2|編入生は気づかれない

2|編入生は気づかれない①

 中学三年生の一学期は、開始した。

 始業式が終わり、三年B組に戻った氷架璃は、改めて教室中をぐるりと見渡して、嘆息する。

 やはり、みんな時間が巻き戻ったことには気づいていない。昨日まで中学二年生で、今日進級した、という認識だ。

「担任もクラスの面子も同じ……か。どうなってんだろね、ほんと」

 試しに、近くを通った友達に話しかけてみる。

「よう、希湖きこ

「おはよう、ひかちゃん」

「ちょっと聞きたいんだけどさ、修学旅行で京都に行ったじゃん? あの時言ってた彼氏とは、まだ上手くいってんの?」

「何を言い出すかと思ったら……。うん、一昨日も会ってたよ。でも……それを伝えたのは、修学旅行の時じゃないし、私たちの小学生の時の修学旅行は、京都じゃなくて広島でしょ?」

「いや、中学の修学旅行」

「何言ってるのよ、修学旅行なんて行ってないじゃない。だって今年行くんだもの」

「じゃあ、希湖の彼氏の話って、いつしたんだっけ?」

「それは……、……いつだったっけ。忘れちゃったわ、そんなの」

「そうかい」

 得られた結論としては、修学旅行など、年にかかわることは都合よく忘れているものの、差し支えない記憶は、都合よく覚えているようだ。そのあたりのすり合わせが曖昧になっていて、まあいいかと流されている状態。

 帰り道、そのことについて芽華実や雷奈と共有したところ、二人もクラスメイトとの会話の中でそのような結論に行き着いたという。

「どういう現象なのかしらね。完全に巻き戻ってるわけじゃないってことでしょう?」

「現象っていうか、まるで……誰かの人為的な仕業みたいにも思えるったい」

「ええっ、どういうこと?」

「人間を超える存在が、そういう術を使って……って感じったい」

「それって、あの猫たちが?」

「昨日会った二匹とは限らんよ。だって彼らが来たのは猫の世界。ほかにも猫はたくさんいるはずったい」

「おっ、噂をすれば、猫だ」

 ふいに氷架璃が声をあげて立ち止まった。会話していた二人も遅れて足を止める。道路わきにいたのは、アワとフー……ではなく、

「なんね、普通の黒猫……」

「普通……」

「……普通?」

 ――普通の黒猫でもなく、普通じゃない黒猫だった。

「うお、よく見たら、なんじゃこりゃ」

 姿は確かに、黒猫のようだ。しかし、輪郭はどこかもやもやとしていて、見ようによっては実体がないようにも見える。頭が大きく、しっぽは長い。なにより、その金色の目には、黒目がなかった。ただ爛々と光る金の丸。口は半開きで、少し牙が見えている。

「もしかして、これもフィライン・エデンの……?」

「それに関わっちゃだめだ」

 その時、後ろからかかった声に、一同は振り返った。そこにいたのは、学ラン姿の少年。雷奈たちと同じ皇学園中等部の生徒のようだ。

 黒い髪はおとなしめの長さ形。背は氷架璃よりも少し高いくらいで、男子にしてはそれほど長身ではない。中性的で愛嬌のある顔立ちだが、今はたしなめるように眉をひそめている。

「……誰、あんた」

「ひどいなあ、仮にもクラスメイトじゃないか」

 氷架璃は今朝見たクラスのメンバーを追憶した。男子の方はあまり見ていなかったが、もしかしたらいたかもしれない。知らない顔ということは、一部クラス替えがされていた可能性もある。

「悪い、覚えてないわ。でも、声に聞き覚えがあるから、すれ違ったことくらいあるかもね」

「無理もないよ。ボク、今日編入したばかりだもの」

「……は?」

 氷架璃は困惑した。今日の始業式で、編入生の紹介などなかったはずだ。

 彼女の心中を読み取ったのか、少年は淡く笑って、

「まあ、記憶は多少操作したから、みんなボクのことは、前からクラスにいる地味なヤツ、って認識してるだろうけどね」

「記憶、って……」

「仮にも、クラスメイト」

 呟いた雷奈に注目が集まる。落ち着き払った雷奈は、ゆっくり一つまばたきをして、

「あなた、本当に仮の、仮初めのクラスメイトったいね」

「理解が早くて助かるよ」

 その声を――声変わりはしているのだろうが、なおもを聞いて、どこで聞き覚えがあるのかを思い出して、

「あああああっ!」

 叫び倒し、人差し指を少年に突きつける氷架璃。

「あんた、まさか……アワ!?」

「突然叫ばないでよ、猫は耳が敏感なんだから」

 耳を手で覆って非難する少年は、どこからどう見ても人間だ。今、手で覆っている耳は頭ではなく顔の両脇にあり、しっぽが生えているわけでもない。だが、その声が、そして言葉の内容が、彼がアワであることの証明だった。

