6|閃光④

***


 「佐藤」と書かれた表札の家には、犬小屋が見当たらなかった。どうやら屋内で飼っていたらしい。

 インターホンを押して、ミルクという名のチワワを保護していることを伝えると、相手の女性は慌てて玄関を開けた。

「ありがとうございます、本当に、なんてお礼をしたらよいか……!」

 まだ眠ったままのチワワを抱いて、その若い女性は涙ぐんだ。雷奈たちは、聞き込みで得られた情報と違う飼い主像に戸惑いを覚えた。どう見ても、老女には見えない。

 すると、それに気づいたのか、あるいは気が緩んだためか、女性は涙をぬぐいながら話し始めた。

「この子は、私の祖母の犬だったんです。三日ほど前にいなくなってしまって。祖母も心配していて、私たちも探しに行こうと思っていたんですが……無理でした」

「何かあったんですか?」

 芽華実が聞くと、女性はいっそう涙を浮かべた。

「その翌日、祖母が亡くなったんです。それで、捜索どころじゃなくなって」

 脳卒中による突然の死だったという。つい先日まで、犬の散歩に出かけていた元気な人だったにもかかわらず。

 それでも、犬だけでも戻ってきてくれてよかったとほほ笑む女性の言葉に、芽華実までも泣きだしそうになる。

 上がってお茶でも、という女性の誘いを断り、三人は佐藤家を後にした。

 道を進み、角を曲がると、一匹の猫が待機していた。胡桃色の体で、耳と尾の先が葉のように緑がかっている。首には黄緑の首輪をつけていた。

「あなた、蘭華ったいね?」

「はい。会話は大体聞こえていましたよ。すみません、巻き込んでしまって。そして、ありがとうございました」

 二本足で立ちあがると、彼女はぺこんとお辞儀をした。そして、物憂げな表情を浮かべると、

「……飼い主さん、亡くなったそうですね」

「ああ……うん」

「気休めかもしれませんが……最悪の事態は免れたのだと思います。あの犬にまで何かあったら、お孫さんはもっと悲しんだでしょう。無事でよかったです。……そして、それは氷架璃さんが光術を発動したおかげです」

 最後の言葉に、穏やかだった氷架璃の顔が曇る。蘭華は彼女を刺激しないよう、慎重に言葉を選んだ。

「ショックを受けた心中、お察しします。ですが、このことはぜひ明らかにしなければなりません。氷架璃さんも、何か心当たりがないか……少し考えてみてください」

 失礼します、と会釈し、蘭華は去っていった。フィライン・エデンに戻るのだろう。

 三人はしばらく、無言で立ちすくんでいた。

 雷奈はちらりと氷架璃を見やって、すぐに視線を落とした。

(私もイレギュラーって言われた、ばってん……氷架璃もイレギュラー? 一体、どういうこと……?)

 その時、雷奈の中にはある予感があった。

 けれど、その予感はあまりにも突飛で、馬鹿げていて。

 彼女は、頭の外へと押しやるようにして、想像してしまったビジョンを打ち消した。

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フィライン・エデン 夜市彼乃 @K-Haduki8

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