01-03

(……くそ、あと少しだったのに、交換条件を出してきやがった)


 ジェリーは人知れず奥歯を噛みしめる。


(悪い魔法使いをやっつければいいんでしょ? 聞いてあげればいいじゃん)


 事も無げに言うプル。


(相手を隷属させるのであれば、交換条件など無視して従わせるという手もありますよ。飼い犬には初めが肝心です)


 ルクも賛同するかと思われたが、真逆の意見を唱えた。

 ふたりの意思が、はじめて分かれた瞬間だった。


 ジェリーは意外に思いつつも、ここはルクの意見を採用する。

 どこにいるかもわからない邪悪な魔法使いなどと戦うつもりは毛頭なかったからだ。


 一瞬だけ目を伏せたあと、さらなる眼力を込めた瞳をキリーランドに向ける。

 かつての世界で、チンピラを失禁させたことがあるほどの恐ろしい睨みをきかせた。


「……この俺様を、使おうというのか……貴様、命が惜しくないようだな……!」


 腹を抉るような、ドスの効いた一言。

 キリーランドは「ひっ」と怯え、ヘビを前にしたカエルのように硬直した。


 烈震とも呼ばれた伝説の騎士は、城塞ほどもある巨大な赤竜を前にしても一歩も退くことはなかった。

 しかし今は……コビット族のように小柄で華奢な少年に、肝っ玉を激しく揺さぶられていた。


 キリーランドが動揺していたのは、ジェリーからも手に取るようにわかった。


(いける……あとひと息だ……! あとひと息で、コイツは俺のモノになるっ……!)


 しかし、陥落寸前のところでジャマが入った。

 空からオレンジ色の薄明かりが降り注ぎ、会話を中断せざるをえなかった。


 ジェリーは瞳だけ動かしてジロリと、キリーランドはハッとしたように、揃って上を見る。

 天井はところどころ崩れていたが、合間には裸電球のようなオレンジ色の光がまばらにあり、ぼんやり輝いていた。


(あれは魔法の明かりのようですね、どなたかが魔法を使ったようです)


 ジェリーが問うより早く、ルクが教えてくれた。


 洞窟は、常夜灯がともった劇場のような空間になっている。

 先程まで奥は暗闇だったのだが、明かりのおかげで見渡せるようになり、そこにはまさに映画のような光景が広がっていた。


 三部作くらいにわたって展開されそうな、壮大なファンタジー活劇の戦争前のシーンのように、おびただしい数のオークたちが整列している。

 訓練された軍隊のように起立し、鎧を着ているというのに音ひとつ立てていない。これほど数が存在していたにもかかわらず、気付かなかったほど静かだ。


 息を呑むキリーランド。斬っても斬ってもきりがなかったオークたちの正体を理解する。


 オーク軍の中央には、ピラミッド状の岩山があった。

 その頂上では、フードを深く被ったローブの人影が玉座にふんぞり返っている。


「……あ! 彼奴ですっ、ジェリー殿! 彼奴が邪悪なる魔術師、ダルシロワです! さぁ、共に悪を打ち砕きましょう! さぁダルシロワ、お前の悪事も今日で終わりだっ、覚悟しろっ!!」


 言いつける子供のように人影を指さし、対立を煽るキリーランド。

 視線をぶつけ合ったジェリーとダルシロワは、同時に舌打ちした。


「……ノコノコと私の元にやってきたキリーランドさんを、たっぷりといたぶってあげるパーティの最中だったのに……それをメチャクチャにして……ジェリーさんとやら……許しません……許しませんよぉーっ!」


 ダルシロワは怒りに身体を震わせながら、猛然と玉座から立ち上がる。

 勢いあまってフードが脱げ、砂漠のトカゲのような乾いた顔が露わになった。


 ジェリーは顔色ひとつ変えず、心の中だけで驚く。


(あれっ、豚じゃねぇ!? あいつ、ワニみたいな顔してるぞ!?)


(あれはワニ野郎だよ、知らないの?)


(……リザードマンですね。ワニというよりはトカゲに近いモンスターです。二足歩行するトカゲで、姿も人間に近い形に進化しています。オークより力は弱いのですが、知能は高く、魔法を使える者もいるようです。どうやら、オークたちのボスのようですね)


(邪悪なる魔術師って、別の場所にいるんだと思ってたぜ……まさかこんなすぐ近くにいるとはな……コイツを先になんとしなきゃダメじゃねぇかよ……くそっ!)


