10.69.静かな鼓舞


 さすが魔族領と言えばいいだろうか。

 奥に進むにつれて、厄介な魔物が多く飛び出してきた。

 だがこちらは数がいるので、そのほとんどを倒して逆に食料にしているのだが……襲撃の回数が多くて兵士たちが疲弊し始めている。


 危険な場所なのでそういうことは当たり前なのだが、高かった士気もこの一ヵ月で随分と落ち込んでしまったように思えた。

 幸い、マークディナ王国の兵士だけは先の大戦でいなかったため、これからだと意気揚々として最前線を勤めてくれている。

 何処かでしっかりとした休息を与える必要がありそうだったので、今は全軍が腰を下ろして休んでいる最中だ。


 度重なる襲撃で被害も出ている。

 この土地に住む魔物は強い人物を狙う傾向があるのか、人間軍の中でも屈指の強さを誇る者の前に出て来ることがほとんどだった。

 その巻き添えになっているのが、今の怪我人である。

 数名の死者も出ていた。


「なーんで私のところには出てこないのかしら……」

「み、水瀬さんって結構……」

「うん。意外」


 テトリスとティアーノが意外そうな目で水瀬を見る。

 穏やかな表情を持つ彼女からは想像もつかない言葉が出てきたことに驚いた。


 どうやら敵を一度も倒せていないことに不満を持っているらしい。

 道中でも戦いたいのかと、その言葉を聞いた者は呆れるだろう。


「貴方たちは違うのかしら?」

「まー……私は別に……」

「楽ができればそれでいい」

「張り合いがないわねぇー。はぁ、大人しくさせておくには勿体ないのよ。水面鏡は……」


 そう言いながら、水瀬は二振りの日本刀の鍔を指で弾く。

 キンッという音を立てた。


「そういえば」


 水瀬がティアーノに近づく。

 顔を見て、首を傾げた。


 急に変なことをする人だなと、ティアーノは少しびっくりして若干引く。


「貴方、師匠が死んでも結構平然としてるわよね」

「知ってたの」

「まぁあの人すごく強かったし、少し聞けば貴方が弟子だったってことくらい分かるわよ。バネップさんが否応なしに兵士を連れまわすから、考えを言える場なんてなかったし……。皆どういう考えで今のこの戦争に立ち会ってるのかなって気になっただけ」


 休憩して静まり返っている場所で、水瀬の言葉は良く響いた。

 周囲にいるのは孤高軍とリーズレナ王国の兵士。

 彼らもその言葉を聞いて、今一度深く考えようとしている様だ。


 だがそんなに難しい話ではない。

 魔王軍を倒すために招集されたのがここに居るメンバーなのだから、それを実行するだけ。

 そう言う単純な考えを持つ者は冒険者に多かった。

 だが騎士やそれなりに腕のたつ者は、今の状況を深刻そうに考えている。


 ローデン要塞での戦いでは、味方兵士が半数以上減ってしまい、魔王軍は半分も削っていない。

 地の利で有利を取っていた人間軍が、今は魔族領に進軍している。

 敵の有利を増やしてしまっただけではないのかと、難しい顔をしている者も複数名は存在した。


 水瀬は図らずも、味方の士気を下げてしまう発言をしてしまった。

 不利な状況をひっくり返せるような奇策があるから、進軍していると信じている者もいる。

 神に祈り続けながら歩いている者もいた。

 そんなものに頼らなければならない程に、今彼らは疲弊し、士気を失い始めている。


「勝てるのか……?」

「知らないよ。でもま、ここで俺たちが行かねぇと……もっと被害は出るだろうしな……」

「死ぬのかなぁ。この戦いで」

「ま、まぁ何とかなるっしょ!」

「……」


 兵士たちが、ついにそんな会話をし始めてしまった。

 水瀬は「あらら?」と言って少しバツの悪い顔をしている様だ。


「男のくせに気が弱いわねぇ……。死に誉を見出せばいいだけなのに」

「そんな考えを持っている人物なんて、この辺にはいないわ」

「そうなの?」

「それにね」


 ティアーノは水瀬を睨みながら、舌を打つ。


「師匠の死を無駄にする弟子なんて、いないのよ」

「分かってたのね」

「当たり前。バネップ様は消耗しているはずの魔王軍を追撃しなければ、この戦いに価値はないと見込んだ。それはあの木幕も同じだろうけどね……」

「ご明察。魔物はすぐに集められるけど、人間はそうじゃないからね。ほーら、あんたたち」


 水瀬は意気消沈し始めている兵士たちに向かって、手を叩いてこちらに注意を向かせる。


「貴方たちがどこの兵士か知らないけど、誰にだって一人くらい守るべき者がいるでしょう? 私たちが負けたら、その人に被害が出るって思いなさい。自分のことばっか考えてちゃ駄目よ」


 消極的になると、どうしても逃げの方向にばかり思考が偏ってしまう。

 帰りたい、家族に会いたい、子供に会いたい。

 それは当然のことだろう。

 だからこそ、一番重要なことを忘れてしまいがちだ。


 ここで魔王軍を止めなければ彼らにも被害が出る。

 守るべき者がいるから、彼らは戦場へと赴き、こうして手に武器を取っているのだ。

 その意味を今一度水瀬は再確認させる。


 長い戦い、長い旅、幾度となく続く奇襲に心身共に疲れているのは分かっていた。

 だがそれを乗り越えて戦わなければならない理由がある。

 それはどんなの時代でも、どんな世界でも同じことだ。


「ま、私に守るべき者はいないけどね」

「じゃあ何でこの戦いに?」

「決まってるじゃない」


 水瀬は両手を合わせて、首を傾げた。


「強い敵と、戦いたいから」

「……台無しね……」

「そうかしら? ここにも守るべき者がいない人はいるわ。そんな人はどうするか……」


 にこにこと笑いながら、水瀬は兵士の顔を見る。

 彼らは次に彼女が言う言葉を気にしている様だ。

 こんな事は柄ではないのだが、自分が士気を落としてしまった手前、落とし前は付けなくてはならない。


 小さく頷いてから、水瀬は言葉を続ける。


「やっぱ男なら、強くなりたいわよね」

「それだけ……?」

「これだけあったら戦う理由としては十分よ。まだ人生長いんだから」


 そう言いながら、水瀬は手を振ってその場を離れていった。

 休憩中は敵が現れないかを期待して、いつも歩き回るのだ。


 そんな彼女を見送った兵士たちは、若干の呆れを感じていた。

 だが水瀬の言った言葉は誰の心にも突き刺さり、静かに鼓舞していたらしい。

 忘れてしまっていたことを、思い出したのだ。


 各々が守るべきものを、守り抜く。

 消え始めていた士気が、だんだんと湧き上がっていることに気付くのは、休憩が終わった後だった。

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