1.2.村


 一軒の家から、まだ夜でもないというのに良い匂いが風に乗って漂ってきていた。


 それもそのはず。

 腹が減って行き倒れる瞬間を見ていたレミが食事を作ってあげていたのだ。

 レミの祖母もそれを手伝っており、そしてなぜか家の周囲には物珍しさに周囲の村人たちも集まってきてしまっていた。


 だがそれを全く気にせず、その男性はガツガツと飯を食っている。

 相当腹が減っていたのか、食べ方としては余り見習いたくないものではあるが、死ぬかもしれない状況だったのだから、この場では目をつぶっていた。


「グッ……んむ……。ようわからぬ飯ではあるが……助かった」

「お口には合ったようですね」


 レミは男性の前に並んでいる空の食器を片付けていく。

 外から見てくる男性陣の目が何だか恐ろしいのだが、それはレミに向けられている物ではなく、見ず知らずの男性に向けられていた。

 レミは村の中でも一位二位を争うような美人であるため、レミに食事を作ってもらっている男に、村の男共が嫉妬しているのだ。


 男はそれに見向きもせずに姿勢を正し、レミとレミの祖母に向き直った。


「お二方、このような某めを助けていただき、誠に感謝いたします」


 男は胡坐をし、両の手の握りこぶしを前に出して頭を下げた。

 変わった挨拶の仕方だなと二人は思ったが、相手が感謝しているという事には変わりはないので、二人はそれを快く受け止めた。


「いえいえ、困った時はお互い様です」

「そうねぇ。それに食べたばかりじゃ体も弱ったままだろうし、今日はここに泊まっていきなされ」

「なんと! 何から何まで申し訳ない……。この一宿一飯の恩、必ずお返しいたしますぞ」

「はははは、変なな喋り方だねぇ」


 二人は勿論の事、外にいる人多とも妙な喋り方に笑いを堪えきれないでいた。

 男は何がそんなに可笑しいのかわからないようではあったが、特に気にしてはいないようだった。


 ひとしきり笑いあった後、一呼吸置いて聞いていなかったことを思い出したように、レミがずいっとまでに出てきて質問を投げかける。


「そういえば、貴方のお名前は?」


 男はそれにハッとしたように顔をあげ、また両の手を前について頭を下げた。


「某としたことが、面目ない! 恩人に名を訪ねさせてしまうとは!」

「え!? え、いやいや! そんな頭下げる事はないですから!」

「むむぅ……?」


 一体何をそんなに謝ることがあるのかわからないが、男にとっては何か非常に重要なことであったようだ。

 少々不満そうではあったが、気を取り直して姿勢を正し、二人の方を見て自己紹介をようやくした。


「某は城主である柳様に仕えていた家臣の一人、木幕善八と申す」

「私はレミ。こっちは私のおばあちゃんのレナです」

「レミ殿、レナ殿と……なにやら変わった名前であるな」

「貴方に言われたくはないわねぇ……」

「む?」


 木幕はそれに首を傾げるばかりではあるが、レミからすれば何故木幕が首を傾げているのか理解できないでいた。

 何せこちらではよくある普通の名前を“変わった名前”というのだから。

 貴方こそ変わった名前だとレミ自身もそう思ったが、この人はおそらく異国の人なのだろうと思い、それ以上は追及しなかった。


 それはそうと、やはり先ほどから周囲の目が痛い。

 普段であればそんなことは無いのだろうが、レミという村でも人気な娘の手作り料理を食べたというだけで嫉妬されているのに、それに加えてその家に男が泊まろうというのだ。

 先ほどまで我慢していた村の男共だったが、ついに我慢できずに前に出てきた。


「おい貴様!」

「む? なにか」

「どこの誰だか知らねぇが、レミちゃんの家に泊まろうだなんて百年早いぞ!」

「そうなのか?」

「いえ、そんなことは無いです……」

「と、言っておるが」

「そういうことじゃねぇ!」


 レミはまた始まったと少し頭を抱えてしまった。

 村の男たちはレミに対して過保護すぎる、というのがレミの抱いている悩みではあったのだが、まさかここでも口を出してくるとは思っていなかったのだ。

 こうなってくると男達はなかなか止まらず、結局レミが折れる形でいつも事態は収束するのではあるが……今回はそうも言っていられなさそうである。


「ふむ……話が噛み合わぬな。では某はどうすればよいのだ」

「違う家で寝ろ!」

「それはだめ! 私が拾ったんだから最後まで面倒見るの!」

「拾った……」


 その言葉は木幕に少し深く刺さった。

 自分が倒れてしまったという事を再認識させられてしまったようで、自分の不甲斐なさに少々落胆してしまっていたのだ。

 しかし、レミは全く悪気がなかったようで、何故落ち込んでいるのか理解できないところを見ていたレナは、似た者同士だなという印象を抱いていた。


 とは言ってもそれを見たところで男達の意思が変わるなどということは無く、今の勢いのままで木幕にレミの家ではなく、違う家で寝ろと強要しているところだった。

 ただ、それをまたレミが止めてしまうので、話がまとまる気配は一向になかった。


 それにしびれを切らしたのは木幕であり、すっと立ち上がって一振りの日本刀を手に取り腰に差す。


「ふむ、某の師範代は喧嘩があれば仕合をして勝った方の言う事を聞けとよく言っておった。さてどうだろう、一つ仕合をしないか? 先ほども言ったように勝利した者の言うことを聞くという事で」

「おう! 分かりやすくて良いじゃねぇか! 乗った!」

「ええ!? 駄目です! だめー!」


 それに一番に反応したのは村人の男達だったが、勿論レミは反対だ。

 木幕はまだ病み上がりといった状態であり、まともに動ける体ではない筈である。

 それなのに激しい運動をさせるなんてもってのほかだったのだ。


 しかし、動き出した男達は止まることをせず、珍しくレミの意見を無視して外へと向かって行ったのだった。


「ちょっとー!」

「レミ、男どもってのは、ああいうもんなのさ」

「駄目でしょ!」

「いいんだよ」


 何が良い物かと、レミはすぐに外に出て止めようとしたが、すでに木幕は男達に連れ去られてしまっており、村一番の力自慢の男性と相対していた。


 何かの催し物が始まったのかと思うほど、その場は賑わっており、もう止めに入れないような状況になってしまっている。

 二人は用意された木刀を所持しており、木幕の持っていた刀は腰に携えられたままだ。

 木幕はその木刀を軽く振って、握りを確認したり自分の調子を確かめていた。


「おうおう! 準備は良いか!」

「うむ。構わぬ。しかし妙な刀だな。反りのない両刃の刀を模した木刀とは」

「あ? 何言ってんだこいつ……」


 木幕にとってこの世界の物は全てが新鮮なものである。

 なのでこの木刀も初めて見る物で、使い方もわからない物なのだ。

 とは言っても木刀は叩くだけの物なので、特に難しく考えることは無かったのだが、両刃の刀という事に少し興味が湧いていた。


 しかし、今はその剣をじっくりと眺めている暇はないようだ。

 対戦相手の男はすでに構えており、こちらに突撃してくる気満々である。


 その構えは剣の柄を体に引き寄せ、背を曲げて刀身を前に突き出しているような構えだ。

 それを見て木幕は……。


「なんと汚い構えか」

「ああん!?」


 木幕にとって、これは素直な感想であった。

 この世界の剣術に興味は勿論少なからずある。

 剣に生きてきた男であれば、興味が湧かないというのはおかしい話だろう。


 しかし、今見ている構えは木幕にとって、非常に残念と思えるような構え方だったのだ。

 これがこの世界の普通であれどうであれ、肩を落とす結果になってしまったことには変わりなかった。


 野次馬が叫びをあげる中、ようやっと木幕も剣を構える。

 背筋を伸ばし、左手に力を入れて真っすぐに剣を持って剣先を相手の喉元に向けて構える。

 剣は優しく持ち、呼吸を整えた。


「スゥ……フーー……」

「せいやぁあ!!」


 男は指示を待たずに、後ろに引いた足に力を入れて大きく踏み込んだ。

 構えが低姿勢のために体重が前に偏り、突発的ではあるがその勢いはとても凄まじく、両手に持った剣が上から振り下ろされていた。


 それを見て木幕は考えを改めた。

 何せあの構えからこのように強力な一撃が振り下ろされるとは思っていなかったからだ。

 それに低姿勢の為、力強く踏み込むことができる。


 この世界の剣術も、見た目こそあれだが、確かにこれは相手を殺せるだけの力があるということが理解できた。


「ふむ」


 しかし、見たことのない剣技だとしても、木幕のやることは変わらない。


「葉我流剣術・壱の型『発芽』」


 振り下ろされてくる剣の腹を、こちらの剣の腹で右に少し反り上げることで軌道は大きく変わった。

 男の攻撃してきた勢いは非常に強力だったため、その反り上げだけで木幕の右側に剣が逸れていく。

 それに加えて男は前に踏み込んできた。

 なのでその反り上げの勢いを利用して、まっすぐに男の喉元に剣先を付ける。


 とは言っても、勢いのままに突いてしまえば本当に喉元を突いてしまうので、数歩下がりながら相手の喉元に剣先を付け続け、相手がそれに気が付くのを待つ。

 男もそれに気が付かないほど、弱いわけではなかったらしく、それに気が付いた瞬間動きを止めた。


「なん……」

「ふむ、良い剣筋だった。先ほどは侮っていたのを謝罪しよう」


 男が負けたとわかった瞬間、周囲は一瞬で静かになった。

 男は訳も分からず負けたらしく、しきりに自分の持つ剣と木幕の持つ剣を見ていた。


「すご……」


 ほんの数秒のやり取りはほとんど見えず、意識せずにふと出た言葉。

 これは本心であり、憧れにもなる物だった。

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