2.23.一本目


 槙田の傍らに、一つの燃え盛る刀が落ちていた。

 主が死んで、先ほどよりも弱くなった炎だったが、それでもまだ燃え続けようとしている。


 その炎は木幕の瞳に映った。

 小さな炎だ。

 だがしかし、その小さな炎の中に、確かな感情が揺らめいているのを感じる。


 恨み、喜び、そして……悲しみ。

 上でなびく炎は風になびいて揺れ動き、槙田の持っていた恨みをこちらに向けているようで、その下にあるオレンジ色の炎は、最後に共にあれたのが槙田だったという喜び。

 そして、その炎で一番読まれたくない感情を隠すようにしてたったのが、悲しみだ。

 それが刀の一番奥底の感情だった。


 猛火の炎の例えである紅蓮。

 そして、心の中に起こる、燃え立つような激しい感情の例え、焔。

 自分の今の姿を見れば、その名に相応しくない刀だ。


 燃えカスのように、だんだんと燻っていく刀身は、それを否定したかったのだろう。

 だから一番奥に悲しみという感情を隠している。

 悟られないように。

 だが、主の手から離された紅蓮焔は、やはりどうしてその悲しみを隠し切れはしなかった。


 木幕は、紅蓮焔を手に取る。

 主が死んだためか、炎の能力はもうなくなり始めていた。


「まっこと、良き刀よ」


 紅蓮焔は木幕に褒められた。

 だが、もう出すことのできない炎を、一生懸命木幕に吹きかけようと試みる。

 出るのは燻った煙と、ほんの僅かな火の粉。

 それでも、自分をその手から放せと足掻く。


 木幕は瓦礫へと足を運ぶ。


「あの……師匠……。そ、その武器……」

「せめて刀と、呼んでやれ。紅蓮焔がどうした」

「……なんか……言ってません?」

「ああ」


 紅蓮焔の激情は、レミにも伝わったようだ。

 これほどにまで武器の感情が激しい刀はない。

 それ故、レミにも紅蓮焔が何かを叫んでいるのがわかったのだろう。


「なんて言ってるんですか?」

「……それはわからぬ。だが……某の手から逃れようとしておるのはわかる」

「では……返してあげればよいのでは?」

「ならん。この刀はこの世にとって脅威。故に折る」


 そもそもすでに紅蓮焔の能力は、槙田が死んだことによってなくなっている。

 が、それでもその刀を殺すというのは、槙田と同じところに送ってやりたかったからだ。


「良いかレミ」

「……はい」

「武器は、枕と同じだ。人生の大半を共に過ごす。声を聞けるようになれ。夢の中でもいい。ただ、何も言わぬ武器は、満足してる。言う事がないとな。だが不満があれば必ず訴えてくる。それを必ず聞き届けられるようにはなれ」


 木幕は紅蓮焔を右肩に担ぐ。

 柄がつぶれてしまうのではないかと思うほど、力強く、絶対に離さないように、滑らないように全霊を籠めて握った。


「葉我流剣術……玖の型……」


 担いだまま刀身を横に寝かせ、刀身の腹を瓦礫へと向ける。


「倒木」


 振り込まない超至近距離で切り崩す、葉我流剣術の一番火力の高い技。

 体に柄をできる限りくっつけて、手首、肘、肩を伸ばした状態のまま、体のばねで力任せに叩きつける。

 右足を大きく上げて踏み込み、スダンと足を鳴らしたと同時に、紅蓮焔を瓦礫に叩きつけた。


 キィィィィィン……。


 根元より少し上から刀身は折れ、上空高くへと舞い上がった。

 折れた刀身から火の粉が噴き出し、小さな花火が起動を描きながら地面へと落ちていく。

 槙田の腰にあった鞘からも、血のように炎の液体が噴き出し、そして黒く固まっていった。


 レミは紅蓮焔の最後をしかと目に焼き付ける。

 人の死はよくあることだから知っていたが、武器の死など見たことは無かった。

 いや、見たことはあったはずだ。

 だが、見ていなかった。


 何故だろうか。

 声が出ない。

 瞬きができない。

 そのあまりにも美しい紅蓮焔の死に様に、涙すら出てくる。


 紅蓮焔の折れた刀身は、寄り添うように槙田の隣にすとっと刺さった。

 木幕が狙って出来る技ではない。

 これは、紅蓮焔の最後の意思だろう。


「スー……」


 木幕は息を吐いて、残身を残す。

 その後、懐から何かを取り出し、柄を弄り始めた。


 コンコン……コンコン……。

 チャキ……チャキッ。

 キン。


 それはすぐに終わったようで、木幕は柄を槙田に返すべく、そっと隣に置いた。

 しかし、その柄には鍔がなかった。


「これは、貰っていくぞ」


 紅蓮焔の鍔を、木幕は懐に入れた。

 すぐにその場から立ち去る木幕を、レミは追う。


「あの……なんでそれを……」

「今回は二つの魂を殺した。それを忘れぬために……な」


 木幕は刀も生きている者だとして、二つの魂という言葉を使った。

 レミからしても、確かにあの刀は生きているように感じることが出来たのだ。

 その言い回しに、レミは何も言わなかった。


「レミよ。もう一度聞く。某は人を殺すためだけに旅をしている。それでも、神の信託だから致し方ないと、ついてくるか?」


 その問いを聞いて、レミは考えた。

 以前なら考えるまでもなく、神の信託だから仕方ない、当然だろう、そう考えて、木幕につていったに違いない。


 だが、実際に人の死を目撃し、更には武器の死を見たレミは、すぐに答えを出すことが出来なかった。

 あそこまで綺麗に生きている人、そして武器を殺す旅だ。

 それを見たいがためだけに、旅を続けるのはいささかおかしな理由である。


 もっとも、レミは一つの疑問を抱いていた。

 何故神は、美しい物を殺すのだろうと。

 何が気に食わなかったのか、何が嫌だったのか全く想像がつかない。


 レミは、それが気になって気になって仕方がなかった。

 そして、木幕が槙田と戦っていた時に言った言葉……。

「届かぬ存在に、手を届かせようと思えば、どのような代償を払わねばならぬだろうか」

 これが頭から消えない。


 この言葉の意味も、考えても全く分からなかったが、その中に確かな覚悟を見いだせたような気がしたのだ。

 実際に立ち会った槙田は、その真意に気が付いていたようだったが……口にはしなかった。


 もう一度考える。

 何故、このような旅について行くのかを。

 疑問を解消するためについて行くのか?

 はたまた、木幕のサポートをするため?

 それとも、わからない何かを知りたいから?


 いや、そうではない。


「私は、この旅が正しいのかどうか、見極めたいです。そして、師匠が旅をする本当の目的を知りたいです」


 レミは、自分が何故木幕の旅の目的を手伝おうとしているのか、わからなくなっていた。

 言ってしまえば、神の存在が疑わしくなったのだ。

 なので、この旅が正しいのかどうか知りたいというのが、今のレミの本心である。


 もしこの旅そのものが、間違いだとするならば、レミは止めたかった。

 侍が殺し殺されるのを、武器が死ぬのをもう見たくはないとも思っている。

 だがそれは今出すことのできる答えではない。


 だからこそ、見極めるために木幕について行くことにしたのだ。

 木幕もまだ隠していることは山ほどある。

 教えられない物もあるのだ。


「……小娘が言うではないか」

「弟子ですから!」

「では、せめて某を止めれるだけの実力をつけねばならんな」

「ふぇ!? バレた!?」


 考えを見透かされていることに驚く。

 そして、これからのより一層厳しい稽古を想像して早くも挫けそうになったレミだったが、自分の言ったことは曲げないと、夜空を見て気分を変えた。


「これからもよろしくお願いします! しっしょーう!」

「ぬぁ!? ええい! へばりつくな! 離れろ!」


 木幕とレミは、槙田正次と、紅蓮焔を背後に、夜の廃墟街を歩いていったのだった。

 

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