第一章 復讐し合う者達(3)

【三】


 翌日。館に来てから二日目の今日、一回目のマーダータイムが始まってしまう。その開始時間たる十二時を二十分後に控えた今、陣がロビーにやってくると、すでに六名がそこにいた。

 誰も口を開かず、全員が腰掛けてなお五分の一も埋まらない席数があるテーブルで、三つ分以上離れて座っていた。


 “復讐者”なら敵を殺すために怒りを溜め込んでいるだろうし、“仇”ならいつ殺されるのではと震えているだろう。本来なら“仇”は、殺されると分かっているこの場に来ることなどしたくなかったはずだ。でもルールで、十二時にこの場に来なければ失格となり、死んでしまう。館から逃げ出したくともやはり失格となるし、そもそも陣が調べた限りでは、外へ通ずるどの扉も窓も硬く閉ざされていた。


 もっとも、怒りとか恐怖とか、それが表立って見えることはない。あくまでプレイヤーらは、平然とそこにいるだけだった。けれど全員が全員、拳銃かナイフを持っていることが見て取れれる。


 ただ。


 陣は違う。“復讐者”と“仇”、そのどちらの立場にも立っていない、白紙の存在。なんとなく持ってきてしまった復讐カードを眺めていても、何か変化が訪れるはずもなかった。


「お前もか?」


 ぼんやりとしていたせいだろう。背後に人が立っていることに気付かなかった。


「お前も、ってなんだよ」


 声をかけてきた津村翼は、陣の問いに、組んでいた手をゆっくりと解き、おもむろに陣の持つカードに人差し指を向ける。やはりどこか大げさで演技がかっていた。


「まさか、お前もこれが白紙なのか?」

「そうだ」


 ロビーの隅に移動しつつ質問すると、翼はやたらと大きく頷いた。


「なら、他のプレイヤーの復讐カードがどうなっているか知らねぇか? 実は全員白紙ってのも……」

「俺が見たのは、俺とお前のカード以外では、一人の物だけ。そのカードは白紙ではなかった」


 陣は昨日の段階で、全員白紙はないということは分かっていた。でも聞くしかなかったのだが、改めて思い知らされる。


 よくよく考えれば、陣が白紙だとしたら、少なくとももう一人は白紙がいるのが自然だ。なぜなら、“復讐者”と“仇”は一対となるはずなので、陣が白紙だとすると残りは九人となり、ペアを作ると一人あぶれる。それが翼だったのだ。


「なんでオレらだけ白紙なんだと思う? ここは、復讐したい奴らとされる奴らが集められた場所って感じだ。んなら、オレらみたいな白紙がいる意味が分からねー」

「さぁ? ただ、それは俺も探求したいと思っている。科学者としてな。だから……」

「それ、部屋にあったノートPCか?」


 自らを科学者なんて言った翼は、黒いコートに手を入れると、小型のノートPCを取り出す。陣らに与えられた個室には、ベッドや風呂、トイレなど必要最低限のものが備え付けられている他、そのノートPCがあった。


「お前、そのPCに映ってるのって……!」

「そうだ。この洋館の中だ」


 PCの画面は四分割されていて、それぞれ洋館の廊下、エントランス、エントランスの二階にある休憩用の白い丸テーブル、そしてここロビーが映っていた。上を見れば、昨日はなかったと思われるカメラが設置されている。そればかりか、翼がキーを押すたびにそれは切り替わり、洋館の至る所にカメラを仕掛けたのが分かった。


「個室以外には、だいたい設置した」


 どこか誇らしげに翼は言った。


 この、津村翼という男。科学者のイメージといえば白衣だが、全身を黒に包んでいる。それでいて、あまりに整った顔立ちで、研究室に放り込むには違和感しかなかった。だが、昨日は益若マコのタブレットを見て技術力がどうとか言っていたし、見た目に反して根っからの理系なのかもしれない。


「こんなものも、作ってみた」


 さらに、腕時計のようなものを手の平に乗せている。


「なんだ?」

「電気ショック」

「は!? まさかそれで人殺しをしようってのか!? 拳銃にナイフ、特殊能力以外を使ったら、逆に加害者が死ぬってルールだが……」


「これは単なる目覚ましだ。十二時に集合しなければ失格だが、アラームを設定すれば確実に起きられる。当然人体に害はない。ついでに遠隔起動も出来る優れ物で、お前の腕時計にも仕込むことが出来る。いるか?」

