3.4.お前は悪人か
風が肌に突き刺さるような寒さを持っている。
夜は冷え込む為、何か羽織っていなければ風邪をひいてしまうだろう。
既に周囲の店は閉まっているが、夜の店は未だに開いている。
この時間帯が仕事の時間なのだ。
数人の客が中に出入りしたり、居酒屋に寄って長くまで酒を飲んでどんちゃん騒ぎなどしている為、夜であるというのに賑やかである。
酒で火照った体は、今の外の空気に当てられると丁度良い。
店から出てくる客は全員、そんなことを思いながら帰路についている事だろう。
コツ……コツ……コツ……。
何か固い物を突きながら歩いている音が聞こえてくる。
だがその音はとても重い。
どうやら何かを杖にして、それに体重をかけて歩いているのだろう。
酔っぱらって外に出てきた客は、その人物の姿を見る。
嫌でも目立ってしまうので、どうしても目に入ってしまうのだ。
その人物は、長い槍を持っていて、それを杖にして辛そうに歩いている。
槍は見たことのない形だ。
両刃の刃が一つ付けられているが、その付け根から一つだけまた刃が折れ曲がって飛び出している。
この世界には存在しない武器だ。
もう片方の手にはランプを持っているが、持ち上げる力が既に無いのか、だらりと腕を垂らした先に持っていた。
ぼろ切れの様なローブを羽織っており、その顔はフードでよく見えない。
しかし、明らかにその雰囲気から異様なものが漂っている。
初めて見た人でも、それがわかる程だ。
しかしそれには、しっかりとした理由があった。
ローブが血まみれだったのだ。
持っているランプのお陰で、その色がしっかりと目視で来てしまった。
その様な姿を見て、酔い続けれる人はそうそういないだろう。
見た人たちは全員顔を真っ青にしてその場からそそくさと逃げていく。
だが、逃げれない者たちは勿論いる。
それが店の人たちだ。
まだその人物は外にいる為、店の中の人たちはそれに気が付かない。
今まさに逃げている人たちは、心底今店を出てよかったと思っているだろう。
血まみれの人物は、そのまま一つの居酒屋に入っていってしまった。
カランカラン。
「いらっしゃ……!?」
「? うっ!?」
誰かが来店した音を聞き、まず店長が大声で歓迎しようとするが、その姿を見た瞬間に目が見開かれて声が詰まった。
一体何事だと思い、軽い気持ちで新しく来店した人物を見た客は、口に入れていた食事を咀嚼するのを止める。
ある所では椅子と共に倒れたり、ある所では持っていたフォークやスプーンを手落とした。
先程まで賑わっていたはずの居酒屋は、一気にしん……と静かになってしまう。
それもそのはずだ。
いきなり血まみれのローブを身に纏った人物が、このような所に入ってくれば、嫌でも動きがとまってしまう。
血を見慣れていない人は、今食べたばかりの食事を吐いてしまっている。
その人物は周囲の様子を気にすることもなく前へと歩いていく。
誰もがその人物の行動を心配そうに見守る。
店長は客であるこの人物に接客をしなければならない。
今までにここまで緊張する接客などなかっただろう。
息を飲み込み、ここに客が来るまで待ち続ける。
そして、その人物は店長の前でぴたりと止まった。
今、二人はカウンター越しに向き合っている状態だ。
「……」
「い、いらっしゃいませ……」
「…………」
その人物は何も言わずに手の平を上に向けて手を差し出す。
意図が全く分からないといった様子で、店長はその人物に意を決して質問をした。
「えっと……どういった、ご、御用でしょうか?」
「……めし」
「しょ、食事ですね!」
「ん」
若い声だ。
大方二十歳か二十五歳かくらいの間だろう。
そして男だという事も声で分かった。
このような姿をしているが、優しそうな声であった為、店長はすぐに気を取り直す。
槍を持っているという事は、どこかしらの冒険者か騎士団だろう。
こんなになるまで戦ってくれているのだと理解した店長は、笑顔になって接客をし始めた。
それに他の客も安心したのか、皆がほっと胸を撫で下ろす。
「では、こちらにお掛けください。食事は何にいたしましょう?」
「字が読めない……。なんでもいいから、飯を……」
「かしこまりました。ですが、一つだけ質問させてください」
「……」
フード越しに目が合った。
その目はとても優しそうに見えるが、何処か虚ろだ。
少し恐ろしく感じたが、他の客をこれ以上怖がらせるわけにはいかない。
店長は笑顔を繕ってそのまま質問をした。
「失礼ですがお金は持っていますか? こちらから勝手に提供するので、お客様がどれくらいのお金をお持ちか確認したく……」
「……なに?」
その男はガタッと椅子を蹴っ飛ばして立ち上がり、持っている槍を力強く握った。
何故そのような行動に出たのか理解できない店長は、身を引いてその男を警戒する。
「お前は……お前は悪人か……?」
「!? なんで!?」
男のその言葉に、店長は勿論、周囲にいた客も驚いていた。
だがそれは当たり前だ。
店長は客の懐を気にしただけである。
