02-04

 酒場は中央のテーブルを境にして、男たちがひしめき合うスペースと、ふたりしかいないスペースに二分されていた。


 入口側は、この集落じゅうの男たちが集結しているためぎゅうぎゅう詰め。

 テーブルに着いている自分たちのボスの後ろ姿を、穴があくほど見つめている。


 その人だかりの対面、酒場の奥側には、テーブルを挟んでボスと対峙するジェリーと、固唾を飲んで見守るキリーランドの姿があった。

 ふたりの背後は誰もおらず、がらんとしている。


 朝の満員電車の普通車両と女性専用車両のような、不思議な光景がそこには広がっていた。


 ジェリーの右側には割れた窓。窓枠に残ったガラス片が風を受けてカタカタと揺れ、時折脱落し、パリンと割れ落ちている。

 しかし、それを気にする者は誰もいなかった。店主ですらそれどころではないと、放ったらかしにしている。

 酒場の中は人いきれでむせ返るような暑さになっていたので、差し込んでくる冷風はちょうどよく、文句をつける者はいなかった。


 ジェリーの左側には大きな暖炉。弾けるような音をたてて燃える薪火は、割れ窓からの風を受け揺らいでいた。

 時折、突風が吹き込んできて、檻に閉じ込められたばかりの猛獣のようにゴオッと暴れる。


 その炎の激しさは……これから始まる戦いの行く末を予見しているかのようであった。


 ジェリーがポーカーを申し出たとき、男たちは相手にしなかったが、キリーランドの隷奴札を賭けると言った途端、目の色が変わった。

 キリーランドはジェリーに全幅の信頼を寄せているようで、自らの身体が賭け銭になることを快諾し、チップとして隷奴札を差し出した。


 この噂は瞬く間に集落じゅうを駆け巡った。

 男たちは家での団欒を放ったらかして酒場に詰めかけ、そしてついには集落の長であるゴロまでもが噂を聞きつけやって来た。


 ボスであるゴロは、荒くれの鉱夫たちを束ねるに相応しい野性味あふれる男だった。

 顔はヒゲもじゃ、身体も毛むくじゃら。褐色の肌に、イノシシをまるごと一匹剥製にした毛皮を羽織っており、まるで仕留めたばかりのイノシシを背中に担いでいるかのような出で立ちであった。


 ゴロはキリーランドを見て舌なめずりをし、対戦相手として名乗り出る。

 賭け銭としてこの集落の人間たちの隷奴札を出し、丁半博打のコマ札のように積み上げた。


 もはや後には退けないほど話が大きくなってしまったが、ジェリーは人知れず口元を歪めていた。


 全ては彼の狙いどおりだったのだ。

 彼は集落を訪れた瞬間から、ここをいかにして自分のモノにするか、思いを巡らせていた。


 偶然ではあったが、プルの力を使って酒場の盗み聴きで情報収集。

 隷奴札の存在を知り、それは集落のボスが全て持っていると知る。いかにして横取りをするかを考えた。


 そしてキリーランドの暴走があり、咄嗟にポーカー勝負を申し出る。

 それはケンカを止めるためと、ボスをおびき出すためでもあった。


 こうして騒ぎを大きくしていけば、ボスの耳に入るだろうと考えていた。

 ボスが酒場を訪れたあとは簡単だった。キリーランドの美貌にやられ、食虫植物に誘われるハエのようにあっさり勝負に乗ってきた。


 そうしてジェリーは、この集落を手に入れるための足がかりを、まんまと得ることができたのだ。


 ……いや、まだ「まんまと」と言うには早いかもしれない。


 たった1枚の隷奴札と、200枚以上の隷奴札。資金の差が200倍以上あるのだ。

 テーブルの上のチップは、あばら家とピラミッドのように、佇まいからして圧倒的に違っていた。


 その絶望的ともいえる格差を眺めながら、ジェリーは渦巻き状のキャンディを咥え、歯でバキンと折り、そのままボリボリと噛み砕く。

 表情は不敵そのものであったが、頭の中は危機的状況を打開するための策を今なお練り続けており、キャンディの柄のようにぐるぐるとフル回転していた。


 しかし同居人である天使と悪魔は、この危機的状況を知ってか知らずか、楽しそうにプカプカと浮いている。


(ね、ね、ジェリーくん、なんで、誰も後ろに来ちゃダメだって言ったの?)


 キャンディを所望していたプルは、お望みのモノを得られてすっかり機嫌を取り戻していた。

 ある意味この騒動のキッカケでもあるというに、反省する様子もなく好奇心旺盛に語りかけてくる。


(観客から手札を見られるのを防止するためですね)


 かわりに答えたのはルクだった。

 ジェリーは打てば響くような彼女に感心しながら、脳内会話に切り替える。


(ああ、ひとつはそうだな。だがもうひとつ大事なことがある)


(なあに?)(なんですか?)


