第3章 神仰・告白-7
「やあ、ファンドラ」
ファンドラが顔を上げるとスレイが立っていた。
「ああ……」
「疲れは取れたかな? だったら例の部屋まで行こうじゃあないか。何か分かるかもしれない」
やる気に満ちている言葉が今のファンドラにはひどく鬱陶しい。
それでも作業は進めなければいけない。案内する必要も一緒に動く必要も無いのにスレイはファンドラを連れて隔離された部屋まで行く。特に指示も無いのでファンドラは見ているだけだ。
「ああ、それはこっちに繋いで。……へぇ。外側は入れ替わってるけど奥の方はやっぱり古いんだね。これなら簡単にやれそうだ」
スレイと数人の作業員はいくつかの機材を手際よく端末や周辺の監視装置、センサーに繋いでいく。壁を選んで穴を開けて、中から出てきたケーブルを取り換えつつ機材にくっつけて、あっという間に作業場が構築されていく。
作業中のスレイは腕を大きく動かしている。彼のヘッドセット内ではいくつもの情報が彼の周囲を忙しく移動しているように見えている。それをくっつけたり放り投げたり感覚的に処理していって中への道を見つけていく。
センサを騙すにしても複数あるものを同時に無力化しなくてはならない。その手順は実際に感じてみないと分からない。他の人に任せるなどもってのほか。こんな面白そうなものを見逃す手はない。
ファンドラには(スレイ以外は)ただ端末を弄っているようにしか見えなかったが、スレイにとっては玩具を弄るようなものだったらしい。ものの数分で顔を上げて晴れやかな顔をして一言、
「ふぅ……じゃ、ちょっと中を確認してきて」
瞬間、扉が開いて中から停滞していた空気が流れ出した。微かに腐ったような酸っぱい臭いが混じるのは、いつからここが閉ざされていた証拠だろうか。顔をしかめながら埃を踏んでファンドラは中に入る。
部屋自体は小さいものだった。ファンドラが両手を広げれば端に手が届いてしまう。中には大型の端末が1つとそれを乗せた机だけ。端末には電源が入っている様子も無く、人が触れた形跡も見当たらない。
「なんだこりゃ……」
通信室にしか見えない部屋だ。それを封印でもするかのように厳重に保護していたのはどうしてか。これが繋がる先に答えがあるのか。
「危険は無かった? あぁ、こんな小さかったのか。じゃあこの向こうには物理的なプロテクトでもあるのかな」
部屋の中に入ってきたスレイが壁を叩く。それだけで部屋は窮屈になって、ファンドラも出て行こうとする。
「ちょっと待った」
「なんだ。俺がいても何もできないだろ」
「いやいや、記録装置としては優秀さ」
スレイが端末を調べていく。机はただの台の役割しか無くて、上に乗っている端末は持ち上げてもコードが伸びていることも無い。ただ独立した物体だ。
「うーん……と、これは何かな?」
端末の裏面に指を這わせていたスレイが何かを見つけて触れる。
「おいっ!」
「大丈夫だよ。この中に入れる人はごくわずかだろう。それに加えてさらに面倒くさいプロテクトがあるなんて非効率の極み……。機材持ってきて」
既にスレイの目には端末しか映っていない。外からの機材が運ばれてくる前から手持ちの簡易スキャナで内部を覗いている。
「やっぱり簡単な装置だね……でもこれは偽装かな? いや、本体がここだとして、うん」
運び込まれる機械類に押しのけられる形でファンドラは外に出る。それでも一応は部屋の中に目を向けたままだ。
スレイが端末の外装を剥がして持ってきた機械に接続している様は、解剖した肉体を機械にすげ替える行為を思わせる。頭に別の頭を繋いで乗っ取らせる、あるいは寄生のように乗っ取るのか。
十数分ほどしてスレイが猿叫のような奇声を上げた。
「どうした。発狂したか」
「いやいやいやこれはすごいさ。古臭いちっぽけな記憶装置と基板を生かしておくためにこれだけの仕組みを作るなんて。実に感動的だ!」
「何に感動すればいいんだよ」
「そうだね、ファンドラはそこは詳しくないんだよね。簡単に言えば、これの中心部分が作られたのは50年くらい前じゃないのかなあ? とんだ骨董品だよ。元は通信機器だけど、いや、通信の役割しか残されていないのか」
「分からん」
理解を放棄したファンドラはただ狂喜する彼を見て聞いていることしかできない。
「このメモリ……番号か? そうか、こんな古い通信方式をまだ使っている相手になら通じるのか。これ自体が暗号の一種なんだな。じゃあ、どこに繋がるんだ? あー……名前くらいはあるのか。……待て」
「どうした」
いきなり押し黙ったスレイにファンドラは不審を感じた。何かいけないものでも発見したのか。このまま自分が記録を続けていいのか。そんな疑問が浮かんでいた。
「この名前はちょっとマズい気がするんだよ」
「俺は離れていた方がいいか」
「あー、でも、言った方が面白いかも」
「何なんだ……」
そんな適当でよくやっていけている。
「いいや、言うよ。連絡先は2つあった。1つは誰のかは調べてるところだけど……ああ、やっぱり有名じゃない、というか一般人だね。行方不明で死亡扱いと、珍しいことじゃない。ただもう1人が大物で、君もよーく知っているよ。アリマ・マツダ。いやはや面白い名前が出てきたじゃないか」
それが面白いという判断はファンドラはしなかった。しかし、大変なことになりそうだとは感じていた。だが、
「信神教会の教主の名前は無いのか?」
「どうだろう。こっちの名前が偽名だってこともありそうだ。自身を死亡扱いにして別の戸籍を乗っ取るくらいは宗教団体がやりそうなことだしね」
偏見だしどこの危険団体、もしくは一般人でもでもやってることじゃないのか、とファンドラは思ったが口には出さないでいた。
「まあいいじゃないか。人間工場は見つけたんだし目的は一部なりとも達成できたんだ。それに謎の人物との接触だろう? 収穫は大きいしアリマ・マツダも喜ぶんじゃないかね」
「皮肉か?」
「いいや、何らかの手掛かりが見つかったからだよ。彼くらいになればどこで名前が出てもおかしくないさ。前歴は知っているだろう?」
「そりゃまあ……」
というか、そんなことを記録に残る場で口にしてしまえるスレイの胆力もすごい。一概にバカとも呼べないし扱いに困る。近くにいると自分まで巻き込まれてしまいそうだ。
そんな様子に司令部はというと、予想外の名前と展開に戸惑っている最中だった。
だが、インステルは少し迷うだけで終わりにした。
「全てを記録しろ。それは変えてはならん」
粛々と作業が進められていく。ファンドラが受け取った情報は作戦室、ひいては今回の作戦の立案者であるアリマ・マツダの知るところとなる。見なかったことにはできない。それは、今後この都市がどうなろうとも。一瞬でも企業の庇護を失った都市がどうなるか知っていても。
「アリマ・マツダはどう対処するのか……」
もとより過去の経歴が怪しい人物だ。下手に付け込まれる隙を見せれば他の企業が黙っていない。珍しく渋面で考え込んでいるインステルに、作戦室の他の面々も不安げな雰囲気を隠せなかった。
そんな不安もつゆ知らず、ファンドラはスレイが作業している様子をじっと見ていた。
***
「ほう……懐かしい」
アリマ・マツダは呟いた。
彼の名前が入っていることから人間工場の件の報告は迅速に行われた。そうでなくとも彼の依頼による捜索だったのだ。経過も何もかも、途中で20分ほど途切れた間の出来事でさえファンドラの言葉を介して彼の手の中にある。
「しかしいつの話だ? スマートフォンというと……2020年代か? 物持ちがいいことだ」
