04-03

 赤と灰色……幻と現実の境目のような岩山のうえに、少女はいた。

 北には赤土の荒野が広がり、南には石造りの建物が並ぶ街が見下ろせる。

 街のどの建物よりも高く、誰もいないこの頂きこそが、少女の居場所だった。


 格好はいつものガンマンスタイルだったが、ポンチョだけは場所に応じて替えるのがこだわりで、今は赤土と同じ色のポンチョを羽織っている。


 少女は荒野の方角に銃を立てて寝そべり、乾いた土の匂いを感じながら、スコープごしに地平を覗いていた。

 モンスターの姿を見つけると、素早く照準の中央に捉え、引き金を引く。


 耳をつんざく爆音と、鋼鉄の悲鳴のようなキーンという甲高いが鳴り渡り、少女の周囲に積もっていた土が煙となって跳ねあがる。

 数キロン先の標的の頭が、腐ったトマトを地面に叩きつけたかのように弾け飛び、残った身体だけが数歩よろめき歩いたあと、がっくりと崩れ落ちた。


 超長距離からの狙撃であったが、見事なまでのワンショット・ワンキル。

 ターゲットは誰に狙われたのか、いや、狙われたことすら知らぬまま、この世から強制退場させられる。


 マスランシティの荒野には、通り雨のように死が降り注ぐといわれていた。

 その雨雲を操ることこそが、少女の日課だった。


 少女は早朝から、目視が困難になる日没までこの姿勢を保ち続け、ひたすらモンスターを狩り続ける。


 楽しんでいる様子はない。

 まるで機械が燃料を補給するかのように、病人が定期的に薬を服用するかのように、義務のようにボルトを引き、スコープを覗き、引き金を引く。


 しかし、今日はやや様相が違っていた。

 いつも以上に脇目もふらず、ノルマに追い立てられるライン工のように作業に没頭していた。

 まるで何かを忘れようとしているかのように弾を装填し、禁断症状を紛らわすかのように照準は得物を求めてさまよう。


 ……興味を持ってはならない。


 少女の人生はそれほど長くはなかったが、それだけは、幼い頃から肝に銘じていたつもりだった。


 好意、悪意、良い感情、悪い感情……度合いに関係なく、胸に抱いた瞬間、激しい情動が沸き起こる。


 ……ソイツを殺せ、と。


 ずっとそうだった。少しでも興味を持った相手には、この銃を向けずにはいられなくなってしまう。


 ……小さい頃、懐いてくれたドブネズミがいた。初めて仲良くなった存在だった。


 ほんのわずかであったが、少女の心の扉が開いた瞬間だった。

 そして内と外、気圧の差で生まれた風のように、扉の隙間から殺戮本能が吹きだした。

 それは竜巻のようなうねりとなって巻き上がり、正気を保っていられないほどの衝動となって襲いかかってきた。


 激しく渦巻く感情を押さえ込もうとすると、幻覚がおこる。

 内臓が蠕虫の群れで覆われ、血管を伝って身体を這い回り、皮膚を食い破って外に飛び出しそうなほどの苦痛に襲われる。

 でも、抗った。初めてできた友達を手にかけないために、自らの身体を縛り付けて動けなくした。


 しかし……いくらやっても無駄だった。

 無意識のうちに拘束をほどき、気づいたら、銃口を向けていた。


 あとは、引き金を引くだけの状態。もはや、友達はただの標的でしかなかった。


 銃はまるで身体の一部になったかのように離れない。

 震える指に身を任せていると、照準ごしの小さな身体は跡形もなく吹っ飛んでいた。


 その瞬間、麻薬を与えられた中毒者のような安堵に包まれたが、それ以上に、我が身を引き裂きたいほどの激しい憎悪の念にさいなまれた。


 ……そうして、少女は完全に心を閉ざした。

 いっしょに寒さをしのいだ猫、パンのかけらを分けてくれた少年、まるで母親のように慈しんでくれた女性……誰に対しても、輝く瞳を向けることは決してなかった。


 銃を捨てることも考えたが、自らの意思では手放せない。

 偶然に手を離れたとしても、自らの力で立つこともできないほどの脱力感に支配され、慌てて取り返した。


 生きるために手にした銃だったが、今は、その銃に生かされている。


 少女にできることは、必死に、懸命に、誰にも興味を抱かないようにすることだけだった。

 全ての人間をモンスターと同じように、取るに足らない存在だと思うことで、少女は殺人鬼に変わることを避けていた。


 自分にアシュランという名前を与えてくれ、そして生きるための糧と希望を与えてくれた、父親ともいえる人物に対しても、同じように扱った。


 そうしなければ……殺してしまうからだ。

 ずっとそうやって生きてきた。孤独ではあったが、仕方がなかった。

 誰にも興味を抱かずに、これからも生きていくつもりだった。


 だが……アイツにそれは通用しなかった。

 突然現れた、アイツ……!


