6.10.発見


 一時間で研ぎはすべて完了した。

 早すぎると思うかもしれないが、鑿や鉋というのは形さえ決まってしまえばあとはすぐに仕上げられるものだ。

 刃が零れない限りは、であるが。


 研ぎ終わった刃はうっすらと青く光っていた。

 面白い物もある者だと葛篭は適当に流す。


 研ぎ終われば試したくなるのが職人の性だ。

 すぐに作成途中だった仏を取り出して掘り始める。


 ショッ。

 これが木から出る音なのかと思う程に心地よい音が聞こえた。

 木の目に沿って鑿を入れる角度を変え、大雑把に形を作っていた箇所を綺麗にしていく。


 その切れ味は葛篭も驚く程のものだ。

 まさかここまで切れるようになるとは思っていなかった。

 だが性能はそこまで変わらない。

 鑿を入れた箇所はいつも通り少し光沢を帯びる。

 葛篭はその切れ味に満足して、夢中になって仏を掘り進めていった。


 流石に一時間の研ぎはスゥを飽きさせる。

 休んでいる木幕の膝に座って既に寝息を立てているが、レミは興味津々にその研ぎを見学し、更には掘りも見させてもらっていた。

 葛篭はいいところを見せようとしているのか、レミに見やすい様に体制を変え、できるだけゆっくり掘っている。


 葛篭としてもここまで興味を持ってくれる人物は久しぶりだったのだ。

 少し力が入る。

 彼は職人であり、癖の強い人物だが決して悪い人間ではなかった。

 弟子たちにも根気よく自分の技術を教え、上手くいけばそれを褒めた。

 失敗した作品でも途中でやめさせることなく、とりあえず無理やりにでも完成させる。

 それこそが経験となるからだ。


 元より人に教えることが好きな葛篭は、見られることにも慣れていた。

 だが怒りを露わにした者には容赦ない鉄槌をよく下していた。


 その理由は、気分が悪くなるから。

 この際言ってしまおう。

 葛篭は頭が悪い。

 誰かに馬鹿だなと言われても、それを否定するだけの学力や知恵を持っていなかった。

 だからこそ少し性格も変になる。


 見て学べ?

 それで誰かを育てたと胸を張って言うことができるのか?

 努力しろ?

 それは強要か?

 確かに経験を積まなければ上手くはならない。

 研ぎだってそうだ。

 長年の経験があるからこそ刃の切れ味を指先で確かめることができるようになる。


 だが、それは強要させるものではない。

 自分から動くからこそ、彼らは上達するのだ。

 自分たちの上の者がこうしろ、ああしろ、と言う権利は一切ないのである。

 だから葛篭は長年の経験で培った技だけを教えていく。


 これが分かるか?

 若手のほとんどはそのことを理解できないでいる。

 その場限りに適当に頷く者も多かった気がする。

 だが彼らは、それを目指して自分から努力してくれた。

 これが葛篭平八の教育方法であった。


 彼は楽しいを基礎に皆を導き教えて行く。

 だから苛立ちや怒りといった感情は大嫌いだった。

 怒る奴はその程度の人間なのだと、いつも大きなため息をついて呆れていた。

 その場限りで感情を爆発させる奴は大嫌いだ。


 そして葛篭は仕事の合間に剣術を嗜んでいた。

 これは葛篭だけの趣味であり、誰も真似するような時間はない。

 かくいう葛篭も、そこまで剣術を真面目に学んだことはなかった。

 彼は、天才肌だったのだ。


 よく話に聞く稽古の方法を適当にやってみて、それを繰り返した。

 やっている内に、こうした方がいいのではないかと気が付き、勘に従って体を動かしていく。

 いつも細々としている仕事とは裏腹に、こうして体を使うのは非常に気分が良かったのだ。


 葛篭は職人であり、刃を丁寧に扱うことが基本だった。

 だから刃を触れさせたくはなかった。

 そうだからと言って鞘も傷つけたくはなかった。

 なので刃は基本的に出さず、鞘は付けたままにして獣の皮を巻くことにしたのだ。

 それがこの、獣ノ尾太刀。


 昔の葛篭の筋力は普通の日本刀を振るうには軽すぎる。

 だから大太刀を拵えてもらったのだ。

 これがまた彼にぴったりの業物であり、さらに鍛冶師も面白い刀が打てたと満足していた。

 未だに一度として研いだことのないこの刀は、抜いたことも数えるくらいしかない。

 手入れだけは、怠ってはいないが。


「終わったか?」

「おぉ! ちと待てやぁー。今直すけぇな」


 そういった後、葛篭は仏掘りを一度中断して、持っていた荒砥石を二枚懐から取り出した。

 石にしては薄いものであり、何度もすり合わせて面を出したものだということが良く分かる。

 それを水に浸し、すり合わせてから中砥石の面を直す。

 三十回ほどすり合わせた後、水気を取って木幕に砥石を返した。


「助かったぁ」

「構わん」

だっどええもんだけどいいもの持っとーなぁー持ってるなぁ。売って欲しいくらいだわ」

「某が死んだらくれてやろう」

「仏は掘ったるけぇ任せぇから任せろ。はははは、手加減せーでええしなくていい口実ができたんなぁ~」


 そう言いながら、葛篭は仏をまた掘り始める。

 手際は驚く程に早く、角ばっていた角材は既に仏の顔が現れ始めていた。

 まるで木の中に埋まっている仏を掘り出しているかのようである。


 最後の仕上げとして一分鑿で装飾を掘っている最中、その動きがピタッと止まる。

 面倒くさそうに顔を上げ、興が削がれたと言わんばかりに嘆息した。


だっっっっるめんどくさ……」

「え?」

「手前ら立てぇ。レミといったかえ? ちとばかし片付け手伝ってくれや」

「あ、はい」


 葛篭とレミは置いてあった荷物を片付けて行く。

 一体どうしたのだろうと疑問に思っているレミを無視して、葛篭は急いで鑿を大切そうにしまい込む。

 そして立ち上がった。


「逃げっぞ。見つこーた見つかった

「誰にだ?」

「小童よ」


 すると、遠くの方から甲冑を揺らしながら向かってくる団体の音を聞いた。

 状況を瞬時に理解した木幕は、呆れかえる。


「人気者ではないか、だらず脳味噌足らずが」

「今回ばっかはなーんも言えんがな! はっはっはっは!」


 葛篭が殴った貴族が、彼を追い詰めようとスラム街を直進してきているのだった。

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