10.18.アテーゲ領の海賊たち


 アテーゲ領へと近づくにつれて、風が強くなっているような気がしていた。

 ここは障害物がほとんどない海沿いだ。

 容赦なく吹き付けてくる潮風が冷たい。


 マークディナ王国から離れていくにつれて、今の季節に相応しい気候となってきた。

 強い風も相まって、誰もが外套を魔法袋から取り出す。

 しかし槙田だけは平然としているようで、いつもと同じ服装で御者を担当してくれていた。


 あれから一週間。

 一行はアテーゲ領へと到着することができていた。

 悪路が続く場面もあったが、そこはフレアホークの馬力で無理矢理突破する。

 だがやはり無茶をしてしまった為に、馬車は既に壊れて現在は徒歩での移動だ。

 今回は休憩中に動かなくなったことが確認できたので、怪我人はいないし危ない場面もなかった。


 もう少し頑丈な馬車があればいいとは思うのだが……そう上手くは見つからないだろう。

 作ってもらうのは時間が掛かるし、こうして使い捨てしていった方がいいはずである。

 幸い金はあるのだ。

 問題はない。


 因みにだが、やはり魔物を領地に入れることは憚られるため、槙田とフレアホークの閻婆は外で待機させえている。

 不服そうにしていたがそこは我慢してもらった。


 広い海を見ながら、水瀬は懐かしむようにして呟く。


「私はこの海から出て来たんです」

「……へ?」

「蘇った時、何故か海の中にいたんですよ。そこで弟と合流しました」

「ちなみに僕は空から落ちて来たよー。これ前にも言ったっけ?」


 そんな事を聞いたような気もする。

 とはいえ、死んだはずの人物が蘇っている事自体がおかしいのだ。

 彼らが何処から出てきたとか、落ちてきたとかは別に驚かない。


「さて、着いたぞ」


 木幕は一つため息をついてから、アテーゲ領を眺める。

 相変わらず多くの船が港に停泊しており、様々な物資を運搬している様だ。

 どこもかしこも忙しそうにしている。

 これもあの時と同じだ。


 この辺りは潮の匂いが強い。

 そういえばここで釣りをしようとも思っていたのだが、すっかり忘れていた。

 このような状況でなければ、のんびりと釣りでもしていたい。


「師匠、これからどうします?」

「まずはデルゲンに会いたい。もしくはテガンだな」


 ファカシム海賊団筆頭、デルゲン・ファカシム。

 彼に会うことができればすぐにでも話を始められるのだが、パッと見る限りこの港に彼の船は居ない。

 向こうの沖ノ島まで行くつもりはないので誰かに言伝を頼みたいところだ。


 そこで思いつくのはトルティー号の船長、テガン・ラクモラ。

 海賊に物資を運搬する仕事を任せられている人物だ。

 船は一度乗っているし、顔もしっかりと覚えているので視界内に入りさえすればすぐにでも分かるのだが……。


「居ないな」

「まぁお仕事でしょうからね」


 一つ一つ船を確認してみるのだが、何処にもトルティー号は停泊していない。

 沖ノ島へ物資を運んでいるのであれば、今日中には一度帰ってくるだろうが、それまで待つつもりはなかった。

 木幕たちは先を急がなければならないのだ。


 だが、このアテーゲ領が魔王軍に対してどう動くのかを確認できないというのは心残りとなる。

 情報がなければ、あの空間で思案している者たちが困るだろう。


「ふむ……。西形、水瀬、エリー。お主らは馬車の準備を頼めるか?」

「分かりました。木幕さんたちはどうするのです?」

「お主らが馬車を準備するまで、調べ物をしてみることにする」

「なるほど。ではこちらはお任せください。行きますよ」


 水瀬の言葉に頷いて、二人は彼女に着いていった。

 この時間で出来る限りの情報を収集しておきたい。


 そういえば、ここには一人の職人がいる。

 彼女を当たってみれば、何か聞くことができるかもしれない。


「よし。レミ、スゥ。あの木工細工師の所へ行くぞ」

「師匠の小太刀と小刀の鞘を作ってくれた人ですね?」

「っ!」


 エティ・ティアルナ。

 鞘を作るのにあたって、彼女とは何度か顔を合わせている。

 とはいえ石動と会話するだけで、木幕たちはあまり話をしていない。

 仕事熱心な性格なのか、職人同士でしか話をしているところを見たことがなかった。


 今彼女が何をしているかは分からないが、恐らく同じ場所で作業をしている事だろう。

 しかし知っている事は少ないかもしれない。

 とはいえこの国がどう動こうとしているか、もしくは変わったことなどを聞けば問題はないだろう。


 エティの作業場は一度石動と一緒に訪れたことがあるので分かっている。

 木幕は迷うことなく、まっすぐに歩いていった。

 それにレミとスゥがついていく。


 曲がり角を数回曲がり、看板の立てられている酒場を目印にして、そこから数件を跨いだ先に彼女の作業場はある。

 大きな小屋とは言えないが、細工師であればこれで十分だ。

