第一章 復讐し合う者達(2)

【二】


 二階から一階に向かう階段は、こんな大きなものが必要なのかと問うてみたい程のものだった。白い手すりに囲まれ、幅は何人用に作られたものか測れず、全体に赤いカーペットが敷かれている。こんな階段は、ニュースや現代社会の教科書で、総理大臣らが首相官邸で撮影する写真でしか見たことがない。


 一階に降り立ったそこはエントランスのようで、目の前には、これまた何人が一緒に通れるか分からない程大きな観音開きの扉がある。外に出ればそれはそれは立派な玄関と庭園が広がっていそうなものだが、残念ながら扉は開かないようだ。代わりに上を見ればシャンデリアが煌びやかに光り、壁には所狭しと高そうな絵画が並べられている。


「……!」


 陣はそこで、お上りさんのような行動を止めた。見れば、自分以外のプレイヤーも同じような行動を取っており、自分もあんなにキョロキョロと恥かしげもなく辺りを見ていたのかと、反面教師にしたからだ。


「っと……」


 両頬をパンと叩いて足を止めていると、背中に何かがぶつかる感触がした。


「悪ぃ」


 どうやらすぐ後ろにも他のプレイヤーがいたようで、突然停止した陣にぶつかってしまったらしい。陣は頭をかきつつ振り返った。


「い、いえ……。あ……! ご、ごめんなさ……」


 背後にいた少女は、軽く俯きつつ上目遣いで陣の顔を見ると、陣を中心に円を描くように避けてロビーに向かっていく。その少女が悪いわけでもないのに謝罪の言葉が出るも、後半は消え入るようだった。


「ったく」


 またか、としか思わない。

 別に陣は棘がある言い方をしたつもりはないし、ガタイが良いわけでもない。悪いのは陣の目だ。陣はツリ目であるのに、加えて目つきが悪い。ただ前を見ているだけで、目が合った人間は睨まれたと感じるのだという。街を歩いても、なんの気なしに目を向けた先で、因縁を付けられたと勘違いされて喧嘩に発展したことも一度や二度じゃない。


 それでいて、陣は金髪だ。襟足だけ無駄に伸ばしていることもあり、誰がどう見ても不良高校生にしか見えない。懐からタバコが出てきても不思議ではないというか、むしろあって当然のように思われているだろう。せめて髪くらい黒くするかいっそ丸坊主にでもすれば印象は変わるだろうに、陣は二年前からこの容姿を貫いていた。別に、改善する気はない。いや、改善なんて言葉もおかしくて、今の姿がベストなのだ。


 それにしても、と先程の少女の背中を見る。セーラー服という服装からして中学生か高校生の女子。ショートカットの頭上で巻かれた白く大きなリボンが、ウサギの耳の如くぴょこぴょこと揺れる。なぜあんなか弱い女が。寒さに震えるマッチ売りの少女のような儚さや悲しさを抱えていて、ならそのマッチを全て買った上で今後いっさいの面倒を見てやろうと言いたくなる、庇護欲製造機みたいな少女。なんだか、目が放せない。


 彼女に遅れて、これまた大きな扉をくぐれば、ロビーに辿り着く。

 一、二、三……自分を含め十名のプレイヤーがいるらしいと分かる。同時に、壁一面を支配するようなディスプレイが点灯し、“ルール説明を始めます”と表示されたことから、陣が最後に集まったことが分かった。


 “復讐者”と“仇”とがいるらしいが、一見しただけでは誰がどちらか分からない。だいたい、自分の立場だって白紙だったせいで分からないのだ。


 けれど、プレイヤーらの名前は分かった。ロビーの中心にどかんと配置された、何人掛けなのか一見では分からない程の長方形の大きなテーブルに、プレイヤーリストが置かれていたからだ。先程のマッチ売りの少女は、井口衣鈴いぐち いすずというらしい。