 ……ジェリー……!


 眉間に突き刺さり、心の奥底まで貫くようなあの視線。

 向けられたものは例外なく青ざめ、震え上がる禍々しい魔銃を前にしても、ただの棒きれのように扱ったあの度胸。

 すべての生命の生殺与奪をできるかのような、尊大で傲慢な態度。


 それらが渾然一体となって混ざり合い、背後から後光のように放たれる、荒御魂のようなオーラ……!


 目を逸らそうとしても、できない。まるでフクロウのように眼球が固定され、嫌が応にも注目してしまう。

 心の中に巣食い、こびりついたように離れない……!


 何十年ぶりに感じる、いてもたってもいられない焦燥感。

 少女の身体と銃は、まるでそれが当然であるかのように、自然と南のほうに向いていた。


 ……ジェリーを……殺す……! ……ジェリーを……殺さなくては……!!


 ヤツの居場所は知っている。街でいちばん大きな宿屋だ。


 スコープを向けると、まるで少女から狙われるのを待っていたかのように……小さな人影が宿の入口から姿を現す。


 ……ジェリー……!!


 ひとりだ。いつも側にいる大女はいない。

 眩しい空を見上げているが、表情は変わらない。まるで俺のほうが輝いているといわんばかりだ。


 その厚顔無恥も、もうすぐ終わりを告げる。その顔は、跡形もなく消し飛ぶ……!!


 少女が放ってきた弾丸は、千をゆうに越える。

 そしてそれは1発たりとも外れることはなく、的確に急所に爪立てられ、壁の張り紙のようにあっさりと生命を剥ぎ、奪い取ってきた。


 魔銃が放つ弾は他の銃とは異なる、特異な風切音をたてる。

 きゅいいんと甲高い、死を運ぶ鳥ヴォルデドートが鳴くような音だ。


 死を運ぶ鳥ヴォルデドートを操る彼女は、まさに死を司る女神。

 少女から狙われて、生き延びた者は誰ひとりとしていなかった。


 少女は指をほんの少し、内側に曲げるだけでよかった。それだけで、この世の人口がひとり減る。


 そして銃声は、高らかに鳴った。


 死鳥の雄叫びが駆け抜け、逃げ出すように鳥がはばたく。

 ゴオン、ゴオン、ゴオン……と落雷の後のようなこだまが、街を揺らす。


 標的を殺した直後は、少女はいつも解放感、安心感に包まれていたのだが、この時ばかりは違っていた。

 信じられない光景に、石のように固まっていた。

 嘘だ、幻だ、と目をこすってみても、スコープの向こうにあるものは変わらない。


「よ……よけた……!?」


 口に出してみても、信じられなかった。


 狙撃の瞬間、ジェリーはスッと頭を下げたのだ。

 弾は外れ、背後にあった宿屋の扉を粉々にした。


 それだけなら、偶然の可能性もあった。たまたま頭を下げて、当たらなかったのかもしれない。

 しかし……偶然ではないとすぐにわかった。


 再び頭を上げたジェリーの顔は、狙撃されたにもかかわらず、何ひとつ変わらなかったからだ。

 普通なら腰を抜かすか、逃げ出すはずなのに……まるで狙撃を見越していたかのように、平然としていた。


 そして、ジェリーが次にとった行動で、少女は心臓を掴まれたように動けなくなってしまう。

 宿屋から少女のいる岩場までは肉眼では見えないほどに離れているはずなのに、ジェリーはたしかに、少女を見つめた。


 髪をかきあげる途中のような仕草で、片目だけで「そこにいるのはわかっているぞ」といわんばかりの不敵な視線を投げてきたのだ。


「……!?!?」


 少女はまるで自分が狙撃されてしまったかのようにのけぞり、大きく息を呑んだ。


 得体の知れない何かが、スコープの向こうから、こちらを見ている。

 銃弾をかわし、数キロン先の狙撃手とアイコンタクトを取れる、人ならざる者が。


 死を運ぶ少女が、初めて死を届けられなかった相手……その名はジェリー。

 誰よりも小さいが、誰よりも大剛な少年。


 かつてない戦慄と、さらなる殺戮衝動がないまぜとなって、少女の中で暴れ狂っていた。

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