5.20.真似できない味


 あれから一日が経った。

 ここ、ローデン要塞の朝は驚く程に寒い。

 夜も布団を被っているにもかかわらず、寒さで一度目が覚めてしまう程だ。


 それから寝ることができずに起きてしまったのだが、まだ朝日すら顔を出していない。

 まぁこんな日もあっていいかと思いながら、服を着なおして部屋を出る。


 昨晩は津之江とテトリスの手料理を堪能できた。

 昼と同じ鍋ではあったものの、冷える日の鍋は何度食べても美味いものだ。

 酒が欲しいところではあったが、ここでは提供してないとの事。

 酒をふるまうと綺麗な店を汚されてしまうという冒険者の素行があった為、以降仕入れることすらやめたのだと言う。


 だがそれだけで評判が悪くなるような店ではない。

 津之江の料理はここに来る者たちの舌を何度も唸らせている。

 この辺の冒険者は彼女の料理に胃を掴まれているのも同然だ。


 なので店を閉じていた昨日は、随分としょんぼりしている冒険者を多く見かけた気がする。

 津之江の料理が食べれなくなっただけでこれかと驚いた。

 それ程ここに住んでいる人々は、彼女の料理の腕にほれ込んでいる様だ。


 そんな事を思い出しながら、これまたやりにくいことだと考えながら木幕は階段を降りていく。

 だがテトリスも津之江の料理を学んでおり、この店を継ぐことは容易にできるだろう。


「む、この考えはいかん」


 まるで自分が勝利すること前提に話を進めている。

 自らを棚に上げるのは良いことではない。

 すぐにその考えを払拭し、今日はどうするかを考える。


 流石にただでこの場所に泊り続けるのは申し訳ない。

 なので何かこの店の役に立つことをしたいのだが……。


「ん?」


 階段を降りていくと、良い匂いが漂って来た。

 耳を澄ませてみれば誰かが厨房で何かをしているらしい。

 こんな朝早くから何をしているのだろうと思って、興味本位で厨房を除いてみると、そこにはテトリスがパタパタと動きながら仕込みをしている。


 木幕には気が付いていないのか、必死になって鍋の火加減を調整したり、調味料を入れたり、次の具材を切ったりと忙しそうだ。

 額には汗が浮かんでいる。

 相当熱心に料理をしているということが分かった。


 ただ、灯りは非常に少ない。

 用意されているランタンはもう油が切れかけているし、鍋の下で燃えている火もそれほど強い灯りにはなっていないのだ。


「こんな暗い中でするものではないぞ」

「ひぐ!?」

「ああ、すまん」


 そう言いながら、木幕は切れかけのランタンに油を追加し、その火を他のランタンに移していく。

 ようやく明るくなった厨房を見てみれば、なんだがごちゃごちゃしている。

 使った道具はそのままで、斬った具材の端切れは一塊にはされているが、これでは後から片付けるのが大変であるように感じられた。


 一番気になるのは包丁。

 それが使ってもいないのにまな板の上に置かれたままだ。

 道具を丁寧に扱っているとは思えない。


「これは……」

「な、なに……?」

「お主、もしや不器用なのか?」

「う、うるさいわね!!」

「鍋」

「え、うわああああ!!」


 感情が爆発して火力調整を間違えたのか、奇術で作ったと思われる炎が強くなって鍋を沸騰させ始めた。

 この程度で不味くなるようなものではないだろうが、沸騰して零れた汁が少し勿体ない。


 テトリスは一度火を消し、ふぅと安堵する。


「奇術の火は便利であるな」

「……でも、津之江さんは魔法を使ってもいないのに美味しい料理を作っていく。魔法みたいに美味しいのに」

「木を燃やしているだけだろう? その調整の何処が難しいというのだ」

「難しいわよ……。肉であれば強火から弱火に変えないといけないし、鍋だと一定の火力を保たないといけない。魔法だったらそんなの簡単。でも津之江さんは木のくべ方を変えるだけでそれをしてしまう。魔法より難しい。でも魔法を使った時より美味しい料理ができる」

「手間をかければ、それが普通だ」

「でも私にはできない……」


 津之江は今まで料理をしてこなかった日は一日としてない。

 物心ついた時には既に包丁を握り、釜を任されていたという。


 米を炊くのには一定の火加減が必要だ。

 彼女は毎日それを成して感覚を掴んでいっただけなのだろう。

 言ってしまえば職人技。

 簡単に真似できるようなものではない。


 テトリスはそれが自分には真似できないということは分かっていた。

 だが魔術を使えば同じことができるはずなのだ。

 やっていることは同じだし工程も同じ。

 火力は一定に抑えることができるし、火加減を変える事なんて魔法を使えば非常に簡単な事だ。

 一々竈の木をくべ直さなくても問題はない。


 だが、どうしても同じような味になることはなかった。


「……熱心なのは良いことだがな。お主は津之江殿の技を盗み、何がしたい」

「盗むって……。ま、まぁ……このお店を継げるだけの腕は磨きたいわ。少しでも津之江さんが楽になるように」

「小さい」

「え?」

「せめて自分の店を構えるつもりの意気込みでやってみろ。目標が小さければそれ以上先にはなかなか辿り着けん。初めから無理な目標を立て、それを目指せ」


 同じ味を再現するだけで満足なのか?

 同じ土俵で一緒に過ごすだけで満足なのか?

 せめて技を盗み、同じ土俵で戦うだけの気持ちでいれば、また何か変わるかもしれない。


「気持ちで負けるな」

「……そ、そうするわ……」


 テトリスは、この時ばかりは木幕に反論することができなかった。

 その後は何も言わず、また料理に打ち込んだ。


「朝食は何だ?」

「野菜のスープとパン、後はお味噌汁っていうやつよ。漬物もある」

「良い匂いの筈だな。楽しみにしている」

「……え?」


 振り返れば木幕は既にいなかった。

 だが遠まわしにテトリスの料理を彼が褒めていたということは伝わっていた。


「これで、いいの……?」


 少しの不安と、大きな喜びを交えながら、テトリスはまたその野菜スープの味見をする。

 その味は自分でも美味しいと思える程の出来だったことに、衝撃を隠せないでいたのだった。

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