かの身体に当たって動きを止められたら儲け物だ。負傷したプレイヤーをターゲットと指定し、悠々と近付いて殺してしまえばよくなる。そうなったら、最悪だ。奴の思う壺だ。
「あの」
コーヒーを一口飲んだ時のことである。いつの間にかそこにあった人影が、陣に向かって声をかけてくる。彼女の頭の白いリボンが、なぜだか眩しく見えた。
「衣鈴……?」
「突然すいません。聞きたいことがあって」
やんわりともう一つある椅子に視線を向けてみたが、衣鈴は座ろうとはしなかった。
「陣さんの目的って、なんです? 今日のマーダータイムを見ていたら、誰も死んで欲しくない、そう思っているように見えたです。それなのに、こんな館に来て……」
「来たくて来たわけじゃねぇ。オレは復讐するつもりもされる謂れもない。でも目的の一つはお前が言ったそれだ。誰も死なせたくなかった……初っ端から失敗したけどな」
「一つということは、他にもあるということです?」
言葉選びに失敗した。けれど、恋愛子に益若、二人から門前払いをくらった今、こちらを気にかけてくれるのが妙に嬉しかった。だから、思ったままに口にすることにする。
「……オレは、お前の復讐を止めたい」
「復讐を止める……?」
嫌がられるか恐がられるかするかと思えば、衣鈴に現れたのは困惑の色だけだ。そういえば、最初は陣の顔を見て怯えていたようなのに、今はそちらから声をかけてきた。陣の行動が、少しだけでも衣鈴に影響を与えていたのだろうか。
「余計なお世話だと思いたいなら思え。オレは勝手にやる」
「余計だとは思いませんが……意外でした」
衣鈴はこれまで、か弱い一面だったり、何か思い詰めた一面だったりと、マイナスの表情ばかり見せていた。でも今、少しだけ綻んだように見えたのは気のせいだろうか。
「……そうだ。お前、協力しろ!」
「え?」
気のせいではないと決め付けた陣は、コーヒーを一気飲みして立ち上がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます