第一章 復讐し合う者達(4)
【四】
おい、協力しろよ。なぁ、協力しないか。俺と悪を討伐しよーぜ!
衣鈴にどう声をかけたものか、陣は迷っていた。エントランスとロビーとを隔てる扉の前で、一人唸る。
陣はその見た目のせいで、自分から近付けば相手を恐がらせるだけだし、因縁をつけられることはあっても仲間になってなんて言われたこともない。しかも相手は女。異性と付き合った経験も当然ない。今更ながら、どうして衣鈴以外のプレイヤーの魂を見なかったのだと後悔してきた。
「っし、決めた。『あの北条穂久斗とかいうアホを一緒にぶっ倒そうぜ!』……これだ。具体名を出しゃ、オレの本気度が伝わるってもんだろ」
ロビーへと繋がる扉に手をあて、グっと力を込める。
「きゃ!?」
「な……!」
「おー、やっるねー!」
刹那だった。扉が開くと同時に、ロビーから銃声が襲いかかるように漏れてきて、陣の鼓膜を痛く揺らす。プレイヤーらの悲鳴に驚嘆、なぜか賞賛の声も追ってやってきた。
「何してんだ!?」
陣が踏み込んだ先で、鮮血が飛び散っている。思いがけず後ろに避けるように跳躍すれば、陣がいた場所に、バタリと倒れこむ人影があった。立浪達也だった。金輪際その拡声器にも似た役目を果たすことはないのだと、ひと目で分かる。
そんな屍を生んだ張本人を見やる。やはりというべきか、しまったというべきか。
「ふむ……拳銃という物は、存外簡単に扱えるのだな」
北条穂久斗。
相も変わらず紳士的で、優しげに澄ました顔をした彼は、倒れた立浪には興味を示していない。ただ彼が手にする、僅かに白い煙が漏れる拳銃をしげしげと眺めていた。
掴みかかるか。いっそ、ポケットに突っ込んだ拳銃を放つか。前者はしても良いが、後者はしてはならない。いや、出来やしない。陣には不可能だ。
「城嶋陣くん。何か言いたげだが……まあ、落ち着きたまえ」
気付けば北条がこちらを見ている。なんでこいつは、たった今人を殺したのにこうも冷静なのだ。ずっと殺したいと願った立浪を殺せた満足と、とんでもないことをしてしまったという自責との狭間にいる結果がそれなのか。
「皆の者、聞きたまえ。私は“復讐者”であり、立浪達也くんをターゲット指定した上で殺した。だが、別にそこに転がっている立浪達也くんが私の“仇”ではない。ただあまりに目障りで耳障りだったのでね」
陣は、「え」と漏れそうになるのを堪える。
「確かに私は、特定の誰かを狙ってここに来た。だが今は違うのだよ。ここにいる全員が……いや、全世界の人類を狙っているといえよう。私は全世界を支配すべき男だ。言うなれば、この私という存在を認めない全てに対する“復讐者”だ。ここにいるプレイヤーだけではなく、私以外の全てに対しての。そこで転がっている立浪達也くんは……そうさな、先駆け。いや、お試しか」
狂っているのか。妄言だ。
こんな復讐のために殺し合いを行わんという場所なのだから、頭のネジが一本や二本、いっそ全て抜けている人物がいてもおかしくない。でもそれにしたって、その老紳士の放った言葉は馬鹿げていた。
「ねぇ皆さん! このあたくし様に続きなさいな! 北条穂久斗をターゲットに指定する!!」
立ち尽くした陣に対し、蘭光恋愛子の動きは早かった。北条にいっさい臆することなく、長い外ハネの金髪と短いスカートを翻して拳銃を構える。
「ふん、俺に命令だと? まあいい……北条穂久斗をターゲットに指定する」
「そそそ、そうするしかないじゃないのよぉ! 北条穂久斗をターゲットに指定するぅ!」
続いたのは、メガネをクイとあげながら立ち上がる風祭界、そして必要以上にどもった根野このみだった。
しまったと思ったが、もう遅い。北条を前に、思考の渦に取り込まれていた。だから行動が鈍っていた。
決して陣は、危険人物たる北条を攻撃するのに遅れを取った、と思ったわけではない。すでにターゲット殺しをして今日は殺しが出来ない北条を見て、賞金獲得のチャンスを逃すと思ったわけでもない。すでに立浪が死んでいるのに何をやっているのだ自分は、と自らを恥じていたのだ。
北条も北条だ。あんな敵を増やすような発言をしなければ、ゲームが始まって初の殺しが発生したという場の混乱が、撤退を許したかもしれないのに。
そうこうしている間に、銃声が三つ立て続けに響いた。
北条と北条を攻撃した三人の間は、一メートルと少し程度だ。三人もいれば、必ず誰かの銃弾が命中するだろう。特に風祭。構え方が明らかに素人ではない。そういえば、警察手帳を見た気がするが、本物だったのか。
大きな銃声の後には、不自然な、不気味な程の沈黙が、永遠に続くように感じた。この沈黙を破るのものは、一つしかない。北条穂久斗の断末魔だ。
「ははは」
その、はずだった。少なくとも陣はそう思っていたし、銃撃した三名はもちろん、他も同じだろう。でも、北条は笑った。乾いた声で、北条以外の全ての人間を馬鹿にするように。
「な……なんでですの!?」
「言っただろう。私は支配者だと。そんな遅い鉛弾、当たらんよ」
金切り声を上げる恋愛子を見ても、北条の態度は変わらない。
北条をよく見てみると、陣が瞬きした前よりも僅かに立っている位置がズレている。まさか、かわしたというのか。いったいどうやって。
「ああ、その通り。まさに今、君達が頭に思った通りのことを私はしたのだ」
北条は、陣と目が合ってすぐ逸らした。全員と意図的に目を合わせているらしい。
「私は、“絶対服従”能力を自分に使ったのだよ。その内容は分かるかね。『全ての攻撃をかわせ』だ。これにより、私は銃撃されても全てをかわす。それより遅いナイフでの攻撃など、取るに足らない。私は、リヴァイバルという形で死さえも超越した館であっても、絶対に死なないのだよ」
○能力:絶対服従
効果:命令を強制実行させる。一日一回、一人に対してのみ効果が得られる。
発動条件:「(相手の名前)は(一人称)の命令を聞け」という発言を対象に聞かせる。その次に発言した命令が実行される。
発動可能時間:マーダータイム中
そんなことが、可能なのか。
確かに“絶対服従”の危険性は考慮していたが、銃撃をかわすなんて。人間に可能な動きを超えているではないか。けれど、それがまさに目の前で起こったのだ。起こってはならぬことが、起こってしまったのだ。
「さて見ての通り、私は今日のターゲット殺しは終えた。殺しが出来るのは一人一日なのだ、私は他の誰も殺せない弱い存在に成り下がったということだ。だが……また私を撃つことは出来るかね」
陣は身じろぎさえ出来なかった。北条のオーラがそうさせるのか、人を殺してなお笑みさえ浮かべる彼に畏怖を感じたのか。陣の鋭い目つきと比してあまりに柔らかいはずなのに、直視することが出来なくなっていた。
代わりに目に入ったのは、井口衣鈴の姿だった。
彼女もまた、昨日の北条の発言は聞いていたはず。ならば陣と同じように、どうして良いか分からないと嘆いているのだろうか。
「……」
衣鈴は、北条を直視していた。その口が僅かに動いたが、なんと言ったのかは少しも聞こえない。けれど伝わっては来たように思う。ふざけるな、と。
その言葉は、陣がこの館に来て初めてルールを見た時、呟いたものだ。そうしてルールの一部が記載されたプリントを殴りつけた時のものだった。
「おい、生き返れよ! リヴァイバル!」
気付いた時には身体が動いていて、そうして死した立浪が、「陣ちゃんの魂見たわ……っべーな……マジ蘇生してくれてサンキュ!!」と、バンバンと肩を叩いてくる。
他のプレイヤーらから、何でそんなことをしているのだという目で見られている気がする。
「そんなクズのような人間を蘇生する者がいるとは、予想外だよ」
北条でさえも肩をすくめていた。
これで北条は、ターゲット殺しの成功で五千万円を獲得していたはずが、立浪は生き返ったのでパーになっている。でも、そんなことは気にしないと言わんばかりに、表情には笑みを貼り付けたままだった。
「面白いものをありがとう、城嶋陣くん。そんなに立浪達也くんが大事だったかね。誰彼関わらず声をかけて、皆、煩わしさしか感じていないものだと思っていたが」
「知らねーよ……」
陣は北条に背を向ける。その発言に嘘はない。陣だって、なぜ立浪を生き返らせようと思ったかよく分かっていない。ただ動いてしまったのだ。足が、身体が。
それはたぶん、衣鈴を見たからだ。
北条から溢れる脅威をものともせず、奴を睨み恐らくは「ふざけるな」と言ってのけた彼女を。他のプレイヤーでさえ、北条から目を逸らすように立浪の屍を見ていたのに。或いは、陣が衣鈴の魂を見ていたからか。悪は悪だから倒さねば。でもそんなことを考える自分に自己嫌悪し、なんとか自分を変えようと足掻く彼女がそこにいる。
陣が蘇生させた立浪には、陣の魂が伝わっているはずだ。けれど立浪は、「やべー」と言っていた。そこには同情の色が見えて、立浪は仲間にならないのだなと思った。それならそれでいい。いくら魂を見て相手のことを理解出来たとしても、そこに共感がなければ何も生まれない。陣の魂を見た立浪は、陣と合わないのだと分かっただけ、収穫と言えようか。
ちらと、衣鈴を見る。対して陣は、衣鈴を信用してしまったと言っていい。ろくに会話していない彼女を。なんとかして、陣の魂を伝えられないだろうか。それは衣鈴に死ねと言っているに等しいが、それはダメだ。
「……そうか」
それが、ダメなのか。
この館に来てから、なんとなく自分がこうありたいと、思っていた何かがあった気がする。それが何か見えていなかった。でもようやく、陣が何をしたいのか、はっきりと理解出来た。
◆
陣は二年前、今の容姿をするようになった。そのせいで恐がられたり絡まれたり、苦労ばかりしているが、変える気なんて毛頭ない。陣よりも遥かに苦境に立った家族がいる。家族を思えば、自分に降りかかる不幸なんて不幸のうちに入らない。
三年前のある日、城嶋一家は、家族四人で駅に向かっていた。当時中学生の陣が、部活で県大会に出るからといって、家族総出で応援に来るというのだ。陣は部活動のメンバーに合流するため、駅からは別行動となる。家族らは少し離れて、自分を見守ってくれていた。
そんな家族らに向かって、甲高いような、それでいて重量のあるような、キーだかギーだか、ズドンだか。思い出したくもない音が向かっていた。
「なんだ?」という周りの声に、陣は身体を動かすことも出来なければ、口を開くことも出来ない。ただ、何が起こったかということだけはすぐに分かっていた。
暴走した車両が、陣の家族の元に突っ込んだのだ。
父と妹は、即死だった。母だけは一命を取り留めたが、下半身不随の重傷。離れた所にいた陣は、当然ながらなんの怪我も負っていなかった。
家族の葬式は滞りなく行われたが、陣がその間、何をしていたか覚えていない。努めて優しい笑顔を向けてくれる母親のことだけは、今でも思い出すことが出来る。そして、何よりも。
「君が死んだ彼らの子……城嶋……何と言ったか」
誰だ、こいつは。母親の見舞いに来ていた時のことだった。
「うちの息子の将来を潰してくれて、どうもありがとう」
うちの息子、という言葉で分かった。父と妹を殺し、母に無理な笑顔を作らせた犯人は、免許を持っていない上、少年法に守られた十五歳だった。こいつはその父親だ。
仲間と無茶な暴走を繰り返したあげくの事故だったらしい。陣は、事故、という言葉に嫌悪を覚えている。事故じゃない、事件だ。殺人事件だ。でも、「あれはお互い悲惨な事故だった」と言って涙を堪えて笑うのは、他ならぬ母親なのだ。
「ああ、そちらが君の母親か。いっそ死んでくれた方が、慰謝料も少なくて済んだのに。だいたい、君達があの場にいなければ、ただ車が壁に衝突するという自損事故だけだった。それを君らのせいで……」
言いたいことだけ言うその男に対し、陣が何を叫んだかはよく分からない。分からないが、気付いた時にはその男が陣の下敷きとなり倒れていた。陣が殴り続けていたと後で聞いたが、記憶になどなかった。
陣が罪に問われることはなかった。彼の失言を聞いていた看護師が強く弁明してくれたからで……そして何よりも、あの男の発言を苦に、母親が衰弱してしまったからだ。元々助かったのは奇跡だと言われた母親が衰弱してから、ついに亡くなるまで、そう時間はかからなかった。
だけどその母親は最後まで、決して犯人に対して、そして暴言を吐いた親にさえ、悪く言うことはなかった。
「今はあちらさんも事故の傷が癒えていないの。だから苛立っているんだわ。いつかきっと、謝罪に来てくれる。それを待ちましょう、陣」
いつか変わるのだと、信じて止まない様子だった。また悲しい笑顔だった。そんな顔をしてでも相手を庇う意味が分からない。理解不能。
