第4章 天道・夢想-2

「そういうことを調べているのが教授の役割なんじゃないですか」

「専門外なのでな。それと、宗教の類は昔に散々な目に遭ってあまり深入りしたくないのだよ。あの時に叩き込まれたことがまだ頭の片隅にこびりついている」

「はあ……でも、その神機がうまく動作しているのなら、宗教的なことは抜きにしてもきちんとした研究の成果なんでしょうね。教授はいまその研究に携わっているんですか?」

「外部顧問という形だが、ネフィリムに関連することなら何でも呼ばれるからな。ほとんど雑用のようなものさ」

「へえ。ネフィリム対策なのに教授ほどの人でも雑用ですか。よっぽどの人が統括しているんですね」

 シシェーレは壁へと視線を走らせる。その中には、ジェンと同じかそれ以上にネフィリム研究で名を馳せた人も混じっている。十人に満たないその顔を思い浮かべつつシシェーレはジェンの返事を待つ。だが、それは予期せぬもの。

「いや、違うのだ。ネフィリム関連の事柄が雑用になるくらいネフィリムが重視されていないのだよ。醒者についても同じだ」

「は? それは」

「従来ならあり得なかった。そして神機というシステムを知らなければ私も信じなかっただろう。それほどまでに悟りと涅槃が産み出す力は大きいのだ。──ただ、私はその中心からは遠ざけられているので詳しいことを知らない。研究したいのだが仕方ない」

「では、本当にさっきの説明だけだと?」

「ネフィリムがユダヤ教およびキリスト教由来の存在ならば別の宗教からも神性存在およびそれに類する存在が出てきてもおかしくないだろう、くらいには考えている。まあ、それも名前だけのものだ。本来ならば、神機を鹵獲して内部を調査したいが、そこまでの権限は無いし目立つのも良くない」

「教授は確かに変な噂には事欠かないですからね……」

 アリマ・マツダのような大物と繋がっているくらいだ。

 統合国家にとって連合企業は目の上のたんこぶ。国家という、人民を保護し人権を保障する単位を企業が持ってしまったのは、国家にとっては許容しがたいこと。最初の内は有り難いと言っていた国もあったが、そのうち経済を握られるようになると侮蔑と悪態をつくようになった。国民が掌握されていればいずれそうなるのは分かっていただろうに。

 そして、最後に連合企業は経済圏を作り上げ、人々に住む場所と労働と報酬という生存の権利を与えた。主権は持たずされど民は居る。どの国も彼ら企業を国家として認めることは無かったし、連合企業も認められる必要は無かった。ただ、資本主義に基づく活動を行っているだけで彼らの持続と発展は保証されたのだから。

 力を失った国家が連合企業をどのような目で見ているか分かるだろう。しかも、ジェン・ガンロウは今でこそ統合国家にいるが連合企業ともある程度の繋がりを持っている程度には能力のある教授だ。疎むだけの者もいれば逆恨みしている者もいる。

「好きに語らせておけばいい。この年齢になると訂正するのも馬鹿らしいのだよ。それに、少しくらい謎があった方が目隠しになるとは思わんか?」

「何からのですか。二重スパイのですか」

 むしろ確実にやってなければおかしいという色を込めてシシェーレは言う。ネフィリムの研究が捗るためならば情報の漏洩は共有に変わる。最も、それを承知の上で彼に情報が集まるのだ。その上で、本来なら機密にしておくべき事柄をも半ば意図的に流出させる。そうすれば研究が進むから。

「多重ではないのか?」

「……まさか宗教団体にも手を出していないでしょうね」

「さあて。古い友人に玩具作りのアイディアを出すくらいはあるがなあ」

「……そのうち捕まりますよ」

「情報は、本来ある程度流通した方がいいのだよ。経済だ利権だと格差が利益を生むシステムを固辞していれば世界はネフィリムのものになってしまう。その利益によって醒者が活動できているなら別のシステムを作る手伝いもするさ」

 ブレない。教授の芯はどこまでも続く研究への探求心に支えられている。

「しかしそれにだって限度はあるでしょうに」

「なに、捕まらなければいいのだ」

 それで何十年も生きてきた人物が言うのだから重みが違う、と軽々に言ってはならない。きっと匙加減が上手かったのだろう。多分。

「ところで、その機神というのは実際に見られるのですか?」

「無理だ。出撃したところも非公開だし私自身も実物を見たことは無い」

「教授でも無理なら駄目ですね。いやはやそんなにセキュリティが硬いとは」

「まあいいさ。その内、嫌でも成果を広報するため時期が来るだろう。そうでもないと醒者からの世代交代ができないからな。あとは、奴らが技術を独占するかどうかだ」

「連合企業は、醒者以外は一目見ただけでもそれ以上に再現できると言いますものね」

「神機が醒者と同じような技術……いや、醒者と同じ存在なら連合企業にも真似はできないはずだが……それは後のお楽しみか」

「ええ。しかし教授が話すことの方が多くないですか」

「仕方ない。私の経験の方が多いのだ。ほれ、何か話題は無いのか」

「教授……話し相手に飢えていたわけではないですよね……」

 と言われてもシシェーレには話すようなことが思いつかない。切っ掛けになる話題も、そうそうすぐには浮かばないものだ。

「じゃあ、さっきの話に戻りますがネフィリムの力ってなんだと思いますか」

「光、だけでは納得しないだろう? しかし光としか言えぬし、ネフィリム単体では詳細は不明。それを知るには実際に灰雲の上に行ってみないことにはどうも分からないだろうよ」

