5.19.勇気ある者


 稽古場から一足先に出た三人は、とりあえず泊めてもらえるという津之江の店に戻ってきていた。

 稽古で疲れているであろうレミは水を飲みながら木幕の前に座っている。

 その顔は何処か不安げだ。


「っ……?」

「師匠、ティアーノさんの心折ってどうするんですか……。仮にも勇者ですよー?」

「あれは勇者を名乗っているだけのだだの女子だ。実力はあるようだったが」

「いやーあそこまでコテンパンにされてそれ言われても説得力が……」


 最後に稽古場からレミが出た時に後ろを振り返ったのだが、勇者ことティアーノは両手を地面について肩で息をしていた。

 自分よりも強い者に出会ったことがなかったのか、今回の敗北は非常に堪えるものになったようだ。


 しかしそんなことは木幕にとってどうでもいいことだった。

 彼が一番気にかけていたのは、勇気ある者の意味を明確に示すことができていなかったからである。


「勇者の名を冠する者が、あれでどうするのだ」

「でもでも、勇者って強いことが前提条件ですよ? じゃないとそんな風に呼ばれたりしませんって」

「何を言っているのだレミよ。勇者などその辺にごろごろおるわ」

「へっ? いやいやいや、居ませんよそんな簡単に」

「いるのだ」


 断固として譲らないその意見に、レミとスゥは首を傾げる。

 木幕はその後、レミに指をさす。


「お主も勇気ある者だったのだぞ」

「私が? まだ弱いですよ私……」

「無自覚なのは良いことだ。驕らないよりもまだましである。沖田川殿との戦いの時、レミは襲われたであろう」

「あ、確かに襲われましたね。めちゃくちゃ大変でした……。お二人の方に兵が多く向かっていたようなので何とかなりましたけど」

「確か、同室には子供がおったな」

「はい。二人ほど」


 その回答に木幕は満足げに頷く。

 レミはあの狭い空間でまだ得意でもない薙刀を操り、無事に敵を撃退した。

 それは小さな子供がいたから、その子たちを守るために起こした立派な行動だ。


 勇気ある者とは、強いことが最低条件ではない。

 どの様な過酷な状況であっても、自らを省みずその脅威に立ち向かうこと。

 蟷螂とうろうの斧。

 まさにこの言葉がレミに一番似合う言葉であった。


「よいか、レミよ。勇気ある者は子供であろうと女子であろうといるものだ。お主があの場所でした行動は勇気ある行動である。普通は逃げるからな」

「いや! あれは普通でしょう! めっちゃくちゃ怖かったけど! 怖かったけど!!」

「それで良いのだ。恐ろしさ、恐怖を払拭した者はただの傀儡である。怖いというのは己がまだ正常である証。某とてあの勇者との一戦で体を熱していたものだ」

「緊張していたって事ですか?」

「……まぁ、そんなところか」


 意外だ、そう思いながらレミは軽く驚いた。

 今まで緊張した素振りすら見せていなかった師が、こんな事を話すのも珍しいのに。


 しかし木幕は、今までの戦いで一度も緊張しなかったことはない。

 だがそのせいで体が強張ることは絶対になかった。

 これは体が覚えている事なのだろう。


 戦う時はいつも鼓動が早くなり、体が熱される。

 しかしそれとは打って変わって頭の方は氷水を被ったかのように冷静でいられた。

 人も刀と同じなのだ。


「つまり、某が言いたいのは……あの勇者は勇者の素質こそあれど勇者ではない、と言ったところか」

「なーんとなく分かりました。確かにそう聞くと、彼女の台詞は勇者らしからぬものでしたね……」


 強くなくてはならない。

 その考えは何も間違ってはいないだろう。

 しかし、その強さの矛先を何処へ向けるかが一番の問題である。

 ただ強いから、という理由で自分の力を過信し、あのような態度として現れたのであればそれはもう問題外だ。

 論議する必要すらもなく、明確な弱者。


 それを模擬戦で教えようとする木幕に対し、どうしても素直ではないのだなと心の中でレミは笑った。

 だが彼は彼なりに彼女を心配しているのだ。

 それだけは、まだ強くもなく一度しか人の命を助けていないレミも分かることであった。


 この経験で勇者であるティアーノが考えを改めてくれればいい。

 木幕としてはそれだけで十分だった。


「あら、もう帰って来たの?」

「あ、テトリスさん。今日の稽古は終わったので……」

「羨ましいわ。私は教えてすらもらえないんだもん」

「は、はははは……」


 そう言われるとバツが悪くなる。

 どう反応していいか分からず、とりあえず笑って誤魔化すしかない。

 泊めさせてもらうのだから、印象だけは落とさないようにと必死になるレミだが、どうにも彼女とは仲良くできそうな気がしなかった。


「そういえば、勇者が来ていたぞ。お主愛弟子なのだろう? 慰めてこい」

「え! 本当!? い、行ってくるわ!」


 そう言うと、テトリスは持っていた布巾を置いて走って稽古場へと向かって行ってしまった。

 見送った木幕は、置いてあった水を口に含む。


「……師匠……慰めろって……」

「女子は弱い。ああいう奴は特にな」


 これも優しさなのだろうか。

 それはそうとして、帰って来たテトリスになんて言われるか心配になるレミであった。


「む、そう言えば稽古をつけるのをすっかり忘れていた……」

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