03-01 俺様は、生存確率0%のギャンブルに挑む
この世界に来て、初めて迎える朝。ジェリーは不思議と気持ちよく目覚めた。
いくら良い気分でも、がばっと起きて勢いよく伸びをしたりはしない。
瞑想を終えた仙人のように、静かに瞼を開ける。
カーテンを閉めずに寝たので、強い光が差し込み部屋中を満たしている。どうやら昼過ぎくらいまで寝てしまったようだ。
集落の男たちは発掘作業の真っ最中のようで、賑やかなかけ声がする。時折、爆音のような音が遠くで響いていた。
ふと気配のようなものを感じ、扉に目をやると……少し開いていた。
隙間にはキリーランドの顔があって、必死の形相でこちらを覗き込んでいる。まるでホラー映画のワンシーンのようであった。
ジェリーは内心、心臓が飛び出すくらい驚いたが、全く表に出さずに睨むような視線をぶつける。
しかしキリーランドは悪びれる様子もなく、挟まったままの顔をパッと明るくした。
「……あ! 目覚めましたか! 出ずる日と共に、ジェリー様! 狼藉者が来ぬよう、この通り寝ずの番をしておりました!」
ジェリーは心の中で舌打ちする。
(チッ……ああもう、ビックリさせやがって、まったく……まさかアイツ、ひと晩中ああしてたのか? 怖すぎるだろ……一気に目が覚めちまった)
(昨晩はよくお休みになれましたか? ジェリーさん)(やっほー! ジェリーくん!)
思考の中に、ふたりの少女の声が混ざった。
そういえばコイツらもいたんだと思い出す。
(ああ、お前らか……お前らも朝から元気だな)
(もうお昼ですけどね)(ボクはいつでも元気だよ! でもキリーランドちゃんは、なんで扉に挟まってるの?)
(騎士というのは君主を守るものですから、見張っていたのでしょう。ですが昨晩、ジェリーさんから部屋に入らないよう命じられたので、自分なりに考えて、あのようになさってるんだと思います)
(なんか犬みたいだね)
(騎士にとって、君主の命令は絶対ですから……愚かな犬は鎖で繋がれますが、賢い犬は自らを鎖で縛るものです)
(ふぅーん、なんかよくわかんないけど、ボクお腹すいちゃった! ねぇねぇジェリーくん、早くゴハンにしようよ!)
(なんだ? お前らも腹が空くのか?)
(いえ、わたくしたちは食事を必要としていませんが、ジェリーさんに憑依している間はジェリーさんの身体の調子にあわせた感情を得ることができます)
(切り離すこともできるんだけどね! ペコペコのお腹でゴハンを食べるのっていいよねー! 大好き!)
(そういうことか……)
ジェリーはむっくりと起き上がると、ベッドサイドに腰掛けた。
顔をあげると、扉に挟まったままのキリーランドとまた目が合った。
散歩を待つ犬のようにギラギラした瞳に向かって伝える。
「ここで朝食を取る、持って来い。それとゴロを連れてこい」
重々しい声で命令すると、「はっ、
鎧を鳴らす音とともに廊下を駆けていった。あの重量で走られるとちょっとした地震のように振動が伝わってくる。
ベッドの上で揺れながら、ジェリーは心の中でつぶやく。
(……なぁ、にちうんのたまわり、って何だ?)
(命令を受けたときの騎士の返事です。「承知しました」という意味ですね)
(返事なんてぜんぶ「はーい!」でいいと思うんだけどなぁ)
女騎士はすぐに戻ってきた。
どっさりのベーコンと目玉焼き、山盛りのマッシュポテト、どんぶりのような器に入ったスープとコーヒー、そして馬が食べるのかと思うほどのサラダを載せたものを、テーブルごと慌ただしく寝室に運び込む。
後ろから椅子を持ったゴロがおずおずと部屋に入ってきた。
室内はすぐに香ばしい肉の匂いと、スパイシーなスープの香り、そしてコーヒーのほろ苦い香りで満たされる。
ジェリーは白いテーブルナプキンをして、皿に取り分けられた一人前の朝食セットをナイフとフォークを使って上品に口に運んでいた。
対面にはテーブルマナーもそこそこに、幸せいっぱいの表情でおかずの山を崩していくキリーランド。
どんぶり飯のようなマッシュポテトをかきこみながら、フォークでまとめて刺したベーコンと目玉焼きを頬張り、サラダとスープで流し込む。
ジェリーがいま食べている1人前と同じ量を、ひと口で飲み下していた。
食べ盛りの子供のような女騎士の隣では、所在なさげにコーヒーをすするゴロ。
言葉を発する者はいなかったが、しばらくしてナイフとフォークを置いたジェリーは、ナプキンで口を拭い、ゴロを睨んだ。
かつての猛威をふるっていた鉱山のボスは、地獄の閻魔大王を前にした亡者のように、怯えて肩をすくめた。
「……貴様の処遇についてだが、今まで通りだ。この鉱山の管理を引き続きやれ」
ジェリーの口から出たのは寛大な措置だったが、それでもゴロは生きた心地がせず、そわそわしていた。
少年の眼光はそれほどまでに鋭かったのだ。
まるで喉元に冷たい刃を当てられているようなゾッとする感覚だったが、何か言わないと本当に喉笛をかっ切られるような錯覚を覚え、なんとか声を絞り出した。
「わ、わっ、わかりました……で、でもお頭」
刃をさらに深く押し当てるように視線がキツくなったので、ゴロは慌てて言い直す。
「あっ、い、いや、ジェリー様、ここいらの鉱山は全部、マスランの旦那が元締めでして……一度、挨拶に行ったほうが……」
「いらん。ここは俺様の鉱山だ、誰の指図も受けん」
歯牙にも掛けないどころか、触れるのも許さないほどピシャリとしたものだった。
「で、でも、掘り出した鉱物はマスランの旦那を通して売る掟になってるんです。勝手にやりとりすると殺されるって、誰も買い取ってくれねぇ」
「ならばマスランを殺れ」
「そ、それは不可能だ! マスランには『
女騎士は幸せそうにマッシュポテトを頬張っていたが、自分の名前が出ると静電気を受けたようにピクッと反応し、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
「見くびるな! ヴォルデドートなど、近づいてさえしまえば我が敵ではない! この『まっぷたつの大剣』で両断してやるわ!」
キリーランドは背負った剣の柄に手をかける。今にも抜いてテーブルを真っ二つにしようだったので、ジェリーは目で制した。
(おい、ヴォルデドートってのは何者だ?)