「……いらん」


 陣と同じ、復讐カードが白紙の津村翼。話したいことはもっとあったのだが、呆れた陣は席に戻ることにした。技術力があるのは確かなのだろうが、技術馬鹿というか、それ以外に興味がないのだろう。


 またカメラ映像を写したPCを見る翼には、「お、何それ何それ! 俺ちゃんにも見せてくれー!」と、今ロビーに来たらしい立浪が近寄っていったが、翼はそそくさと空いている席に座る。なんら気にすることの無い鋼の心臓を持つ立浪は、また他プレイヤーの所へ向かって行った。どうせ相手にされないのに。


「おっ、滑り込みセーフ!」


 案の定、誰の前でも空回りしている立浪を遠巻きに見ていると、久龍空奈がサイドテールを揺らしつつ、スキップでロビーに飛び込んできた。「寝坊しちったなー」という彼女ではあるが、髪は綺麗に巻かれているし、メイクにも抜かりがないようだ。


 いずれにしろ、これで十名全員が、時間内に揃ったことになる。


 彼女がテーブルの上で側転を繰り広げて、着地の変わりに席に着くという無駄にアクロバティックな着席をしたのを横目に、陣はディスプレイを見る。右上には現在の時刻が表示されており、いよいよマーダータイムまで残り一分を切っていた。


『マーダータイム、スタート』


 そうして数十秒が経過した時、電子音的な棒読みとアラームが響く。


「思ったより大きかった……。プリーズ、リサ。アラームを止めて」

『はい、アラームを止めました』


 館の運営側が用意したスタートの合図かと思えば、それは益若が持つタブレットから発せられた音だった。ヘイとかOKとかと呼びかけるように、彼女のAIアプリはプリーズという単語をキーに起動するようだ。リサという名前らしいが、リサーチのリサだろうか。


 どこか気の抜けたマーダータイムのスタートとなったが、誰もが動きそうで、誰も動かなそうでもあった。意見はありませんかと問われて目を逸らし、誰かが最初の発言をするまで全員が沈黙する教室のような、気まずいとも言える空気が流れていた。さしもの立浪ですら、この場でちょこまかこと動くのは憚れるようで、視線を右に左にやる程度に留まっている。


 もしかしたら、やはり全員の復讐カードは白紙であり、殺し合いを助長するための狂言なのでは。陣はそう思いたくなるが、すでに翼によって否定されている。あの場で翼が嘘を吐くメリットもないだろう。


 たぶん今は、誰しも混乱しているのだ。ちょっと相手を嫌う程度の恨みでしかないのに、こんな館に連れて来られた者もいるかもしれない。

 辺り一面を燃やし尽くすような憎悪を持っている者もいるだろうが、突然こんな場所に来て殺し合いをしろなんて言われて、いよいよ訪れたその時間を前に、どうしていいか分からないに違いない。


 それにこの館のルールも、迂闊に動けない一因となっている。


 “復讐者”は“仇”をターゲットに指定し、それを殺せばいい。だが、本来殺しを助長するはずの賞金が出ることが、その枷となるのだ。


 殺しは、何も“復讐者”と“仇”の関係に拘る必定はなく、誰にだって行える。それでいて、仮に“仇”を殺せたとしても、ターゲット指定は一日一人しか出来ないのだから、誰かをターゲットにした瞬間、他のプレイヤーを狙えないと暴露したに等しく、賞金獲得のための恰好の的となってしまう。そこを突かれてしまうと何も出来ず、だから“復讐者”は迂闊に動けない。


 それに、“復讐者”であれ“仇”であれ、白紙たる陣でさえ、金なんていらないと言い切れはしないはず。恨んでいる者恨まれている者は元々の知り合いであるはずなので、協力して金を得て仲直り、なんてことになる可能性だってあるのだ。


