第4章 天道・夢想-6
あーでもないこーでもないと何度も書き直していると連絡が入った。集中しているのに、と出ないでいるとマヤが顔を歪めて部屋に入ってくる。
「何」
「アリマ・マツダが5分後に来ます。シシェーレを目覚めさせますよ」
ということはお役御免か。いや、アリマ・マツダが一般人である以上、護衛という可能性がある。だけど終わりが見えたのはありがたい。
「起床剤投与、5分後に覚醒」
検査員が薬品を注入する。酸素マスクから口腔内に侵入した起床剤はゆっくりとシシェーレを眠りの淵から引っ張り上げる。その横に立って今度は最初から抑え込めるように待機。おかしな行動があればすぐに攻撃できるように構えておく。
「シシェーレの様子はどうだ?」
そしてアリマ・マツダがやってきた。
「暴れる可能性があるので直接の対面は避けて頂きたいのですけど……」
「彼の機嫌を損ねるかもしれんな。それにもう一人連れてきたから、合図をしたら入れてくれ。それと、ピカト・ライファ・アースウィは残ってくれ。私1人では彼が暴れた時にどうにもできん」
「了解です」
「……」
マヤと検査員が部屋を出て、自分とアリマ・マツダ、それに起きようとしているシシェーレだけが残る。
ぴくり、とシシェーレの瞼が動いた。
この場合はこうした方がいいんだろうな、と動く。シシェーレの頭の方に回り、その腕を上から押さえつける。これならいきなり暴れても大丈夫だし、気絶させることもない。
シシェーレの心拍数が上がっていく。立ったままゆったりと構えているアリマ・マツダはゆっくりと近づいて、その顔を覗き込む。
と、シシェーレの足が跳ね上が──るのに失敗して身体が大きく跳ねた。起こそうとした身体が手に当たって胴体はそのままに、頭と脚が痙攣するように何度も跳ねる。
「もう一度殴られたいですか」
本意ではないが、このまま暴れられても厄介なので脅しを口にする。きっと、効果は高いはずだ。
「……」
その目がこちらに向いた。何かを問いたげな眼差しは、胴体を押さえている手に移って沈黙する。
「久しぶりだな。直接顔を合わせるのは何年ぶりか?」
アリマ・マツダが口を開く。その声に、シシェーレは身体の動きを止めた。代わりに口を開くが、酸素マスクで音がこもっている。マスクを外すと息を吸いこんで軽く咳をして、喋り出す。
「なんですか、この仕打ちは」
「もう逃げられてはたまらないからな。用事があるのに困った奴だ」
「あなたに探されているとは思っていましたけど、ここまで追いかけてくるなんて思いもしませんでしたよ。どれだけ執念深いんですか」
「残念ながらお前への興味はあまりない。確かに醒者の1人を逃がしたのは大きいが、戦力として見た場合はそこまででもないしな。適当に泳がせておけば適当に情勢をかき回してくれるだろうしそちらの方が都合がいい。どうせロクな仕事には就けないだろう」
「……」
ピカト・ライファには彼らの話の中身には興味が無い。しかし、耳に入ってしまう以上、脳が勝手に思考を巡らせてしまうのは仕様がない。
(アリマ・マツダと面識があるとは、どんな経歴なのだろうか。たしか監督者だったが)
「ジェン翁のところに行ってくれるとはありがたかった。彼も事情を話したら協力してくれたよ。いや、この件で彼を責めるのはお門違いだ。ジェン翁のことは恨むなよ」
「……分かりましたよ。ですがどんな事情ですか。それによっては実力行使も辞しません」
決断に揺れている目がアリマ・マツダを見る。その瞳に、アリマ・マツダはせせら笑うような声で言った。
「理由は2つ。両方ともお前には直接の関係は無い。だが、人類の危機ではあるのでな」
(人類の危機?)
