第4章 天道・夢想-4

 ピカト・ライファ・アースウィは戦闘衣に袖を通すとき、これが出撃でなかったらな、といつも思っている。

 醒者の戦闘衣は、それが著しく戦闘に不向きでなければ形状についてはある程度の要望を通すことができる。そうでなくても各々に合わせた個人仕様オーダーメイドだ。若いうちは成長に合わせて何度も仕立て直されるし手間もかかる。外見にどれほどの変化を求めようとコストとしてはあまり変わらない。それに、他の人はそこまで服にこだわりを持っていない。

 しかしピカト・ライファは違う。自分の好みに合わせて服を注文する。

 太腿を股下少し隠すまでのミニスカートの上に足首まで届くシースルーのロングスカートのダブルレイヤ。ロングスカートには切れ込みがあるので動きには困らない。上半身はハリのある半袖のカットソー。それらをまとめて腰の太いベルトで止めている。インナーは手首足首まで覆い重量のあるブーツが重々しさを出している。それら全てが黒いため色白の肌が暗闇から浮き出ているようだ。

 勿論随所に戦闘衣としての仕組みは設けてあるものの外見からそんな様子は伺えない。一般の場でも着用できるものとして完成されている。

 だから、その日、ピカト・ライファが選ばれたのはある程度の思惑があってのことだろう。

「わたしに、そのシシェーレ・ルシャナを捕まえてきてほしいと?」

 机に向かって腕を組んだ姿勢のまま、手に黄色の光を浮かべて彼女は言った。画面越しに見えるインステル・アルト=カーディナルの顔は焦燥感と安堵に満ちた忙し気な顔で、今にも飛び出すか萎んでしまうかに思われた。

『そうだ。ようやく彼の居場所が判明した。もう時間が無い、穏便に身柄を拘束することはできそうだが念のために醒者を投入したいのだ』

 穏便な拘束って何だろうな、と思いつつピカト・ライファは聞き返す。

「そのシシェーレっていう人はどんな醒者なんですか」

『情報は足りないが、基本的には身体強化系だと思われる。ただしそれも確証が無くてな、映像では光をぶつけているだけに思えるのだが本人にも武道の素養があるそうだ。そこから判断するに身体強化、ということなのだが』

「……なるほど。わたしが選ばれるわけです」

 日常でも使用できる戦闘衣を即時用意できて醒者を抑える力を持つ醒者が必要ならば、彼女以上の適任はいない。

『これが目標だ』

 彼女は視界に表示された顔を覚えようと見る。

「これが……」

 髭の似合わない優男。ピカト・ライファが受けた印象は市井の通りすがりの人を見るものとほとんど変わらなかった。そもそも相手が醒者といっても見覚えの無い顔なのだ。監督者として戦闘を見ていたかもしれないが、まあ覚えているわけがない。

『協力者が鎮圧しているだろうが油断はするな。だが、くれぐれも外見と頭は五体満足で頼む』

 難しい注文にピカト・ライファは眉に皺を寄せる。どれくらいの手加減が必要だろうか。

 ピカト・ライファの黄光は身体強化。ただの拳を暴力を超えた絶大な破壊力へと変貌させる。強弱はつけられるが相手が醒者で戦闘に長けているなら適切な加減はできそうにもない。技術など考えず、ただ力に任せて相手を吹き飛ばすだけの力だから。

「まあいいでしょう。その協力者とは連絡が取れるのですか?」

『司令部経由で連絡が入る』

 了解しました、と彼女は話を切った。どうせ連絡がつくまでは待機になるのだと。

『待った』

 だから回線が再度繋がった時、少々の苛立ちを隠せなかった。

「何でしょうか。話は終わりではなくて?」

『話の続き、というよりも本題だ。これから統合国家に向かいシシェーレ・ルシャナを確保してくれ。場所も確定している』

 飛んできた通信文を確認すると、ご丁寧に施設の部屋の場所まで明記してある。

「お膳立ては済んでいるということ……」

 この分だと、到着したらすぐに回収できる用意は整えられているだろう。実質的な役目はいざという時のためで護送に使われるといったところか。気持ちも分からないでもない。核物質を貯め込んだ怪獣を抑え込めるのは、同じ怪獣だけなのだから。

『準備が完了次第いつも通りの格納庫へ向かえ。出発準備は既に終わっている』

 ため息をついて作業中の机から離れた。仕方ないとはいえタイミングが悪い。

 戦闘衣に着替えて司令部を上へ。天井を通り越して格納庫に到着すると、出発準備をしている輸送機は2台あった。

「どちらに乗ればいいのかしら」

 一斉に、声を発した彼女に視線が向いた。服が違う。雰囲気が違う。ただそれだけで空気が彼女に集中する。一種のアイドル、偶像だ。

「ピカト・ライファ・アースウィさん! こちらです!」

 片方の輸送機から声がかかる。もう片方の輸送機でも作業の手が落ちている。

 例えて言うならば明かりを前にして飛び込むのを我慢する羽虫のよう。彼女がそこにいるだけで空間は倍以上に艶やかになり、魅力的に映る。

 それは強さにもある。彼女の出撃は勝利の女神と同じ。必ず絶対的な勝利を持ち帰る。醒者に敗北は珍しいが、それでも善戦ばかりではない。その中で苦戦すらせず一瞬のうちにネフィリムを撃滅させる彼女の出撃は、特異なものであり人類の誇りとして捉える者もいる。

 ゆえにアイドル。勝利の偶像。

(本当は、わたしの方じゃないんだけどさ)

 しかしピカト・ライファは知っている。いつも彼女と共に出撃している相方にこそ強さがあると。ピカト・ライファにはそうとしか考えられない。ただ、自分の方が耳目を集めるのに向いているだけで。広告塔に向いているだけ。

「リキ」

 声をうるさいと思いながらピカト・ライファはもう片方の輸送機に近づいた。移動線上の整備士が道を開けるが、その先に顔だけしか動かさない男がいる。

「なんだ」

「大変そうね」

「お互いにな」

 リキ・アースウィ。これから出撃するのだろう。相方の男が輸送機から顔を覗かせている。

「1人欠けただけでも負担よ。きちんと役目を果たしてもらいたいものね」

「そう言ってやるな。うまく言葉にできんが、彼女は俺たちとは違うやり方で生きてきたのだと聞いている。ならば別のやり方、別の扱いとなってもいいのかもしれん」

「あら、そう」

 軽く挨拶を交わして自分の輸送機に向かう。整備士への態度、他の醒者との関わり、それらは全てパフォーマンスだ。彼らが望む“わたし”を演じている。そういう役目。それだけで少しでも人類が救えるならと思うとやらないわけにはいかない。

 ──本当の自分など、ベッドの上で何も考えず横たわって眠りに入る寸前の瞬間だけにしか存在しない。そもそも本当の自分とはなんなのだ。決してイリスが特別なわけでもなく、醒者全員が兵器として育てられている。だったら役目を果たすだけと割り切って生きていくと。

 勿論それが司令部、ひいては連合企業、どころか人類によって強制された在り方だとしても。外部から影響を受けない者はいない。ならば、それを自覚して役目に沿って生きていた方が楽だ。

 目の前の役目も果たせないイリスと、そこから発生した余剰の役目に苛立ちを感じた。ピカト・ライファに本音というものがあるならそんなところだ、と彼女は考えていた。

 自分の輸送機に乗り込んで席に背中を預ける。必要な物資は既に運び込まれており出発はすぐに行われた。

 目的地は統合国家の一都市にある大学。そこに彼がいる理由も居場所が分かった理由も知らないし知らされない。それは兵器が知っても意味の無いこと。

 到着までは時間があった。いつも服に入れている裁縫道具を取り出す。修練の一つとしてどこでも手を動かせるようにしているのだ。縫い物、編みぐるみ、服飾。そういったことが彼女の修練。そうして作られたものは時折まとめて売りに出されているそうだ。その分の給金で自分用の服を作ることもある。たまに外出しては実際に布を手に取って触り心地を確認し見繕う、その時間は少し楽しい。

 自分の趣味が自分の内部から自己発生したものか設定された修練からの発生か、既にそんなことは気にならなくなっている。人の手によって作ることにもはや道楽以上の意味は無くなっている、そんなところが自分に合っているのかもしれない。

 一心不乱に針と糸を動かし続ける彼女に話しかける者はいない。普段の出動と異なり人を確保するため、一般(といっても高度に訓練を受けた)人も搭乗しているが彼らの目は見張るようにピカト・ライファに向けられている。好奇と警戒が混じった、爆発物を詰め込んだぬいぐるみを見ているような視線。

(そういえば、司令部だとこういう人たちは見ないわね)

 こういうものは過去に経験がある。実の娘を見る親の顔がおぼろげながらに目に浮かぶ。それは後で自分が造り出した光景かもしれない。でも、3歳まで育てた娘が人間ではないと知った時にはそんな顔もするだろう。

 思い出を突き刺すように、無心になろうと布に刺繍を入れていく。時間も何もかも忘却の彼方、ただ指が記憶通りに動いていく感触しかない。目に入る情報は布と針と糸のみ。耳は何も聞こえず。自分は機械。命令通りに動くだけの機械。じゃあ、その命令は誰が出している?

「降下します」

 ハッとして手を止めた。顔を上げると他の人たちの顔つきが変わっていた。穏やかなのに腹の中では糸が渦巻いているような違和感。それでいて切れ目の無い力強さも持っている。──目だ。違和感は目の中にあった。瞳が何かを見据えているように一点から動かない。まるで眼差しそのものが力のようだった。

 段々と大地が近づいていく感覚が身を包む。重力に引かれて降りていく。出撃の時と同じ感覚。

 そこからが違った。一度地上に降りた振動。そこから再びの下降。地下へと入ったのだ。ゆっくりと垂直に地底へと入っていく感覚は帰投する時の様で少し感覚が違う。そこから十数分も経ってようやく停止した。

「降りてください」

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