第4章 天道・夢想-3

「それで細かいことは脇に置いておいて、教授」

 シシェーレは居ずまいを正す。腰を深くソファに沈め、軽く息を吐いた。

「どこの宗教団体に協力しているんですか」

「信神教会、セフィリア、クリフォス」

「よく生きていますね」

 3つともシシェーレでも知っているほどの宗教団体だ。信神教会は一番勢力を広げていて、神子をネフィリムにするので世界中から忌み嫌われている。セフィリアとクリフォスはネフィリム排除という目的は同じだが、宗教上の解釈の違いから非常に仲が悪い。

「観測機は最低3つあるということですか」

 ジェンがこうも容易に名を明かしたのを疑念に浮かべつつシシェーレは話を続ける。そんなものがポコポコあってはたまらない。

「いや、統合国家に1つと信神教会に1つ。私が知っているのはそれだけだ。コピーが作られている可能性もある」

「いや……統合国家にあるのなら神機ってその機能で造られたものでは?」

「観測機でも醒者を産み出すことはできぬ。ネフィリムに対抗しようものなど……いや、観測機は全てを見定めるもの。もしもネフィリムに対抗しうる存在を観測したなら、その結果が神機なら? いやいやそんな存在がいればもっと騒ぎに……それを秘匿できたら、と考えるのは? いやいや安い陰謀論になってしまう」

「そんな存在がいてもおかしくないし、そんな存在を呼び寄せてもおかしくないほど観測機は優れているということですか」

「優れているのではない。求められている機能が違うのだ。観測機は宇宙を読み解くもの。予測機は未来を類推するもの。観測機を未来予知に使うのはそれほど意味の無いこと。ごく一部の結果を見るだけで稼働効率には見合わない」

「宇宙を読み解く? そういえば教授は昔は宇宙論の専門だったとか」

「ああ。宇宙は球体の表面の膜の上に乗っているもの。それを立証するためにこの理論を基にして観測機を造ったのだ。いや、私は理論を提供したに過ぎないのだが」

 誇らしげに満足そうな表情でジェンは語った。

「宇宙を球体とする論は元からあったし表面だけが宇宙だというのも、まあ幾つかは見かけた。それでも私ほどの者はいなかった。権力者と繋がりがあり、自身の論が有用だと納得させ、さらに実際に観測機として結実させられたのだからな。

 最初は23年前のことだ。第一号機だったが申し分の無いパーツがあって後発のものと遜色ないほどの完成度だった。今でも数年に1度改修を加えて現役だ。二機目は20年前に統合国家の依頼で製作したが、これが難産でな。統合国家は未来の確定機としての役割を求めてきた。連合企業に負けないようにするためだとか。そんな下らないことと言い放ってしまえれば良かったのだが、見返りは永住権と保護だ。だからやるしかなかった。

 しかしあの時の私は冴えていた。未来予測の機能を強化することなど不可能だったが、無数の未来に繋がる現在を観測することを思いついた。平行世界理論はこの段階で取り入れたのだよ。単純に宇宙の可能性を観測するだけでなく、分岐されたそれぞれの平行世界を行き来可能な物理的分割と仮定した。ゆえに未来時空を数値化して現在の行動から未来を引き寄せることが多少なりとも可能になっている。もちろん、予測機でも同じ結果を出すことは可能だがね」

 ところてんを勢いよく押し出すが如く話し終えた彼はお茶を取りに立ち上がる。その間にシシェーレは息を吐いた。次に何を話すか考えている。

(正直に言って隠れ家さえ提供してもらえればいいんだが……このまま昔話からどう持って行くか)

 そこまでする義理は今の段階では教授には無い。交渉材料は醒者を受け入れた自身のみ。少しでも彼が自分を手元に置いておきたいと思うようにはどうすればいいか。

「教授、それで」

 コップを持って戻ってきた教授にシシェーレは声をかけた。教授が一口喉を潤すのを待って言葉を続ける。

「もし醒者ならば神機に近づくことも可能かと思うのですが」

「そうかな? 統合国家といえども醒者は保持しているし研究も進めている。外から来たお前が何かできるとは思えんが」

「連合企業に所属しており、あの虹の醒者と共同でネフィリムを撃破したという実績もあります。映像記録も残っていますよ」

「ふむ、だとしても、映像を渡し話を聞いて終わりとなるのではないのかな。むしろスパイとして拘束される可能性もある」

「曲がりなりにも醒者ですよ。それが可能かどうか」

「使い減りのしない神機の実戦相手にはなるかもな。それならば一定の身柄は保証されるだろうか?」

 教授の目がいたずらっぽく笑った。どうやらシシェーレの思惑は透けて見えていたようだ。緊張をほぐすためにシシェーレもお茶を飲む。

「教授。何とかして安静に暮らす方法は無いですか」

「そうそう。それくらい正直な方がいい。

 ──さて、醒者以外の君には連合企業の情報としての価値しかない。醒者はどの国、どんな団体でも欲しいとはいえ君ほどにもなると怪しまれるだろう。いくら私の紹介とはいえどうしようもない。この認識は共通かな?」