そう言いながらも自室の金庫に触れる。生体認証で厳重にロックされた金庫は、彼に対してだけは自ら扉を開く。中には、平べったくした小さな球体、薄い板のような身分証明書、友人の名前が刻まれた銀色のタグ、その他諸々の懐かしい品々が収められている。そして彼の手のひらより少し小さい薄い板。数十年前まで主流だった情報通信端末だ。もう電波を飛ばしても中継する基地局すら無いはずのそれを、一緒にしまわれていた充電アダプタに繋いで待つこと10分。電源を入れて操作する。
「イビリーヒスィ・ノルグ。いや、本名は何だったかな……」
40年以上も眠っていた電子機器のアドレス帳をスクロールして1人の名前の上で手を止める。その名は解体された端末のものとは異なっている。アリマは一瞬だけ迷ってからタップした。コールは3回。
『──懐かしいところからかかってくるものだね、アーリマ。とっくに忘れたかと思ったよ』
「お前の呼び出し機はバラされてしまってね、回りくどいんだ。──そう呼ぶのは今ではお前だけだ。そんなに呼びにくいかね」
『呼びにくいとも。それにこちらの方がよりお前らしいわ』
「そういうお前だって似合わない名前になってどれくらい経つ」
『威厳があったほうがより“らしい”からね』
互いに黙る。しかし、すぐにアリマの方から口を開いた。
「時間の無駄だ。何のために呼んだ?」
『知らせなくてはいけないことがあってね。俺の知り合いで偉い奴はお前だけだ』
「お前も偉いだろうが。とっとと本題に入れ」
『そう急くな。懐かしい奴との会話を楽しんでも……いや、お前にはそんな時間も無いのか。──四日後、グリゴリが来る』
「?! 待て、それをどうやって知った!」
『あれ、気づいていなかったのかい? 俺たちはお前らよりもずっと高性能な観測機を使っている。それともお前らのは予測演算機だったっけか?』
けらけらと、煽るようにノルグの声に笑い声が混じる。
「観測機……宇宙全体を観測することで未来の事象をも観ることができるというあれか。どうしてお前たちがそんなものを持っている。そもそも理論上でしか存在しないはずだ」
歯ぎしりがアリマの口を満たし始める。連合企業どころか統合国家でさえもネフィリムらしき存在の光臨を予測するのが関の山で、自分たちよりも遥かに資金も技術も圧倒的に劣るであろう一団体に負けたのだ。悔しいどころの話ではない。
『そりゃ醒者の扱い方が違うからさ。それと宇宙についての研究もな。こればっかりはお前にはどう足掻いてもできっこないさ』
ミシッとアリマの奥歯が軋みに堪えかねた音を立てる。人工歯すら砕きそうな圧力は憎しみすら感じられた。
「その方法がどんなものにせよ、私は取らないということだな」
『必要に駆られればやるかもしれんがね。ただ、今のままじゃ観測──いや予測は俺たちの方が先を行っているんだよ』
「それをどうして教える。お前たちはネフィリムの到来を福音と──……いや、グリゴリだったな? ならばお前たちにとっても本意ではない、か」
『そうだ。だから厄介なんだよ』
「分かった、四日後までに何とかなるよう手筈を整えておこう。──ところで1つ聞きたいのだが、シシェーレ・ルシャナ、もしくは獅子烈・太陽という男を知っているか?」
『いいや、知らないね。だが耳に挟んだら報せよう。頼み事もしたしね。よろしく頼むよ』
通話が切れる。
1人自室で佇むアリマは息を吐く。
「久しぶりに何かと思えば面倒な……いや、だが目的は達成された。あいつめ、逃げ切れるものではあるまいに……」
イビリーヒスィ・ノルグの言うことは信じられる。今でこそ信神教会のトップなんてものになっているが、古い古い時代にはアリマ・マツダと友人だったこともある。
昔の思い出を一瞬だけ懐かしんでから、アリマ・マツダは今後の予定を頭の中で構築していった。
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