01-01 俺様は、大軍に囲まれた
繰り広げられていたのは、罪深き業を背負った、醜き者たちによる殺戮の宴。
煉獄のようなその場所に、神が舞い降りたらどうなるのか……もたらされるのは、救いか死か。
……それはすぐに、明らかとなる。
薄暗い洞窟の中はサウナのようなむせかえる熱気に満ちていた。
ブヒブヒと荒い、豚のような呼吸音と、金属どうしがぶつかり合う甲高い音がひっきりなしに響きわたっている。
壁の薄明かりに照らされた人影が、ぶよぶよの身体を揺らし、舞い踊る。
無数のオークたちがひしめきあい、血で血を洗う激闘が繰り広げられていた。
オーク……緑色の肌にスキンヘッド、顔は彫りが深く厳ついが、豚のような鼻と口角から生える長い牙でイノシシのように見える。
しっかりした筋肉を過剰な脂肪で覆った、落ちぶれた相撲取りのような身体つき。
一見した醜悪さに加え、体臭もひどい。知能はそれほど高くなく、取り柄といえば力と繁殖力だけのようなモンスターだ。
彼らのいる洞窟内は野原のように広く、戦場としては悪くない。むしろ闘技場のような作りで、豚どもの戦いを見下ろせる小高い岩山まであった。
岩山の前は広場のように平らに慣らされた石床で、中央は舞台のように少し高くなっている。
舞台の上では、この戦いの主役であるかのような、一匹の雌オークが大立ち回りを繰り広げていた。
剣や斧、棍棒や鎖鉄球などの様々な近接武器を手にした雄オークたちが周囲を取り囲んでおり、次々と雌オークに襲いかかっていく。
戦いは、一匹の雌オークと、複数の雄オークによるものだった。
雌オークは敵対するどのオークよりも大柄で、そびえ立つような体躯を鈍色の鎧に包んでいた。
塊のように無骨な右の籠手で、敵からの鉄球の一撃を防ぐ。激しい衝撃に火花が散るほどであったが、押し負けることはない。
カウンターを食らわせるように、左手に持った身体ほどもある大剣を、軽々と薙ぐ。
鉄柱さながらの剣がひと振りされるたびに、軌跡上の雄オークたちはぐしゃりという骨が砕けるような音とともに吹き飛ばされ、悲鳴をあげる間もなく、飽きて捨てられたボロ人形のように転がった。
雌オークは圧倒的な強さで雄オークたちを蹴散らしていた。
しかし、斬り倒しても斬り倒しても暗闇のほうから新手が現れ、囲まれる。
無限地獄のような終わりなき戦いであったが、雌オークはそれでも怯むことなく、豪腕から台風のような太刀筋を繰り出し続けていた。
だが、それにもわずかではあるが、陰りが見えはじめる。
疲れによるものというよりも、身体に変調をきたしたように、顔から血の気が失われていく。
そしてとうとう、わずかなスキを突かれて体当たりを受けた雌オークは、地面に倒されてしまった。
「ふ……不覚っ! こ、こんなはずでは……!」
剣を杖がわりにしてすがりつき、息も絶え絶えに叫ぶ雌オーク。
彼女は離れた場所にある岩山の、暗闇に覆われた頂上ほうを睨みつけていた。
頂上には何者かがいるのか、下卑た笑い声がこだまのように返ってくる。
「ヒィーッヒッヒッヒ……飲んだ毒がようやく効いてきたようですねぇ」
「ひ……卑怯なりっ……!」
「キリーランドさん、アナタの間抜けさは変わっていませんねぇ……敵地に来ているというのに、勧められた飲み物を何の疑いもなく飲むだなんて」
キリーランドと呼ばれた雌オークは、ギリッと歯をかみしめて悔しそうな呻きをもらす。
「くっ……実においしそうであったし、喉も乾いておったから……だ、だがっ! 思い通りにはならぬぞ! こうなったらひと思いに……!」
「おやおや、殺しはしませんよぉ、これからアナタにはオーク軍団の慰みモノになってもらうんですから……そして一生、オークの仔を孕み続けるのです……それが私をさんざん苦しめてくれたアナタ……『烈震のキリーランド』への復讐……!」
