4|くすぶるものは炎か、あるいは②
***
「えっ、来るのも初めてなのか? 人間界」
氷架璃は驚いて声を上げた。ファイと、リンもうなずく。
「ああ、選ばれし人間がいない間は、無目的に人間界に行っちゃいけねーんだ。お前たち三人のことが公表されてから、やっとオレたち一般市民にも、人間界へのワープ許可が出たのさ」
「でも、今でも理由なく人間界で暮らしたり、働いたりしちゃだめなのよ。規則を破れば、フィライン・エデンの裏切り者として、クロになっちゃう」
「ふうん……」
どうやら、フィライン・エデンの猫たちを道から外れぬよう戒めているのは、クロになるという脅しらしい。無論、あんな生き物なのかすら定かでない存在になるのは誰しも嫌であろうが、本当にその通りになるのかは怪しいところである。村の伝承のように、ただ住民を縛るために存在している根も葉もない作り話の可能性だってあるのだ。
それでも、十分に犯罪の抑止力になっているのなら、その話の真偽はさほど問題ではないだろう。
「む、あれは……」
ふいに、ファイが立ち止まった。彼の視線の先にいるのは、三羽のカラスだ。ごみ置き場のネットを器用にはがし、中のごみ袋をあさろうとしている。
リンがファイを見上げた。
「ファイ、あれは何?」
「あれは……」
フィライン・エデンには猫以外の動物がいないのだ。カラスを知らないのも無理はない。
「待てよ、人間界学で習ったぞ。確か……」
「そんな学問があるのか」
「ゴミ収集要員だ!」
「ちげーよ」
自信満々に間違えているファイだが、己の誤りに気付かない彼は、自信満々のままリンに解説する。
「学院で習ったところによると、人間界のゴミ収集要員はみんな同じ格好をしているらしい。見ろ、あれらは同じ格好をしているだろう?」
「確かにそうだわ」
「ゴミを収集する時にやりやすいよう、人間があの姿になっているんだ。ひと呼んで『町のお掃除屋さん』と言われているらしいぞ!」
「どうやりやすいんだ!? しかも人間はあんたらみたいに変化しないし、カラスは掃除することもあればとっちらかすこともあるからな!?」
見ていられない氷架璃は、慌ててあの黒い鳥の正体を説明した。それを聞いたファイは目を丸くして、
「そうなのか……!?」
「そうだよ」
「……し、知ってたぜ……」
「嘘つけや!」
どこまでも見栄を張りたい少年である。そんな彼に、新たな試練が立ちはだかった。
「ファイ、あれは何かしら?」
麗しの彼女であるリンが、道脇に立っている電柱を指さして問うた。
「む。あれは……デンチュウだな」
「お、それは知ってるのか」
「ったりめーだ! オレは人間界学の試験、学年で三番だぜ!」
「なんだ、すごいじゃん」
「下からな!」
「前言撤回だ」
どうやらバカキャラらしい。そこへリンが問い二を発問。
「ねえ、ファイ。デンチュウって、何? 何をする何なの?」
「それは、だな……」
即答できないあたり、知らないのだろう。が、知らないとは言えない男ファイ。何とか推理しようと試みる。
「デンチュウ……デンは電気のことだろうな。とすると、チュウは……」
いい線を行っている、と期待した氷架璃は、
「わかったぞ! 電気を発する虫だ! 電虫だ!」
ずっこけた。
「いいか、リン。この巨大な虫は、体内に電気を宿しているぞ。触るなよ」
「そうだったの!? 離れましょう……」
「見ろ、この図体、そして頭上に広がる触角! きっと人間界で一番でかい虫だ……」
「でも、ファイ。触角の上にさっきのカラスという生き物が乗っているわ」
立ち上がった氷架璃も上を見上げ、電線にカラスが止まっているのを認めた。
(というか、電線を触角に見立てたか……子供ばりの発想力だな……)
半ば感心する氷架璃。ファイはリンの指摘に、
「よく考えてみろ、リン。さっき水晶氷架璃は、カラスが虫をも食べると説明していただろう。今からこの電虫を捕食するつもりなんだ!」
「そうだったのね!」
「リンもまだまだ勉強が必要だな」
「勉強が必要なのはお前だよ!」
ファイの束ねた赤髪を引っ張って叱咤し、電柱とはなんぞやということを詳細に説明した。
「触角ではなく、電気を運ぶ線だと……!?」
「そうだよ」
「それを支える柱が、電柱……!?」
「うん」
「……知ってたぜ……」
「汗だくだぞ、あんた」
額をぬぐったファイは、上ずった声で「もう少しあっちに行ってみようぜー」とリンを誘いかけた。が、すぐに動きを止める。
「どうしたんだよ」
「ファイ?」
「待て、リン。あれは危険だ」
ファイが鋭く目を細めてにらむ先には、一台の軽自動車が止まっていた。運転手はカーナビを見ているらしく、エンジンはついたままだ。確かに、もしカーナビに目を落としたまま発進すれば、三人に気付かず事故になりかねない。
「あれはとても危険な機械だ。あれのせいで、年間何千人も人間が死んでいる」
「その認識はちゃんとしてんだな」
「最高速度は時速百キロオーバー、その重厚な体で体当たりされたらひとたまりもないぞ」
「ここは高速じゃねえ」
「あれが大量殺戮兵器、自動車か!」
「どんな教育受けてんだ!?」
ファイは至って真剣な顔で、リンの肩をつかむ。
「まさかこんなところで出会っちまうとは思わなかった……。いいか、絶対にお前を危険な目には遭わせないぞ!」
「ファ、ファイ……!」
「まかせろ、お前の身の安全を脅かすものはみんなオレが排除する。だから……」
ボウ、とその手に炎が宿り、
「燃やす!」
「アホか!」
コンビニのビニール袋が後頭部を打ち、ファイは前につんのめった。
「何のつもりだ、水晶氷架璃!」
「お前が何のつもりだ! 大事件になるわ!」
もう諭すのも面倒くさい氷架璃は、そんなに恐れるなら迂回しようと提案。最後までガンを飛ばすファイを引きずって、別の道へと進路を変更した。
「だいたい、人間界デートって……言っとくけど、この辺はデートらしいデート出来るところなんてないぞ?」
光丘はほとんどが住宅地で、遊園地や映画館といったデートスポットはない。せいぜい、公園やカフェでカップルを見かける程度だ。こんな所にわざわざ出向いてデートをする意味があるのか。
氷架璃が呆れ顔でそう言うと、リンは「いいの」と笑った。
「だって、そんなもの、フィライン・エデンにもないもの」
「そうなのか?」
「だから、人間界という新鮮な場所に好きな人と来るのが、一番のデートコースだと思わない?」
好きな人、という率直な言葉に、恋愛なにそれおいしいの歴=年齢の氷架璃は気恥ずかしくなってくる。しかし、リンの気持ちは理解できた。氷架璃も、もし新しく面白そうな場所を見つけたら、恋人ではないにしろ、大好きな親友である芽華実や雷奈を連れて行きたくはなるだろう。
「なるほどね。じゃあさ」
その先を言った後、氷架璃は気づいた。祖父への嫌がらせはついでになっていて、本命はこのデートを少しでも思い出深いものにすることになっていると。それほど、リンの一途な恋心には胸を打つものがあった。
新しく、面白そうな場所。それすなわち、フィライン・エデンにはない場所である。
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