第3章 神仰・告白-3

『ファンドラ?! どうかしましたか!』

『通信途絶だと?! 前兆も無しにか!』

『分かりません! いきなり全ての観測が消えました!』

 映像、音声、臭い、その他すべてのファンドラが感じていた事が消え失せていた。ファンドラが急に死んだとしても機械がその様子を克明に映すだろう。だが、この状態は機械が突然死したかのようだ。そんなことはあり得ないはずなのに──

 いまや、作戦室は糸一本の細さでパニックと緊張の狭間を揺れていた。

 作戦室に巻き起こった騒動はファンドラに届いていない。ファンドラの方でも通信が途絶していた。警告音すら鳴らない不自然な断絶。誰の声も届いてこない。環境音すら消えている。代わりに木々の軋みや葉擦れが異様に大きく聞こえてくる。

 そして、風が揺れる音に合わせて聞こえ出す足音。持ち主の肉声が耳に届いた。

「君がどこのスパイかは知らないけど、そんな装備を着けているなんてかなり大きなところなんだろうね。ここも有名になったものだ」

 その姿を探る。しかし、ヘッドセットから情報が来ない。身体の各所に付けられているセンサーの状態も把握できないがこの状態では動いてないと考えていいだろう。嗅覚や視覚が活性化し続けているところから見て脳内チップだけは正常に作動しているが、他はどうしたのか。まるで、身体の外にある機械が軒並み眠ってしまったようなおかしな感覚。

「おいおい無視かい? それともこっちの場所が分からない?」

 ファンドラの嗅覚と聴覚は既に声の主を捉えている。だが、まだ反応はしない。相手もそれが分かっているなら迂闊に手を出しては来ないだろう。

「おもてなしはできないけどさあ、少なくとも暴力沙汰はしたくないんだよ。痛いの嫌でしょ? ボクたちは争う必要なんて無い、と思うからさ」

(口の減らない……というか空気を読まない奴なのか)

 ふざけているのか、それだけ自信があるのか、実力が伴っているからの自信なのか、そこのところの判別がつきづらい。

 年の頃は20あたり、ファンドラと同じくらい。背は向こうの方が高い。髪はオフゴールドの短髪を帽子の下に隠しているが隙間から見えている。光の反射が目立ちそうだ。服は迷彩柄。顔には何もつけずはっきりと素顔を晒しているが、雑誌から切り取ってきたような笑顔でどことなく不気味。全く隠れていないにもほどがあるのは確かだが。しかし、記録も満足にできないこの状況では関係がない。

 ファンドラはゆっくりと頭を回す。周囲全体を睨みつけるように、声の主が隠れている場所でも同じように通り過ぎる。相手は動きもせずこちらの行動を見送る。

(もしかして、自分をここに釘付けにしておいて、下にいるかもしれない人員を逃がそうという魂胆か?)

 だとしたら長引かせるのも得策ではない、とファンドラは声を出す。

「目的は何だ」

「お、いいねえ。対話は相互理解の第一歩だよ」

 どのみち、この状態では相手が一番の情報源だ。こいつを確保する、と意思を決めてファンドラは動いた。

「お前の所属している組織は信神教会だな」

「無視かい? それはそれで構わないけど。──そうだね、僕がそれに肯定したとして、信じるっていうのかい? 信神教会にも敵対組織は存在する、わざと襲わせるために嘘をつくこともあるだろうさ」

「嘘をつけば分かる」

 ファンドラは声の主の方を向いた。さらにはっきりと情報を得るためには、自分の眼で見ないといけない。

「おやおや、とっくにバレてたのか。じゃあ隠れている必要もないかな」

 そう言ってその男は木の上から降りてくる。

「それにしても嘘が分かるだなんてね。変なことは言えないかな?」

 嘘が分かるというのは、半分は本当のこと。顔がきちんと見えていれば、加えて作戦室の補助があれば相手の言葉が完全に嘘かどうかを判別できる。だが、脳内チップだけの状況、顔を塗り潰したような笑顔が張り付いている相手では、50%も判別できるかどうか分からない。

「さて。ブラフという可能性もある」

 それを言うことが牽制。

 両者の距離は4メートル前後。それが互いが算出した緊張の距離である。

「ふぅん。もうちょっと軽い感じだと思っていたけどこれはちょっと計算違いかなあ」

「早く本題に入れ」

 あくまでも軽い感じの男に対し、ファンドラは硬い印象を崩さない。

「ハイハイ。──君がどこに所属しているかは分からないけどさ、こっちに来ないかい? 僕たちはとある宗教団体に属している。その中で過去の文明の一部を発掘したし利用もしている。僕も割と気楽に生きていられるし、ネフィリムが来たって予測もできる。そんじょそこらの国や企業が持っているものよりも精確だよ? だけど人が足りないんだ。どうかな、君もスパイみたいな地を這いまわる雑虫みたいな労苦から解放されたいとは思わないかい?」

「そんなことを明かして無事で済むと思っているのか?」

「ああ、君がここにいる限りはね。君が持っている機械類、動いていないだろう?」

 暗に何かをしたと匂わせながら、男はあくまでも笑顔を崩さない。喋り方も一定で感情を作っているようにさえ思える。

(勧誘が目的ではないなら、余程のものがここにあるのか。もし本当なら、どうして俺を?)