闇からの声を合図として、包囲網を狭めていくオーク軍団。
いつおあずけが解かれるのかと犬のように舌なめずりをし、怯えた表情の雌オーク……キリーランドを見下ろしている。
「ヒッヒッヒ……さぁ……たっぷりと嬲ってさしあげなさい!」
号令とともに、汚れたいくつもの手がキリーランドにむかって伸びる。
「い……いやぁぁぁぁぁぁーっ!!」
絹を裂くような悲鳴。
それに呼応するかように、天が、そして地が揺れた。
天井に開いている穴から、野太い稲光が降り注いだ。
床岩をドリルのように穿ち、破片を撒き散らしながらいくつにも枝分かれする。
それは、巨人の七支刀が突き立てられたかのような光景だった。
突き立ったまばゆい柱から、ドーナツ雲のような光輪が広がる。それは光や雲などという生易しいものではなく、カマイタチのような鋭い真空刃だった。
オークの群れを通過したかと思うと、真っ二つにする。一斉にシャンパンのコルクを抜いたかのように血が噴き出し、首が吹っ飛んだ。
続けざまに、地面が噴火したような大爆発が起こる。
目潰しのような閃光と、耳をつんざく轟音。舞い上がる土煙とともに地面が激しく揺れ、崩れた天井から雹のような落石が降る。
熱風と血しぶき。世界の終末のような轟音と、洪水のような圧倒的なエネルギーが押し寄せる。
脊椎が引っこ抜かれるような衝撃に、キリーランドは咄嗟に目を閉じ耳を塞ぐ。胎児のように身体を丸めて身を守った。
彼女の元に殺到していたオークたちは雷に打たれ、衝撃波に首を斬られ、爆風に吹き飛ばされ、炎に焼かれた。
考えうる災害のフルコースを浴び、一瞬にして壊滅状態になっていた。
しばらくキリーランドは甲羅に閉じこもった亀のように動かなかったが、振動が収まったのを感じ、おそるおそる瞼を開く。
半身を起こすと、あたりは硝煙に満たされていた。
最初はよく見えなかったが、モヤのような煙が薄れて視界が確保されると、目の前に広がる光景の凄惨さに驚愕した。
床はオークの死体で一面埋め尽くされていた。直撃を免れたオークたちも重傷を負っており、床に這いつくばっている。
ぶちまけれた肉片と血、生臭い匂いと悲鳴で阿鼻叫喚の地獄絵図と化していたのだ。
いったい何事が起こったのかと目を見張る。
爆心地は隕石でも落下したようにクレーター状に陥没しており、天井の穴に向かって燃えさかる炎の柱が噴火していた。
その前には……蜃気楼のように揺らぐ人影が立っていた。
キリーランドは炎のまぶしさに目を細めながら、人影の正体を確認しようとする。
……人間だ……それもかなり小さい。
子供だ。子供がなぜこんな所に? とキリーランドは思った。
腕組みをした小柄な少年……髪はくすんだ白で、たてがみのようなウルフカット。
黒いワイシャツと白いズボンの上から、灰色のロングコートをマントのように羽織っている。
背中からは天使のような白い翼と、悪魔のようコウモリの翼が片方ずつ生えており、それがなんとも異様で目を引く。
うつむき加減の顔には影がさしており、目元はわからないが、鼻から下だけは辛うじて伺えた。
笑みように唇を歪め、這いずって逃げようとするオークを見下ろしているようだった。
他愛ないものを目にしたかのようにフッと鼻を鳴らす。
やがて、ゆっくりと顔をあげる。
それは、厚顔と呼ぶにふさわしい、大胆不敵な表情だった。
獲物を狙う狼のような灰色の瞳が、真剣のようにギラリと輝いたかと思うと……オークたちの叫びをかき消すほどの大声量で、こう宣言した。
「俺様……降臨っ……!!!」
今の状況は自分が降り立つ際に、狙ってやったと言わんばかりの尊大な態度で、少年は言い放つ。
しかし、頭の中はパニックになっていた。
(うおおおおおおっ!? なんだこりコリャ!? 落雷に爆発に噴火!?)