 さらにいえば、特殊能力の存在もある。ルール説明の段では軽んじられていたが、陣は昨夜、冷静になってから思い返していた。


 ①絶対服従 ②能力把握 ③遠当て ④自己再生 ⑤鍵師

 ⑥能力拝借 ⑦霊媒師  ⑧必殺  ⑨二ノ太刀 ⑩能力無効化


 能力名からは効果を推測出来ないものもあるが、明らかに厄介なのは、“絶対服従”だろう。何かしらの発言をきっかけに、他人を操れる能力に違いない。

 同じく“能力拝借”は、他人の能力を借りられるものだと思われる。強力過ぎるゆえに制約はあるだろうが、現段階では不明だ。だから強力な能力は警戒しないといけないし、逆に強力なものを最初からひけらかしては集中砲火を浴びる恐れもある。


 だいたいだ。そんな地雷源を駆け抜けてようやく敵陣に乗り込み、敵将の首を取ったとしよう。だが“リヴァイバル”という掛け声一つで簡単に相手は生き返る。


 果たしてこの場は、本当に復讐を行う舞台なのだろうか。“復讐者”と“仇”を集めて復讐のバックアップしているようで、疎外する要素が多すぎる。


 そんなルールに阻まれつつ、プレイヤーらにどんな思惑があるかは、見ているだけでは分かったものではない。ただただ全員、沈黙しているだけなのだから。


 けれど。


 陣は、陣だけはそれを垣間見ることが出来る。相手がどれだけ拒んだって関係ない。この館のもう一つの要素として存在する、魂とやら。これを見れば一瞬で相手を理解出来る程の力を持つ魂さえあれば、沈黙していようが嘘を吐き続けていようが相手を丸裸にすることが可能だ。


 本来ならば、死んだ時に生き返らせてくれたプレイヤーのものしか見られないが、陣は自由に魂を見られる。陣の持つ能力たる、“霊媒師”能力の力によって。



○能力:霊媒師

 効果:プレイヤーの魂がもたらす記憶を読み取ることが出来る。一日一回使用出来る。

 発動条件:「(相手の名前)の魂を口寄せする」と発言する。

 発動可能時間:常



 攻撃的な能力でも守備に秀でた能力でもない。けれど、化ける。使い方次第で、いかなる結果も生み出せるのだと確信している。


 ちらと、プレイヤーらの様子を再度観察した。数分前と同じ、ただ座っているだけの彼ら。これなら“霊媒師”能力を使っても大丈夫だろうか。


 一日一回使える能力だが、昨日は使っていなかった。マーダータイムが今日からなので使う気すらなかったのだが、試してみればよかったかもしれない。

 そんな状態だから、これを発動した際、陣の身体がどうなっているか不明だ。周りから見ればボーっとしているだけに見えるのか、気を失ってしまうのか、或いは陣の中だけは数時間経ったと感じても実際には一瞬か。


「便所」


 特に意味もなく呟いて、さも何もないですという顔で立ち上がる。視線こそ多く刺さったが、陣の思った通り難なくロビーを脱出することが出来た。陣は“復讐者”でもなければ“仇”でもない。誰かに狙われる理由はないのだ。


 便所と発言してしまったので、実際にトイレの個室で便座に腰掛ける。

 さて、誰の魂を見るべきか。昨日のルール説明で、死者が出たのに妙に冷静な対応をした久龍空奈か。不穏な発言をした初老の執事、北条穂久斗か。それとも、陣と同じく白紙の復讐カードを持つ、津村翼か。


 自分の身を守るには、久龍か北条の魂を見ればいい。この館の存在意義とは何か、なぜカードが白紙なのか、それを探るには翼しかいないだろう。


 それなのに。


「井口衣鈴……」


 思わず口に出してしまう。陣の腹は決まっていた。まずは衣鈴の魂を見てやろう、と。


 昨日衣鈴は、庇護欲を掻きたてられるオーラを放っていた。守りたい、なんて言葉が自然と浮かべてしまっても、誰が責められるだろう。感情論だけではなく、打算的な理由もある。彼女は陣と同じように北条を見て、危険視か不安視をしていたように感じた。もしかしたら、陣と同じような想いを持っているのかもしれない。いや、何を言ったって言い訳でしかないのか。ありていに言えば、かわいくて守りたくなってしまう彼女に、少しだけ惹かれているだけなのだ。


