第三章 釣り人と閃光
3.1.魚釣り
朝は肌寒く、昼は少し暑く、そして夜はまた寒くなる。
季節がこのように感じさせるのか、はたまたこの場所がそうさせるのか。
大きな滝壺が落ちてくる水を全て飲み込まんとするその場所は、湿気が多く、ここにいるだけで少しひんやりとした空気が肌を撫でる。
周囲の石には苔が生え、苔は木にも侵食しているようだ。
一帯が深緑色の苔の芝生。
一体これほどになるまでに、どれほどの年月をかけただろうか。
人の手が入らないこの地だからこそ、このような素晴らしい景色を見ることが出来たのかもしれない。
その中に入ることは躊躇われた為、少し遠くからその全体像を目に焼き付ける。
「綺麗……」
頭に被っている笠を少し上げて、視界を広げる。
天高くにある空、そして雲。
青色と白色が美しく目に映り、その下には木々たちが立ち並び、緑色が広がっている。
木の色である茶色は、下に行けば行くほど苔に浸食され、深緑色へと変わった。
時々見える灰色の岩を追っていけば、今度は川が見える。
綺麗な水色の水が、心地よい音を奏でながら流れていく。
だがしかし、その奥では轟けとばかりに鳴り響く滝が、その力強さを訴える。
そのどれもが自分こそこの場に相応しいと言わんばかりに、自らを強調させているのが手に取るようにわかる。
激しさを訴える滝に、優しさを訴える川の流れ。
穏やかさを訴える苔に、賑やかさを訴える木の葉たち。
どれもが自分を主張するが、一つもなくてはならない物だ。
この景色を目に焼き付けている人物は、少なくともそう思った。
幾年月の月日を共にしたもの同士、喧嘩はしないで欲しい。
だが、このものたちは人に姿を見てもらいたいのだろう。
その気持ちはよくわかった。
腰にある二振りの刀を抜きながら、川へと歩いていく。
苔の生えていない大きな岩に腰を下ろし、片手に持っていた釣り竿を操って、針先を手に持ってくる。
針の上には重りとして小さな石が結んであった。
どこからか取り出した餌を針に刺し、ひょいっと川へと投げる。
後はただひたすらにじっと待つ。
釣りとは簡単な物ではあるが、簡単という訳ではない。
主に川釣りは動かないことが重要であり、自分が背景の一部としてあらなければならけないのだ。
これはこの者の持論ではあるのだが、釣りを教える子たちには常にこのような教えを説いていた。
餌があればいいという訳ではない。
周囲の地形を把握し、どの場所に魚がいるのか、どの場所を通るのか……。
はたまた流れの緩やかな所を探してみたり、水中の地形を予測したりする。
これをしない人は勿論いる。
だがこれは自分の考えた釣り方であるため、人に強要したりはしない。
自分はこうするよ、と教えているだけだ。
確かにこのようなことは考えるだけ無駄かもしれないし、餌を付けていれば魚はちゃんと喰らいついてくる。
だが、こういう風に考えながら釣りをするのが、この人物は大好きだったのだ。
「おっ」
竿がしなった瞬間に、クッと腕に力を入れて竿を上げる。
手の甲を下にして、人差し指を伸ばして竿を片手で支え、魚の引きを楽しみながら近づけていく。
「型がいい……!」
竿のしなり具合、そして引きの強さから大体の魚の大きさが予測できる。
まだ魚影は見えないが、それでも大きなサイズの魚だという事は理解できた。
魚は上げられまいとして、グン、グン、と引っ張って抵抗を続ける。
このままでは竿がやられてしまう。
ならばと、立ち上がって魚の動きに合わせて竿を器用に操りながら移動する。
魚は逃げるように移動するが、まだ針は口にかかっているので逃げ出せはしない。
だが先ほどの場所から大きく移動できたことにより、力をもっと入れて出来る限りその場所から離れようと試みる。
「ほっ、よっ」
笠を指で掴んで押さえながら、岩と岩を飛んで移動していく。
魚は無理矢理に暴れて逃れようとするが、だんだんと体力が削れて来たようで、先ほどの引きより弱くなっていった。
だが、そこで問題が発生した。
魚が逃げたのは滝壺の方向で、あの素晴らしい景色が生えている場所なのだ。
流石にあの場所に足を踏み入れたくはない。
腕に力を入れ、苔の生えていない最後の岩で踏ん張る。
ぐーっとゆっくり竿を上げ、こちらに魚を引き寄せた。
バシャシャッっと魚が水面で暴れる。
水飛沫が大きく立ち上がり、魚の大きさが確認できた。
ニジマスくらいの大きさだ。
これをこの竿で上げるのはいささか骨が折れる。
だが、それが楽しいのだ。
明らかに不利な状況、そして悪い足場、これからの逆転劇が好きだった。
後ろに差していたタモを手に取り、しゃがむ。
このタモは団扇程度の手持ちで非常に短いが、掬い上げる部分はそれなりに大きい。
恐らくあの魚程度であれば簡単に入れることが出来るだろう。
タモを水につけ、竿を天に掲げながら魚をこちらに寄せる。
魚は暴れすぎて疲れたのか、す~っとこちらに寄ってきてくれた。
これ以上暴れるな、そう願いながらタモをゆっくりと魚の下に潜り込ませ……。
掬い上げた。
「っし!」
掬い上げられた魚は、川から上げられたことに気が付いて、タモの中でバタバタと暴れている。
だがこのタモは深いため、最早逃げられない。
勝負ありだ。
「塩焼き~塩焼き~……塩がない……。素焼きでいいか」
足取り軽く、焚火の準備をする。
