04-13

 ジェリーの前に、突如として現れた馬。


 毛並みは白であるが、普通の白馬とは明らかに違っていた。

 純真ともいえる白さ。陽光の下ではためくシーツのように、自らが光を放っているような眩しさがある。


 なにものにも染まりそうな、混じりけのない純白。

 しかし、なにものにも染められなさそうな気高さのある、孤高の白であった。


 額から伸びる角は、それほど長くはなく、そして、それほど鋭くもなかった。

 だが、全てを貫き通す伝説の槍のような風格と、大いなる力を秘めた魔法の杖のような神秘さを兼ね備えている。


 まるで神の武器を額に授けられたような、ただならぬ存在感。

 見る者を萎縮させ、戦う気を失わせるような圧倒的な強者のオーラを放っている。


 その馬は、全身どこを取っても完璧であった。

 彫像のように引き締まった身体つきは、畜生という言葉はどこにも当てはまらない。

 信仰の対象のようなたてがみ、黄金比のように整った顔だち、ひれ伏したくなるような蹄、惹きつけられる尾……パーツひとつをとっても、神聖さを形にしたような造形美であった。


 まさしく生ける神像。まさしく、聖獣と呼ぶに相応しい存在……!


 並の人間であるならば腰を抜かし、失禁していてもおかしくない状況であった。

 だがジェリーは品評をするような、あくまで上から目線を崩さない。


(す……すげえ!! こ……こいつが……ユニコーン!?)


(わたくしも初めて見ましたが……ユニコーンで間違いないようです)


(うわっ、うわっ、うわっうわっうわっ! うわああああっ!? かわいいいいーーーっ!!)


 内心は大興奮であった。


 ジェリーの眼力を前にしても、ユニコーンは怯まない。

 ブルッ、といなないたあと、口を開いた。


「小さき者の気配を感じたはずなのだが……」


 そして、確かに言葉を紡いだ。


(ええっ!? おい、なんかしゃべったぞ!?)


(はい、聖獣は人間の言葉を操るとされています)


(すごーい! すごーい! すごーいっ!!)


「熟しきり、腐りつつある男子おのこよ……」


 ユニコーンは、まっすぐにジェリーを見据えて続ける。


「まこと罪深き存在……本来であるならば、ちんの角に貫かれ、後脚に蹴られて捨てられし運命さだめにある者……。しかし、隠し持つ小さき者を、今すぐに供えよ……。さすれば、命だけは助けてやろう」


 何千年も生きている仙人のような、心の中に響いてくるような重々しい声だった。


(……何を言ってるんだコイツは?)


(小さき者とおっしゃるのであれば、ジェリーさんもじゅうぶんに小さいと思うのですが……)


(ね、ね、それよりさ! ボク、もう我慢できない! あの子に触りたい! ジェリーくん、あの子に触っていい? いい? ね、ね、ね、お願い!)


 なんで自分に許可を求めるのかわからなかったジェリーは、適当に返事をする。


(ん? ああ、好きにしろよ)


(やったぁーっ!!)


(プル、実体化はいけません)


 ルクは珍しく語気を強める。


(ジェリーくんもいいって言ってるんだし、少しくらいいいじゃん!)


(あっ、プル?)


 ルクは止めようとしたが、それよりも早くプルはジェリーの背中にある白い翼に戻っていった。


 直後、翼がまばゆい光に包まれる。

 光は塊となって飛び、ユニコーンの目の前に着地すると、プルの姿になった。


 それも手のひらサイズではなく、初めて会ったときのようなリアルサイズ。

 小学校中学年くらいの小さな女の子の姿だ。


「わあーっ! ユニコーン! ユニコーン! ユニコーンだあっ!」


 プルは恐れる様子もなく白い首に抱きつく。

 突然のことではあったが、ユニコーンは無礼を怒る様子もない。


「小さき者よ……やはり、おったのか……」


 先程までの重苦しさがなくなり、穏やかな口調になっていた。


 少女と一角獣がたわむれる光景を、一片の油断もなく睨み付ける、黒い片翼だけになったジェリー。

 内心唖然としていた。


(なんだ、プルって俺から離れられるんじゃねぇか)


(はい……わたくしたちは憑依しているのですが、宿主であるジェリーさんの許可あれば実体化することができます。この場合ですと、ジェリーさんだけでなく、他者からも目視が可能です。ですがメニューで選ばれて同行しているわけではないので、本来は禁止されている行為なんです)


(なんか、よくわかんねぇな……それに、小さき者って、お前らのことだったんじゃねぇか)


(……そのようですね)


 ジェリーは、ルクの様子がおかしいことに気付いた。

 なんだかじれったそうに内股をすりあわせ、ソワソワと一角獣を見ている。


(ルク、お前もユニコーンが気になるのか?)


(……気にならないといえば、嘘になります)


(なら、せっかくだからお前も実体化して触らせてもらえよ)


(ですが、本来は……)


(構やしねえって。面白そうだからって憑依してまで俺について来たんだろ? それなりの覚悟があったんだったら、この世界を楽しまなきゃ損だぜ? いいから行ってこいって)


(……ジェリーさんが、そこまでおっしゃるのでしたら……)


 恩着せがましそうに渋々、でもいそいそと、ルクはジェリーの背中にある黒い翼に戻っていく。


 翼がブラックライトのような黒い光に包まれる。

 光はユニコーンの側に向かうと、ルクの姿になった。


「小さき者が、ふたりも……」


 安らかな声のユニコーン。

 ふたりの少女にベタベタ触られても、角を掴まれても、たてがみを引っ張られても、されるがままになっている。


 ユニコーン捕獲というのは野生の馬を捕まえるみたいに、追いかけて首に縄をかけるような事をするのかとジェリーは思っていた。

 しかしそうしようにも、ジェリーひとりでは無理そうだった。できればキリーランド、少なくともバルカン三兄弟くらいの腕力がないことには不可能だろう。


 非力なジェリーでは縄をかける前に突き殺されるか、西部劇のように引きずり回されるのがオチだ。

 本来ならばあきらめ、ユニコーンの機嫌を損ねる前に尻尾をまいて逃げ出さなくてはいけない状況である。


 だがジェリーはユニコーンに言葉が通じると知り、むしろ好機を見出していた。


(ハッタリが通用するだけの知能がコイツにあるなら、ここはすでに、俺の領域テリトリーだ……!)


