第十章 魔王

10.1.王座にて


 黒い曇が空を覆い、雷が轟く。

 一つの落雷が獣に当たるが、それが心地がいいという風にギャッギャと騒いで鱗が輝いた。


 おどろおどろしい紫色の川が流れ、遠くの方では青色の火山が噴火しているようだ。

 岩や土ばかりの荒野では弱肉強食の世界が広がっている。

 よくこんな場所で生活ができるなと感心しながら、一人の男性が窓の外を眺めていた。


 辺鄙へんぴな場所ではあるが、こんな所でも人は生活している。

 とはいえ人外に属する部類に入る者たちではあるが、会話が成り立つので人と認識しても問題はないだろう。

 そしてここの生活の住居となっているのは、巨大な城である。

 様々な姿をした兵士たちが巡回を行い、従者が食事や生活を手助けしたり、戦士たちが己の力を磨くために実戦形式の稽古を何度も行っている場所だ。


 多種多様の者たちはそれぞれ個性も異なっており、面白い技などを披露してくれる。

 可愛らしく、面白く、そして心強い家臣と兵士たちだ。


 優しげに笑った男性は、用意されていた紅茶を飲む。

 本当であれば緑茶が飲みたいところではあったが、こんな所で贅沢は言っていられない。

 しかし彼の口には合っていた様で、二度ほどのお代わりを侍女をしてくれている者に要求した。


 こうして生身の人が食べられるものを提供できるのも、彼らのお陰だ。

 少しばかり遠くに行かなければならないが、ここより良い土地がある。

 そこでは様々な農作物などを育てているらしく、こうしてこの城に貢物として持ってきてくれるのだ。

 なんともありがたい話である。


「ふぅ……」


 一息ついたところで、手元に用意された資料を眺める。

 自分が書いた文字なので読むことは可能だ。

 だがこれを完成させるのに多くの時間を要してしまった。

 必要な事なのではあるが、準備に酷く時間が掛かったのは不甲斐ない。


 そこにはこの城周辺の地図と、世界の地図がある。

 違う資料には兵士たちの個性や適性を記したものが整えて置かれていた。


 椅子に座る彼は、机に一振りの日本刀を立てかけてその資料とにらめっこをする。

 長い時間をここで過ごしたが為に、髪は長くなっており後ろで流していた。

 剃り上げていた前頭部にも髪の毛が生え、今ではここに居ても違和感はない。


 青と藍色が混じった和服を着て背筋を正している。

 それだけ見ても優雅な姿だと誰からも認識されるだろう。

 顔だちもよく、なにより優しそうな表情が声をかけてくる者の緊張を和らげてくれるようだ。


「ティッチィ!! あぶねぇだろうが!!」

「ひゃわわわわっ! ごご、ごめんなさぁい!」

「……」


 廊下から怒鳴り声が聞こえてきた。

 これはまた彼が後輩を虐めているのだろう。

 やれやれと思いながら、男は立ち上がって扉を開けた。


 廊下にいたのは茶菓子を持ってこようとしていた小さな子供だ。

 大きなお盆を小さな体で持ち運ぼうとしている姿は愛くるしい。

 しかしこの子には普通とは違う点がいくつもあった。


 まずは瞳だ。

 この子の目は赤く、そして黒い。

 真っ赤に輝く明るい赤色の周囲に、どす黒い色が漂っていた。

 色白の肌が故に、その目は良く目立つ。

 そして黒色の髪の毛からは二つの歪な赤色の角が生えていた。

 二度、三度折り曲がっているその角はバランスよく左右対称に並んでいる。


 子供っぽいとは言えない服を着ており、丈は異様に長い。

 もう少しで地面に着いてしまうのではないだろうかと思う程だ。

 その白いマントのような服は袖や襟にもこもことした羽毛が縫いつけられている。


 慌てた様子でこちらに走ってくる子供を見つけて、男は声を掛けた。


「ティッチィ。止まりなさい」

「ひょわわっ! や、やなぎ様!?」

「君ならできるから、まずは落ち着いてゆっくりと運びなさい。どうしてお盆を目の位置に上げてしまうのか。もう少し下げるといい」

「わぁ、前が見える……」

「何言ってんだこいつ……」


 その後ろから呆れたように頭をガシガシと掻いて歩いてきた、巨漢の男が呟いた。

 肉体美を表に表したいのか、半裸で筋肉質の腕にはいくつかのリングが取り付けられている。

 下の服は口の大きいズボンであり、非常に体を動かしやすそうだ。


 短髪の黄色い髪の毛には一本の黒い角が生えていたが、本来は二本あったらしい。

 その証拠に片方の角が折れている。

 鋭く屈強そうな顔を持つ彼は、一見すればただ恐れられるだけだろう。

 しかし、意外と話の分かる人物である。


「ダルガや。新入りを虐めるでないよ」

「いやいや柳様。お言葉ですがこいつが俺にぶつかってきたんですよ?」

「だとしてもだ。それでは自身の器の小ささが露見するだけだぞ? 小さなことに怒鳴り散らして何が解決するというのか」

「少なくとも、俺はスッキリするが」

「……お主は他者を気遣えるようになることを目指すがいい」


 ダルガはこういった人物だ。

 言いたいことを素直に言う性格。

 時と場合によっては良い印象を相手に感じさせることも可能だろうが、こういう場面では後手に回る。

 これを操れるようになれば、また一つ上の階段を登れるだろう。


 だがそれを教えることはしない。

 自分で気が付いてこそ、こういうことには意味があるのだ。


 一つため息をついた柳は、隣にティッチィを歩かせて部屋までお盆を持ってきてもらった。

 丁寧に机の上に置かれた茶菓子は、先ほどの紅茶とよく合うような気がする。

 今は紅茶がなくなっているので一緒に食べることはできないが……。

 またあとでお代わりを頼むことにしよう。


 柳はポンとティッチィの肩を叩いて、こちらを向かせる。


「ティッチィ、君は四天王に入ったばかりの新人だ。このようなことはせずとも良いのだぞ?」

「く、癖みたいなものでして……」

「それがお主の良いところであり、悪いところでもあるな。気配りをする事のできる君は秀才だ。しかし上に立つ者がそのような振舞いをしていては、下の者たちに示しがつかぬぞ?」

「あ、ぅ……」

「だがよい。お主は強いのだ。故にもう少しだけ自信を持つと良い」

「で、でも柳様より……弱いですよぅ……?」

「拙者の強さと、お主の強さを比較してはならん。拙者に得手不得手があるように、お主にも得手不得手はあるのだ。強みを活かせ。それだけであのダルガも黙ろう」


 ティッチィはそれを聞いてきょとんとした表情を浮かべていた。

 まだ子供には分らなかったか、と思いながら運ばれてきた菓子を摘まむ。

 甘味とはいいものだ。


「……口が渇くな……」


 少し苦笑いをした後、また椅子に座った。

 再度机に置かれてあった資料を確認する。


「……ふむ……。スディ、メルアナ。何をしている」

「ゲッ」

「……メルアナ。なんて口の悪さだ」

「はぁ!? え、はぁあ!?」


 後ろに気配があると思って声をかけてみたのだが、彼ら二人は一体何をしているのだろうか。

 自分の首でも取りに来たのかと思っていたがどうやら違うらしい。

 にしては殺気が若干伺えたような気がした。

 その原因のメルアナを、ギョロリと睨む。


 置かれていた刀がカタリと動く。

 だがそれだけだ。

 音を立てただけで、鯉口も切られていないしその場から動くこともしていない。

 だがメルアナに向けられた殺気は、生きた心地のしない物であった。


 全身から悪寒が頭上へと登り、細胞という細胞が危険信号を発している。

 今までこんなことがあっただろうか?

 否、どの様な巨大な生物、自然災害、圧倒的強者を前にしてもこのような悪寒は訪れなかった。


 声も上げることができずにぺたんと座り込んだメルアナと呼ばれた女性は、無様に地面をはいつくばって距離を取る。

 赤色の美しい容姿、それに見合った紫色の服を身に纏っていたが、そんな事は構っていられなかった。


「柳様、メルアナがご無礼を致しました。代わりに謝りましょう」


 そう言って頭を下げたのはメルアナと一緒に出てきた男性だ。

 見た目は若いのに年齢は驚くほどに高齢である。

 しかし誰かに仕えることを得意としているのか、礼儀正しく、優雅で他の者からの追随を一切許さない程の強さを有していた。


 青色の髪の毛に、白色のねじり曲がった角。

 細めで常に笑顔を絶やさない彼は、タキシードを身に着けて手にはステッキを持っていた。


「忍び相手にしたことをしただけなのだがな。弱いな、あの女は」

「ですが彼女は四天王の三番目ですよ?」

「ティッチィの方がよっぽど強い。お主に引けを取らぬほどに」

「将来有望ですね。さすが柳様のお目に敵っただけはある」

「だが性格がなぁ……」

「しゅん……」


 褒められて嬉しくなったが、指摘をされて凹むティッチィ。

 それを新たに出現した男性が慰める。


「大丈夫ですよ、ティッチィ。貴方はまだ若い。すぐに私を越えるでしょう」

「スディエラー様を越えるなんて……。こ、越えたくないなぁ……」

「そんなこと言わずに。確かに全責任を任せられるのは気が気じゃありませんがね」

「やや、やっぱり越えたくないなぁ!?」


 やはり性格に難ありかと再確認した二人は、小さく笑った。


「して、スディ。計画は?」

「概ね完了しています」


 そう言ってスディエラーは両手を広げた。

 これは数を表している。

 そのことに気が付いた柳は満足そうに頷いて立ち上がった。


「では、行くとしようか」

「はっ」

「戦だ」


 机に立てかけてあった日本刀を腰に差す。

 扉を開けて城に設けられたバルコニーに出てみれば、地面を埋め尽くさんばかりの兵士がこちらを見上げている。


 魔王軍が、人間たちの住む領域へと侵攻しようとしていた。

 雷が彼らを照らし、轟いている。


「参るぞ天泣霖雨てんきゅうりんう。天泣を今こそ枯らし、霖雨を終わらせよう」

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