04-12

 グルッ、グルッ、グルッ……グルルルルーシャアーッ!!


 ウシトリグサの身体の一部が腐食したような巣が、風船のように膨れあがった。

 風船の中に何者かがいるようで、外皮をボコン、ボコンと突いて暴れている。


 限界まで膨れた風船はパァンと破裂し、中からへその緒のような紐のついた小さなウシトリグサたちが四散した。


(なんだありゃ!?)


(あれはウシトリグサの子供です)


(わっ、かわいいーっ!!)


 数十匹ものウシトリグサの子供たちは、飛び散った勢いを利用して皆に食らいついていた。


「う、うわあああっ!? 噛みつかれたぁっ!?」


「こ、このっ、離せっ、離せえっ!?」


「くそっ、なんだコイツ、剥がれねえっ!?」


 仔ウシトリグサたちに噛みつかれ、パニックになるバルカン三兄弟。

 腕に噛みつかれているアシュランは、ナイフを何度も突き立てて抵抗していた。


「ハハッ、子供は元気がいちばん!」


 何匹もの仔ウシトリグサが身体に食いついているにもかかわらず、嬉しそうなキリーランド。


 爆心地から離れた場所にいたジェリーは被害を免れたが、近くに落ちた仔ウシトリグサたちが近づいてきていた。

 ウシトリグサの子供は中型犬くらいの大きさがあり、見た目は大人をそのまま小さくしたような、コンパクトなグロテスクさがある。

 そんなモンスターが群れとなって迫ってくるのはビジュアル的にもかなりの脅威だった。


 しかし、ジェリーは不遜な態度を崩さない。


(……こ、こっちにも来るぞ!!)


(どうなさるおつもりですか?)(どうするの?)


(お、おおい! キリーランド! バル! ルカ! カン! アシュラン! 俺を助けろっ!!)


(声に出さないと聞こえませんよ)(大声で叫べばいいのに)


(そんなことしたら、いままで積み重ねてきたものが台無しだろうが! だから向こうから気づいてもらえるように、念を送ってるんだ!)


 しかし、仲間たちは自分たちのことで精一杯のようで、誰もジェリーを気にする者はない。

 そうこうしているうちに、仔ウシトリグサたちは目前にまで迫ってきた。


(に……逃げるぞっ!)


 ジェリーはたまらず椅子から立ち上がり、逃げる方向を模索した。

 この庭を逃げ回っているのが部下に見られるのはマズいと、背後の階段を登った。


(仲間を見捨てて逃げるの?)


(今はしょうがねえだろ! 逃げなきゃやられちまうんだ!)


(あの子たち弱っちそうだから、やっつけちゃえばいいのに)


(ジェリーさんには無理でしょう。小学生の女の子にも負けるくらいですから)


(くっ……そ……そうだよっ! 俺じゃ到底勝ち目はねぇから逃げるんだっ!)


 ジェリーは常にポーカーフェイスだったが、思い出したくない過去に触れられて赤面しそうになっていた。

 表に出さないように懸命にこらえながら、階段を駆け上がる。


(くそ……まだ追いかけてきやがる……! アイツら、階段も登れるのか……!)


 階下からは、大口と触手を器用に使いながら段差を乗り越え、迫ってくる仔ウシトリグサたち。


(ジェリーさんが生き延びるためのヒントをさしあげましょうか?)


(ヒント!? なんだ!? くれ!!)


(でしたら反省してください)


(なにっ!?)


(跳弾のときに、わたくしに怒ったのを反省してください)


 ルクは表情ひとつ変えずに、まっすぐジェリーを見つめたまま滔々と語る。


 それはいつもと変わらぬ様子に見えたが、落ち着いているのがかえって不気味だった。

 まるで夫の浮気を知り、怒りのあまり逆に冷静になった奥さんのような口調。


(なんだと!?)


(せっかくわたくしが教えてさしあげたのに、怒鳴るだなんて)


(そりゃお前が俺を殺そうとしたから……!)


(あーあ、ルクがショックを受けちゃってる。こんなこと滅多にないから、素直に謝っといたほうがいいよ。でないとボク、しーらないっと)


 プイとそっぽを向くプル。

 おそらくルクとは長い付き合いであろうプルの言葉は妙に説得力があり、謝らなかった場合の場合のことを想像するとなんだか背筋が寒くなった。


(わ……わかった! 俺が悪かった! せっかくお前が計算してくれたのに、怒鳴ったりしてすまなかった!)


(……それだけですか?)