「っしゃ……」


 陣は、腕時計を確認する。秒針が十二の所に来るのを待って、ついにその発言をした。


「井口衣鈴の魂を口寄せする」


 刹那、陣の視界はグニャリと歪む。すぐに黒い空間にポツンと自分だけがいる感覚に襲われると、今度は急降下するように、どこかへ吸い込まれていった。ああ、その先にあるのが衣鈴の魂なのだ。確信した陣の目は、自然と閉じていた。



「っ……!」


 衣鈴の目に映ったのは、明るい照明を鈍く反射した凶器だった。


 ナイフは瞬く間に衣鈴に近付いたかと思えば、あたかも最初からそこにあったように、衣鈴の身体に突き刺さっていた。


 床に伏して、目だけ動かしてみる。豪華絢爛な洋館で、シャンデリアから降り注ぐ光があまりに眩しい。そこに陰りが見られたのは、衣鈴を刺した犯人が遮ったかららしい。逆光のせいで、ナイフを突き刺した犯人の顔は見えない。シルエットでさえ歪んで見える。


 違うか。逆光なんて関係ない。ただただ、衣鈴の命が燃え尽きようとして、目という器官の働きが、そして井口衣鈴を形成する全てが停止しようとしているだけなのだ。


 痛みとか恐怖とか、死ぬ直前とはそんな感覚に支配されるのだと思っていた。でも今、衣鈴に浮かぶのは、これでよかったのかもしれない、という諦めだけである。もう何も、思い悩むことなんてない。だからこうして生涯を終えるのは、自分には相応しい。



 そう、思っていたのに。


 殺し合いゲームで死んだはずの衣鈴は、洋館の外にいた。自分は死んだが、結局生還出来てしまった。死んだのに生還したという、明らかに妙な文章になっているのは分かるが、実際にそうだったのだから仕方がない。


 なぜ、どうして。そんな疑問をぶつける相手もいないし、自分の脚は、意思に反して進んでいく。目指しているのが自分の通う高校であると気付いたのは、ここが見慣れた通学路の風景だったからだ。


 あのゲームが夢だったとは思えず、現実だったと確信している。なのに今日も自分は、判を押したように高校に向かい、さして興味もない授業を受けて帰って来る生活を送るのだろうか。いや、それだけならいい。昼休憩に掃除、放課後。どれも衣鈴にとって、忌み嫌うものでしかなかった。


「……あれぇ?」


 どれだけ頭の中で首を振っても、結局は辿り着いてしまう。衣鈴を見た瞬間、一瞬の驚きと直後の嘲笑を見せるクラスメイトがいる、この教室に。


「戻ってきたの? マジやっば。戻って来られるなんて思ってなかったし。やっべー」


 衣鈴と同い年で、同じセーラー服に袖を通しているはずの彼女を、衣鈴は同じ人間だとは思えなかった。相変わらず派手な化粧に派手な髪型をしているが、そんな外見的なことではない。


 衣鈴が殺された洋館、殺し合いゲーム。そこに本来参加するはずだったのは、そのクラスメイトなのだ。イジメに万引き、両親への暴力を行うクラスメイト。彼女に来たはずの招待を衣鈴に押し付け、スクールカーストが低い衣鈴は何も言い返せず、そうして殺された。


 実を言えば、衣鈴は少しだけ、希望を持っていた。


 衣鈴に重荷を背負わせたクラスメイトは、その後、自分の仕出かした罪の大きさに酷く後悔したのではないか。そうして衣鈴が戻ってくれば、「よく戻ってきたね!」と迎えてくれるのではないか。


 希望なんて持つもんじゃない、と衣鈴は下を向く。そんなものを持たなければ、今目の前に広がる光景を見ても、ああやっぱり、と思うだけで済んだのに。考えが甘すぎた。


 衣鈴の席には花瓶が置かれ、白い花が飾られていた。別のクラスメイトも近付いてくれば、衣鈴に全てを押し付けたクラスメイトに対して、「ねぇ誰と話しているの? もしかして幽霊!?」なんて言っている。


「そうそう幽霊。ってかこの幽霊さー、めっちゃ金持ってるらしいじゃん。だって、大金が得られるゲームに参加して戻ってきたんだからさー。ねー、幽霊さん?」


 本当に、希望なんて持つもんじゃなかった。耐えて耐えて耐え抜いて、いつか人は変わってくれるはず。そう信じていたのが本当に馬鹿らしい。


 実際はどうだろう。悪人は悪人のまま。悪化していると言っていい。こんな奴らを野放しにしていいのだろうか。本当に死ぬべきは、こいつらではないのか。いや、そうに決まっている。