かなり動揺しているが、顔には一切出さない。それが彼のポリシーである。
頭の中には天使と悪魔が同居していて、宿主同様に大騒ぎしていた。
(アハハハハ! 召喚もスゴかったけど、キミも面白いよ! 顔はゼンゼン変わらないのに頭の中はすっごく驚いてるなんて、ホント器用だねぇ!)
銀色のショートカットを揺らし、ダークレッドの瞳をクリクリとさせる。
黒い革のドレスに包んだ身体をぴょんぴょん跳ねさせて喜ぶ少女、プル。
(本当に凄いです……。いえ、あなたのことではなくて、召喚のほうです。『派手になる』の召喚はわたくしたちも初めて見ましたが、ここまで派手だなんて)
金髪のストレートヘアと、深い青さの瞳。いずれも静かな湖のように揺らぎもしない。
白いレースのドレスに包んだ身体を、折り目正しく揃えるルクと名乗る少女。
異世界に降り立った少年と、その脳内にいるふたりの少女。抱いた感想は三者三様だった。
少年の足元で、何かが蠢く。
視線を落とすと、仰向けになった一匹のオークが息も絶え絶えに口を動かしていた。
「……お、お前は……な、何者……だ!?」
全身血まみれで、下半身がちぎれかけている。生きているのが不思議な状態のオークだった。
少年は哀れな豚を嘲笑うように、フッと鼻息を返す。
「いいだろう、冥土の土産に聞かせてやる。俺様の名は……!!」
しかしそこで言葉に詰まる。
少年は以前の世界では『バーニングゴールド・
同じものをそのまま使おうと思ったが、新たなるこの世界に相応しい名前にするべきかと考え直す。
(おい、お前ら、この世界で通用しそうな強くてカッコイイ名前を今すぐ考えろ!)
脳内で天使と悪魔に命令する。
(え? キミの名前はチェリーくんじゃないの?)
(そうですよ、|初恋《ウィレン》チェリーさん)
キョトンとした様子のプルと、諭すような口調のルク。
ふたりとも少年の本名を口にしているが、それが忌々しくてしょうがなかった。
(その名前は二度と口にするな! そんなみっともない名前でビビらせることができると思ってんのか!)
(親からつけてもらった名前を、みっともないなんて言っちゃダメだよ! キミはチェリーくんなんだから、胸を張って、僕はチェリーだ! って名乗ればいいじゃん)
(そうですよ、初恋チェリーさん)
たしなめるプルと、機械のように繰り返すルク。
(ふざけんな、俺がどんな名前を名乗ろうが勝手だろ! もういい、お前らには頼まん! 俺ひとりで新しい名前を考える!)
(だーめっ! キミの名前はチェリーなの! チェリー!)
(そうですよ、初恋チェリーさん)
噛んで含めるように繰り返す、天使と悪魔。
天使と悪魔なら普通意見は相反するはずなのだが、このふたりの息はピッタリ。
(そーれっ!)という合図とともにチェリーコールを始める始末だった。
(チェリー! チェリー! チェリー! チェリー! チェリー! チェリー! チェリー! チェリー! チェリー! チェリー!)
「……じぇあかぁしいいいっ!! チェリーちゃうわあああっ!!!」
少年は、つい我慢できずに怒鳴ってしまった。
叫んだあと(しまった!)と後悔したが後の祭り。声は洞窟中に響き渡っていた。
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