10.75.必死の抵抗


 長い髪の毛の中から覗く瞳は、非常に鋭かった。

 彼の覇気がゆらゆらと体の周囲に纏わりついている。


 エリーは自分が何か失言したから、彼の表情が豹変したのだと理解した。

 だが聞かれたことを素直に答えただけだ。

 それに何の問題があるのか、さっぱり分からなかった。


 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 とにかく時間を稼がなければならない。

 耳を澄ませてみれば、上の方で魔物が叫ぶ声が聞こえている。

 ミュラは大砲の場所には到着したのだろう。

 あとは自分が死ななければいいだけである。


 ヒタリ。


「っ!!」


 柳が一歩歩いただけだというのに、エリーは大きく遠ざかってしまった。

 なんだこの恐怖感は。

 エリーの頭の中でその考えだけがグルグルと渦巻いた。


 一歩、たったの一歩だ。

 彼はそれしか行動していない。

 だというのに、まるで心臓を握りつぶされたかのような錯覚が襲ってきたのだ。

 これが本当の殺気なのだろうか。

 彼であれば、その殺気だけで人を殺すことができてしまいそうだ。


 大きく飛びのいたエリーを見ても、柳の表情は一切変わらない。

 刀を下段に下げ、柄を優しく握っている。

 握っているというより、支えていると表現した方がいいかもしれない。

 それ程にまで、刀を優しく扱っていた。


 柳がまた一歩、歩く。

 ただの錯覚だと分かっていても、恐怖だけは取り除かれなかった。

 刃が体を貫く感触が、伝わってくる。

 だがこれも錯覚だ。

 まだ柳は、間合いにすら入っていなかった。


「フー……ッ、フーッ……」


 冷や汗が止まらない。

 何もしていないのに、呼吸が乱れる。


 木幕はこんな化け物と一度会って、どうして無事で帰ってくることができたのだろうか。

 心底分からない。

 彼は勝てるのか?

 こんな化け物に。

 不安が不安を呼び、ついには疑念を抱き始めてしまった。


 これは実際に対峙した者でなければ分からない感覚だろう。

 恐怖や恐ろしさとはまったく違う何かが、柳には宿っているのだ。

 分かりやすく、端的に言ってしまえばそれは……。


 死。


 死を司る死神。

 相手に生き残るという選択肢を剥奪し、死のみを与えてしまう。

 今の柳は、その言葉が似合う存在であったかのように思えた。


「……ッ!」


 エリーは覚悟を決めて、二振りの小太刀を握りしめる。

 腕はカタカタと震えていて、まともに使えなさそうだった。

 涙がこぼれ始めるが、それを拭い取って前を向く。


 泣いている場合ではない。

 やると決めた以上、無駄な死は師匠が許さないだろう。

 意味のある死は既に作り上げた。

 自分が殺されても、柳がミュラの所に行くまで時間を有するだろう。

 その間に大砲を破壊しておいてくれていれば、こちらの勝ちである。


 勝負には負けるが、戦いに勝つ。

 今取れる選択肢は、それだけだった。


「冷雨流剣術……」

「……ッ!! ぅああああ!!」

「跳ね……っ?」


 弾けるように飛び掛かったエリーの眼前を、鎌が通り過ぎて柳へと迫る。

 刃を斬り上げる方向を瞬時に変更し、鎌を弾いた後にエリーの攻撃を弾く。


 ギャィン! キィイン!

 遠くへ飛んでいった鎌は鎖に引っ張られて持ち上がり、上から落ちてきた女性の手の中へと納まった。

 飛び掛かったエリーも一瞬驚いたが、攻撃はしっかりと繰り出して柳の一撃を退ける。

 真横に飛びのいたあと、地面を滑るようにして後方へ待機する。


「早かったじゃない!」

「水で全部流してきた! 大砲の中に水も入れて火薬濡らしておいたし、凍らせておいたよ!」

「よし!」


 来ないと思っていた増援に、素直に喜ぶエリー。

 ミュラはどうだと言わんばかりに柳を見下ろした。


「……フッ、こっちもやるようだな……では」


 エリーと同じ様に、ミュラにも殺気を浴びせてみる。

 キュッと縮こまった彼女は地面に着地すると同時に後方へ下がった。

 姿勢を低くして鎖鎌を構えているが、カチャカチャと音がしていることから、震えていることが分かる。

 どんな錯覚を感じ取ったかは分からないが、彼女が恐怖するほどだ。

 その殺気は恐ろしく鋭いものなのだろう。


 エリーとミュラは互いに警戒しながら遠回りして近づき、背を合わせたところでようやく一息つく。

 近くに人がいる安心感は、柳の殺気を相殺してくれた。


「な、何あの人……」

「魔王よ……。勝てそうにないわ」

「ミーも……。エリー、よく耐えてたね……」

「まぁ……ねぇ……。でも目的は終わった」

「うん」


 二人は頷いて、窓の方へと走った。


「ぬっ」


 役目は終わったのだ。

 ここに長くいる必要はないし、柳と対峙する必要性もなくなった。

 であれば逃げるのが得策だ。


 ミュラが鎖鎌で窓を割り、二人は一斉に飛び出る。

 すると、ガラスを通って部屋の中へと足を着けた。


「……え?」

「ん?」


 ばっと振り返ってみれば、そこには先ほど割ったはずの窓があった。

 今さっき飛び出したはずの場所から、入ってきたのだ。

 理解するのに時間を有したが、その原因を見つけるのは至極簡単だった。


「どぉ~もぉ~」


 紫色のドレスを身に着けた魔族が、カツカツと音を立てながら歩いてきていた。

 柳は彼女を見て鬱陶しそうに目を背けたあと、刀を納刀して去っていこうとする。


「柳様。ここはわた──」

「勝手にするがいい」

「はーい」


 その言葉を最後に、柳はふっと消えてしまった。

 残っているのは女性の魔族だけである。


「あんた……」

「私はメルアナよ」

「お前がやったんだなー? 出せ!」

「出すわけないじゃない」


 まぁ当然かと思いながらも、二人は構えを取る。

 こいつであれば柳と戦うより勝機があるのだ。

 二人であれば、何とかなるかもしれない。


 逃げ出せなくなった以上、この魔族を倒さなければ脱出することはできないだろう。

 二人は息を合わせて、メルアナに飛び掛かった。

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