「……っ」


 違う、違う、と衣鈴は頭を抱える。自分はこんな汚いことを考える人間ではないはずだ。人が死ねばいいなんて、そんなことを考えちゃダメだ。そう思いたかった。あのゲームに参加するまで、ドス黒い感情は押し込めることが出来ていたのに。そうだ。そうなのだ。こんなふうに考える自分は大嫌いだが、元はこうではなかったはずだ。なら、どうしてこうなった?


 あの館に参加させたクラスメイトのせいだ。そして、自分を殺した犯人のせいだ。


「うっわ気持ち悪っ。行こ行こ!」


 唾を吐きつけるような言葉を残した彼女らのことなど気にせず、衣鈴はまた、大きく首を振る。自身の身体を抱きしめていた。


 だから、違うと言っているではないか。また他人のせいにした。最低だ。自分は最低だ。文字通り生まれ変わってしまった自分は、本当に最低の人間になっていた。なりたくなかった。もしかしたら最初から自分は、こんな人間だったのかもしれない。けれど、気付かされてしまった。嫌だ。こんなことを考えてしまうことさえ、嫌だ。


 今の自分を乗り越えるには、どうしたらいい。どうしたらこんなに汚れてしまった自分を、変えることが出来るのだろうか。



「!」


 衣鈴の魂に入り込んだ際の体験を逆再生するような感覚がして、陣は目を開いていた。時計を見れば、陣が“霊媒師”能力を発動してから初めて秒針が動いたところらしい。この能力を発動している際は、陣の中では時間が経過しているように思えても、実時間は止まった状態らしかった。


 でも、そんなことに驚いている暇はない。衣鈴の魂からは、二つの事実が明らかとなったからだ。


 一つ。衣鈴が、以前にもこの洋館でゲームをしていたこと。


 ゲームが何度か開催されているのは、ルール説明において分かっていた。あの時、擬似的な魂を覗くことになったが、ディスプレイには“※ルール説明において見た魂は、前回ゲームにおけるプレイヤーの魂である”と表記されていたからだ。でも、あのか弱さを感じるか庇護欲を掻きたてられるかの二択しかない衣鈴が、一度ここで死んでまた足を踏み入れるなんて想像出来ない。もっとも、衣鈴の意志に関係なく強制的に連れて来られたのだろうが。


 二つ。衣鈴の立場は、“復讐者”であると思われるということ。


 衣鈴は、クラスメイトを恨んでいるはず。この洋館にいる同年層は、紫のカーディガンで暗い雰囲気を持つ根野このみと、その対極にいるようなお嬢様たる蘭光恋愛子くらいだ。けれど、クラスメイトの方は衣鈴の魂で姿を確認している。明らかにその二人ではなかった。


 もう一人衣鈴が恨んでいると思われるのは、前回のゲームで衣鈴を殺した犯人だ。逆光で見えなくなっていたが、恐らく逆光でなくても見えないように加工されていたと推測する。恐らくいるのだろう、この場にその犯人が。


 どう見ても“仇”だと思えない衣鈴がここにいるのならば、“復讐者”としてその犯人を狙っていること以外考えられなかった。自分を変えてしまったに等しい、その悪を恨んで。衣鈴は何度も否定していたが、きっかけが一度の死であることは言うまでもなかった。


「いける……か?」


 トイレの個室から出て、ひとりごちる。


 もしかしたら本当に、衣鈴とは協力出来るかもしれない。相手への復讐を糧としているのはともかく、悪を恨む気持ちの強さは間違いない。北条を睨んでいた昨日のことを想い返しても確信出来た。


 それに、何よりも。

 彼女は、人はどうしたって変わらないと考えていた。これだけは、陣の思想と逆行する。でも同時に、衣鈴はそんな考え方を嫌ってもいた。陣ならば、衣鈴の精神的な支えになるかもしれない。いや、支えになりたいのだと感じてしまっていた。


「声、かけてみるしかねぇな」


 ロビーに戻りつつ、また陣は、一人呟いていた。

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