第11話 夢

 

 ―――これは夢だ。


 俺はすぐに気づいた。これは夢の中なのだと。

 目の前にそびえたつのは石造りの壁と荘厳華麗な巨大な扉。扉には緻密な紋様が描かれている。

 扉の奥から漂う猛烈な威圧感。それが来るものを拒んでいる。

 でも、俺は気にすることなく、扉に手を当ててゆっくりと押し込んだ。

 両開きの扉は予想以上に軽く、音を立てずに開いていく。何という消音設計。

 中に入ると、まず感じるのが本の香り。そして、見渡す限りの本本本。

 大量の本棚に重厚な背表紙の分厚い本が並べられている。

 巨大な図書館だ。とても静か。音一つしない。

 どれほどの広さがあるのかわからない。本の冊数もわからない。


「―――何しに来た?」


 傲慢で舌足らずの少し幼い少女の声が、静かな図書館に響き渡った。

 入ってすぐの少し開けた空間の中央に、座り心地が良さそうなアンティークの豪華な椅子が置いてあり、威厳を漂わせながら一人の幼女が座っていた。

 濃ゆい青の髪。海のように綺麗な青の瞳。メガネをかけ、黒いローブを着た可愛らしい幼女。小さな手に本を持ち、読書を邪魔されて不機嫌そう。メガネの奥から鋭い眼光で俺を睨みつけている。