 こんな場所に派遣されるだけの実力を見込んでか。それとも、ファンドラが醒者だと知られているのか。顔はヘッドセットで隠れているから容姿で判別されていることは無いはずだ。

 男は一歩前に出た。50センチメートル。枝から降りて地上に立つ。

「そこまで聞いてしまったら、ただで帰すわけにはいかないだろう」

「あはは、君がそれを言うんだ。でも、ここに何かがあるって知られているんだから少しくらいのことは誤差だよ。どうせ人間工場があるって気づいてるんでしょ?」

「……」

 ファンドラは答えない。確証は得られていなかった情報を向こうから提供してくれたのだ。随分と高く買ってもらっているらしい。ならば話すがままにさせておいた方がいい。

「そうかそうか。だとしたら、そんな大きな施設を動かせるだけの力がある団体ってのも目星はついてしまう。もうほとんど絞られているのか。だったら明かしてしまった方がいいのかな?

 ──はい、大正解! 僕は信神教会の1人。名前は……そうだね、センターと呼んで欲しいかな」

「センター?」

(中心なんてふざけた名前だ)

 もしやこいつが信神教会のトップなのか。そう考えるファンドラの顔に浮かぶ一本の筋。少しなりとも興味が惹かれている。

「そう。君のことはなんて呼べばいいのかい?」

「ファン、とでも」

「ほう!」

 嬉しい、というように男が反応する。

「どうかしたのか」

「僕の名前に似ていたんだよ! センターじゃない方の」

「そっちの名前は」

「キファ。センター・キファだよ。あっと全部言っちゃったじゃないか。うまいね、君」

 勝手に喋っただけのことをそう言われるのも困るものだ。

「それで、改めてどうかな。この場で判断できないっていうのなら、この下に案内してもいいけど」

「……それは、ありがたいが、いいのか」

「うん、特に問題は無いかな。力づくで侵入されるよりはマシだ。それに僕は君に期待しているんだよ。きっと、僕らと一緒に来てくれるってね」

 罠だとしか思えない。言葉も不穏。だが、願ったり叶ったりではある。

「どういう意味だ」

「ふふ、君のことを少し知っているってことだよ」

 ファンドラの歯が軋みを上げた。知っている。それは、どこまでを指しているのか?

(俺を醒者だと分かっていてこの態度だとしたら……こいつ……いまこの場で殺しておいた方がいい)

「そう怖い顔をしないで……お?」

 ファンドラの姿が消えた。センターにはそう見えただろう。

 ファンドラの光は橙光。身体の周囲、半径3メートルほどを包む薄い光だ。それ以上は自然の光にかき消えている。

 しかし、彼の光がもたらすのは破壊ではない。

 不可視。光の屈曲による存在の隠蔽である。

 ファンドラの周囲に散った光は密度によって屈曲の割合を変え、その中心にあるものを世界から隠す。ある程度の操作はファンドラも経験則で分かっており、例えば正面の隠蔽を強めにするとかもっと狭い範囲だけを隠すといった芸当も可能である。

 ナイフを引き抜いて3歩、手を前に出す。2秒にも満たない行為でセンターの首にナイフが突き刺さる。その結果をファンドラは疑わなかった。

「やっぱり怖いことしてるじゃない」

 感触は無かった。ナイフはセンターの右横、数十センチメートルの空を切って勢いで流れていく。何が起きたのかファンドラには分からず、それでも避けられたと知って追撃に出る。

 肩から腕を回して首を削ぐように横薙ぎに振る。多少の差があっても逃げられないはずだ。だが、それも空を切った。センターはファンドラから離れて2メートルの位置にいる。

 どうして外れるのか、センターがナイフを避けて移動できるのか、ファンドラには分からない。というよりも明らかに不自然だった。

「ええい! (光舞!)」

 互いの距離は3メートル以内。だから彼は別の手を使う。

 ファンドラの周囲の光を屈曲。ただし彼の背後から乱反射を起こすように配置。センターの視界を雑多な光で埋め尽くす。センターの目に映るファンドラは何人になっているか。風景は歪み平衡感覚すら短時間は失調するだろう。

 ファンドラの目は、確かにセンターがふらついて視線が泳いだのを見た。歩幅にして2歩半。確実に動けない状態でこの距離。しかしナイフは空を切り、センターは何事もなかったかのように少し離れた場所にいる。

「まあまあ落ち着こうか」

「落ち着いていられるか! (光舞・閃乱!)」

 三度目の攻撃。光量は最大、目を閉じても視界は白色に染まり光は焼け付いて数分は何もできないだろう。その中でファンドラは、相手の気配を読んでナイフを突き出す。だが、今度は感触があった。しかし刺突ではない。何かに阻まれる抵抗。

 そこには、帽子で受け止められたナイフが存在していた。止めたであろうセンターは変わらず笑っている。乱れた態度も戦意も無く、ただそこに存在している。

「落ち着いてって言ってるでしょ」

 相変わらずふざけたような笑顔で言うセンター。ファンドラは、諦めきれぬものの一時頭を冷やすしかないと動きを止める。腕を戻してナイフをしまうと、センターが彼に話しかける。

「そうそう。僕は話がしたいんだ。君が気に入るような話を」

「何を」

「実際の物を見て話したいんだ。だから、ついてきてくれないかな」

 センターの顔は変わらず笑顔で、だがその目だけが光る。ファンドラは、気づけば一歩下がっていた。彼の中に発生した、理屈の分からない畏怖にも似た感情に気圧されていた。

「……分かった」

 2人は空き地に戻る。中心付近に立って、

「目を閉じて」

 言葉と同時、ファンドラは瞬きをして、その瞬間に彼の景色は変わっていた。

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