シシェーレの顔とピカト・ライファの顔は同じ表情をしていた。それに構わずアリマ・マツダは話を続ける。
「まず1つ。グリゴリを知っているか?」
「知りません」
「なら覚えておけ。簡単に言えばネフィリムの上位個体で、光だけではなく炎熱を以って地球を焼き尽くす。ついでに他のネフィリムを率いて来る。こいつはな、ネフィリム以上に厄介で破壊力がある。核兵器を数百個抱えたネフィリムと言えばいいのか、地上に接触すれば熱で地上を溶かし地下へ侵入する。ネフィリム以上に物理的な破壊力が大きくて、あの信神教会でさえ放置しておかないものだ」
(信神教会でさえ?)
アリマ・マツダの過去は色々あったというしどこかで情報を得ていてもおかしくないが、今でも信神教会と繋がっている印象を感じた。だとしたら──いや、主義が異なっても行動を共にすることもある。
「そいつの対応をしろというんですか」
「いいや。そこは2つ目の理由と連動しているのだが……入れてくれ」
扉が開いた。ゆっくりと入ってくるのは少女1人。
(虹の醒者……?)
「……イリス!」
彼女の顔を見たシシェーレの目がかっと見開かれた。
「そうだ。グリゴリを相手にするには最大の戦力が欲しい。だが、このイリス・アースウィはお前がいないと出撃したくないと主張していてな。無理矢理出撃させても撃滅してくれるか分かったものではない」
「……人質、というわけですか」
「お前が協力してくれればいいのだよ。別に戦う必要はない。虹の醒者と共に戦場にいればいい」
「戦場に出れば戦わないといけないでしょうが……クソ狸め」
「残念ながら、それがイリス・アースウィの願いだ。俺にはネフィリムの相手以外は何も強制できない。ただ、そのためならば何でもやらせるさ」
面倒くさい場所に居合わせた、とピカト・ライファは心の中でため息をつく。グリゴリが来るなんて知らされてない。それに、なんだこれは。痴話喧嘩か。肝心のイリス・アースウィはまだひと言も声を発していない。彼女がシシェーレに気があるのは公然の事実となっているが、シシェーレの方はアリマ・マツダの方に興味がありそうだ。本当にこんな奴が必要なのか。
アリマ・マツダの意思は固い。それに比べシシェーレの方は反論すら覚束ないほどに弱々しい。一度は連合企業から逃げたのなら、その意地を見せればいいのに。
「イリス、どうして」
ようやくシシェーレが虹の醒者に話しかける。ただ、それはアリマ・マツダから目を逸らしたとしか思えない。しかし虹の醒者は彼の目をしっかと貫くように捉えていた。
「……あなたと、一緒がよかったから」
「それは……」
「それに、捕まえてと言った」
シシェーレがすがるようにアリマ・マツダを見る。
「醒者の管理も俺の仕事だ。実際イリス・アースウィが抜けた穴を埋めるのは大変だったぞ」
「最初から彼女を人として扱っていれば良かったんじゃないですか。そうすれば抵抗されることも無かった」
「お前と会うことも無かった、と? それはできなかったのだよ。イリス・アースウィ、お前の修練は何だ」
そういえば、確かに虹の醒者の特技は聞いたことが無い。醒者が関する名前は光の色と特技の両方から取られる。虹色は珍しいから名前についてもおかしくなくて、だから特に気にしていなかったけど。
「はい。わたしの修練は、人として生きること。何も才能は無いけど、人としてあり続ける努力と、それと反対な状況が、わたしを人の形に保っているの」
「勿論、こんな強力な兵器を他の醒者と同じ扱いにすることなどできないということもあるがな。しかしある程度成熟するまでは環境上仕方のないこと。例え成熟してもいつネフィリム化するのかという恐怖が残る。確かに思春期を過ぎれば神化はしなくなる──と言われているが、恐怖は止められるものでもあるまい」
「そんな……」
「そんなこと、ではない。最大限に人との接触を減らし同じ醒者との関わりも減らし、機械として扱う。本人が納得していなくとも思考を誘導し洗脳する。それでも本人の意思を最大限に尊重し可能な限り願いを叶えてやる。俺には、人類の利益のために犠牲になれと義務だけを強いるには傲慢が足りないのだよ」
「だからって、じゃあ、これは」