 しかし……ここで予想外な展開が発生した。


「止まれ」


 作業場に到着した木幕たちを待ち受けていたのは……数十人の兵士だった。

 何故こんな所に兵士がいるのかと、木幕たちは首を傾げる。

 エティが何かをしたのだろうかと心配をしたが、中は非常に静かであり、不気味であった。


「何かあったのか」

「部外者には関係のないことだ」

「そうか。だが某はこの家の主に用がある」

「今は駄目だ。日を改めろ」

「それこそ無理というものだ。今日でなければならぬ理由がある」

「ではその理由を言ってみろ」

「さて、部外者には関係のないことであるな」


 一人の兵士は木幕に言い返されて少しむっとした表情を浮かべた。

 それが少し可笑しかったレミはクスクスと笑う。

 自分は言うだけ言って、言われ返されて意地になるのは面白い。

 木幕と同じ様に軽く受け流せばいいだけだというのに。


 しかしこれでは埒があきそうにない。

 どうにかしてエティと合流することができればいいとは思うのだが、彼女は恐らくこの作業場にいるはずだ。

 ここを無理やり通るわけにもいかないし、さてどうしようかと考えていると、家の扉が開いた。


 そこからは白を基調としたすらっとした体形の女性が現れる。

 服には多くの黒いボタンが留められており、腰には太めのベルトが巻き付けられていた。

 紐でぶら下げるようにして吊るされている剣は無駄な装飾が多く入っているように見える。

 どう見ても実用的ではないが、見てくれだけは良い。


 表情は硬く、何をするにしても冷静沈着な姿を連想させる。

 丸眼鏡越しに木幕たちを見た彼女は、不思議な表情をして何かを思案しているようだった。


「……さむらい?」

「えっ? え、師匠? 今の聞こえました?」

「うむ」


 確かに彼女は「侍」という言葉を発した。

 それは間違いない。


 木幕たち三人の反応を見て確証に変わったのか、彼女は近くにいた兵士を押しのけて木幕の腕を掴む。

 目をキラキラとさせながら近づいてきた彼女の印象は、先ほどとはうって変わって優し気だ。

 印象の変わり様に木幕は若干動揺する。


「貴方はさむらいなのか!」

「……ま、間違いではないが……」

「本当か!?」

「本当だが……」


 なんなんだこの女はと思いながら、木幕は握られていた手を振り払う。

 だがそれに嫌な顔一つすることなく、彼女は兵士を下がらせた。

 どうやらそれなりの権力のある人物らしい。


「ナルス様! ナルス様ぁー!!」

「おいレミ。なんだこいつは」

「私が知る訳ないじゃないですか……初対面ですよ……?」

「っ……」


 あのスゥでさえ、彼女の反応に引いている。


 作業場の中へと飛び込んでいった彼女は、誰かを連れて来た様だ。

 その人物は随分と老齢である。

 出て来た瞬間、彼の貫禄に押されはするがそれはレミとスゥだけだ。

 木幕は至って平常であり、彼と同等の盤面に立っている。


 それを見た老人は顎を撫でた。

 鋭い目つきが柔和になり、目を輝かせる。


「……懐かしい……その出で立ち。あの時に出会った侍と、同じものだ……」


 彼はコツコツと持っている杖を突きながら、木幕に近づいてくる。

 身長は見上げなければならない程に高い。

 背も真っすぐと伸びており、老齢ではあるが力強さが未だに燻っているように感じられた。


「少し、話はできるだろうか?」

「某は構わぬが、お主は誰だ」


 木幕の言葉に、周囲がピリつく。

 だが兵士が何か言ったり、動いたりする前に老人が目を鋭くさせて彼らを睨む。

 向けられている目は一人の兵士だというのに、数十人の兵士が見られていると錯覚した。

 動きが止まったのを確認した後、老人はコツンと杖で地面を突く。


「私はこのアテーゲ領の領主、ナルス・アテーギアである。若き侍よ。其方の名を聞いても良いだろうか」

「某は木幕善八だ。この地の領主とは思わなかった。無礼を許して欲しい」

「なに、些細な事に私は指摘をせんよ。其方もいつも通りに話してくれてよい」

「ありがたいが、これが素なのだ」

「では気遣い無用といこう。話が聞きたいのは私だからな」


 木幕としてもそれはありがたい申し出だ。

 彼はこのアテーゲ領の長であり、魔王軍のことについても知っているはずである。

 どう動くのか、聞いておきたい。


「某もナルス殿と話がしたいと思っていたところだ」

「それは嬉しい話だな。ふむ、本当であれば場所を設けるべきなのだが……」

「この家の主、エティに用がある。この場でも構わぬぞ」

「では家主の許可が必要となろう。エティや。良いかな?」

「は、はははは、はい、はい! だだっだいジョウぶ、でっす!」


 正座をしながら小刻みに揺れている彼女の姿が目に映った。

 許可を得た二人は、家の中へと足を踏み入れる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る