第3章 神仰・告白-2

 ファンドラの端末に通知が入る。頭皮と頭蓋骨の間に埋め込まれている8個のチップは無音声の刺激をファンドラに与え、彼の脳は覚醒と同時に出動の指令を理解する。

(了解。キーコード『コアモデルP』)

 キーコードによって起動した相互通信は指令室の一部屋と直結し、ファンドラの視覚/聴覚/嗅覚/触覚/思考は全て赤裸々に覗かれる。同時に、その部屋内のいかなる音声/筆記/動作/その他いかなる情報伝達もファンドラの脳内に伝えられる。ここは機密作戦実行室。醒者による隠密行動を補佐し、隠匿することへ総力を挙げるための作戦室である。

「ファンドラ・アースウィ、格納庫へ向かいました」

 輸送機はステルス戦闘機を改造したもの。空を奪われた人類には無用となったものだが、諜報隠密行動には欠かせない。さらに、地上に出るルートも通常の出撃ルートとは異なる。他の醒者の眼からも隠れて行動する、それがファンドラの役割。

 移動時間中、ファンドラは後日送られてきたリステロの情報を思い返していた。

(イビリーヒスィ・ノルグの居場所は不明。だけど人間工場のウワサは数年前から囁かれている。実際、それらしき施設の痕跡を見たって人もいる。上の方で教主サマが関わっているのは間違いなさそうだな)

 その思考の1つ1つが作戦室に送られ、情報の価値を峻別されタグと重要度が付けられた後に判断材料として記録される。ファンドラの行動全てが情報となり動きを決める。彼はセンサーであり指針。全てを決める鍵である。

『他から入手した情報があるなら予め出しておいてください』

 クレア・フォーティチュードの硬い声。ファンドラの精神安定を管理する役割の女性。業務の大半は、ファンドラの言葉や心の声のノイズを解析しファンドラの心を適切な状態に保つこと。そして適切というのは、大抵の場合人としての運用との線引きという意味でもある。

(へいへい)

 そんな時間も無かったろうに、というファンドラの声は今度は無視される。ノイズとなる思考は低重要度としてカットされ作戦室には届かない。

 輸送機が出発する。並んだ椅子に寝転んで、ファンドラはすぐに寝息を立て始める。目的地は遠い。1時間は眠れるだろう──

『起きてください』

 ばっと目を開いて、ファンドラは状況を瞬時に把握する。眠りに落ちてから1時間半。既に往路のほとんどを過ぎ、そろそろ到着しようかという頃だ。強制の覚醒は脳への直接刺激によるもので、ちっともすっきりした気分にはなれやしない。

(起床コールはもっと穏やかにして欲しいんだけどね)

 呟きは空しく消える。現在地は上空5000メートル。目的地までもう僅か。

 目的地は、前回のイリスの出撃時に発見された自動歩兵を解析した結果、判明した場所。

(どうやってそんなものが分かったのかは興味ないけど、もう少し詳しく絞り込めてもいいんじゃないのかなあ)

 ぼやくファンドラは面倒くさいという顔をして立ち上がる。

『降下準備をしてください』

(了解)

 輸送機後部にはエイのような形をした小型の飛行用機体、ステルスレイが鎮座している。その中央の窪みに身体を横たえる。中の装着用レールに手を置くとコックピットが展開され、身体を覆う透明な防壁となる。完全に密閉された機内は気圧の変化にも耐えうる。

(準備完了)

 後部ハッチが開く。軽く浮いたステルスレイを残して輸送機は飛んでいき、残ったステルスレイは徐々に目的地の近くへと降下していく。作戦実行場所の近くで機体1つを隠せる場所を探し、だが可能な限り素早く。

(木が残っているのか……)

 どうやらネフィリムが来ていないか素早く倒されたかしてまだ地表が無事なようだ。木々が地上を覆っているから何かを隠すには最適だろう。ただし、それは相手側も同じ。拠点があったら目も当てられない。