 肘掛けに肘をつき、頬杖をついた。威厳を放ち傲慢そうだが、何故か妙にしっくりくる。

 俺は彼女に軽く手を挙げて微笑みかける。


「用がないのに来ちゃダメなのか?」

「ダメだ」

「じゃあ、君に会いに来た」

「ふんっ」


 幼女は鼻を鳴らしただけ。俺を無視し、手元の本に目を落として読み始める。

 では、許可も頂けたということで、好きにさせてもらいます。

 俺は椅子に座る幼女に近づき、抱き上げる。幼女は不機嫌そうに唸ったが、本から目を離すことはない。拒否することもない。

 俺は椅子に座って、膝の上に本を読む幼女を乗せる。

 綺麗な濃青色の髪を優しく撫でる。

 俺たちしかいない図書館に、幼女が本のページを捲る音だけが響く。

 静かな時間が過ぎていく。

 ふと、ずっと本から顔を上げずに本を読み続ける幼女がぼそりと呟いた。


「最近、サボりすぎだ。ワタシに本をよこせ。読み飽きた」


 俺は優しく彼女の頭を撫で続ける。


「ここにはたくさん本があるだろ?」

「世界が創った本は、知識欲は満たされるが、やはり退屈だ。つまらん。貴様らが創った本のほうが刺激がある」

「ここに引きこもってないで自分で経験すればいいじゃないか」

「断る。ワタシは引きこもりだ。動きたくない」


 踏ん反り返ってドヤ顔で言うことでもないと思うんだけど。

 相変わらず、超絶の引きこもりだなぁ。


「だが、女の悦びを経験できたのは実に有意義だったな。そこは貴様に感謝しよう」

「今からもっと経験する?」

「ふんっ! ロリコンめっ!」


 膝に座らせている幼女のお腹を抱きしめようとする寸前、彼女の身体が宙に浮き上がり、俺の腕からスルリと逃げていった。

 宙に浮く少女が一瞬だけ本から目を離して俺を睨む。


「貴様が新たな本を持ってきたら相手をしてやろう。ワタシを好きにするがいい」

「本を持ってきたら、じゃなくて、読み終わったら、だろ?」

「そうとも言う」

「そうしか言わないぞ…。はぁ…わかった。愛しい人のために頑張ってきますか。その代わり、その時は俺だけを見てくれよ?」

「さっさと行って来い!」


 幼女が腕を振るう。俺の身体が見えない力に吹き飛ばされ、ゆっくりと開く図書館の扉から追い出される。

 へぶっと床に崩れ落ち、床にぶつけた頭を撫で、何とか起き上がって、扉が閉まる隙間から中を覗く。

 幼女は再び椅子に座って本を読み始めた。扉が閉まる最後の一瞬だけ、俺に視線を向ける。

 俺は彼女に向かって軽く手を振って別れの挨拶をする。


「また来るよ。愛してる!」


 周囲が白く染まり、ぼやけて消えていく。夢の中の図書館が消滅していく。

 夢が覚めようとしているのだ。

 世界が真っ白に染まり、目覚める直前、脳裏に傲慢な少女の声が響く。


ワタシは嫌いではないぞ、カインよ。さっさと本を持ってくるんだな」


 彼女らしい愛の言葉だ。

『嫌いではない = 大好き・愛してる』、『早く本を持って来い = 早く愛し合いたい』ですか。いつもの俺への愛情表現だ。

 相変わらず捻くれたツンデレさんだなぁ。そんなところも可愛いけど。

 俺は真っ白な世界に身をゆだねる。意識が急浮上する。


 ――――俺は夢から目覚めた。



 ▼▼▼



 チュンチュンと小鳥が囀る声が聞こえる。

 カーテンの隙間から朝の光が降り注いでいる。

 丁度顔に日差しが当たっているらしい。目を瞑ってても眩しく感じる。

 眠気と眩しさで顔をしかめ、気持ちの良い温もりがするベッドの中で寝返りを打とうとして、俺はできないことに気づいた。

 温かくて柔らかいものに挟まれている。ふわっと香る蕩けそうなほど甘い匂い。

 重い瞼をゆっくりと開け、ショボショボする瞳で確認する。

 俺の右腕に抱きついて、スヤスヤ寝ているのは褐色肌で白髪の美少女。契約悪魔のアベルが幸せそうに寝ている。寝顔も可愛い。むにゃむにゃと口を動かし、口の端に垂れた涎を俺のパジャマで拭う。


 もう…仕方がないなぁ。可愛いから許してあげよう。


 アベルがくっついている反対側で、長くて紅い髪がサラサラと零れ落ちた。くすぐったい。彼女はグリグリと俺の身体に顔を擦り付け、スンスンと匂いを嗅いで、気持ちよさそうに寝ている。寝顔は幼く見える。

 一瞬夢かと思ったけれど、何度も目を瞬かせるが、彼女の姿が消えない。

 俺は瞳だけを動かして、部屋の中を確認する。


「ここは寮の部屋。俺の荷物がある。ということは、俺の寝室だな。間違っていない」


 完全に俺の部屋で俺のベッドだ。

 目を瞑ってしばらく考える。夢なら覚めてくれと願う。

 でも、左腕に抱きついている温もりが消えない。


「…………なんでクレア皇女が俺のベッドに寝ているんだ!?」


 紅い髪の正体は、ルームメイトのクレア皇女だった。

 記憶を探るが、クレア皇女と一緒に寝た記憶はない。夜の間ミクルと一緒に学園を警護し、朝方になって部屋に戻ってきた。アベルと少しイチャイチャして、寝たはずだ。

 なのに何故、クレア皇女が一緒のベッドに寝ている!?

 まあ、感触は最高ですので、そのままにしておきますが。

 ふむ。実にけしからん。そして、実に良い。慎ましやかな胸とか、スレンダーな身体とか、甘い香りとか、サラサラの髪の毛とか、全くもってけしからん。

 クレア皇女の身体は甘い香りが強い。暑かったのだろうか。大量の汗をかいた形跡がある。髪が顔に張り付いた跡が残り、甘い汗の香りがする。全然嫌ではない。むしろいい香り。

 …………俺って匂いフェチという性癖もあるかも。

 新たな性癖の発見か、と思い始めたところで、クレア皇女が身動きをする。グシグシと顔を俺の身体に擦り付け、薄っすらと瞼が開いた。

 眠そうに目を擦って、ふと顔を見上げた。彼女の紅い瞳と視線が合う。


「ふぇっ?」

「おはよう、クレア皇女。昨夜のこと覚えてる?」

「お、おはよ…う? 昨夜は素敵だったわね…」


 流石エロ同人誌を読むむっつりスケベのオタク皇女! 目覚めてもネタに走る!

 …………本当に何もしてないよね? 俺たち、素敵な夜を過ごしてないよね?

 寝起きのクレア皇女はキョトンとしている。パチパチと目を瞬かせ、俺の顔や、自分が抱きついている俺の身体を何度も何度も確認する。

 そして突然、ガバっと跳ねるように起き上がった。


「なっ…なぁっ!?」


 真っ赤になったクレア皇女の顔。パタパタと自分の身体を触って確認し、身体を守るように抱きしめる。

 怒りと羞恥と不安と恐怖と若干の興奮に燃える紅い瞳が俺を睨んだ。


「乙女のベッドに潜り込むなんて最低よ! この変態!」

「ちょっと待て! ここは俺の…」

「寝込みを襲う鬼畜のド変態強姦魔ぁぁああああああああああああ!」


 クレア皇女は手を勢いよく振りかぶった。

 一瞬遅れてパシィィィイイイイイン、という気持ちの良いビンタの音が部屋に響く。

 俺の頬に焼けるような灼熱の痛みが走る。

 誤解したクレア皇女の甲高い悲鳴が学園中を揺さぶった。

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