 相手がデレデレになっている今ならスキも多いかと思い、さっそく交渉に入る。


「……ユニコーンよ、貴様をもらいに来た。俺の足として、その身を捧げよ」


「断る」


 即答だった。

 軟化していた態度は急に威圧を取り戻す。


「男子……それに熟しきり、腐りつつある者を乗せる気はない」


「熟しきり、ってジェリーさんはまだ16歳ですよ?」


 馬面の頬をやさしく撫でながら、ルクが口を挟んでくる。

 いつもの頭の中で響く声ではない。耳に届く、形になった声だった。


よわい16はすでに熟しきった者。そこからさらに2つも年を重ねれば、老いさらばえし者となる」


 細かい数字まで出してきて、ユニコーンはきっぱりと言い切った。


(……16歳で中年、18歳で老人ってことか? でもなんでコイツは、そんなに年齢にこだわるんだ……? 正直気持ち悪いが、ここに攻略のヒントがあるような気がする……!)


「じゃあさ、じゃあさ、ボクらなら乗ってもいいの?」


 ぴょんぴょん飛び跳ねながら尋ねるプル。


「当然である……」


 ユニコーンは促すように姿勢を低くした。


「わぁーい! 乗せて乗せて乗せて! ほら、ルクも一緒に乗ろうよ!」


 ひとっ飛びで馬の背中にまたがったプルは、ルクの手を引っ張り上げ、後ろに乗せた。ルクは上品に脚をたたんで、横乗りをする。


「よいぞ……小さき者よ……」


 プルは跨ったまま跳ね、脚をバタつかせて胴を蹴るようにしているのに、まるで孫からマッサージを受けているかのような猫なで声になるユニコーン。


(おいおい、マジかよ……!)


 ユニコーンの口角に、ヨダレのようなものが光っているのを目ざとく見つけるジェリー。

 それは、洞窟にあいた風穴のようにわずかな光明であったが、少年の直感を刺激するにはじゅうぶんであった。


(わ……わかったぞ! にわかには信じがたいが……コイツ、馬のクセにロリコンだ……! ロリコーンだったのか……!!)


 まだ半信半疑ではあったが、仮定が間違いなければルクとプルが役に立つと考え、ジェリーは天使と悪魔をエサにするという大胆な交渉に出る。


「ユニコーンよ、よく聞け。俺様の身体にはそのふたりが常に宿っている。……俺様を乗せろ。そうすれば、いま貴様が感じている悦びを生涯与えてやろう……!」


 ジェリーの言葉に、天使と悪魔も加勢する。


「うん! ジェリーくん越しになっちゃうけど、ボクもずっとキミに乗ってたい! ね、ね、ジェリーくんと一緒に行こうよ!」


 おねだり上手な孫娘ように、ユニコーンの首にギューッと力いっぱい抱きつくプル。

 少し苦しかったが、少女に絞め落とされるなら本望だとユニコーンは思っていた。


「一緒にお越しくだされば、ずっとわたくしたちと一緒にいられますよ。ほら、こんなふうに、撫でてさしあげることもできます」


 いたずらっぽく微笑みながら、ユニコーンの尻をやさしく撫でるルク。

 それは一番触ってほしいところをわざと外しているようなじらし方で、ユニコーンはたまらない気持ちになった。


「お……おお……!」


 ふたりの援護が効いたのか、ユニコーンの興奮と動揺は、目に見えるほどになっていた。

 プシュプシュと鼻息を荒くし、わずかだったヨダレは糸を引くほどに垂れ落ちている。


「さぁ、どうする……? 名もなき庭で、このまま寂しく朽ち果てるか……それとも、俺様に忠誠を誓い、共に来るか……!?」


「うう……っ! 朕は……朕は……人間などに、飼われたりはせぬ……!!」


 断言するような力強さはない。明らかに迷いが生じているような震え声。

 わずかに残った聖獣としてのプライドに、懸命にしがみついているようであった。


 あとひと押しだ、とジェリーはたたみかける。


「貴様専用の馬小屋を作ってやってもいいぞ! それも……幼稚園の飼育小屋の中にな……!」


「朕を……馬小屋に、だと……!?」


 双眸をカッと見開くユニコーン。怒りにも似た、度を越えた興奮を感じているようだった。


(しまった……! 調子に乗りすぎたか……!?)


「それも、幼き園に……!? ふざけるなっ……!! ふざけるでないぞ……!!」


 ユニコーンは雄叫びのようにいななき、感情を爆発させた。

 ジェリーに角を突きつけたかと思うと、激情に押されるように突進してくる。


(うわっ……や……やっべええええええええっ!!)


 一瞬、死を覚悟するジェリー。

 ユニコーンはジェリーの顔を貫く勢いで向かってきていたが、寸前で角をずらし、頬を寄せた。


「たった今、そなたは朕の主となった……!!」

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