なのになぜ悪人呼ばわりされなければならないのか、理解できなかったのだ。
男の表情は見えないが、槍を握っている力を見てみれば、今男は怒っているという事がよくわかる。
「恵みではないのか……? 腹が減って倒れそうな者に対し……金をとるのか……?」
「!? あ、当たり前だ! どれだけ腹が減っていようといまいと! 取る物を取らないと経営が出来ない!」
ここは民家ではなく、居酒屋だ。
店として出している家なのだ。
普通の家であれば、確かにそう言う事も許されるかもしれないが、このような店でそんなことは許されないだろう。
周囲にいる客はしっかりと金を払って店を出ている。
一人だけ金も払わずにただ飯を食わせるという訳にはいかないのだ。
しかし……この男はどうやら常識を持ち合わせてはいなかったらしい。
「そうか。お前は悪人か」
「流石に金のない者に飯を食わせるわけにはいかん。出て行ってくれ」
その瞬間、店長の首が飛んだ。
「え?」
店長の視界は反転し、一回転する。
今は足元から男を見上げている状態だ。
そして……視界はゆっくりと暗転していった。
男はぶつぶつ言いながら、槍についた血を振るう。
「……悪だ。悪だ悪だ。仏敵だ。居らん。この世には心優しき人間が一人も居らん。ならんならん。このような人間が居ってはならん」
先程の男の一撃。
周囲の人間には全く見えなかった。
気が付いたら肘が伸ばされており、槍が店長の首を刎ね飛ばしていたのだ。
何かの能力なのかと、周囲の客は思ったが、誰一人としてその場から動ける者はいなかった。
その理由は至極単純。
「……!」
「……っ」
その男が放つ強烈な殺気。
それが客の足を動かせなくさせていたのだ。
直感で分かる。
今動けば、死んでしまうのだと。
だが逃げることも動くことも出来ない今、客たちの頭の中は恐怖で一杯になっていた。
ただでさえ強い殺気に当てられているのだ。
こうなってしまうのも無理はない。
その時、恐怖で何も考えられなくなった客の一人が叫び声を上げた。
「キャアアアア!!」
その声がきっかけで、一瞬殺気に綻びが発生した。
どっと汗が出て動けるようになる。
それからという物、呼応するように客が叫び始めて逃げ出していく。
このような場所に長くいれば、それこそ殺されかねないからだ。
だが……この男はそれすらも許しはしなかった。
「どうしてだろう……。何故僕にだけ……金を取るなどと言ったんだ。他の者は金も払わず逃げているではないか……! 悪人共が!」
客はおぼつかない足取りで出口へと走る。
その間に、男は槍を構えて姿勢を低くした。
足を広げ、槍を下段に下ろし、息を全て吐きながらぼそりと一つ呟く。
「
その瞬間、ドンっという音がした。
すると、男はローブをその場に残して消える。
客はその姿を見てはいないし、見る余裕もない。
それ故に、何も出来ずに、ただ……命を落とした。
その場にいた全ての人の首を刎ね飛ばす。
人数分のゴトッという音が聞こえた所で、男はまた姿を現した。
和服。
これはまだ血に塗れてはいない。
羽織はなく、袴は足首の辺りでまとめている。
非常に動きやすい格好であるが、薄い着物なので今の時期には似合わない。
顔は若く、二十代前半の顔立ちだという事がわかった。
だが未だ目は虚ろであり、今は何かを探しているように目をぎょろぎょろと動かしている。
そして槍なのだが……。
これは鍵槍。
十手の様な形の鍵槍であり、柄は黒で、石突は銀。
黒と白を基調としている物のようだ。
「一閃通し。今日もお前は元気だね。僕はお腹が空いたよ。有難い事に今は皆が残しているご飯があるね。これを食べるとしよう……」
一閃通しとは、この槍の名前である。
名前が技名。
これはこの男が技名を考えるのを放棄したわけではない。
それがこの流派の唯一の技名なのである。
男は周囲にあった食事を平らげ、店を出た。
ローブは流石に汚くなりすぎてしまったので、このまま捨てて行くことにする。
腹も膨れ、身軽になった男は外に出て冷たい風に当たった。
これがまた心地よい。
この世界の酒は不味いので飲んではいないが、少々動いたので今の夜風はこの男にとって丁度良かったのだ。
さぁ、また何処かに歩いていこうと思い、足を動かそうとした時。
「そこの君、待ちなさい」
「ん~? なんだーい?」
この世界の妙な甲冑を着飾った男性だ。
おそらく兵士だろう。
兵士は男性に違和感を覚えたようで、声をかけた様だ。
「この辺で悲鳴が聞こえたと連絡があってね。何か知らないか?」
「いんや、知らない」
「……君、名前は?」
「僕ですか?」
男は兵士が手に持っている武器に力を込めたという事に気が付いた。
であればやることは一つなのだが、名前を聞かれてしまったので、名乗らないわけにはいかない。
男は一度槍の石突で地面をトンと叩いてから、自分の名前をその兵士にだけ聞こえるように教えてやった。
「
その瞬間、兵士の首は胴体と泣き別れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます