第五章 雪国の料亭

5.1.食料調達


 山を走ってくる風は進むにつれてその温度を急激に下げていった。

 針葉樹の葉が揺れ、乗せていた雪を地面に落としてしまう。

 同時に木々の隙間を通って音を鳴らした。

 その様は通り道を邪魔するなと警告をしているかの様だ。


 そんな肌を刺す冷たい風が、服の隙間から入ってくる。

 できるだけ隙間を見せないようにとしているつもりなのだが、やはり何処からか侵入してくるらしい。

 油断も隙もない、というより自分の着付けに問題があるのではないかと疑問に思う。


 寒さに身を縮めながら歩いているその山は、普通に歩けば膝当たりまで沈んでしまう程に雪が積もっていた。

 なので自作したかんじきを靴に結び付けて、足が沈むのを防いでいる。

 持っている長物の武器が木々にぶつかりそうなのを巧みに避けながら、目的の物を探して歩いていく。


 盆踊りで使う様な笠を被ったその女性は、レッドウルフの毛皮で作った防寒具を身に纏っていた。

 この毛皮を着ているだけで、周囲の人々から称賛される為あまり着たくはない物ではあるが、便利なことは間違いない。

 着ているかいないかで感じる寒さが違うのだ。

 これがどれほどにまで優秀な素材なのかが良く分かる。


 レッドウルフを狩るのはとても難しい。

 いや、出会ってしまえばすぐなのだが、どうにもあの魔物は格下相手しか狙わない傾向にあるらしく、見つけることが出来ないのが常なのだ。

 彼女もたまたま襲われていた新米冒険者を助けてこの毛皮を手に入れたに過ぎない。

 自分の手でレッドウルフを狩り、またあの甘美な肉を食べたいと考えていた。


「ううぅ……考えただけで涎が出ますね……!」


 この世界に来て肉料理を嗜み始めたのだが、何せそれが全て美味しい。

 ただ肉を焼くだけであれほどの旨味が出る肉はそうそうないだろう。

 それに特製のタレを付ければ旨味の暴力。

 まさに甘美と呼ぶにふさわしい料理が完成する。


 だがまだ調理方法はあるはずだ。

 美味しすぎて全く同じ品を作ってしまってレッドウルフの肉が無くなったのはいい思い出。

 中々仕入れることのできない肉なのであれば、自分で取りに行けばいいだけだ。

 そして今に至る。


 次はどんな料理に挑戦してみようか。

 煮込んで柔らかくするか、それとも鍋にして見るか……。

 はて、普通に焼いて塩をまぶすのでもよいのではないだろうか!