「どういうこと……あんた、人にもなれんの?」

「正確には、人の姿をとれる、といったところかな。人になったわけじゃないからね。言ったでしょ、フィライン・エデンは、人間以上の存在になれる世界。人間と同等になれて当然なんだ。……それより」

 アワは、先ほど氷架璃が見つけた黒猫……のようなものに視線を向けた。忌むべきものを見るように、目をそばめて。

「これに関わると危ないよ。まさか人間界にまで来ているなんてね。しかも君たち、目をつけられているみたいだ」

「アワ、これは……なんね?」

「こいつは……」

 アワが口を開きかけた、直後。

「イタダキ」

「……は!?」

 目にも止まらなかった。黒猫もどきが、氷架璃の鞄を奪って逃走するのを見て、ようやく三人は「イタダキ」の意味を理解した。

「はあああ!? ちょ、なんか盗まれた!?」

「あーあ、だから言わんこっちゃない!」

 どんな力をしているのか、頭上に鞄を掲げて二足歩行で走っていく黒猫もどきを、氷架璃は慌てて追いかけた。雷奈たちも後を追うが、黒猫もどきはとんでもない速さで逃げていく。

「速えええ! なんだありゃ、どうなってんだよ!? ってか、なんで盗んだんだ、ポテチ入れてたのバレたか!?」

「……そんなものを入れて学校に行っていたのかい?」

「うるさい!」

 並走するアワに一喝、しかしこのままでは埒があかない。ポテチは買いなおせばいいとして、中にはほかにも、明日から必要な学用品が入っているのだ。何より、鞄は制定のもの。代用品で登校するわけにはいかない。

 嘆きながら追走する氷架璃に、アワは軽く嘆息して、

「しかたないね。――少し濡れたらごめんよ」

「は? 何を……」

 アワはそれには答えなかった。代わりに、走りながら体の前で右手の人差し指と中指を立てると、

「――慈愛の旅人、浅沓あさぐつの合唱、無為の得物が低く鳴く」

「何し……て……!?」

 氷架璃の声は、途中から裏返って消えた。

 それは、物理法則を無視した現象だった。

 アワが呪文のような言葉を紡いでいくにつれて、彼の指先に水が集まり始めたのだ。それはスーパーボールの大きさの球になり、こぶし大になり、やがてボール大になり……。

「とどめかぬ衝動を春方はるべまで待て――跳ねろ、水砲すいほう!」

 バレーボールのオーバーパスのような形にした手で、宙に浮いた水の球を軽く押すと、それは弾かれたように前方へと飛んでいった。水の球は、徐々に黒猫もどきとの距離を詰めていき……ビチャンッ、という音とともに黒猫もどきを吹っ飛ばした。

 慣性の法則で、鞄も少し前方に滑って行ったものの、黒猫もどきの手からは離れた。アワはそこまで追いつくと、他人の私物を扱う丁寧な手つきで鞄を拾い上げ、安堵の表情を浮かべる。

「よかった、上手くクロだけに当てられたみたい。鞄は濡れてないよ。どうぞ、氷架璃」

「……いやいやいや」

 息せき切って追いついた氷架璃は、据わった目で少年を見た。

「うん? どうしたの、氷架璃」

「まず、鞄はありがと」

「いえいえ」

「で、あんた化け物か?」

「いきなりひどいね!?」

 そこへ、スタートダッシュの遅れた雷奈と芽華実がやってきた。二人も驚きを禁じ得ない。

「なんね、さっきの……水が球になっとったったい!」

「うん、まるで魔法みたい!」

「魔法というか、術だよ。ボクたちは人間以上の存在。だから、人間が使えない能力も使える。広義に『猫術びょうじゅつ』と呼ばれている中の、『水術すいじゅつ』という術だ。僕は水の猫種だからね」

「水属性ってことか」

「そ。ちなみに、フーは風猫だよ。言っとくけど、れっきとした術なんだから! 別に化け物じゃないからね!」

「へいへい」

 念を押すアワを適当にあしらった氷架璃は、ふと、さっき彼が何か言いかけていたことを思い出した。

「さっきの黒猫みたいなやつ……あれの説明が中途半端だったよね」

「ああ、そうだったね。あいつらのことも、猫術のことも、いろいろひっくるめて、フィライン・エデンで説明するつもりだったんだ。少しフライングはしちゃったけど、残りの説明をしたいから、こっちに来てくれるかい?」

 さらっと言うアワに、氷架璃はいやそうな顔をしたが、

「……鞄の恩があるから、今回だけだよ」


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