第4章 天道・夢想-1

 シシェーレ・ルシャナにとって、人生とは苦労の連続だったが、幸運の連続でもあった。身に着けた古武術を活かして各地を飛び回り様々な人にも会った。その縁が今、逃亡生活の中で活きている。

「お前ももう少し慎重に立ち回ればいいものを……」

「残念ながらジェン翁、そんなに器用なタイプじゃないのですよ」

「色恋沙汰は賢いとは言えないな」

「人が人である以上、仕方のないことですよ……それを無視できるほど器用じゃない」

 それなりに大きな部屋で2人が応接用のソファで向かい合っている。本棚が壁の一面に陣取って部屋を圧迫し、対面には写真が並んでいる。それら全てが彼と彼の教え子の集合写真。壁一面を埋めるほどの数が増え続けているのを、久しぶりに見たシシェーレは関心しつつも若干恐々としている。

 シシェーレと向かい合っているのは眼光鋭い老人だ。シワも少なく髪も黒く精力的な様子はまだ50歳と言っても通じるだろう。しかし実の年齢は89歳。ネフィリムどころか1900年代を見てきたというそれなりに珍しい人物だ。名を真・光楼(ジェン・ガンロウ)という。

「だが太陽よ、いい頃合いではないか。自らの正体を明かしたのだから、なし崩しで全部任せてしまえばいい。どうしてアリマの下から逃げたのだ」

 シシェーレ・ルシャナ──本名を獅子烈ししれつ太陽たいようという──は露骨に目を泳がせながら言う。

「えぇーと……醒者だとバレたから身を隠さないと面倒くさいじゃないですか。それに教授のところなら逃げ切れるでしょう」

 言い訳にしか聞こえない言葉にジェンはため息をつく。その場の雰囲気と言われるよりはマシか。

「アリマのしつこさを見くびるな。ここが統合国家で連合企業の影響が少ないとはいえ流通は機能しているし人の交流が制限されることはない。通行も正式な手形パス1つあれば阻害されはしない。観光ついでにお前を見つけて連れて帰ることも可能だ。──それに、私だって身の危険は避けたい」

「……まさか、もう報せてないですよね」

「まさか。久しぶりの教え子との再会だ。そんな無粋な真似はしないさ」

(そう言って話で足止めするつもりなのかね……)

 シシェーレは疑いを隠して話を逸らす。椅子に深く座りなおして息をついた。

「ところで、どうしてここにいるんでしょうか。いまの時間なら講義では?」

 ジェンは教授である。国家という枠組みすら臨機応変な世界になっても教育機関はしぶとく生き残り、それなりの権威を自力で獲得した。ジェンはその最前線で活動し、今なお大学で講義をしている多忙な身だ。それこそ逃亡者如きにかかわっている暇は無いはずだが。

「いや、久しぶりだ。訊きたいこともあるだろう?」

「そう言っている教授が訊きたいんじゃないですか?」

「まあそうだ。だが、聞けば話すのは道理だろう。何でも訊いていいぞ」

「いいですよ。教授が訊きたいことからで」

 すまない、と言いつつも身を乗り出してジェンは口を開いた。

「まずはネフィリムについてだが……どう考える。直接戦ったのは始めてだろう」

「無理ですよ。あんなもの1人じゃ相手できません」

「それは戦闘能力か? 防御能力か? それともお前の力不足か? 確かに武術では相手にならんだろうが、その藍光なら対抗できるのではなかったのか」

「教授も知っているでしょう、光には強弱があるって。藍光はネフィリムに対してそこまで破壊力を持たないみたいなんです」

 思い返すだけで力不足を思い知らされる。もっと力があれば、彼女をもっと危険にさらさずに済んだのに。

「ふむ、だとするとお前、醒者としては弱い方なのか」

「ええ、きっと。光自体がネフィリムを破壊するものだということは確実なんですが」

「それは実際に戦っての感想か? それくらいなら研究で分かっているが」

「実際の感想です。イリスの虹光と比べると、破壊力でも使い方でもこちらの負けですよ。光の扱い方を練習して来なかったということもあるのでしょうがね」

「あの虹光に対抗できる光の持ち主などそうはおらんよ。私が見てきた中でも最大級の光だ……かつて見た白光にも劣らぬほどにな」

「白光? そんなものがあるんですか」

「一般には話してないがね。何よりも強く輝き影すら消し去って及ばない、ネフィリムのそれよりも白い光。昔に何度か遠くから見たことがある程度で詳しくは知らぬのだが。だから本当に醒者のものかと訊かれればはっきりとは答えられない。まあその醒者が生きていてももう四十を越しているだろう」