「あ」


 そんな小さな感嘆を上げたのは誰か不明だが、恐らく大多数だろう。ディスプレイの表示が切り替わり、“一日の流れ”とあったからだ。



○一日の流れ

・十二時にロビーに集合する。集合しなければ、その時点で失格。破棄される。

・十二時~十八時の六時間を“マーダータイム”とし、殺し合いが可能となる。

・マーダータイム中にターゲットを一人指定し、そのターゲットのみ殺しが可能。

 一度決めたターゲットは、その日のマーダータイムが終わるまで変更出来ない。

 ターゲットの指定は、『○○をターゲットに指定する』と宣言する。

・殺しには、配付された拳銃、ナイフ、特殊能力のみ使用が許されている。

・マーダータイム以外での殺し、ターゲット以外の殺し、指定物以外を用いた殺しを行った場合は、加害者が死んで被害者が生き返る。

・ゲームは十日間だが、初日の本日はルール説明のみである。この十日間は洋館から出られず、出た場合は失格となる。



「十二時に集合しろってのは分かったけどよー、集合しなければ破棄ってなんだよー! 俺ちゃんに誰か教えておくれ!」


 ザワつきが生まれる前に、そよ風に吹かれただけで吹き飛んで行きそうな軽い男が、プレイヤーら一人一人の肩を叩きながら言う。

 立浪達也たつなみ たつやというらしい彼は、ニヤついた表情のまま最後に陣の元に辿り着くも、唯一肩を叩くことなく、「へへへ」と苦笑いをして後ずさりしていった。陣の容姿を見て、こいつはヤバい奴と見たに違いない。陣より少し年上なのに、まったく、情けない。


「素直に考えれば、破棄とはそれイコール、死。誰かに殺されるのではなく、このどこか異能の力が働いているように思える館の未知なる力が、プレイヤーを死に誘うのだろう」


 立浪の行動に誰もが溜息を吐くも、黒いコートの男だけは腕組みで答えた。若者向けファッション誌から抜け出したような綺麗な顔立ちの津村翼つむら つばさは、言葉一つ一つがどうにも臭い。顔だけで事務所から推された俳優が、勘違いの名演技をするような芝居がかった仕草だった。


「ふん」


 それを見ていたメガネの男が鼻を鳴らした。一人だけ椅子に腰掛け、脚を組んで頬杖を付いている。


「貴様らは馬鹿か? 馬鹿なのだろう、そうに決まっている。最初に表示されたということは、この復讐ゲームと呼べるこれから行うべきことの、最も基本的なルールなのだろう。そんな所で質問などふざけているのか?」


 高そうなスーツを着込んだ、いかにもインテリでございという風祭界かざまつり かいは、メガネをクイとやってさらに続ける。


「要するにこうだ。十二時にロビーに集合しない奴は死ぬ。十二時になればマーダータイムの開始で殺し合いだ。復讐したい奴を殺すなり、返り討ちにするなり好きにするがいい。ただし、殺せるのは一日一人であらかじめターゲット指定宣言せねばならない。さらに、殺しを行える時間帯や凶器は限られている……たったこれだけのことだろう!」


 何を当たり前のことをさもすごいことのように、と言いたのを陣は堪える。今しがた表示されたルールを、そのままなぞって少しだけ言い方を変えただけではないか。この男、見た目こそインテリだが、雰囲気イケメンならぬ雰囲気インテリではないのか。


「なぁなぁ次のルールが表示されたぜ! 全員見た!? 俺ちゃんは見た!」



○復讐カードについて

・プレイヤーの立場を示す物となっている。

・一人に一枚ずつ配られており、“復讐者”又は“仇”の記載がある。

 それらにはアルファベットが付加されており、復讐者Aは仇Aを、復讐者Bは仇Bを狙っているという、対応が取られている。



「俺ちゃんの立場はどっちでしょーか! 教えません!」


 またしてもこの男は、と陣は立浪を見る。決してこちらには近付いて来ないが、立浪は他プレイヤーらを一人ずつ回る。数人が復讐カードと思しきものを手にしていて立浪は覗きこんでいるが、全員すぐに隠したため見ることは叶わなかったようだ。


「こいつぁ……」


 黙っていてもその動きだけで騒がしい立浪がいる中、陣の呟きは誰にも聞こえなかっただろう。


 誰も彼も、表示されたルールを不思議に思っているようには見えない。部屋にあったプリントにあらかじめ説明されたものだからではあるが、陣と同じ疑問を持っているようには思えなかった。


 なぜ自分の復讐カードは、白紙なのか。


 疑問を持っていないということは、表示されたルールの通りのカードを手にしているということであり、つまりは“復讐者”か“仇”と表記されている。誰も陣のように白紙ではないのだ。