本当であれば、魚籠に入れてもっと魚を釣るのだが、実はこの人物は腹が減っていたのだ。
魚が釣れて居ても立っても居られなくなったので、とても素早い動きで火を起こす。
木の枝を一本切り、串の状態にまで削り取っていく。
それを釣り上げた魚に突き刺して通し、石と石で上手い事火に当たるように引っ掛ける。
後は待つだけ。
「よし……」
この待ち時間も良い物だ。
素晴らしい景色を見ながら、焚火に当たって飯を作る。
これほどにまで贅沢な調理場があるだろうか。
懐から麦飯で作ったおにぎりを出しておいて、魚が焼けるのをじっと待つ。
風が吹いて景色を撫でる。
その度に自分の被っている笠が揺れ、そして草木が揺れて波紋が立つ。
風が走っている。
自然はいい姿を見せてくれる素晴らしい相棒だ。
今のこの状況に非常に満足しながら、火が木を焼いて弾く音を聞く。
料理は火加減。
これを間違えてはいけない。
魚が倒れないように、火に新しい薪をくべる。
「ん~……! 良い! そうは思わない? 水面鏡!」
二振りの刀身を少し抜いて、刀にもその景色を見せる。
その刀身はしかと景色を映し出した。
だが、その中には異物も入っていたようだ。
「えっ」
馬がどかどかと素晴らしい景色を踏み荒らして、こちらに向かって来た。
その数は十頭程度なのだが、その数は景色を踏み荒らすのには十分すぎる数。
コケがめくれ、深緑の中にどす黒い茶色が混じる。
ただそれだけのことだが、それにより景色は死んだ。
呆然としている中、馬に乗っていた厳つい男共が、その者の周囲を取り囲む。
身なりからして一発で盗賊だという事がわかる。
「おいおい! こんなところに良い奴がいるじゃないか!」
「武器二つももってやすぜ頭ぁ!」
「おおぉ! そいつは良い! それに良い武器だな……」
男共はすぐに品定めを始める。
だがその声はその者には届いておらず、反応のない人物に盗賊たちは首を傾げた。
「おおい! びびって動けてないじゃないっすか~!」
「はっはっはっは! なんと滑稽なやつだぁ!」
「あ! 頭!」
「お! なんだなんだ!」
盗賊の下っ端は、馬から降りてその人物を下から見ていた。
それ故に気が付いたことがあったのだろう。
「こいつ女だ!」
「なぁにぃ!? はっはっはっは! こりゃいい買い物だできたなぁ! おい! 殺すなよ!?」
「うっす!」
盗賊たちは一斉に武器を構えて、彼女に切っ先を向ける。
「……ない……」
「ああ? なんだって──」
その瞬間、下っ端の首が地面にボトリと落ちた。
彼女は二振りの刀を抜いており、一瞬の隙をついてハサミで切る要領で、無理やり相手の首を掻き斬ったのだ。
すぐに回転しながら元の位置まで戻り、血振るいをして相手の足元に鮮血を飛ばす。
笠は前方が少し割れており、そこから目玉が見えるのだが、その目玉はおおよそ女性が持っていていい物ではなかった。
その目はランランと輝き、相手を滅さんとする意思がひしひしと伝わってくる。
刀を下段に下ろし、脱力した状態で相手を見る。
その姿は何処にも隙が無いように感じられ、その場にいた盗賊全員が、死を感じ取った。
「一体あれが……どれ程の年月をかけて……作り出された物だと思っているの……許さない……」
「ヒィッ!!」
「覚えさせる気はないけど、私の流儀だから言っとく。私は
覚えさせる気はないというのは……つまり全員殺すという意味だ。
今、水瀬の怒りは頂天を迎えていた。
理由は簡単で、景色を踏み荒らしたから。
ただそれだけのことでと、盗賊は言うかもしれない。
だが水瀬にとって景色とは、いや、長い年月をかけて作り出されたものは、残さなければならないものなのだ。
それは一年、一ヵ月、一週間と様々だが、期間は関係ない。
作り手が命を吹き込むその作品を、無下にすることはできなかった。
この景色は、この大地が作り出した唯一無二の作品だ。
だがそれはもう戻らない。
そのことに涙さえ出てくるほど、水瀬は怒り狂っていた。
二振りの刀を前へと突きだし、そして左右へと伸ばす。
前方から左右に移動した刀は、短い距離だというのに綺麗に空を着る音が鳴った。
「水面流……暴れ渦」
断末魔がその場を支配したが、三秒ごとに一つ、一つとその声は消えていった。
◆
血肉が転がっている。
馬も死んでいるようだ。
あの景色には血の一滴も飛んでいっておらず、焚火の前だけが血まみれとなっていた。
勿論のこと、水瀬にも一滴として返り血はついていない。
水瀬は、刀に付着した血を手拭いで拭い取ってから納刀する。
それからまだ火の消えていない焚火に足を運んで、焼いていた魚を手に取った。
「ちょっと焦げちゃった……」
釣った魚、もとい命は何があっても食べる。
それが水瀬の流儀の一つ。
焼いた魚を口運んで食べる。
「おいしい!」
血肉を背景に、踏み荒らされた景色だけを見て魚を食べる。
あれらが来なければ、どれだけ美味しい食事だったのだろうかと落胆しながら、魚を食べきった。
その後は、血肉から金品を奪い取ってその場から去る。
「これは必要なこと……。うん、だってこいつらはもう使わない。いや使えない。だから私が使ってあげる。よし」
水瀬はゆっくりと歩き、その場から離れていった。
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