04-05

 申し訳程度の緑と、ポツポツと点在する岩山、ものすごく長閑な風景が広がっていた。

 夕焼けが染み付いたような赤土の荒野のなか、一行は砂煙をあげながら、西へ西へとひたすら移動していた。


 ジェリーを乗せたキリーランドが駆る牛を先頭に、案内役とバルカン三兄弟の馬が続き、少し離れた最後尾にアシュランが続く。


 ひたすらむっつりしている少年の頭の中では、頭痛のようなキンキン声が響いていた。


(ねぇねぇジェリーくん、どういうつもり!? ジェリーくんの命を狙ってる子を連れていくなんて!)


(そうわめくなって……相手は二つ名が付くほどのスナイパーだ、きっと隠密や偽装も得意なハズに違いねぇ。距離を取れば取るほど、相手の得意な距離になっちまう)


(たしかに今のアシュランさんは、風景に溶け込むような赤茶色のポンチョを着ておりますね……そう考えると逃げて距離を取るよりも同行させて、手元に置いておいたほうが安全かもしれませんね)


(そう、だけど俺がチラチラ様子を伺うわけにはいかねぇから……お前らはアシュランから目を離さないようにしてくれ)


 ジェリーは有無を言わさぬ様子で、コートのポケットから棒つきの大きな渦巻きキャンディを取り出すと、包みをといて口に咥えた。


(こいつは駄賃の前払いだ……頼むぜ!)


(わあっ! おっけーっ!)


 嬉しそうに拳を突き上げるプル。

 ルクの機嫌を損ねないようにと、ジェリーはすぐに言い添える。


(ルク、お前の駄賃は後払いだ。晩メシの時にたっぷりホットソースを使ってやる……だから頼むぜ!)


 コートのポケットからホットソースの赤い瓶を取り出し、目の前をチラつかせる。

 こんなこともあろうかと、食卓からくすねてきたものだ。


(……そういうことでしたら、承知いたしました)


 天使と悪魔は素直に従い、揃ってキリーランドの二の腕に移動する。

 コアラのように女騎士の腕にしがみつきながら、手をひさしのようにかざして後続のアシュランの監視を開始した。



 しばらく進んでいると、赤土の丘の横を通り過ぎた。丘の上にはいかにも古そうな石の建物がある。


「……あれは、何なのだ!?」


 牛の速度は緩めずに、後続の案内人に尋ねるキリーランド。

 風なりの中を貫通するような、よく通る声だった。


「あれは砦です! いまはもう使われてませんけどね! これから向かうユニコーンがいる森はかつては城だったんですが、その城の王が作ったものらしいです!」


 バタバタという風の音に負けそうな声だったが、なんとか聞き取れた。

 ジェリーは砂埃がキャンディに付かないように口の中に押し込みながら、脳内で尋ねる。


(ここはたしか、ザンドゥの国とかいったな。首都はたしかバローイとか聞いたが……これから行く城跡というのは以前の首都だったりするのか?)


(いえ、ザンドゥとは異なる国でした。少し前の話になりますが、サンドゥは元々小国だったのですがある日突然、多大なる武力を用いてこの地方を制圧したのです)


(強かったんだねぇ)


(いや、おそらく大国の援助を受けたんだろう)


(はい、お察しの通りです。この十字の形をしたクロッサードのまわりには4つの大国に囲まれています。南側の緩衝国としての舵取りを評価されたのがザンドゥの国というわけです)


(ってことは……キリーランドがいたパーシアル王国ってやつも同じような理由で潰されちまったってわけか?)


(そうですね。パーシアル王国のは島の北側のノースウッドにあるのですが、ノースウッドの国王の手にかかりました。首謀者は表向きにはダルシロワさんになっておりますが……)


「おい、あれはなんだ!?」


 背中ごしでも横隔膜の震えがわかるような声に、ジェリーたちの脳内会話は中断させられる。

 遠くの地平には、長城のような丘が立ちふさがっていた。


「あの丘を境目にして、森があります! 丘が低くなっているところがありますから、そこから入りましょう!」


 丘は国境の壁のごとく行く手を阻んでいるように見えたが、よく観察すると欠けた櫛のように所々で引っ込んでいる箇所があ。


「よおし、一気にまいるぞ!!」


 キリーランドは一番近い隙間に向うよう、バッチンと手綱を鳴らす。

 ジェリーは今更ながらに気付いたが、それは馬用の手綱にくらべるとだいぶ太く、綱引き用の綱のようであった。


 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 ……丘の向こうは別世界のように、鬱蒼とした森だった。


 先程までは密度の薄い広大な砂漠のような光景だったのに、折り重なる枝葉で見通しが急に悪くなった。

 陽射しも遮られているにもかかわらず、涼しさはない。むしろ湿度が加わって蒸し暑くなったようだ。


 森の奥から吹いてくる風にも湿り気があり、匂いも緑々しかった。


(丘をひとつ挟んだだけでこんな森になるとは……妙な地形だな)


(ここは元々はすり鉢状の荒野だったのですが、大昔にお城が建ってから、王様の命令で魔法がかけられ、それで緑化したのです)


(くそ、ただでさえ暑いのに、ムシムシしてやがる……これもその魔法のせいか?)


(これは基本的な魔法の性質なのですが、範囲を定義する魔法というのは中心であればあるほど強い効果が発揮されます。そして中心から離れるほど効果が薄くなっていくのですが、いちばん外側になると効果が中心と同じくらい高くなります。これを制御外魔力といいまして、効果は高いのですが術者が思いも寄らない形に歪んでしまうのです)


(緑化させる魔法とやらが歪んで、こんな熱帯のジャングルみたいになったというわけか?)


(その通りです。奥に進んでいくと、少しずつ快適に……あくまで人間にとって、という意味ですが、過ごしやすい森になっていくはずです)


 ルクは教師のように講義していたが、聞いていたのはジェリーだけだった。

 プルは校庭に来た移動動物園に気を取られた出来の悪い生徒のように、気もそぞろだった。


(あっ、鳥がいる! あっちの木には猿も! わあーっ、かわいいーっ!)


 動物好きなのかキョロキョロ見回しながら、いちいち大騒ぎしている。


 森の入口にあたる場所は生命の宝庫だった。


 木々にはツルが幾重にも垂れ下がり、ロープスイングする猿と、極彩色の翼を持つ鳥が飛び交っている。

 シダで覆われた茂みと、毒々しい色の花が咲き乱れ、名前もわからない虫がウヨウヨ這い回り、羽音をたてて行き交っている。


 この中に牛や馬で踏み込むのは無理そうだったので、まだ足元の草もそれほど高くない場所で牛や馬を停めた。



 いち早く地面に降りたキリーランドは、牛の身体にくくりつけていた革張りの椅子を取り外す。

 おもむろに地面に置いたあと、鞍の上にいるジェリーに手を伸ばし、脇腹を持ってひょいと抱えあげて、椅子に座らせた。


「ジェリー様が、そのおみ足で歩むべきは覇王道……すなわちレッドカーペットのみ! それ以外の場所では、我が身を脚としてお使いください!」


 キリーランドは陶酔するように言いながら跪き、ジェリーの座る椅子の脚に手を回して肩に担いだ。

 そしてうやうやしく、しかし軽々と立ち上がった。


 ジェリーの体重は30キロン、椅子も同じくらいで合計60キロンはあるだろうか。

 しかしキリーランドはまるで綿でも持っているかのように、片手で楽々と扱っていた。

 「よぉし、では皆の者、参ろうぞ!」とメンバーを見回したあと、獣道から森へと足を踏み入れていく。


 中は薄暗く不気味だったが、キリーランドは全く躊躇しない。自然破壊も一寸の虫もいとわず、踏み潰す勢いでどんどん進んでいく。


 その後を慌ててついていく案内人。

 バルカン三兄弟は背負っていたガトリング砲を構え、用心深く後に続く。

 最後尾には、草木のように静かなアシュラン。いつのまにかポンチョを深緑のものに着替えており、余計植物っぽく見える。


(おいおい、俺は神輿かよっ!?)


(でもよかったね、ジェリーくんって体力ないんでしょ?)


(そうですね、ジェリーさんでは足手まといになると思います。遠足なども途中でリタイヤされてたんでしょう?)


(うっ……そんなことまで知ってるのかよ……)


(わたくしは閻魔帳による知識で知っておりましたが、プルはジェリーさんの身体能力や変化を感じることができるのです)


(そうか、俺がドキドキするとプルが気づいてたのは、そういうことか)


(ふふーん、もうジェリーくんの身体のことは、誰よりも、ルクよりも知ってるもーん)


(……わたくしだって、ジェリーさんのことは熟知しているつもりです。読み書きのできないプルにかわって閻魔帳を隅々まで目を通しましたから、ジェリーさんのことはわたくしのほうが詳しいです。例えば、女子小学生に押し倒されたのに、あまりの腕力のなさに跳ね返せなかったこととか、プルは知らないでしょう?)


(ううっ、なんだよぉ、そのくらい! ジェリーくんて、キリーランドちゃんを見るとお腹の下のあたりに血が集まるんだよ? そんなこと、閻魔帳には書いてないでしょー!?)


(わあっ、もうやめろ! 俺の頭の中で、俺の個人情報を使ってケンカするんじゃねぇ!!)


「わあっ、何か、何かいるぞっ!?」


 ジェリーの心の叫びと案内人の絶叫で、天使と悪魔の争いは中断する。


 小径の側にあった藪が激しく揺れていた。暗かったので発見が遅れ、だいぶ近づいてしまったようだ。

 目前といえるほどの近距離に飛び出してきたのは……大岩のような毛の塊だった。

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