「そもそも灰雲って何なんですか。地球を包んだ灰色の物質で、中は雷で荒れているため活動は不可能。どんな耐性を持つ物質を放り込んだって途中で消滅する。醒者ならあるいは、と考えた者もいたが、結局醒者の限界の方が早かった。表面に出ている場所でサンプル採取もやったらしいですが結果は不明」

「ああ、結局何も採取できなかったのだよ。構成物質は不明、というよりも確定と不確定の間を行き来する量子的な存在と言った方が正しいか。しかしおかしなことだ。量子ポテンシャルを保ちつつ現実空間にそれを反映させ、あまつさえ可視光線として存在するのは光を置いて他にない。実際、灰雲も光の1形態という観測結果が出たこともある。

「──が、物質として存在する光とは何なのだ? 光は粒子と波動という2種類の形態として観察される。粒子は物質だが、その質量はあまりにも小さく物体と呼べるほどの大きさにはなり得ない。同時に波動も状態としてのみ存在するのであって物体とは異なる。

「はっ──もしかしたら、灰雲とは光ではなく影なのではないか? その本質は4次元以上の高次元にあり、3次元へと照射された光が落とす影。内部は実在と非実在の光がせめぎ合い、何らかの要因で現実に漏れ出したものがプラズマとなっている。だとすれば灰雲の上にあるのは空などではなく高位次元の可能性──!!!」

「教授、興奮がダダ洩れになっていますよ」

「お、おおすまない。だが面白いことを考えついてしまっては止まらないものだよ。そのために──ほれ、録音もしている」

 突然椅子の裏側から取り出されたものを見てシシェーレは首を落とした。盗聴器と言って差し支えない小さな機械。そんなものをメモ帳代わりに使うとは、感心すればいいのやら呆れればいいのやら。

「でも灰雲の観測結果なんてどこで手に入れたんです? そんな特殊な状態の物質を観測できる機器なんてどこにあるんですか」

 科学が発展した現在でも高次元の存在を確立するレベルでの観測は難しい。ネフィリムがそうではないかと言われ、醒者がその存在を明らかにすると囁かれているだけで、実際に高次元存在の物理的証明がされた事実は無い。

「伝手を辿れば意外と見つかるものさ」

「そんなわけないでしょう。いや、そもそもそのレベルの機器なんて実在できるんですか。連合企業の醒者と関わりの深い部署にはいましたけど、ネフィリムの光臨を予測するのが精いっぱいでしたよ」

「それは単なる予測機だろう。観測機はそもそも考え方が根本から違う。予測機は現在の状況から未来を予測するのに対し、観測機は複数にわたる未来の状況から特定の未来を観測する。観測機にとって、未来は確定した可能性の1つに過ぎない」

「未来の先取りということですか? 平行世界論では起こりうる全ての事象ごとに未来が分岐しますが、そのうちの1つを完全な形で予測して、いえ、それだと確実ではないですね。確定した未来が存在しなければ、その観測というものは成り立たないのでは?」

 時間という概念への疑問。シシェーレの言葉はもっともだが、その答えは前世紀から証明されている。

「その通り。未来が確定しているという考えの基に成立する問題だよ。高次元に於いては時間がグラフの目盛りに過ぎず、私たちが認識している物体のようにそこに存在する。ゆえに、観測機は既に発生している事象を発生する前の段階から見定め、未来を選ぶのだ」

「先にこうなるだろうという予測ではなく、無数にある未来から選択肢を掴み取る荒業。曼荼羅のように広がる平行世界をも支配する、と」

「曼荼羅というものが何かは知らないが、平行世界に手を伸ばしていることは確かだな。この理論を基にして観測機は完成したのだ」

 誇らしげに語るジェン。彼が語った理論がどこの観測機に使用されているかは定かではないが、真っ当な機関には置かれていないのだろう。いくら教授といえど提唱される理論としては突拍子も無い。さらに言えば、それが実証されたとして予測機と大差ないことだ。確実な未来は不可能だが確実に近い未来を先取りするならば予測機でも充分である。

「知らないことは調べてくださいよ」

 その様子に苦笑を送りつつシシェーレは手に持った端末を操作した。教授が提唱した理論はどれくらい広まっていて、また公開、あるいは実証されているのか調べるため。

「へぇ」

 軽く調べただけでも古くは2000年代。平行世界説になるとキリが無いので観測機という言葉で縛っても数万件はヒットする。

「ってかこれ教授のじゃないですか」

「おお、そうだな」

「まさかネフィリムの前からだとは思いませんでしたよ。切っ掛けは何ですか? マンガですか? アニメですか? それとも軽い読み物ライトノベル?」

「そういったものではなくて、さらに前の物理学者の話だよ。ボーア、ラグランジュ、アインシュタイン。もう少し本を読まないかね」

「そんな生活ができる暇は無かったんですよ。鍛錬と──修練でしたっけ? ──生きていくために必死で。教授の講義も飛び飛びでしたし、せいぜいネフィリムと醒者について基本的なことだけしか頭には入らなかったですよ。それ以降は実際に動くようになってから身に付けましたけど」

「たまに顔を出すとは思っていたが、まさか大学に入学していなかったとはあの時は驚いた。そのうえわたしを頼って連合企業に渡りをつけようとした時は、まあ図々しいものだと思ったよ」

「あの時の呆れ顔が腐れ縁になってますよ」

「それは隠れ醒者と明かした後のことだ。そうでもなければ──地上に放り出していたくらいにはつまらない」

 決して冗談ではないところが怖い。その代わり、すべての行動が冗談を挟まずに進行するので実の部分だけで話が進み、やりやすい。

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