第3章 神仰・告白-6

「あ、ああ……よろしい」

 クレアに脳内の深部を見られたことを、ファンドラは直感的に把握していた。歌は精神を安定させる。それは確かだが、他にも活動を隠す役目もある。これから思考のチェックはさらに厳しくなるだろう、そうなればセンターについて隠したいことも知られてしまうかもしれない。

 ファンドラの中ではセンターの扱いについて未だ決めあぐねていた。クレアの言葉によって情報を引き出されてしまったのは確実に失態。しかし、そればかりを考えていても始まらない。まずは言われた通りに調査をしなくては──

 立ち上がる。いつの間にかファンドラはロボットに寄りかかっていた。顔を上げると、深呼吸をする間もなく脳内が刺激されて鎮静作用のあるホルモン放出がされる。その頭でファンドラは円筒を見上げた。

 浮かんでいる胎児を見てファンドラは思う。人の胎内ではないので人工的に生育が早められている。しかし、胎児は夢を見ているのだろうか。それ以前に意識があるのだろうか。

(夢、か……)

 ファンドラはバックパックの底から楽器を取り出した。馬の蹄鉄のような形で両腕に抱えるくらいの大きさの竪琴だ。ファンドラが両手で触ると、弓なりになった双の弓なりの棹の間に糸のように幾本ものレーザーが走る。レーザーひとつひとつの間に一通り指を通して音を確認しファンドラは動き出した。

(子守唄じゃないが、まあ適当に鳴らすか)

 ファンドラは導管を辿る。ロボットから得られたのはメンテナンス用の配置図だ。これだけの人を生産するとなると原料が大量に必要になる。それはどこにあるのか。どこから来たのか。神子を造るために特異な素材を使っているのか? そして、一体、信神教会はどれだけの年月と費用をこの工場にかけていたのだろうか。

 壁に行き当たる。地図を確認し、壁の向こう側にあるメンテナンス用通路を経由して導管を辿り直し、鼻歌混じりの音を響かせながら端の端へと移動していく。

(ここは……)

 そこには大量の飼料が生産されていた。人工の陽光が差し込む空間はかなりの大きさがあり、植物が森のように緑色の葉を生い茂らせている。収穫はロボットがやっていたのだろう、土の上に巡らせた通路があり、自動的に加工所へと運ばれ分解・加工されて栄養として円筒の中の胎児に運ばれるようだ。

(この植物に何か秘密があるのか……?)

 何枚か葉を採取し簡易測定器に放り込む。それから、植物生産工場の端を抜け、隣接していた別の空間へと出る。

 そこは照明が少なく暗く、音が反響する閉鎖された空間だった。加工所かとも思ったが、そこにも同じく円筒のような物体があり、あまりにも大きくむしろ水槽と呼ぶのが相応しく、さらに中にあったのは痙攣するように蠢く巨大な肉塊だった。肉塊の周囲には採取用と思しきアームが伸びているが、そこから判断すると大きさは長いところで十数メートルはあろうか。

(たんぱく源かな……)

 植物を原料に肉とヒトの鋳型を作り、人に集合させる。まさに工場だ。

 肉塊が入った円筒の水槽から伸びる導管は全て植物の方へと繋がっている。原料は2種類だが、大元はあの植物だろう。そんなもので醒者が産まれる確率が高くなるのだろうか。

(そういえば、麻薬には人に夢を見せるものもあったような)

 胎児が夢を見るのかどうか。まあ、案外そんなものかもしれない。

 両方の部屋に繋がっている導管は、最後に加工所に繋がっていた。

 植物からエキスを抽出するもの、肉塊の一部を分解しエキス化するもの、しかしそれ以外に何か別のものが混入される個所は見当たらない。機械の外部を確認しても、別のものが投入されそうな機能は見当たらない。

 他にも空間が無いか調査して、また地図との照合も済ませ、何もないことを確認する。これで一応の支持は全うしたとファンドラは昇降機の前に戻っていく。まだ1時間しか経っていない。

(到着までどれくらいかかる)

『あと1時間はかかる。それなりの数の人員と機材を運送するからな。それまでに何があったのかをまとめておけ』

 言われ、ファンドラはあの空き地に入った時からのことを回想をしつつレポートにまとめ始めた。あれからまだ2時間も経っていないのだ──それを思うとファンドラの中であまりの自身の変容っぷりに驚きが首をもたげてくる。しかしそれを書くわけにはいかない。事実を基に真実を覆い隠す必要がある。