 もしかしたらルール説明の後に正式な物が配布されるか、或いは殺し合いの激化を狙い疑心暗鬼にさせるためにある、形だけの道具ではないかと思っていたが、どちらも違うらしい。


 だいたい、だ。復讐するにしろされるにしろ、その相手は知った人間であるはずだ。有名人なら見ず知らずの人間から恨まれることはあるだろうが、陣はただの高校生。それなのに、この洋館には陣が知っている人間など誰もいない。目つきのせいで因縁はつけられても、復讐まで発展するとは思えなかった。


 間違ってここに連れ込まれてしまったのでは。もはやそうとしか考えられなかった。


「ってかさ! “復讐者”と“仇”の対応ってなんじゃらほい! 復讐者Aがなんだって??」


 相変わらず立浪は一人喚く。少しは頭を使えと言いたくなるが、関わり合いになりたくない。


「あなた、そんなことも分からないんですの? このあたくし様が解説してあげるから、心して聞くがいいですわ!」


 もはや誰も相手にしないのではと思われたが、小柄な女が腰に手を当てズイと前に出る。


 白く短いスカートのワンピースに、白く透き通った肌。外ハネの長い金髪が目立つ彼女は、蘭光恋愛子らんみつ らめこ。その名前はどう見たって“れんあいこ”としか読めないが、“らめこ”らしい。黙っていればどこかの企業の令嬢にも見える気品があるし、口調も「~ですわ」と締めるのでお嬢様感が強いのに、やたら勝気だし声がでかかった。

 だいたいその一人称はなんだ、“あたくし様”なんて使う人間をこれまで聞いたことがない。一見すると子供っぽくあるが、一応陣と同年代のようだ。童顔で体格も小学生かよくて中学生なのに。


「例えば、あたくし様が“復讐者”で、あなたが“仇”としますわよね!」

「俺ちゃんが“仇”か、参ったねこりゃ!」


 恋愛子が立浪を指差すと、特に参った様子もない立浪がヘラヘラと笑う。


「するとあたくし様の復讐カードには“復讐者A”と表記される。あなたのカードは、“仇A”と出るはずですわ。そして……あなたとあなた!」

「ふ、ふぇ!? あ、あたしぃ!?」


 恋愛子が、近くにいた陣と、次いで別の女を指差す。


 陣はさして動じていないが、もう一人の女は周りに助けを求めるようにやたらと見渡す。そういえばこの女、陣が反面教師にした、先程お上りさんの如くキョロキョロとしていた女だ。

 根野こんのこのみは、紫色のカーディガンから深い紺のセーラー服が見え隠れするので、女子高生だろう。カーディガンから手は指先というか爪程度しか出していないし、脚は黒タイツで覆っているので、肌が露出している部分は首から上しかなかった。


「根野このみさんが城嶋陣さんを狙っているとすると、“復讐者B”と表示される。対して陣さんは、“仇B”と出るのですわ。つまりは、アルファベットが同じプレイヤーが、狙う者と狙われる者、ということになる。誰が誰を狙っているか見た目だけでは分かりませんが、双方の復讐カードを突き合わせれば、一目瞭然となるってことですの!」


 また腰に手を当て胸を張る恋愛子だが、残念ながらその胸には女子としての主張はほとんど無い。その点は根野も大差ないが、白い服に金の髪である恋愛子と、紫の上着に黒髪という根野は、見た目も性格も違いすぎる。恋愛子が陽なら、根野は陰という、対極的な存在に見えた。


 それにしても、語りたがりが多い。ここは復讐者達が集う、殺し合いの場だと思っていた。それなのに、ピリピリとした空気がまるで感じられない。うぇーい今からカラオケに行こうぜーなどとでも言い出しそうだ。或いは、それだけ爪を隠すのが上手いのか。


 陣は、溜息を吐きそうになるのを堪える。分からないことだらけだが、気を抜きそうになるなんて何事だ。この場で殺人が起きるかもしれないのに。陣は先程より強く両頬をパンと鳴らして、集中力を取り戻そうとする。


 そのせいで、ディスプレイに表記されたルールが切り替わったことに気付かなかった。それと同時に、何かが弾けるような鋭い音がしたことも、自分の頬を強く叩きすぎたのかと、頬を摩ることしか出来なかった。


