10.39.一騎討ち


 最前線にいる兵士は、西形と距離を取っている。

 さすがに手懐けているとはいえ、強敵であるレッドウルフに近寄るのは憚られるのだろう。

 だがこれは好都合だと、西形は思って軽い笑みを浮かべた。


「独壇場、ってやつだね」


 鞍なしでレッドウルフに跨り、足の力だけで胴体を支える。

 これが懐かしい。

 祖父である西形幸道は、騎馬術にも優れていた。

 彼は鞍なしで馬に乗ることができ、それを孫である正和にも教え込んでいたのだ。


 その理由は単純明快。

 どんな状況でも鋭い突きを繰り出すためだ。

 これを何度も何度もやらされ、馬に怒られては逃げられたりもしたものだ。


 思い出してまた笑みがこぼれる。

 あの頃は使えないだろうとは思っていたが、まさかこんな所で使うことになるとは。

 身につけたものは、決して無駄にならない。


 しかし、馬と狼では横幅が違う。

 それにこのレッドウルフは馬よりも大きく、骨格もずっしりしていていつもより股を広く広げなければならなかった。

 この状況は予想していなかったが、特に問題はなさそうだ。


 適応力。

 それが西形の一番の強みであった。

 どんな状況であっても突きを繰り出すのに一番最適な状況を作り出す。

 足場が悪くても、怪我をしていても、味方が矢に射抜かれても、この一閃通しは突くことに関しては一切の妥協を許さない。

 それを一番許さないのは槍ではなく、槍を手に握る本人だ。


 それ故の適応力。

 全てを妥協し、自分が持てる最大限の力を発揮できるように理解する。


「よーしっ!」


 西形は手に持っていた一閃通しを頭上で一度回転させ、右下段に構える。

 左手はしっかりとレッドウルフの毛を掴んでおり、振り落とされることはない。


 じっと正面を睨んでみると、敵の先手大将らしき魔物がこちらへと突っ込んできていた。

 一騎討ちができる。

 一閃通しを握る手に力を入れてから、足に力を入れて体勢を低くした。


「レッドウルフ、行け」


 馬を動かす時と同じ様に、両足を胴体に叩きつける。

 意図を読み取ったのか、レッドウルフの一匹が軽く走り出し、次第に速度を乗せて行く。

 相手方もこの一騎討ちを望んでいるのだろう。

 後方からの増援はない。


 これは相手の総大将が同郷の者であるためだろう。

 この世界の常識からすれば、こんな事はしない。


 だが先手大将に選ばれるということは、それなりに力を有している魔物だと思うのが良いだろう。

 気を引き締めて前を見るが、西形は常に笑っていた。

 どうしても口角が上がってしまう。

 鋭く冷たい風が、笑いを腹の底から這いあがらせている様だ。


 次第に敵の姿が鮮明に見え始めた。

 どうやら敵は馬のような魔物に乗っており、同じ様に槍を携えている。

 だが自分の持っている物よりも大きい。

 馬もレッドウルフより大きく、乗っている魔族もそれに合わせて大きかった。


 硬そうな鎧を身に着けており、それががっちゃがっちゃと音を立てている。

 巨大な体躯、武器、馬。

 どれをとっても西形には劣っていない。


「上等」


 だが西形は負ける気など微塵もなかった。

 状態を起こし、足の力だけで上体を支えて両手で槍を握る。

 片鎌槍の位置を調整し、相手の首を吹き飛ばす向きに整えた。


「やぁやぁ!!!! 我こそは!!!!」


 まだ遠くだというのに、耳に届くその声量。

 吹雪、足音、鎧の音で普通は聞こえないだろうというのに、その声は鮮明に聞こえた。


「生光流槍術次期師範代、先手大将、西形正和!!!! 敵方先手大将とお見受けする!!!! 一騎討ち願おう!!!!」

「っ! ぅおおおおおお!!!!」


 敵方先手大将も、こいつが柳の言っていた奴かと気付いて声を上げる。

 絶対に殺してこの戦に貢献してやろうという意気込みが見て取れた。


 それでいい。

 西形はシュバッと一瞬で騎乗術での構えを取り、相手の首を見据える。

 高い。

 位置が高すぎるが、それはこのレッドウルフに完全に任せることにした。


 これは自分だけの戦いではない。

 馬も真剣に戦ってくれている。

 今回は狼だが、馬と同じほどの知性は持っているだろう。


「頼んだよ!」

「グルァア!」


 双方の距離は次第に狭まっていく。

 馬と狼は雪を踏みしめて速度を増していき、どう動けば相手を討ちとれるのかを思案している。

 乗っている兵士も同じだ。

 移動先を予想してどのタイミングで突きを繰り出すかを考える。


 相手の速度、自分の速度、間合いに入る時間。

 感覚に頼ることにはなるが、こういう感覚は馬鹿にならない。

 自分の勘を信じ、間合いに入るのを今か今かと待ち、構える。


 ドダダダッ、ドダダダッ!

 タタトッタタトッ。

 馬が雪を巻き上げながら近づいていき、狼は踏みしめて飛ぶように走っていく。

 その振動、歩幅。

 全て吟味して最高の間合いを見つけてそこを突く。


 集中。

 既に肌に突き刺さる寒さは消えていた。

 肌から伝わるのは服が風になびいて擦れる感触と、狼が走る振動のみ。


 集中。

 風の音も消えて行く。

 水の中にいるような感覚に陥った。

 息を止め、目を凝らし、焦点を合わせる。


 集中。

 間合いが迫ってきた。

 だがまだだ、まだその時ではないと頭の中で体に指示を出す。

 敵の間合いに入ったその時、西形はぐっと全身に力を入れた。


 ビョウッ!!

 敵の鋭い突きが西形とレッドウルフに向けて繰り出された。

 風を切る程の鋭い突きだ。

 どんな鎧でも貫通させることができるものだ。


 だが、当たらなけれ意味がない。


「!!?」


 繰り出された槍の先に、レッドウルフはいなかった。

 ではどこにいるのかというと……。


「どこを狙っている」


 上空。

 レッドウルフは突きが繰り出される数瞬前、跳躍して西形を敵の首が狙える場所まで飛んだのだ。

 一切の移動ができなくなってしまうが、その為に向こうに先手を譲った。

 突きを繰り出してしまえば、あとは通り過ぎるほかなくなる。


 勝機。

 足に力を入れてがっちりとレッドウルフを挟み込む。

 腹に力を入れ、息を一瞬ですべて吐ききった。

 重心をまっすぐに、肩で槍を振るうようにして……突く!!!!


「一閃通し!!!!」


 ガッズバチッ!!

 上空に吹き飛んでいった小さな塊。

 それは暫く空中に滞在していた。


 放物線を描いて着地したレッドウルフは、走っていた勢いを次第に弱めていく、最後に後ろを振り返る。

 西形は槍を下段に降ろして敵を見た。


 ボスッ、と上空から落ちてきた塊が、虚しく雪の中へと沈んでしまう。

 馬の上に乗っていた体は、ふらふらと態勢を立て直そうとしていたが、最後には力なく倒れて馬だけが何処かへと走って行ってしまう。


 それを見ていた孤高軍最前線部隊の面々が、大きな歓声を上げた。

 あれだけの大きな魔族を一瞬で屠ったのだ。

 自分のことではないが、それを見れば誰でも士気が上がるだろう。


 先手大将の役目はまさにこれだ。

 初手はこちらが一本取った。


「さぁ、来るぞ来るぞ」


 魔物にそんな感情がある訳がない。

 ようやく素直な殺意が近づいて来る。


「戻るぞレッドウルフ!」

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