「……フン、豚だけではなかったか。豚の尻に貼りついたトカゲまでいるとはな……どうやらまとめて屠殺されたいようだな……!!」


 ジェリーの低く重々しい怒声が、エコーとなって響きわたった。

 少年は眼力だけでなく、声量もある。反響しやすい洞窟の中ではなおさらそれが強調された。


 しかし距離が離れているせいか、それとも相手の聴覚が乏しいのか、脅しの効果はほとんどなかった。親玉のリザードマン、ダルシロワはおかしそうに肩を震わせる。


「ヒッヒッヒ……ヒィーッヒッヒッヒッヒ! 何を言い出すかと思ったら……わかります……わかりますよぉ~! この状況では強がるしかありませんものねぇ~! いくらアナタでも、これほどオークがいるとは思ってもみなかったでしょぉ? 呪文を唱えたくても、詠唱が終わるまでにボッコボコにされちゃいますもんねぇ~? ピンチですかぁ~? ピンチですよねぇ~? ヒーッヒッヒッヒ!」


 ダルシロワの引き笑いにあわせ、部下のオークたちもブヒブヒと下卑た笑い声をあげる。


 別に図星ではなかった。呪文とか言われても、そもそもそんなものは使えない。

 しかし……ピンチなのには変わりがなかった。


 ジェリーはそれらをひっくるめてもおくびに出さずに、あくまで上からの態度を崩さない。

 目線の高さでいえばこの場にいる誰よりも低かったが、少年は確かに高いところからオーク軍団を見下ろしていた。


「フッ、俺様がピンチかどうかは神ですら決められぬ、ましてや下等生物である貴様らでは言うまでもない……!」


 力強く、拳を突き出す。


「俺様がピンチかどうかを決められるのは……俺様だけだ!!」


 演説に対し、オークたちは怯んだ民衆のように後ずさったが、数の優位を思い出し、暴徒のようにブヒーブヒーと騒ぎ出す。

 主人の合図を待つ猟犬のように、いまにも襲いかかってきそうな100をこえる凶暴な豚たち。


 地を揺らすような怒号が飛び交い、空気が痺れるような緊迫感が肌を刺す。

 剥き出しの殺気が高波となって押し寄せてくる。並の人間であれば、卒倒してもおかしくないほどのプレッシャー。


 しかしジェリーは微風ほどにしか感じていないのか、表情を変えない。

 例によって、内心は穏やかではなかった。


(やべっ……! ビビらせるつもりだったのに、逆に怒らせちまった……!)


(そりゃそうだよ、下等生物なんて言うから……あーあ、この世界に来て早々、殺されちゃうよぉ?)


(そろそろ限界ではないですか? 早くお逃げになったほうがよろしいかと思いますが)


(逃げるのは無理だ。ここに入ったときからずっと探してたんだが、出口がどこにもねぇ。おそらくオークどもを越えた向こう側……トカゲのいる岩山の陰にでもあるんだろう)


(あ、コッソリと逃げ道を探してらしたんですね)


(すっごーい! ぜんぜん気づかなかったよー!)


(視線を悟られるほど、俺は三流じゃねーよ)


(でも、逃げ場がないとなると、どうなさるおつもりですか?)


(いまは辛うじてハッタリが効いてる。こんな時は、たとえ一歩でも退いたら終わりだ。弱味あるとバレたが最後、勝機は完全になくなる……! 怖えけど、前に出るのみだ……!)


 頭の中で宣言したとおり、ジェリーは決して退くことはなかった。

 むしろ、迎え撃つようにオークたちの群れの方に足を向ける。

 「あ、危ない……!」とキリーランドの声がしたが、無視して歩み続ける。


 その姿が、玉座に向かう王のように堂々としていたので、オークたちは怯んで道を開けそうになった。が、我に返ってすぐに身構える。

 ジャキン! と一斉に武器が向けられ、槍ぶすまのようにジェリーの行く手に立ちはだかった。


「どけ、雑魚ども!!」


 ジェリーは一喝とともに左手を掲げる。パチンと指を鳴らすと火花が弾けた。

 引火したように発火が起こり、噴き出した炎がゴオッと高くあがった。


 少年の左手は、悪魔の舌なめずりのようにうねる、赤黒い炎に包まれる。

 これにはオークたちも、腰を抜かさんばかりに驚いた。


「わあっ、な、なんだぁ!?」


「ま、魔法だ、炎の魔法だっ!」


「で、でも、アイツはなにも呪文を唱えなかったぞ!?」


「い、いったい何をやったんだ!? あの火はいったい何なんだ!?」


「アイツはこの数を相手にしても、全然ビビってねぇ……きっと、やべえ炎に違いねぇぞ!」


「そ、そうだ! アイツがここに現れたときもスゲエ魔法を使った! あんなのをまた出すつもりなんだ!!」


「あれほどの大魔法を、二度も続けて!? あ、アイツはいったい何者なんだ!?」


 口々に憶測を交わし、ざわめくオークたち。


 彼らの相手はひ弱で小さく、半分くらいの身体つきしかない。

 1対1でも負けるはずのない、脆弱な存在のはずだった。


 しかも100を超える数がおり、幾多もの鋭い剣を、針山のように突きつけている。

 子供と山賊が戦うようなもので、勝負にもならない、ほんのひと刺しすれば終わる状況。


 しかし……誰も、それをできずにいた。

 少年が放つ、金剛のような固くずっしりとした自信と、「やれるものならやってみろ」という豪胆なオーラが、オークたちを竦ませていた。


 燃えさかる掌をかざすジェリーがずんずんと近づいてきたので、十戒のように割れ、道をあける。

 岩山の上のダルシロワも、顔の半分を占めるほどあんぐりと大口を開けて呆気に取られていた。

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