「……は?」


 先程まで、呑気と言える空気を醸し出していたプレイヤーのうち、半分に当たる五名が突如倒れたのを見るまでは。


 馬鹿で軽すぎる立浪達也、売れない俳優っぽい津村翼、インテリメガネの風祭界、勝気なお嬢様たる蘭光恋愛子、根暗な根野このみ。うるさかったり語っていたりしていた面々は床に伏し、全員漏れなく、身体に空いた穴から血液を垂れ流している。


 思い返せば、先程の音は弾けた程度のものではない。爆発音と言った方が近い。たぶん陣も飲まれていたのだ。この場の雰囲気に。

 ルール説明において、殺し合いに使って良い武器とやらが表示されていた。あの時、拳銃、という単語があったのは覚えている。この状況は、五発の銃弾が同時に発射され、そして五名に命中したもの。あの音は、銃声だったのだ。


 銃撃した者の姿はないが、この洋館に蔓延る妙な力の仕業だろう、と勝手に納得していた。納得させられているのかもしれない。

だがそれは、あまりにおかしなことだ。この場は、復讐ゲームが行われ、今はそのためのルール説明のはずだ。それなのに、なぜすでに半分も死に絶えた? 復讐する気など微塵も感じさせない彼らを見て、運営側が制裁したのだろうか。そんな勝手が許されていいのか。


 また自分は、何も出来ないのか。


「残った半分の皆さー、ちょっとディスプレイ見てもらっていいかなー?」


 生き残った五名は全員、陣のように混乱していると思っていた。けれどその、サイドテールを巻き髪にした女は、ケロリとした顔でディスプレイを指差す。


「……!」


 部屋に置かれたプリントのうち、三枚目に書かれていたルールが、ディスプレイに表示されている。プリントを見てなぜか疑っていなかったが、それでもなお理解し難いそれを説明するためだけに、この状況が出来ていたのだ。


「“リヴァイバル”!」


 いち早く駆けつけた陣は、近くで倒れた恋愛子の肩に触れて、そう叫んでいた。そうして陣が瞬きをすれば、恋愛子の身体にあったはずの銃痕は消え、流れ出たはずの血液でさえカーペットから染みを消していた。


「……あら?」


 ポヤンとして目を開けた恋愛子は、陣の顔を見てからゆっくりと立ち上がり、そして周りを見渡した。そういえばこの女は、陣を見ても恐がらないし、先程は陣を例にあげさえもした。珍しい奴だった。


 恋愛子と同様に周りを見れば、陣に習ったのであろう他のプレイヤーらも、それぞれ倒れた者に触れて「リヴァイバル」と発言する。やはり倒れた面々は、何事もなかったかのように立ち上がっていた。


「少年、よくやったよくやったー」


 サイドテールの女が、大して興味もなさそうに陣に声をかける。久龍空奈くりゅう くうなは、両手を後頭部に当てながらニヘラと笑った。アウター用のキャミソールにショートパンツという薄着で、惜しげもなく肌を露出している。


 それにしてもこの女は、と陣は思う。妙に冷静だった。ディスプレイが切り替わったことに唯一気付いていたようだし、死人が出た瞬間だって取り乱した様子は微塵もない。こちらより年上のようなので大人の余裕からかもしれないが、なんだなんだ、こいつは。


 いっそ、何か問いかけてみよう。陣がそうして一歩踏み出した、その刹那。



 陣が気付くと、どこの誰だか知らない男が、この洋館に連れて来られるまでの流れを見ている。誰かの記憶を辿っているようでも、自分の記憶を思い返しているようでもあり、なんとも言えない気分になったものだ。


 次に目を開けた時には、館の天井を見上げていた。


 脇にいる恋愛子は、「先程のお返しですわ」と言い残し、陣が目を覚ましたことを見て離れていった。


「俺らも……か」


 辺りを見れば、今度は先程生き残った五名が床に座り込んでいる。陣と同様に倒れていたのだろう。胸か頭かに風穴を開けられて。そして他の五名が、そんな陣達に触れて「リヴァイバル」と告げたのだ。


