04-06

 もふ、もふ、と毛むくじゃらの身体を揺らし、立ち上がったのは、巨大な熊だった。


(わあああーっ!? かわいいーっ!!)


 ジェリーから離れられる限界まで飛んでいき、動物園に来た子供のようにはしゃぐプル。


 後ずさるバルカン三兄弟、腰を抜かして驚く案内人、ルクとアシュランは平然としている。

 熊からいちばん近くにいるキリーランドは嬉しそうに笑っていた。


「ハッハッハッハッハッ、熊か! 前菜がわりにちょうどいい!」


 熊は立ち上がって威嚇しているというのに、まるで問題児に接する元ヤンキー教師のように気さくに近づいていく。

 キリーランドの肩の上にいるジェリーは、鎖に繋がれた小型犬を見るような目で熊を見下ろしていた。


(お、おいおい! コイツ、熊が怖くねぇのかよっ!?)


 心の内だけでドギマギするジェリー。不安を紛らわせるようにキャンディを噛みしめる。


 熊はゴアアッ! とひと鳴きすると、三又槍のような熊手を振りかぶる。

 鋭い一撃がキリーランドの顔めがけて放たれたが、彼女はジェリーを担いでいないほうの腕で軽く受け止めた。


 そして間髪いれず熊手を払いのけると、続けざまに大槌のような肘打ちを熊の顔面に叩き込む。

 グシャッ! と骨が砕けるような音とともに、熊の顔面が崩壊する。

 肘が振り抜かれると、熊はもんどりうって倒れた。


(ああっ、倒れたところもなんだかかわいいー!)


 わけのわからない歓声をあげるプル。


(なんだそりゃ)


(プルは動物なら何でも、どんな状態になってもかわいいって言うんです)


 キリーランドは熊を一撃のもとに沈めたにもかかわらず、不満げだった。


「ううむ、準備運動もかねて軽くやったのだが……これでは前菜にもならぬ。おかわりはないのか」


 這いつくばっている熊を、物足りなさそうな目で見下している。

 しかし、熊が痙攣しだして期待に添えないことがわかると、ヤレヤレといった様子で顔をあげた。


「しょうがない、前菜が少なければ、サラダやスープを多く所望すればよいか」


 キリーランドが振り向いて後続の様子を確認すると、案内人とバルカン三兄弟は口をあんぐりと開けて放心していた。素手で熊をノックアウトしてしまったことが、かなりのショックだったようだ。

 アシュランだけが、変わらぬ様子で立っている。


「よし、では皆の者、先に進むとしようぞ!」


 再び意気揚々と歩きだすキリーランド。


(……コイツが戦うところを見るのは初めてだが……もしかして、メチャクチャ強えんじゃねーか?)


(『烈震のキリーランド』といえばこの世界でも高名です。一騎当千を比喩ではなく実践されていたそうですから、相当な強さだと思います)


(すごかったねー! がーん、ぐしゃー、どーんっ! って!)