「その光と同じくらい、虹光は強いと」

 シシェーレの興味は醒者の強さにもある。自分の藍光を強くできるのならその方法を知りたい。

「一概には言えぬが、醒者の光は白に近づくほどその力を増す。いや、ネフィリムと同じように、何事も可能にする光になる、というべきか。──そもそも醒者の光とは何か覚えているか?」

「ええ、『ネフィリムと同質の光、ただし人に宿って変質したもの、いわば墜ちた太陽』でしょう。講義のたびに言っていたじゃないですか。耳に染みつきもしますよ」

「そうだ。あの頃は若かったから多少詩的になっているきらいはあるし、恥ずかしいからもう使ってはいないのだけどね。根源がネフィリム、あるいはその元となる存在にあるのは間違っていないだろう。それがヒトという出力器官を介すると微妙に異なるものとなる。いや、ヒトに押し込められて形が変わってしまった、と言うべきなのかもしれないな。いずれにせよ両者は、人とチンパンジーくらい近しいもので、異なるものだ」

「それで? 色については、たしか光の要素が分裂したものだ、とか言ってましたよね」

「光の波長、それがまとまって白や無色に見えているだけで、分解すれば光は多色の集合だ。白光、あるいは虹光は、多色が混じり合った存在と考えられないか。そして単色はその分だけ要素が薄く、より力も弱くなる。……光の強弱にも個人差があるから一概には言えんがな」

「だとすれば混色の光は単色より強いと?」

「そうではない。色相環を見れば分かる通り、色が混ざり合っている状態は決して白に近いのではない。──例えば色相環の中心を白、外縁の外側を黒としよう。色の混交は隣の色とのグラデーションであって外や内には向かわない。ただし、色の濃淡によって白と黒に別れていく。これが面倒なところで、すべての光があるため白色になるのか黒色になるのかは決まっていない。色の束としては白だが、色の重なりとしては黒。ただただ元となるネフィリムが白光ゆえに白としているだけなので、こじつけも同然だがな」

「すると、世の中には黒い光を使う醒者もいるということでしょうか」

「それを光と言えるなら、の話だが。だがまあ、いずれ出てくるとは思っている。そもそもネフィリムも醒者も研究不足なのだよ。発光器官があるわけでもないのにどうして光が出ているのか、未だに不明なのだからな」

「それが分かったら醒者は居なくなるでしょうね……」

「仕組みが再現可能であればな。──そうだ、神機しんきという存在を知っているか?」

「いえ。聞いたことありませんが」

「神機とはな、醒者の代わりにネフィリムと戦う機械のことだ」

「……はい?」

 シシェーレは耳を疑った。そんなものがあるなら、そんなことが可能なら、醒者はネフィリムと戦う義務は無くなるではないか。

「今は醒者よりも出力は劣るが、今の試験世代から第一世代に移れば差は縮まり、第三世代で醒者を超すようになると言っておったよ。おや、もしかして連合企業の方には流れてこない話だったかな?」

「そりゃそうでしょう。こんな話を醒者が知れば一部の醒者は統合国家に亡命しますよ。というかどういう方法でそんなことが可能になったんですか」

「太陽は一応は日本人だから仏教圏内だな。ならば知っているだろうが、悟りエンライトメント、加えて涅槃ニルヴァーナの境地に至った存在は超能力が使えるのだ。それを模倣した人工知能が悟りと涅槃の超能力でネフィリムの防壁を突破し小型太陽炉を使って荷電粒子砲で倒すのだよ」

「ええと……」

 何をどこからどのように突っ込めばいいのかシシェーレには分からなかった。それほどに意味不明な言葉の連結だった。

「それは……自分が知っている悟りサトリ涅槃ネハンと関係ありますか? 何かの暗号コードネームですか?」

「ふむ、仏教の神格、ブッダが修行の末に至った地点、人を越えたホトケという神性存在になったことから名づけられたと聞いたが」

「なんかもう……色々と間違っていると思います」

 かく言うシシェーレも正しく知っているかは分からない。ただ、仏教にも色々種類はあるがそのどれでも仏陀はキリストに代表されるような神様的な存在ではないし(人類を救うのならば神様と言ってもいいのか?)、悟りも涅槃も一種の思考の到達点だとは理解していた。

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