 もしかすると作っている味噌で何か良い物が作れるかもしれない……。

 干し肉というものも気になっているので、ぜひ試したいものだ。


 しかし懸念もある。

 少し森の奥に来過ぎてしまっているので、帰れるかが心配だ。

 勿論レッドウルフを狩った後の事の話である。

 狩る分には全く問題ないという自信があったので、その辺は心配していない。


 だが女性という、か弱い力しか持っていない彼女が一人で人の数倍ある狼を持って帰れるかが心配だった。

 勿論血抜きをしてから解体して持って帰るわけだが……こうなればもう一人くらい連れてくればよかったと今になって気が付いてしまう。

 とは言えここまで晴れている日は珍しい。

 今から引き戻して人を呼ぶにはあまりに勿体ないのだ。


 まぁ何とかなるだろうと思いながら、また捜索を開始する。

 足を踏みしめながら歩いていき、周囲を確認した。


「あら?」


 すると、小さな血痕が見つかった。

 晴れているからこそ見つけた重要な手がかりだ。

 これはこの周辺に肉食系動物が一度狩りをしに来たという証拠になる。


 幸いなことに足跡も見つかった。

 どうやらここから東に前進している様で、数は四体ほどいるらしい。

 これはしめたとその足跡を追って行くことにした。

 今はレッドウルフの発情期。

 もしかしたら巣があるのかもしれない。


 暫く足跡を追って歩いていると、動いている赤い物体を見つけた。

 それは紛れもなくレッドウルフ。

 前進の毛を逆立てて牙を剥き出し、こちらを威嚇していた。


 恐らくこの先に巣があるのだろう。

 こうして出てくるという事は、これ以上近づかせない様にする為……。


「いいわね」


 持っていた薙刀を下段に構えて切っ先を右足元に寄せる。

 体に引っ付けた薙刀を優しく支えている状態での構えだ。

 綺麗な立ち姿で構えた彼女は、相手が向かってくるのを今か今かと待っていた。


 相手も動かず、こちらも動かない。

 膠着状態が続いたが、しびれを切らしたのはレッドウルフ。

 大きな手をしているので、その体躯であっても雪にはなかなか沈まない。

 普通に走ってくるのと大差ない速度で突撃し、大きな牙と爪を剥き出しにして襲い掛かる。


「起こしてごめんなさいね、氷輪御殿。奇術、氷柱ひょうちゅう


 彼女まであと一歩まで迫ったところで、レッドウルフの動きが止まる。

 何が起きたと激痛の走った足元を見てみると、綺麗な水色の氷が足に張り付いて行動を阻止していた。

 よそ見をしていたが、匂いで相手が近づいてくるのが分かった。

 ばっと顔を上げて敵の位置を確認しようとしたが、その直後顎がかちあげられて脳天が貫かれる。


 掬い上げる様にして突いた薙刀は、狼の顎から侵入して頭蓋骨を貫いた。

 絶命したレッドウルフはドゥと倒れ、刃は抜かれる。


「フゥー……。っやったぁああ!! お肉よー! お肉お肉っ! あーでもここじゃちょっと解体できないわね……。私あんまり知識ないし。一匹だったら頑張って持って帰ろう……! よいしょっ……んー!!」


 尻尾を持って引きずって帰ろうとしたが、そもそも尻尾すら持ちあがらなかった。

 自分の力の弱さに落胆し、あっと思い出したかのように魔法袋を取り出す。

 それをレッドウルフに近づけて尻尾の毛先を入れると、ズルンッと中に入っていった。


 これであれば持ち帰ることができる。

 よし、と大きく頷いた彼女は、踵を返して帰路についた。


「ぉーぃ……ぉーい!」

「あらっ? この声……」


 聞き覚えのある声が遠くからした。

 全く困った子だと頭を掻きながら、その方向へと足を運ぶ。


 そこに居たのは黒い甲冑を着ている若い女の子だ。

 短槍を持ちながら走り回っているのだが、彼女はかんじきを履いていない。

 だというのになぜこのように走り回れるのかは未だに分からないが、体が想像以上に軽いのだろうと勝手に納得して声をかける。


「こーらティア? ついてこないでって言ったでしょう」

「あー! 見つけた! っていうか貴方こそこのような行動は控えてくださいよ全くもう!」

「ただの狩りよ?」

「いやだから女将が店開けてどーするんですか! みーんな待ってますよ!?」

「あらぁ……それは悪いことしたわねぇ」


 そう言えば今日は店を開くのだった。

 入り口に営業時間の変更を書くのを忘れていた気がする。

 とは言え……。


「勇者さんが、私の為にここまで出張っていいのかしら?」

「いいんですぅー! そう言う仕事も受け持ってますし。私、戦う事しかできないし……」

「はいはい、悪かったわ。じゃ、帰って温かいご飯を作りましょうね」

「やった! 帰りは一人で大丈夫? もしそうなら皆に伝えてくるけど」

「ええ、大丈夫よ。ここまで一人で来たし、帰り道も分かってるわ」

「おーけー! じゃあ先行ってるね! 津之江つのえさん!」


 勇者と呼ばれた彼女はさっそうと森の中を走り去っていった。

 可愛らしいのだか、手がかかるのだか分からないなと思いながら、津之江裕子つのえゆうこは今度こそ帰路についたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る