2.7.宿
宿へ向かうことになった木幕は、意気揚々と先導をしてくれるレミに疑問を抱いていた。
……何故宿を取る必要があるのだろうかと。
木幕からすれば、勇者を殺して終わりである。
これだけ名を轟かせているのだから、一日もあればすぐに見つかると思う。
素材を売ったお金もあることだし、その素材もまだ持っている。
木幕には、宿を取るという必要性がわからなかった。
それをレミに問うと、少し呆れたようにしてから答えてくれた。
「えーとですね? 相手は勇者なのですよ? 言い方を変えると、この国にいる国民たちに慕われている人なんです。一筋縄ではいかないと思いますが……」
「……なるほど、大将首を取ると同じほどに、難しい事なのだな」
「多分そうです」
切って終わり、という考えしか持っていなかった木幕は、少し考えを改めることにした。
何事にも手順がある。
とはいえ、切り殺すのに変わりはないのだが。
しばらく歩いていると、宿らしき看板が目に留まった。
レミはすぐにその宿に入っていく。
それに木幕は続いた。
中に入ってみると、受付と食堂があり、そこでは給仕をしている宿の娘と思われる人物が、せっせと忙しそうに働いていた。
受付にはこの宿の店主らしき、男性がつまらなそうに頬杖をついて虚空を見つめている。
やる気を感じられない。
少なくとも木幕はそう思った。
レミは受付に歩いていき、宿を貸してくれるように聞いてみる。
「二部屋お願いします」
「日数は?」
「とりあえず三日。延長するかもしれないのですがよろしいですか?」
「構わん。じゃ、これ。部屋は二階だ」
店主はそう言って二つの鍵を渡してくる。
随分と小さな鍵だ。
あれでは非常に心もとないのだが、そういえば障子とかに時々ついている施錠も、随分と小さい物だという事を思い出した。
蔵の鍵と比べてはいけない。
レミはそそくさと二階に行く。
階段は一段一段、それなりに低く作られているため、非常に上りやすい。
宿が広いからこそできるものなのだろう。
日の本の民家の階段は、どれもこれも場所をできるだけとらまいとして、一段一段を高く作る傾向にあった。
城ではこれが非常に役に立つものではあったが、一般の民家での生活では、あまり必要はない物だ。
家が小さいから、仕方がないのかもしれないが。
扉の前にやってくると、レミは鍵穴に鍵を挿しこむ。
そして扉を開けた。
「師匠の部屋はここです」
「ああ、わかった」
中には寝具、そして荷物を置くための机と棚があり、非常に簡素なつくりの間取りだという事がわかった。
所々軋んでいるのが気になるが、全てが木造の為、ここは少しだけ落ち着くことが出来そうだ。
窓枠や、壁などを見て回って、この国の大工の仕事を見て回る。
窓枠の継ぎ目などに隙間は無く、窓の開閉も滑らかだ。
良い腕を持った職人が、この宿を建てたのだとわかる。
「今日は長旅で疲れましたので、明日探しませんか?」
「ふむ、確かにそれでもよかろう」
「私は眠いので寝ます……」
「そうか」
そう言って、レミはパタンと扉を閉じて自分の割り当てられた部屋へと向かったようだ。
木幕は床に座って、葉隠丸を腰から抜き、隣にそっと置く。
そして瞑想を始める。
いつもの日課であり、暇なときはこうしているのが木幕は好きだった。
ふと外を見てみると、今は日が高い。
おそらく昼過ぎだろう。
そのことに気が付いた木幕は、腹が減っているという事に気が付く。
朝食を食べるのを忘れていた。
「腹が減ったな」
そういえば一階に食堂があったという事を思い出し、すぐに葉隠丸を腰に差して部屋を出る。
その時に、鍵が挿しっぱなしであったので、それを抜いて懐に納める。
特に盗まれる物はないので、鍵は開けっ放しにして階段を降りた。
一階に戻ってみると、先ほどと同じように店主が虚空を見つめ、娘が慌ただしく働いている。
この宿には泊っている宿泊客が少ないのか、昼であるにも関わらず、人はあまり食堂に集まっていなかった。
木幕は適当な席に座り、もといた世と全く違ったこの空間を、しきりに見渡す。
座る場所は座布団ではなく、椅子。
食事も前に置いてある机に置いて食べる。
文化の違いと言うのはすさまじい物だと思いながら、木幕は慌ただしく動き回っている娘を呼び止める。
「おい」
「は、はい!」
「……少し落ち着いたらどうだ?」
呼び止められ、こちらにかけてくる姿が危なっかしくて仕方がない。
何をそんなに慌てているのかはわからないが、危なっかしくしている者の隣で、飯を食うのは恐ろしい。
「す、すいません……」
「まぁよい。腹が減った。何かないか?」
「分かりました! すぐに作ります!」
娘はまた慌ただしくしながら、調理場らしき場所へと走っていった。
そのことに頭を押さえるが、ああいう性格の子なのだろうという事にして、木幕はすっと目を閉じる。
このような下町では、おそらく礼儀作法などないに等しいのだろう。
高望みをしてはいけないと、木幕は再度認識を改めることにした。
暫くすると、料理が運ばれてきた。
どれも見たことのない料理であり、どれから手を付けようか悩む。
とりあえず、色のついていない味噌汁を手に取り、口に運ぼうとする。
その時。
バァン!
という大きな音を立てて、宿の扉が強引に開かれた。
木幕はそれを聞いて、額に青筋を走らせる。
その場にいた全員も、その音に驚いたらしく、全員の目線がその扉に集中していた。
「くそぉ! くそがっ!」
「落ち着いてくださいよロストアさん」
「うっせえ!! あんなのに俺が負けたなどあり得ないんだ!」
そいつの顔ゆっくりと見て、木幕は無表情ではあるが、怒りを露わにしながらすっと立ち上がる。
「……!? !? お、お客……さん?」
娘がそれにいち早く気が付いたようだが、木幕はスッと手で娘を制して、すーっとロストアの方へと歩いていく。
怒りに身を任せて暴れまわっているロストアには、まだ木幕の姿が写っていない。
隣にいた相棒らしき人物は、木幕のことを見てサーっと血の気が引いていった。
先ほどの場所に同伴していたのだろう。
「し、失礼しまっす!」
相棒はそそくさと宿から出ていった。
「あぁ!? おい! ……!?」
ロストアの背筋がなぜか凍り付く。
なにかが後ろにいるという事がわかったからだ。
それもただならぬ気配を感じ取っている。
ゆっくりとロストアが振り向くと、そこにはすらりと刀を抜こうとしている木幕が写った。
「おいよせ! そいつはBランク冒険者だぞ!」
慌てた様に店主が騒ぐが、その声は木幕の耳には届かない。
それどころか、ロストアの耳にも届いていない。
怒りに燃え上がる木幕と、すでに鎮火した怒りの代わりに、恐怖と言う感情がロストアを震え上がらせる。
「居ね」
「ぎょばっ!?」
自分でもどこから出したのかと言うほど、恐ろしい声が出た。
直後に刀の峰で、動きの止まっているロストアの首筋に強烈な一撃を与える。
防ぐことも、避けることもできなかったロストアは、もろにその攻撃を喰らってしまい、撃沈した。
「飯を食う時は静かにせよと……習わなんだのか。愚か者め」
何故、気絶させられたのか。
何故、怒られたのか理解できないまま、ロストアは意識を手放した。
葉隠丸を納刀し、先ほどの食事の続きをするために席に着く。
味噌汁は味噌ではなく、何かのお吸い物だったようだが、これはこれでうまい。
箸の代わりに、これで掬って食えというのだろうが、やはりここは箸が欲しい。
そう思いながらも、初めて食べる食事に花を咲かせていた木幕に、周囲の空気はゆっくりではあるが穏やかなものになっていっていた。
「ひ、ひえぇ……」
「……? ……!?」
娘と、店主を除いてであるが。
【後書き】
居ねとは、方言で『帰れ』という意味があります( =ω=)
おっと真打の故郷がバレる(oωo)
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