あくびが出そうだ。この男は何を迷っているのか。まあアリマ・マツダの言葉も簡単に頷けるものではないが。
「正直なところイリス・アースウィが求めるには小さなものだと思うがね。既に18歳、神化の可能性は低い。本当はあと2年待ちたかったが、いい機会だ。既に失われた人生の償いに少しは人間らしいことをしてもいいと。ただ、お前には人類の危機を背負ってもらうことになる」
シシェーレは黙ったまま。自分がご褒美扱いされるのに堪えられないのだろうか。だが、虹の醒者との仲は悪くないようだしいいのではないか。それともプライドがどうのなのか。こんな姿で今更。
その時、虹の醒者が一歩前へ出た。
「貴方は、醒者を人の意思と感情を持つ兵器でしかないと言った。でもわたしはそれを求めていたから人でいられた。だけど、少しだけわがままになってもいいと思えた。わたしにはとっくに結論は出ているの。貴方はまだ出せないの」
シシェーレが虹の醒者に何を言ったかは知らない。人の意思と感情を持つ兵器──きちんと分かっているじゃないか。それなら自分も兵器の1つ割り切って、虹の醒者のパーツの一部にでもなってしまえばいいのに。
「──ないです」
「ほう?」
シシェーレが小さく口を開いた。その目が座っている。ようやくか。
「イリスの側に行くのが嫌だなんて、一言も言っていないです」
ぱあっと、虹の醒者の顔がほころんだ。アリマ・マツダも満足そうに目を緩ませる。
「そうか。では正式に醒者となることでいいな? もう暴れはしないな?」
アリマ・マツダがシシェーレに笑顔で詰め寄る。物言えぬ迫力にシシェーレは頷くしかない。
「よし。諸々の手続きは検査が済んでからだな……こちらの準備は全てできているからグリゴリへの出撃に間に合えばいい。ああ、お前の醒者の名前はいくつか候補を挙げているから後で選んでくれ」
自分で名前を選べるなんて贅沢な。少し──ほんの少しだけ羨ましい。
「ああ、あと1つだけ質問するぞ。どうして逃げた。どうしてそんなにも抵抗したんだ」
ぴくり、とシシェーレの耳が動いた。赤くなったそれを隠す術もなく、部屋の隅々に視線をさまよわせてから、観念したように顔を赤くする。
「……初恋、だったんです」
ぼっと虹の醒者の顔が急沸したように頬を染めて後ろを向いた。そのまま出て行ってしまう。
「くっ、ふ、ふっ、くはははっははっははははは!」
そして質問をした当人はというと、腹を抱えて笑っている。
「ああ、面白い。そしてくだらない。──ピカト・ライファ・アースウィ、気絶しない程度に2発殴っておいてくれ。1発は私の、もう1発はイリスの分だ。ああ、イリスの分は強めにな」
シシェーレの顔が青ざめる。忙しい顔色だ。だが、自分も時間を拘束された恨みがある。少し強めに殴っても構わないだろう。
「終わったらもういいぞ。長々と突き合わせて済まなかった」
言い残してアリマ・マツダが出て行った。ようやく終わりにできる。その喜びも込めて左右の連打を叩き込んだ。
呻いているシシェーレを後にして部屋を出た。図面と製図セットを持って部屋に急ぐ。ようやく作業の続きができる。それだけで足取りは軽くなった。
「あ、お帰り」
自分の階に着いた。その自室の前。青年が待っていた。
少し見上げて彼の顔を見る。寝ぐせがところどころ跳ねている長めの金髪はいつも通り。眠そうな目にふにゃりと溶けそうな口元が気の抜けた感覚を人にも伝染すようだ。
「何か用事かしら」
ケルケオン・アースウィ。砂礫と漣波──リップルとペブルのように、ほぼ公認となっている自分のパートナー。だからなのかよく交流を持とうとしてくる。
「ちょっと時間があったからお出迎え。お疲れ様」
「そんなに疲れてもいないわ」
少し邪険な態度を取りつつも、彼との会話はそんなに煩わしくない。だからパートナーになっているのだけど。
「じゃあまた」
「ええ」
こちらの用事に気づいて邪魔をしないでくれるのがいいところだ。ケルケオンは自分の階へ戻っていく。その後ろ姿を少し追っていた。
「さて」
部屋で図面を見直す。その天使の顔が、ケルケオンに少し似ていることに気が付いた。
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