(鉱山王マスランの第一の用心棒で、遠方からの狙撃のみで大隊を全滅させたこともあるといわれる長銃の名手です。戦場では誰にも姿を見せることなく、多大なる戦果を残していくことから、付いた二つ名が『
(ね、ね、ルク、その鳥ってどんなの? カワイイ?)
(死を運ぶ、っていうくらいですから、一般的な感覚としては可愛くはないでしょうね……でもプルは可愛いって言うと思いますよ)
(へぇー、見てみたいな、見てみたいな!)
(見たくても、近づく前に蜂の巣にされちまうだろ……いくらキリーランドでも例外じゃなさそうだ。……それにしても、この世界には銃があるんだな)
(はい、機構としてはジェリーさんがかつておられた世界のものと大差ありませんが、火薬はありません。かわりに炎の精霊魔法で錬成された粉を使います)
(その粉はなんていうんだ?)
(火グスリです)
(なんか、まぎらわしいな……)
そういえば、目覚めたときに爆発音のようなものが聞こえた。おそらく採掘にもその火グスリとやらが使われているんだろう……と思っていたら、ゴロが言いにくそうに口をモゴモゴさせていた。
「う、うぅん……あ、あの……そ、それに……問題はヴォルデドートだけじゃねぇんだ」
悩みに悩んだ末、つい漏らしてしまったような声だった。
ジェリーは思考を中断し続きを待ったが、ゴロは入れ歯をなくした老人のようにフガフガするばかりでなかなか言い出そうとしない。
痺れを切らしたキリーランドに怒鳴られて、母親に叱られた子供のように渋々と言葉を紡ぎ出した。
「ジェリー様には悪いが……俺はまだ完全にアンタの部下になったわけじゃ……ねぇんだ……」
その告白に、ジェリーは怒ることも、失望することもせず、ただただ刺すような視線を向けていた。
すると、ゴロは厳しい父親を前にした子供のように慌て、急いで取り繕う。
「あっ、こ、怖い顔しないでくれよ、アンタについて行きたい気持ちはあるんだ。あるんだが、俺の隷奴札はマスランの旦那が持ってるんだ。隷奴札がある以上、俺はマスランの旦那には逆らえねぇんだ……!」
ジェリーは依然として黙ったまま、睨みをきかせていた。
(……なぁ、この世界は自分の意思よりも、隷奴札のほうが優先されるのか?)
(はい、隷奴札が誕生した大昔の頃ですと、札に魔力がかかっていて、札を渡した相手の命令には強制力があったそうですが……現在ですと魔力はなく、過去の逸話のみが伝わっており、その名残が生きているようです。ようは、札を持った相手の命令は絶対だという思い込みだけですね)
(なんだよ、思い込みだけでゴロはこんなに葛藤してんのか……)
(ただの木の板なのにねー、バッカみたい)
(まったくだ。この調子だと、俺の次の相手はマスランと、ヴォルデドートになりそうだな……)
(たのしみだねー!)
やれやれ、とジェリーは意識を戻す。
そして、目の前で小さくなっている自分よりもずっと年上の男と、納得いかない様子で立ち尽くす大女に向かって言い放った。
「ゴロ、貴様の木切れは俺様が手に入れてやる。キリーランド、番犬の貴様が牙を剥くのは今ではない」
彼はまだ少年だというのに、その口調は子供の進路を決めつける厳格な父親のようであった。
「ふたりとも、黙って俺に従え。いいな」
逆らうことを許さない、一方的な宣言。
これには多くの部下を従えてきた山男も、歴戦の女騎士も「はい」と従う他なかった。
突如、部屋じゅうに雷鳴が轟く。投げ込まれた何かによって窓ガラスが割れた音だった。
何かが足元に転がったと認識するより早く、怪しい色の煙が噴出し、それは水の中に溶け出した絵の具のようにあっという間に広がる。
部屋じゅうが花畑になったようなむせかえる甘い匂いと、怪しい薄紫の濃霧で満たされ、一寸先すらも見えなくなった。
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