 鼻歌を歌いながらファンドラは報告書を頭の中で作り始める。考えた言葉は文字となってヘッドセットに紙に書かれた文字として示される。

 空き地で機械が動かなくなったこと。次にセンターと名乗る男に出会ったこと。自分のことを醒者だと知っており、何らかの情報が漏れている可能性があること。始末しようと交戦したが何故か避けられてナイフが当たらなかったこと。向こうから情報を提供してくれると言われ、方法は不明だがこの工場に連れてこられたこと。そこで信神教会への勧誘を受けたこと。その最中に空爆があり、センターは逃走し通信が繋がり機械も正常に作動を始めたこと──

 たったこれだけのこと。時間にして9分弱でしかない。それなのに、あまりにもセンターの言葉は突拍子も無さ過ぎて、どのように記したらいいのか分からない。

(センター……信神教会の目的──人類の解放と、どうして俺を勧誘したのか──助けを必要としているのかと、)

 あの男の真意があれだけだったとは考えにくい。最初から醒者だと知っていたのなら、そして自分が来ると知っていたのなら、それを抱えるべく行動することに矛盾は無い。戦力にもなる存在だ。手に入れるだけでも意味がある。

 それでも分からないことは多い。雲の上に連れて行くとは、人をネフィリムにするのか? たしかに信神教会は神子をネフィリムが出現する近くの場所に放置している。そこから新たなネフィリムが誕生したことも何度かある。ここには一貫性がある。それを人類の解放と呼ぶなら行動原理に適っている。

 では、ファンドラを勧誘した理由だ。戦力とするには充分。ならば、

(自分が一番心動かされて裏切りやすそうだったから、というのが大きいところだろうか)

 ファンドラは苦笑する。

 現在の待遇に不満や疑問を持っている醒者がどれだけいるのか。その中から自分を選ぶとは、見くびられたのか慧眼なのか。どちらにしろ厄介極まりない──

 ファンドラは、自分の心が揺らいだことを隠して事実をそのまま書き綴る。そんなことが知られればどんな目に遭うか分からない。頭の中で勝手に思想教育が始まってはたまったものではない。ただでさえ脳内チップという手綱が握られているというのに──

 いけない、余計な考えが残ってしまう、とファンドラは文章を直していく。心情は必要無い。また、自分が感じたことを記す場合でも、あくまでも脳内チップが残した記録を前面に出す。そうして心を隠した報告書が出来上がる。

(そろそろか?)

 軽く思ったその時、

『あと20分ほどで内部に突入できる。昇降機の下で待ってろ』

 インステルから通信が入る。その場にいればいい、とファンドラは座ったままだ。そして、竪琴をつま弾いていく。

 彼が持つレーザーハープは特製で、同じ光線の弦でも遮られた場所によって音が変わる。これによって複雑な音を出していけるし、音を電子的に設定できるので、巧者が使えば1人でもオーケストラとなる。

 ファンドラ・アースウィはそれを可能にする醒者。自称『楽聖』は彼のことをそれなりに正しく表していた。

 少しの間なら、と歌いだす。遥か昔というほどではないが、80年以上前、ファンドラが産まれる前の音楽。ロックンロールと聖歌が融合した、誰かに愛を伝える歌。愛を求める歌。

「Can, Anybody…… find me, Somebody to Love……」

 ファンドラは神を信じない。宗教を信じない。だけれども、空からはネフィリムが来るし自分が救いを求めていることも自覚してしまった。巨大な力の前に無力な、ただ姿を消したり目くらましができるだけの存在だ。自分は愛されているだろうか? 愛を求めてしまっているのだろうか? それは余計なこと。考えてもせんないこと。

「Somebody, ooh somebody……」

 だとしても、センターに会ったことが心に影を落としている。あれは大きすぎる光のような存在だ。そんなに大きい人はこれまでいなかった。いや、畏れなのか。自分が欲しかった言葉を投げかけてきた。だからこそ畏れ怖れた。

 そうだ。自分は、あの男が、怖かったのだ。自分が通用しなかったこと。それなりの自負が出来るほどには自分の技量に自信を持っていた。頼っていた。

「I just gotta get out of this prison cell」

 自由になる。それは呪縛から抜けるということか。醒者、連合企業、司令部、自分を縛っているものから解放される。そんなことをして生きていけるなら──この気持ちを捨てて、ただ歌にて生きていけるなら、それはどんなに気持ちいいのだろうか。

「One day, I'm gonna' be free ……」

 歌いきることはできなかった。

 歌ってしまったら、そこに何かを重ねてしまったら、きっとイメージが決まってしまうから。

「huhuhuhuhuuuu……」

 適当に誤魔化して。誤魔化すことしかできなくて。こんな歌なんて歌わなければよかったのか。

 誰かを求めたいのか。誰かに求められたいのか。

 夢想してしまう。

 もしも自分に司令部も連合企業にも見つけられていない特殊な力があって、センターはそれを求めていたのだとしたら?

 そんなこと、と否定できなかった。

「面倒くさい……」

 もはや歌う気も起きなくて。ただただ前を下を向いていた。

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