 冷静に分析するルクと、興奮さめやらぬ様子で肘打ちのマネをしているプル。


 キリーランドの尋常ならざる強さをまざまざと見せつけられたが、まだそれは氷山の一角でしかなかった。

 このあとすぐ、朝日に照らされる山稜のように、さらなる強さの裾野が明るみとなる。


 森は湿気と草木で息苦しい感じだったが、奥へ奥へと進んでいくうちに様相を変えていく。

 奇怪さを塗り重ねるようなエネルギッシュな動植物たちは、高原のように静かで面白みのない、いわゆる普通のものたちになっていた。


 木々の密度も少なくなり、太陽の光が差し込む。身体にまとわりつくような重い風は、スッキリとした涼しい風に変わっていた。

 なるほど、これがルクの言っていた「人間にとって過ごしやすい森」か、とジェリーは感じていた。

 暑苦しい中では咥えているだけで精一杯だったキャンディも、涼しくなってくると舐める舌が自然と進んだ。


 さらに進んでいくうちに、開けた場所に出た。

 大雑把に開墾されており、学校の校庭くらいの広さがある。

 木を組んで作った建物が立ち並んでいるが、大きさは大型犬用の犬小屋くらいで、明らかに人間が暮らすためのものではなかった。


「この小さな家……ゴブリンの集落だ! それも……かなり大規模だぞ!」


 案内人が小声で警告し、背中のツルハシに手をかける。


 バルカン三兄弟は緊張した面持ちで、背中のガトリング砲を構える。スリングベルトで肩から腰の高さにぶら下げ、ハンドルを回して発射する機構のようだ。

 アシュランは音もなく愛銃を構えていた。


 キリーランドは特に用心する様子もなく、ズカズカと集落に踏み込んでいく。


(おいおいおい、ゴブリンってなんだ!?)


(子供くらい……ジェリーさんと同じくらいの身長で、緑色の肌をした人型のモンスターです。単体だと弱いモンスターの部類に入りますが、群れる性質があり、集団になると脅威となります)


(集団になると脅威って……ここには見るからにいっぱいいそうだぞ!? それにこの不自然静けさ……あきらかに待ち伏せじゃねーか! それなのになんでキリーランドは警戒しねぇんだ!?)


(ならキリーランドちゃんに用心するよう言えばいいのに)


(俺は自習性を重んじるんだよ、それにそんなこといちいち指示するのは小物みてーじゃねぇか! あっ、それと、アシュランから目を離さないでくれよ!? 戦いのドサクサにまぎれて俺を撃つかもしれん!)


(いまは銃を構えてはいますが、ジェリーさんには向けていませんよ)


(そんなにビクビクしなくてもいいのに……ジェリーくんって中身は小物だよね)


 モンスターの拠点に入り、ジェリーはいつになく落ち着きを失っていた。

 それでもピクリとも震えることはない。特等席で足を組んだまま、まさに犬小屋を見下ろすような態度で集落を見下ろしている。


 集落の入口から見渡してみても、ゴブリンの姿はない。

 しかし、所々に点在するカマドには火が残っており、つい今しがたまで誰かがいたことがわかる。


 キリーランドは手近な家に近づくと、背中の大剣の柄に手をかけた。

 ぐいと引き抜くと、姿見のような刀身がギラリ輝く。


 抜刀の勢いのまま大上段から振りかぶると、重量を活かした強烈な斬撃を、屋根めがけて叩き込む。


 それは、あばら家にモンケンを打ち込むような行為。

 それは、ジェリーがキャンディが噛み砕くのと、同時のタイミングだった。


 簡素な作りの家はひとたまりもなく、口の中に放りこまれたお菓子の家のように粉々に砕け散る。

 ゴブリンが中に隠れて待ち伏せしていたのだが、悲鳴をあげる間もなく両断されていた。


「ギャアッ! ギャアッ! ギャアーッ!」


 どこからともなくヒステリックな悲鳴が鳴り渡り、それを合図として小屋の中からゴブリンたちが一斉に這い出してくる。

 手は錆びた短剣やらショートソードやら、おんぼろのクロスボウやらの武器を持ち、身体にはボロ布をまとっていた。

 中には鍋や木板で作った防具を身に着けている者もおり、身体の大きいリーダー格のゴブリンは人間から奪ったであろう鎧をブカブカに装備していた。


 100匹をゆうに越える敵たちを前に、キリーランドは顔を明るくした。


「おお、これはいい。食し足りなかった前菜を埋めるにはちょうどいいスープやサラダではないか」


 肩の上のジェリーを見上げて「少し揺れますが、ご辛抱のほどを」と一声かける。


(……俺、降ろしてくれてもいいんだがな)


(えーっ、つまんない! もっと乗ってようよ!)


(キリーランドさんは肩の上が一番安全だと思っているのではないですか? わたくしもそう思います)


(そうかなぁ?)


 などとジェリーが思案している間に、ゴブリンたちは群れとなって向かってきていた。

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