10.19.予定経路
中に入ると木材の匂いが立ち込めていた。
この世界特有の匂いだが、悪くはない。
ナルスも気にはしていないどころか、楽しんでいる様だ。
相変わらず座る場所は見当たらないが、エティが速攻で道具をどかして何とか座れる場所を作っていく。
前にも似たような光景を見たので木幕は気にしていない。
領主であるナルスもそれを気にしていないようだったし、何なら作業場の真ん中にどんを腰を下ろした。
それがエティやレミには意外であったらしく、目を見開いて驚く。
彼は貴族に位置する立場でもある為、平民と同じ目線で話をするということに違和感しか持てなかった。
エティは慌てて椅子を探す。
「ななっナルス様!? えっと、あっと……!」
「気にするな。私はこれでよい」
「変わっているな」
「押しかけたのは私だからな。招き入れてくれただけで私はいい。それにここではエティの方が立場は上なのだよ?」
「む、むむっ無茶言わないでください……」
小刻みに震えながら、エティは正座をして座り込む。
さすがに領主を前にして横柄な態度を取るわけにはいかないし、こんな所に来るなど想像したこともなかったので何も用意はできておらず、ただでさえ心苦しい面持ちなのだ。
これ以上の醜態を晒さないようにするのが、今の精一杯である。
全員が何とか座る場所を確保したところで、まず木幕が口を開いた。
「しかし領主がエティの所に来るとは……どういった風の吹き回しなのだ?」
それにエティはコクコクと頷きまくる。
彼もまだここに来たばかりであり、来た理由を知らないのだ。
タイミングが悪かったのか良かったのか……。
ナルスはまずそれから話すべきかと頷いて説明を始める。
「エティが鞘を作ったと聞いたのだ。それは反りがあり、片刃の剣を納めるためのものであると」
「これであるな」
木幕はエティが作った小太刀と小刀を取り出してその鞘を見せる。
小太刀の鞘は黒い漆のような光沢があり、小刀は木材の色を前面に出した白色だ。
さすがに小刀の鞘に反りはないが、中の作りはほとんど同じである。
それを見たナルスは、顔を寄せてその姿をまじまじと観察した。
「おおぉ……。私が過去に出会った侍が持っていた物とまったく同じだ……。良い技量を持っているな、エティ」
「あ、有難うごじゃいます!」
「ナルス殿も、某ら侍のことをよく理解している。触れずに見るということを、他の者はしないだろうからな」
「かははは、一度それでこっぴどく怒られたことがあるのだ。其方らの武器は魂の片割れなのだろう?」
「フフ、ナルス殿が出会った侍は、強かったと見受ける」
「指一本触れることができなかったな」
ナルスはあの時のことを思い出す。
若気の至りで領地を騒がせている人物を捕まえようとしたら、逆に捕まって領主とは何たるかと一日中叩き込まれたものだ。
まずは価値観の違いに驚かされた。
そして人の心とはどう動くのかも教えてもらった。
領民が付いてきてくれるような人物でなければ、上に立つべきではないとまで言われたのを今でも覚えている。
当時も領民を想う気持ちは勿論あったと思う。
だが異国から訪れた彼の方が、自分より何倍も領民のことを理解していた。
それが悔しく、羨ましく、尊敬に値した。
「彼のようになろうと努力したが……さて、私は今領民にどのように映っているだろうか?」
「その人物の名は?」
「
「面白い名だな」
一番面白いと思うのは、慟哭という名だ。
声を上げて激しく嘆き泣くことを意味するのだが、それを刀の名にするということは……手前についている流々は涙を表しているのかもしれない。
そして次に来る無切という文字。
刀であるのに何も斬ることがないことを定められた刀だったのかもしれないと、想像を付けることができる。
金重というのは刀匠の名前だろう。
悲しい刀も存在する。
刀匠はどういった気持ちでその刀を打ったのだろうか。
石動になら分かるかもしれないが、自分には分らなかった。
「えっと……ナルスさんは、侍と会いたくて、手掛かりを探していたんですか?」
「そうだ。……其方は……」
「あ、ごめんなさい。私はレミです。この子はスゥ」
「っ!」
「喋ることができないのか?」
スゥはそれに頷く。
だが文字を書くことはできるので、それで挨拶をした。
ナルスはそれに感嘆する。
「ほぉ、旅の子供が文字を……。勤勉で結構なことだ」
「さて、盛り上がっているところ申し訳ないが、某の話も聞いてもらって良いだろうか?」
「うむ」
そろそろ本題に入りたい。
こちらは時間がないのだ。
会話を無理やり区切ってしまったことを申し訳なく思いながら、木幕はナルスに話を聞く。
「ナルス殿の治めるアテーゲ領は、魔王軍との戦い……どう参戦するのかを聞かせていただきたい」