「はい」

「よし。私の案は、このまま連合企業に戻ることだ。──話は最後まで聞いてもらいたい」

 腰を上げたシシェーレにジェンは両の掌を向ける。座りなおしたシシェーレは訝しげな視線でジェンを射抜くように見つめている。

「太陽、私の立場はよく知っているだろう。早晩アリマから連絡が来るだろうし、私は君の所在を教えなくてはいけない。嘘を言っても向こうには分かるだろうからな。また、私の目が届かないところで統合国家に助けを求める場合は充分な庇護は受けられないと思え。その場合はすぐにでも連合企業に連れ戻されるぞ」

「……意外と教授が心配してくれているのは分かったんですが、」

「君に何かあったら醒者が減るだろう。それは大きな損失だ。だが、私の手元に置いておくだけでは私にも君にも害になる。それだけだ」

 照れ隠しなのか本音なのか判別が難しいが、きっと両方だろう。割合を気にしてはいけない、とシシェーレは話を続ける。

「今さらどんな顔で戻れって言うんですか」

「そこは私が口利きをする。アリマも私の教え子だぞ」

「それが保証になりますかね……」

「なるだろうよ。どこも醒者を欲している。しかも君はあの虹の醒者の心を動かしたのだろう」

「余計に排除されませんか、そんな不確定要素は。少し話せば彼女が機械みたいに扱われてきたと分かりますよ。確実にネフィリムを排除するための兵器に感情など必要ないでしょう」

「それは分からん。さっきも言ったが醒者という存在自体に不明なものが多い。なぜ修練を重ねれば人として残るのかもだ。人の感情が関わっている可能性も大いにある。ならば恋心も立派な研究対象だ。叶うのならば私自らが観察したいところだよ」

「……教授は統合国家を離れられないんですよね。イリスを連れてきたら匿ってくれますか」

 ジェンの耳は素直に音を電気信号へと変換させジェンの脳へと届けた。しかしジェンの脳は理解を拒んだのか、その顔には明らかに疑問が浮かんでいた。

「あー、何を連れてくると?」

「イリス・アースウィ、虹の醒者です」

 今度こそジェンの顔は呆れ顔と、そして渋面へと変化した。

「面白くないな」

 馬鹿にしているのでも嘲笑っているのでもなく、心底興味を失った声だった。あまりにも実現性のないこと──それを口にした当人が冗談にも程遠い様子──が余計に教授の神経発火を冷ましたようだ。

「それを許す連合企業だと思うか」

「イリスの意思ならば」

 物を諭すようにジェンは肩の力を抜いた。

「醒者が止めるぞ。さすがに殺しはしないだろうが自由を奪い幽閉する。洗脳は当たり前。私が連合企業に行く方が遥かに実現性がある」

「……なら、他の醒者が協力すれば」

「くどい。そんな酔狂をする醒者がどこにいる」

 理も利も無い話はおしまいだとジェンはソファの背に身体を預けた。

 連合企業に戻るしか無い八方塞がりとなったシシェーレは頭を振った。

「教授、最初からその結論以外は考えていなかったでしょう」

「その通り。意外と鈍いな君は。連合企業にいれば少しは頭もよくなると思ったが」

「そんな暇はありませんよ」

 醒者の管理は、彼らの出撃だけではなく、日常にも適用される。醒者の発見や力の源たる光、人の状態を維持する修練、日常生活が正しく行われているかを管理する。それらの実行は司令部だが監視し決定を下すのは管理部だ。醒者のことを調べることはできるが、それ以外を学べる機会はそう多くない。

「さて、その頭でどうする。連合企業への道はつけよう。それ以外の道を選ぼうとするならば多少強引に道に乗せるまでだ」

 そこまで話を持って行くならば、既に教授は連合企業に連絡をつけていると考えられた。本当に足止めだったか。

「ですがね、力づくという方法も──」

 立ち上がろうとしたシシェーレの視界が一瞬暗転した。立ちくらみかと思ったその時、腰が引き戻されるようにソファに落ちる。その時になって、ようやく力が入らないと気づいた。

 不調に気づいてしまえば今度は精神が身体の異常を訴え始め、自覚が意識をさらに泥の沼へと引きずり込む。視界にもやがかかっている気がする。確かめようと瞬きをする瞼が重い。眠たい感じはしていない。疲れているのか。でも、ならばどうして気づかなかった。

「何を……」

 思い当たるのは飲み物。飲んでから十数分は経っているから薬が身体に回るには充分。油断したか。それに興奮していたこともある。

 頭が働かない。

 教授、と口を開こうとして漏れたのはうめき声。

「あひあ……おいまら……」

 崩れ落ちる意識の向こう側に行く前に見えたものは、同じく意識を失って倒れる老人の姿だった。

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