陣がもっと強ければ。少しでも言い返していれば。
車両が突っ込んできた件だって、陣が部活なんてしていなければよかったのだ。県大会に出られると浮き足立って、家族の応援を受けようとした。最悪の選択だった。
そこからは、恐怖の連続だった。
いっそ自分が死ねばいい。そう考えていたのに、すると吐いてしまう。そのままそのまま吐き続けて死ねばいいのに、死に対する恐怖から、身体が勝手に食べ物を口に入れている。睡眠を取らなければいいのではと思ったが、寝たくないのに気絶する形で寝てしまう。
親戚に面倒を見られることになるも、そんな陣をまともに育てられず、陣もまた、不良の道を歩む。死にたくないから、ケンカを売られたらとことん相手をボコボコにする。自分が強くならなければ、また誰かが死んでしまうかもしれない。でも、ケンカが終わった後にはすぐに救急車を呼んでいた。どれだけ矛盾していたか理解しているのに、自分の死も他人の死も恐怖していたのだ。
それから一年。ずっと同じような生活をしてきたが、ふと、母親が口癖のように言っていた言葉を思い出す。
「必ず、人は変わる。いえ、変わることが出来るのよ」
たぶん、心の底にずっと持っていた言葉だった。それが湧き出てきたきっかけは忘れた。たぶん、ひどく疲れていたのだ、ずっと何かに抗い続ける自分に。本当に変われるのかという陣の問いに、母親は覚悟次第で変われると言い切った。それなら、自分が示してやればいい。母は正しかったと、証明してやるのだ。
まずは形から入った。金髪にするという選択肢は、不良仲間がそうだからという安易な理由だが、見た目に大きな変化を付けたかった。前と違うのだと、自分に刷り込むために。
勝手に因縁をつけられるようになりケンカの頻度は増したが、自分から手を出すことは絶対にしなくなった。少しずつ、良いこともするよう努めた。
これを美談だなんていうつもりはない。自分は不良で、底辺の存在だと自覚はある。でも、だけど。自分だって、何か成し遂げたい。それがせめて、城嶋陣をあらしめる証明になるはずなのだから。
◆
だからといって、やはり陣がこの洋館に連れ込まれた理由は分からない。
その家族を殺した男を一生許す気はないし、その親だって同じ。だが、別に復讐する気はない。そんなことを考えるだけでまた吐き気がする。考えてしまった自分に恐怖しそうだった。
だから、復讐カードが白紙であること自体はおかしくない。おかしいのは、白紙なのにここにいることだ。
「なぁ、衣鈴……」
「なんです?」
過去を思い出すと、かつてはそれだけでトイレからしばし動けなくなる程に吐いてしまったが、三年経った今は多少マシになっている。それに今は、漠然と衣鈴と話したいと思っていた。
すでに北条を始め、他のプレイヤーらは自室に消えている。ルール上、十二時のマーダータイム開始の段でロビーにいさえすればいいのだから、今後の方針を決めたり北条の視線から逃れたりといったために動いたのだろう。
でも、衣鈴だけは残っていた。どうやら陣を見ていたらしい。
「お前、復讐するのか?」
「……あなた、“霊媒師”能力者なんですね」
すぐに見抜かれる。過去のゲームの参加者たる衣鈴なら、それくらい当然か。
「復讐します。そのために、ここに戻ってきたのですから」
これ以上の会話は、出来る気がしなかった。衣鈴の目に、もう何も話しませんと書かれていた上、言葉と同時に背を向けられたからだ。
何をしているのだろう、と陣は思う。結局衣鈴と何も話していないに等しいし、先程、まったくの赤の他人である立浪達也を蘇生したこともそう。いや、本当は分かっている。恐いのだ。死が恐い。誰かが死んでいってしまうのを、見るが恐い。考えるのも嫌。だから、自分に出来ることをしようと思った結果が、立浪を蘇生することだったのである。
「衣鈴……」
去っていく衣鈴の背中を見て、陣はまた、自分の両頬をパンと強く叩く。これは、決意だ。
この殺人が推奨された復讐ゲームで、誰も殺させはしない。死なせない。それが、ここに陣が来てしまった目的なのだ。そう、心に刻み付けていた。
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