「もう決まっておる」
ナルスは隣にいた従者に向かって手を差し出す。
その意味を理解していた彼女は魔法袋から一つの地図を取り出し、それを手渡した。
広げた地図を床に置き、木幕へ見せる。
「私たちは海上から兵を動かし、魔王城へと向かって直接叩く」
「ローデン要塞には来ないということか」
「うむ。魔王軍は人間にとっての敵である。この戦いに参加しない国は居ないだろう。だがアテーゲ領は陸上部隊がほとんどいない。居ないというわけではないのだが、得意とするのは海上戦だ。それに海を渡って行けば魔王城があるのは既に掴んでいる……。ローデン要塞へ魔王軍が出兵しているのであれば、守りは少なからず減っているはずだ。私はそこを狙う」
ナルスは地図で航路を指で示しながら木幕に説明した。
アテーゲ領から南に出航し、すぐに南東へ向かう。
そこから東へと進んでいけば、ライルマイン要塞を遠くに見ることができる。
更にそこから東へと進めば、魔族領へと入ることができるらしい。
だがやはり海での航海は危険を伴う。
海中に棲む魔物を凌ぎつつの航海となるのだ。
難易度は高いし、目的地までの到着に時間もかかってしまう。
なのでこれから一ヵ月の間、万全な準備をしての出航となる。
この領地が保有する兵力のほとんどを向かわせるつもりらしい。
「国の危機、世界の危機。だというのに兵を出し渋るなどあってはならんことだ。私も出るつもりだが……前線は任せることになる。二ヶ月ではこれを伝えることはできん」
「お主の意志は分かった。後は某が前線で奴らを迎え撃とう」
「……なるほど、其方がやはりあの侍と戦うのか」
「あの方は、某の主だったお方だ」
「……そう、か」
ナルスはそれしか言葉を続けることができなかった。
だが木幕は同情されたくて教えたわけではない。
「勝たねばならぬ戦だ。些細な事である故、気にするな」
「何が些細な事か。強気に振舞う必要はない。一番辛いのは其方の筈だ……」
「心配無用だ。某ら侍は、戦いの中で語り合う。それであの方の胸中を計り知れるだろう」
「はぁ……。私は其方のことを案じているのだ。敵のことではない。だがそこまで言うのであれば、納得する形を見つけ出すと良い」
ナルスは嘆息する。
彼らはいつもそうだった。
自分のことよりも、他者を優先したがる。
やはり価値観が違うのだ。
何を言っても無駄だろうと思ったナルスは、これ以上言葉を続けるのを止めた。
自分にはそこまでの権限はない。
そこでナルスは話を戻す。
「ローデン要塞での開戦後、二ヶ月を掛けて魔王城へと進軍する。魔王城は海からは少し距離があるので、移動に時間が掛かるのだ」
「相分かった。では開戦より二ヶ月までに、某らの兵も魔王城へ進軍しよう」
「距離からすれば陸を歩く方が速い。魔族領は雪が降らない代わりに雷がよく落ちる。気を付けよ」
「肝に銘じておく」
木幕は立ち上がる。
それを見たレミとスゥも慌てて立ち上がって、外へと向かう木幕を追った。
部屋に残された三人は、彼らを見送る。
終始キョトンとしていたエティが、ぼそっと独り言を言う。
「あの人なんでここに来たんだろう……」
「分からないか?」
「わ、分かりませんよ……」
くつくつと笑いながら、ナルスは答えを教えてくれる。
「私に聞いたことすべてを、エティに聞こうと思っていたのだろう」
「えぇ!? いや分かりませんて!」
「今は彼と繋がりのあったデルゲンやテガンは戦争の準備で忙しい。見知らぬものに戦争の話を聞いても教えてはくれないだろう。だから鞘を作ったエティを訪ねたのだよ。私がいたからすべての問いをこちらに投げた様だがな」
ナルスは丸めた地図を従者に渡す。
静かに魔法袋へ仕舞い、また姿勢を正した。
「アーヤは、どう思う?」
「はっ。彼であれば、同時期に魔王城へと兵を運ぶことでしょう」
「根拠はあるか?」
「はい。彼は魔王のことを知っておいでです。であれば、戦い方も知っているでしょう。相手の性格、そして地の利、更にあのカリスマがあれば、何とかなるかと」
「最後は曖昧だな」
「確証はございませんので」
丸眼鏡の位置を直し、また背を正す。
彼女の言うこともまた正しい。
だが信じなければ、こちらも勝てない。
彼らが魔王城へほぼ同時刻に来てくれることが、勝利条件なのだ。
ナルスは、彼の勝利の報告を魔王城で目撃したかった。
侍との共同作戦。
絶対に失敗することは許されないと心に誓い、立ち上がる。
「血が滾る」
海王ナルス・アテーギア。
彼の持っていた最強の船が、動き出そうとしていた。
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