 これが蘇生か。これが……魂を見るということか。



○蘇生について

・死んだプレイヤーに触れて、“リヴァイバル”と宣言すれば蘇生することが出来る。

・一日のうち一人に対してのみ蘇生可能。

・死んだ日のマーダータイム中に蘇生させられなければ、蘇生は不可能となる。

・蘇生は、魂を分け与える行為である。蘇生した相手へ、自分の魂が伝わる。

・魂からは記憶が感じられ、参加理由等が分かる。

 ※ルール説明において見た魂は、前回のゲームにおけるプレイヤーの魂である



 陣は、名前も知らぬ男が館に連れて来られるまでの様子を見た。恐らくそれが、誰かの記憶なのだろう。つまりは、魂なのだろう。


 ルールに“蘇生した相手へ自分の魂が伝わる”とあるが、本来なら自分を蘇生してくれた蘭光恋愛子の魂が伝わるはずだった。けれど今はあくまでルール説明であり、今回のプレイヤーの魂を見せては有利不利に差が出るゆえ、別の魂を見せたということか。


 そしてその、魂を見るという行為。


 記憶を見るというより、自分がその記憶を持った人間になりきるというか、そういえばあの時こんなことがあったなと自分の記憶を思い起こすような感覚だった。魂を見ることで、相手の人となりを知ることが出来る。


 本来信頼関係とは、一朝一夕では成らない。ゆっくりたっぷり時間をかけて築くものだ。逆に敵対することだって、相手の主張や思想を知らねばならないので時間を要す。しかし魂を見るという行為は、それをほんの僅かな時間に凝縮してしまう。


 この館において、相手を知る行為は、魂を見ることによって一瞬で成し得てしまうのである。


 だから陣は、生き残るには“他人を殺すか、誰かを助けるか、或いは死ぬこと”と考えていた。

 誰かを助ける、つまり蘇生することで魂を伝えることが出来れば、相手は信用してくれるはずだ。逆に自分が死んで誰かに蘇生してもらえれば、その誰かの魂から相手を知れて、信用出来る。仲間となれるかもしれない。


 もっとも、相手が復讐されても当然のようなクズ人間なら、到底仲間にはなりえない。でも陣は、自分の魂からそんなものは感じられないと確信している。自惚れではなく、あるとすれば同情しかないと思っている。


 ただ。


 今でこそ、実際に死んだ人間が蘇生したことや他人の魂を見ているから、自信を持って先程のこの洋館で生きる術を語ることは出来る。けれど、部屋で見たプリント程度で、なぜ生き残る方法を確信めいて思い付いたのだろう。


 なんでここにいるか分からないなんて考えつつ、この館に関するルールは、それを見た瞬間から説明などなくともするりと理解していた気がする。復讐カードが白紙だったことに強い疑問があったのも、ルールを理解していたからに他ならない。


 だからなのだろうか。次の一見信じ難いルールだって、特に騒がしくはならなかった。



○特殊能力について

・プレイヤーは、それぞれ特殊な能力を与えられる。どれを持つかはランダム。

・能力は十種類。それぞれ発動には条件がある。

・プレイヤーは、自分以外の能力が誰のものか分かっておらず、その内容も分からない。

・能力名は以下。

 ①絶対服従 ②能力把握 ③遠当て ④自己再生 ⑤鍵師

 ⑥能力拝借 ⑦霊媒師  ⑧必殺  ⑨二ノ太刀 ⑩能力無効化



「へぇー」


 あの騒音の権化たる立浪だって、そんな感嘆しか漏らさない。


 陣だってそう。そういえば部屋に、能力カードなるものが置いてあったように思う。そこに書かれた内容が、陣が所有することになる特殊能力なのだろう。その程度の認識だった。


 何せ先程は、死んだはずの人間が生き返り、見ず知らずの人間の記憶を体験するという、訳の分からない状況にあったのだから。もはや多少のことがあっても驚きはしない。



○ゲームの終了と報酬

・ターゲットの殺しを成功させれば五千万円獲得する。

 ただしそのプレイヤーが蘇生された場合、賞金は獲得出来ない。

・十日間経った時点で、ある条件を満たしているプレイヤーに一億円を与える。

 条件は、自らで突き止めるしかない。



 最後のルール説明と思しきものを見ても、それは変わらない。


「“ある条件”ねぇ……興味が湧くじゃないのサ」


 ディスプレイのごく近くで、忙しそうに手を動かす女が見えた。

 無造作に束ねた髪を揺らしながら、益若ますわかマコは、手にしているタブレット端末と、プレイヤーらを見比べていた。そのえらくツリ目な彼女と一瞬目が合ったが、すぐに益若の目は他に移る。