 ジェリーはままよとばかりに手を広げ、側で浮いていたルクとプルをまとめて抱きしめる。

 突然のことに、小鳥のような天使と悪魔はヒャッ、と息を呑む。


(た、たのむっ! この通りだ! 教えてくれぇ!)


(わぁ、ジェリーくん、くすぐったいよ)


(お願いだ! 教えてくれ! でないと離さねぇぞ!)


(……このままひたすら階段を登ることです。子供のウシトリグサの身体には蔦のようなものが付いておりますが、その蔦を使って親から栄養をもらって活動しています。ですので、蔦が届く範囲までしか動き回れません)


(なんか、オモチャみたいだね)


(そ、そうか! わっ、わかっ……た! このまま……いくぞ!)


(でも、大丈夫? ジェリーくん、なんだかへばりかけてるみたいだけど……)


(ううっ……そ、その、通り、だ……!)


(まだ50段も登っておりませんが……)


(ジェリーくん、おじいちゃんみたーい!)


 ジェリーはついに崩れ落ちる。ついにというか、わりとあっさりとへたり込んでしまった。

 肩でぜいぜいと息をしているが、顔だけは覇王のように厳ついまま、汗ひとつかいていない。


(顔だけですと、一見辛くなさそうに見えますね)


(でも、背中は汗びっしょりだよ。心臓もバクハツしそうなくらいバクバクいってる)


 他人事のような天使と悪魔。


 ジェリーは死にそうな思いだったが、それでも這いつくばって階段を登ろうとする。

 追いすがってくるウシトリグサたちを、ゾンビに押し倒された村人のように、痙攣する後ろ足で蹴り落としながら。


 ジェリーを極至天導キョクシテンドだと崇めている者たちが見たら、一瞬で夢から覚めてしまうような情けない姿だった。


 もう恥も外聞もない。誰も見ていないことを祈るしかなかった。


 ジェリーは蜘蛛の糸にすがる亡者のように、ほうほうの体で階段にすがりつき、這い上がる。

 塔のまわりをぐるりと囲むようにしてのびる階段は、高い位置になっても手すりひとつない。

 上に行けばいくほど風化の影響が大きいのか、いまにも崩れ落ちそうなほど脆くなっていく。

 時折欠け落ち、転落しそうになる。霞むような地上に縮みあがりそうになったが、それでも後戻りは許されなかった。


 そしてとうとう、少年は最上階までたどり着いた。

 登りたかったわけではなかったが、否応なしだった。


 でもおかげでウシトリグサたちを、ギリギリで振り切ることができた。

 階段の数段下には、まるで鎖の長さのせいで届かなくなった番犬のように、悔しそうに唸るウシトリグサたちがいる。


(あ……あの蔦……かなり長いんだな……)


 階段の踊り場で寝転んだまま、一心不乱に酸素を貪るジェリー。

 表情はこれといった変化はないが、背中は水をかぶったように濡れている。


(見た目は短そうだったんだけど、まさかこんな所まで伸びるなんてねー)


(でも、逃げ切れてよかったですね)


(あっ、ああ……そうだな……)


 ジェリーはしばらく休んで息を整えたあと、ゆるゆると立ち上がる。


 たどり着いたのは城の最上階のようで、庭園のような場所だった。

 頭の中で(すごーい、きれーい!)(ここが10番目の庭園のようですね)と少女たちの声がした。


 まさに幻と呼ぶに相応しい、空中庭園のような見事なロケーション。

 下から見たときに遥か上空にあった樹冠が見下ろせ、まるで雲海のような緑の葉が、どこまでも広がっている。

 地平線のようになった樹冠の向こうには、夕焼けに染まりはじめた空。


 足元には草のじゅうたん。奥に進んでいくとアーチ状の入口と、多くの花壇が迎えてくれた。もはや手入れをする者はいないようであったが、咲く花々は温室育ちではない、野生の力強い美しさがあった。

 アーチをくぐると大きな池がある。枯れてはおらず、澄み切った水の中を魚たちが泳いでいた。


 庭は、時代に取り残されたような静寂に包まれていたが、あふれるほどの生命が芽吹いている。

 放置された中にも不思議と規律と気品のようなものを感じさせ、ジェリーは一流の庭園に招待されたような感覚を味わっていた。


 池のむこうで、ふと、カサリ、と草を踏みしめる音がした。何かがそこにいる。

 少し前までの情けなさはどこへやら、ジェリーは白刃のように鋭利な睨みをきかせた。


「……何者だ?」


 少年の前に飛び出してきたのは……神具のような角をたたえた純白の馬であった。

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