3.5.ミルセル王国
目が覚めた。
ガタガタと揺れ動く中で寝ると体が痛くなるかもと思っていたのだが、休めるときに休んでおかなければいざという時に動くことが出来ない。
それは大問題だ。
なので木幕はとりあえず背が預けれるところであれば何処でも寝れるようにはしている。
とは言っても……流石に馬車で寝るなどというのは初めてだ。
予想していた通り、少し体が痛い。
外からは日の光が差し込んでいた。
木幕は夜、見張り役を買って出ていたので、余り寝ていなかったのだ。
なので昼に寝させてもらった。
幸いにも魔物が襲ってくるなどという事は無かったようで、外からは陽気な話声と馬車が動いていく音だけが聞こえている。
木幕は葉隠丸を持ち、馬車を飛び降りて外に出た。
外に出て日の光を浴び、とりあえず固まった体をほぐすために軽く動く。
馬車から降りて気が付いたのだが、今いる場所は畑が広がっていた。
まだ収穫とは言えないが、それでもそれなりの量の麦が綺麗に育っている。
このままいけば、相当な収穫が見込めるだろう。
「あ、師匠起きましたか」
「うむ。異常はないな」
「はい」
槍と木刀を携えたレミが木幕に話しかけてくる。
しっかりと外で護衛をしているようだ。
「ふむ、流石に体が痛むな」
「それは慣れですよ……」
あまり慣れたくない物だと思いながら、木幕は馬車の前へと歩いていく。
すると、目の前に大きな城が見えた。
どうやらあれがミルセル王国という国らしい。
畑や川が城の外にあり、大きな城門が備わっている。
そこからでも見えるのだが、高い城門よりも高い建造物が見えた。
この世は随分と背の高い建築をするなと想いながら、とりあえずレミに確認を取る。
「レミ。あれがミルセル王国という国か?」
「そうですよ。結構長い道のりでしたけど、これでやっと暖かいベットで寝れますぅ!」
「某は温泉に浸かりたい……」
「なんですか温泉って」
その言葉を聞いて木幕は驚愕した。
この言葉が指し示す意味はただ一つ……。
温泉というものがないという事だ。
「な……! 少し待てレミよ。この世には温泉が無いのか!?」
「えっと……温泉ってなんですか?」
「風呂だ。大きな風呂」
「ああ、お風呂の事ですか!」
なんだあるではないか。
それを聞いて心底安心したように、木幕はほっと息を漏らす。
ただでさえ風呂に入れていない日々が続いているのだ。
これ程にまで大きな国であれば、温泉の一つや二つあるだろう。
だが、次にレミが言い放った言葉に、木幕は動揺を隠しきれなくなる。
「でもお風呂って貴族とかしか入れないですよ。下町の人たちが風呂に入るなんてことはできないでしょうね」
「……」
あり得ないことだ。
信じられないことだ。
確かにこの世界に来てからという物、風呂という物すら木幕は見たことがない。
だがそれは、ただこの辺りに温泉がないだけだと思っていた。
普通であればこういう大きな国には温泉の一つや二つくらいあってもおかしくない。
日ノ本の城下にいた頃はその辺にあったのだ。
だが、この世界ではあったとしても入ることが出来ないのだという。
普通そんなことがあるのだろうか……?
「……ただの湯だぞ? 何故入れぬ」
「ん~……まぁお風呂って貴族とかの娯楽の一種ですからねぇ。貴族たちが娯楽で入っるお風呂を、私たちみたいな下町の民が使うのは、貴族と肩を並べているのと同じになりますから……」
「…………殺そうか」
「!? 絶対ダメ!!」
こちとら毎朝水を浴びる程度の事しかできていないのだ。
一体何の独占権があるというのだろうか。
肩を並べるとはどういう意味なのだ。
とは言え……そう言う者たちは確かに日ノ本にも存在した。
何処の世界でも似たようなことは起きていたという事を思い出し、少し冷静になる。
そういえば、貴族という物にまだ理解がない。
そもそも興味がないのだが、とりあえずは覚えておいた方が良いかもしれないと、レミに聞いてみる。
「貴族ですか? ん~……簡単に言うと、国に特権を持つ階級……に属する人たちですかね。家柄とかにもよると思いますけど」
「つまり武家か」
「? 多分そうです」
ああいうのは面倒くさい輩が多い。
この世界の貴族がどのような生活をしているとか、どのように国に影響を及ぼすなどとかは全く持って興味がないが、関わらない方が良いかもしれないと感じた。
大概に一方的に用件を押し付けるような連中ばかりなのだ。
そうでない者も確かにいたが、娯楽を独占しているような奴らの事だ。
日ノ本の者たちよりたちが悪いに決まっている。
実際、木幕が貴族に対する印象は風呂の独占というだけで地の底に落ちていた。
どんな世界も回ってみても、これ以上に酷い物はないだろうとまで思っている。
木幕にとって、風呂とはそこまで大切なものだったのだ。
とは言っても面倒なことは起こしたくないし、別に本気で殴り込む気はない。
言ってみただけなのではあるが、レミはそれをまともに受け取ってしまった様だ。
(師匠には貴族と接触させないように心がけよう……)
そう心に誓ったレミなのであった。
◆
それから一時間後。
ようやく馬車はミルセル王国の前へと辿り着いた。
奇妙な格好をしている木幕がいる為、少し目が痛いのだが、当の本人は全くそのことに関しては気にしていない様だ。
というか慣れてしまった、というのが正しいだろう。
別に気にならなかったわけではないが、この世界の服は木幕と全く相性が合わないのだ。
持っている服は一着しか無い為、それが少し不便ではあるが、この国で何とかして見繕ってもらいたいと考えている。
さして難しい装飾の加工は無いだろうし、そこまで派手なのも求めていない。
呉服屋にでも行けば見繕ってくれるはずだ。
そんなことを考えていると、どうやら手続きを終えたようで馬車は門をくぐって中に入っていく。
それに馬車を護衛していた全員が続いていった。
とりあえずこれで仕事は終了だ。
朝っぱらから馬車を襲うような盗賊は出ない為、入ってすぐに報酬金を手渡しで受け取り、その場で解散の流れとなった。
「さて……。まずは宿か?」
「そうなりますね。宿をとったら冒険者ギルドに行ってお仕事です!」
「やはり世の中金であるな……」
金がなければ宿も取れないだろうし、ここに来た目的である槍の制作、それに加え服の調達も出来ないのだ。
だが幸いにして手に仕事はとりあえずある。
この腕を見込まれてやる仕事というのは、意外とやりがいがあった。
それに準ずる仕事内容かと言われれば、ふむと手を顎に当てて考える必要がありそうではあるが。
とりあえずは宿だ。
木幕とレミは宿があるだろうと思われる方向へと歩いていく。
出来れば冒険者ギルドと近い方が良い。
だがそれは様々な冒険者が考えるような事だ。
それ故に、基本的に冒険者ギルド周辺の宿は埋まっていることが多い。
なので、最初からそこには行かず、少し離れた場所の宿を探してみることとする。
宿は多い為、何処がいいのか少し迷ってしまうが、この周辺も冒険者の出入りが多い。
おそらく既に空いている場所は少ないのだろう。
「んー……ここまで多いってなかなかないんですけどね……」
「何か祭り事でもあるのか?」
「あ、どうでしょうね。此処には詳しくないので……。あー、一緒に来たと冒険者かあの行商人にでも聞いておけばよかったなぁ……」
情報収集は大切だなと改めてレミは思った。
一方木幕は、そんな物かと首を傾げる。
開いていない宿はないのだから、もっと視野を広げて探せばいいのだ。
別に近い方が便利という訳ではないだろう。
しかし、宿が取れないと言うのは不味い。
木幕も宿探しを始めることにした。
店の雰囲気、出てくる客はいる客、それらを見て何処がよさそうな宿かを確認していく。
別に目利きが得意という訳ではないが、雰囲気は大切だ。
木幕としても、これだけの人数が入っている宿など泊まりたくは無かった。
「む……?」
すると、一件の家屋を発見した。
周囲の店と比べてとても落ち着いた雰囲気を持っているが、客は一人もいないようで閑散としていた。
それに加え看板などもない。
一見すればただの家屋としてスルーされるのが落ちだろう。
では何故木幕がここを宿だと理解できたのかというと、その家屋の前には手に看板を持って立っている少女がいたのだ。
来ている服は少し汚れてしまっているし、無表情な為愛想という物がない。
子供であるのになんと静かなのだろうかと思うほどだ。
木幕は字が読めないのだが、周囲の宿にぶら下がっている立札と同じ文字が刻まれていた為、ここが宿だと理解できた。
その店をよく見てみる。
少しぼろいが、なんとも静かな印象を受ける。
周囲とは違う落ち着いた装飾、そこに立つ一輪の花はより一層その存在感を強めていた。
客はほとんど入っていないのだろう。
出入りするどころか見向きもしない。
「レミ、ここにしよう」
「え? ええ!? ほ、本気ですか?」
「む? 何か問題なのか?」
「いや、問題は無いですけど……」
レミは周囲の目を気にしているようだ。
だが人という物は自分が思っているより興味がない物。
別に何とも思われないだろう。
木幕はレミの言葉を待たずして、看板を持って立っている少女に声をかける。
「小娘。二人分の部屋を用意できるか?」
「!」
少女は先程の無表情を一気に変え、パッと明るくなったと思ったら大きく頷いた。
すぐに木幕の手を取って、宿の中へと連れて行ってくれる。
「ああー……。もう、仕方ないなぁ……」
レミは一度頭を掻いてから、同じ宿へと足を運んだ。
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