 タブレット端末でディスプレイに映ったルールを撮影したり、プレイヤーらの情報を打ち込んでいたりしているのが見て取れた。先程までぐるぐるとロビーを回っていたのは知っているが、あれは情報収集をしていたのだろう。うるさい立浪の影で目立たないようにしていた。上手くやったものだ。


「忙しなくタブレットを使っているようだが、俺ならもっと楽にすることが出来る。俺が開発したAIアプリを使えばな。お前のタブレットにインストールさせてくれないか」


 そんな益若の目線は、芝居がかっているようにも見える翼の所で止まった。


「はぁ? そうしてアタシの個人情報を奪おうっていうのかい? 乗らないよ、そんな手には」

「そうか。まあ、気が向いたら言ってくれ。俺はただ、俺の技術力を確かめたいだけだ」


 特に気にするでもない翼を背に、また益若はタブレット端末に目を戻した。彼女のツリ目からは、あまり輝きを感じられない。世間の荒波に揉まれ続ける社会人か。


 それにしても、あの津村翼という黒づくめの男はいったい何を考えているのか。益若が断るのは当然で、怪しさしか感じられない。何か企んでいるに違いない。でも危険な臭いもしないのだが、それは翼の一挙一動が芝居臭さすぎの胡散臭すぎであるために覆い隠しているからだろうか。


 ……ああ。また雰囲気に飲まれ始めた。ここがどこか思い出せ。“復讐者”でも“仇”でもない陣だから、やれることはあるはずだ。また頬を叩いて、頭を切り替える。


「……成程。こんなちっぽけなステージだが、私の力を試すには丁度良い」


 その必要は、どうやらなかったらしい。


 たまたま近くにいた陣だからこそ聞こえた、初老の男のえらく低い声の呟きは、陣の心臓を鷲掴んで握り潰さんとしているかのように思えた。

 震え上がる、なんて経験を、陣はその見た目になってからしたことがない。でも今まさに、ゆっくりと彼の方を振り返りながら、初体験をすることとなった。


「……聞こえてしまったかね。失敬」


 また、口から出てすぐに地を這うような低い声が聞こえる。その表情はにこやかだし、見た目は物腰柔らかな執事という風体だ。お嬢様と思しき恋愛子と合わせれば丁度良さそうにも思えた。


 でも、ダメだ。その声のせいなのか、先程の言葉のせいなのか、彼が醸し出す空気のせいなのか、或いは全てか。陣の全身が、こいつは危険だとあらゆる信号を発している。ズンとそこだけ重力が増したような、指先一つを動かすことさえ憚れる心地だった。


 そういえば、先程五名が死に、陣らは残った際。


 城嶋陣を始め、白い大きなリボンでか弱き雰囲気の井口衣鈴、タブレットを使う益若マコは、少なからず動揺していた。だが、サイドテールで陣を少年と呼ぶ久龍空奈もそうではあったように、その執事のような初老の男も、ほとんど表情を変えていなかったのではないか。


 北条穂久斗ほうじょう ほくと


 ルール説明が終わったため、それぞれ部屋に戻っていくプレイヤー達。でも陣だけはロビーで佇んでいた。その北条から決して目を離すことが出来ず、他のプレイヤーの姿が見えなくなって五分程して、ようやく陣も、自室に戻らんと足を動かす気が湧いてきた。


「!」


 その足を止めたのは、数瞬後だった。


 てっきりこの場に残ったのは陣だけだと思っていたのに、衣鈴もまた佇んでいた。目線は先程までの陣と同じ、プレイヤーらが去っていった方向だ。


「お前も聞いていたのか?」

「……はいです」


 思いがけず声をかけると、衣鈴は力なく頷いた。大きな白いリボンが揺れる。でも、こちらを向くことはない。その目は変わらず、それぞれの部屋に消えていったプレイヤー達の、いや、北条穂久斗の方を向いている。睨んでいるようにも見える。先程陣の背中にぶつかり、怯えた様子を見せた彼女と同一人物とは思えなかった。


 衣鈴は“復讐者”であり、北条が“仇”なのだろうか。それを問うことは出来ない。先程まで北条穂久斗で頭を覆い尽くされたはずの陣は、また衣鈴から目が放せなくなっていた。

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