(イザとなったら後ろの窓からさっさと逃げるためだ)


(えー、なんかカッコわるーい!)


(ポーカーには自信がないのですか?)


(いや、腕前には自信があるが……資金力の差があり過ぎるから、念のために逃げ道を確保した。でも秘策ができたから、これで負けはなくなった)


(ヒサクってなあに?)(なんですか?)


(それはお前らだ。勝負が始まったら相手の所まで飛んでいって、手札を見て、俺に教えるんだ)


(ムリだよ)(ムリですね)


(えっ、なんでだよ!? ホットソースもキャンディも食ってやったじゃねーか、少しは恩返ししろよ!)


(いえ、そうではなくて、ジェリーさんのお身体を宿主として憑依しているわたくしたちは、ジェリーさんの身体からはあまり離れられないのです)


(離れられても、少しだけだよね)


(はい。手を前にまっすぐ伸ばして、ちょうど肘くらいの距離まででしたら離れることができますが、それ以上となると……)


(なんだよ、おいっ! そういう制限があるんだったら早く教えとけよ!)


(だってぇ、そんなコトするなんて思わないよぉ)


(先に相談してくださればよかったのに)


(たった今……こうしてお前らと話してるときに思いついたんだよ! ……くそっ、ガチで勝負なんてできるかよ! なんか……別の手を考えねぇと!)


(どうするの?)(どうなさるおつもりですか?)


(それを今考えてんだよ!)


(もう、逃げてしまわれてはいかがですか? せっかくルートも確保してあるのですから)


(そうそう、キリーランドちゃんには悪いけど、後ろの窓からたーって逃げちゃおうよ!)


 ふと、目の前にいる集落のボス、ゴロが口を開いた。

 声は、イノシシの唸りに似ていた。背中のイノシシが喋っているのかと錯覚するほどに。


「この勝負、今なら逃げてもいいんだぜ? その女を差し出せばな。……そしたら、お前は身ぐるみ剥がして、外に放り出すだけで勘弁してやるよ」


(あ、ホラホラ、あのヒゲおじさんもそう言ってくれてるよ!)


(これは逃げの一手ではないでしょうか? わたくし、ジェリーさんの生まれたままの姿、見てみたいです)


(そ、そうだな、それなら……ってアホかっ! この寒空に裸で放り出されたら、死んでまうわ!)


 ゴロの提案に対し、ジェリーは鼻息を返す。


「フン、それが貴様のやり方か……まるでハイエナだな。それに加えて、百獣の王には通じぬということが理解できぬようだ……浅ましいだけでなく、愚かなハイエナよ……!」


 触発されたゴロのこめかみに、稲妻のような青筋が走る。金槌のような拳をテーブルに振り下ろす。

 ドンッ! という衝撃音とともにテーブルが軋む。置かれたチップが跳ね、グラスの中のバーボンが波打つ。


 部下たちが全員、ビクッと肩を震わせるような脅しを受けても、ジェリーは眉ひとつ動かさなかった。

 それがさらに、ゴロの神経を逆撫でする。


「こっ……このガキ……! お前は死ぬまで強制労働だ!! 暗い穴ぐらの中で、野垂れ死ぬまでこき使ってやらぁ!!」


 ディーラー役の男はゴロに睨みつけられ、慌ててカードを配った。

 投げられたカードが次々と、テーブルを滑ってジェリーの手元で止まる。


(……どうやら……勝負開始のようだな)


(こうなったら、やっちまえジェリーくん!)(がんばってくださいね)


「フレー! フレー! ジェリー様っ! ファイトだファイトだジェリー様っ!! 私は死ぬ、彼は生きる! 私は死ぬ、彼は生きる! 私の命を糧に、この毛深き者を……あ、いや、毛深くないか……オホンッ! 私の命を糧に、この小さき者を守りたまえ!」


 不思議なリズムで次々と応援ポーズを取るキリーランド。どうやらこれも騎士の伝統らしい。

 途中で歌詞の中の主人と、現在の主人の齟齬を見つけ、アレンジした。


 鉱山の男たちも、負けじと声援を送る。


「お願いしやす、ボス!」「どうか勝ってくだせえ!」「勝って、あの女を!」「おこぼれを俺たちにも……!」「女! 女! 女!」


 ゴロは葉巻を咥え、大勢の手下の期待を、一身に背負っていた。

 ジェリーはキャンディを咥え、美しき女騎士と、天使と悪魔を従えていた。


 山賊の首領のような荒くれオヤジと、神の化身のような翼を持つ少年。

 対照的なふたりの戦いの幕は、ついに切って落とされた。

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