 慎重に周囲をスキャンする。熱、空気、植生、不審な点が無いか確認し、怪しくない場所を見つけて一気に高度を下げていく。降下は大きな樹木の上で止まり、ファンドラはその上に機体を置いて迷彩シートを被せた。これでよほど注意しないと見つからない、はず。

(輸送機は)

『近くのポイントに待機させてあります』 

 地上に降りる。人の気配は無い。

(まずは何を探そうか……)

 人がいた痕跡は意外と残っているものだ。灰雲によって覆われた完全に人がいない世界では、臭跡は数日残存し、足跡が踏み荒らされることも無く、人工物はひどく目立つ。どれだけ偽装したところで見逃すことはない。

 降下地点から動かないファンドラは、その実いかなる痕跡も見逃すまいと神経を張り詰めている。彼という異物が存在することでこの場所は変化をし続けている。それが大きくなる前に、信神教会へと繋がる手掛かりを見つけなければいけない。

 ヘッドセットのスキャナが情報を解析する。ファンドラの脳を介してノイズを取り払い作戦室に送られる。しゃがんで土の凹凸を確認。高低の微妙な変化で測定結果が修正される。風の流れ、臭いの流れも変わる。目で見える範囲だけでは不充分。むしろ、光というすぐに過ぎ去ってしまうものからの情報が一番アテにできない。

 その感覚にヒットするものがあった。首を向けると、地面に何か異変があるようだ。目を凝らすと土の色が変わっている。

『発見しました。現在の向きから左に72度方向、約30メートル向こうに痕跡があります。これは、液体の一種でしょうか? 近づいてください』

 ファンドラはゆっくりと進んで到達。臭いが強くなるが鼻を押さえることはできずに、過敏にされている嗅覚へのダメージが大きくなる。

『採取してください』

 バックパックから両手に収まるほどのケースを取り出す。一見、水が落ちて湿っているような土を、その場所を保持したまま周囲にケースを突き刺す。染み込んだ成分も逃さぬように深めに挿入し、ボーリング調査と同じ要領で土を持ち上げる。

(完了、と)

 背中のバックパックに入れておけば、あとは作戦室で分析をやってくれる。とはいってもこんな場所でできる分析などたかが知れているが。

『他に何か……』

 ファンドラのヘッドセットからの視界を通じて作戦室でも探索をしている。ファンドラへの情報は全て筒抜けで、それはフィルターのかかっていない生の情報が間断なく流れ込むということだ。彼の頭の中で適度に情報を取捨選択しても、片隅に追いやったはずのノイズはそこに潜んで折りに付け主張を始める。静かに周囲を探索したいのに、作戦室のリズムと嚙み合わない。

(ちっ……)

 キータッチで指が触れて離れる音、飲み物に口をつける音、衣擦れの音、細かな雑音の波にファンドラに苛立ちが走る。集中を戻そうと身体を伸ばして大きく息を吸った。その瞬間、別の臭いが鼻腔に侵入する。

(これは……人の臭いか? だけど薄い。時間経過で消えたのか最初からこういう臭いなのか微妙だな。これは初めての感覚だ)

 にわかに作戦室が活気づく。緊張と同時に興奮が空気を熱し、いかなる動きも見逃すまいと、余計な音が消えていく。

『方向、分かりますか』

(上の風から流れてきている。この風向きだと……)

 ファンドラが考えている間にも作戦室では解析が進められている。現地の風向きと風量を観測、気圧の変化による流体構造を仮想し、臭いを乗せた風のラインとその発生源を予測しモデルを作っていく。

(いい感じだ)

 1つ状況が動けば場が引き締まる。ドミノ倒しのように連続して状況が動いていく流れがファンドラは好きだった。統制が取れて全てが噛み合っていく構築、そして小さな物事の連なりが大きなうねりとなって物事を動かす瞬間。それを求めて動いていく。

『いま、モデルを送りました。そちらに異常は感じられますか』

 ファンドラの視界に臭跡のラインが表示される。空中に赤い矢印の連続で示されたその流れが自分の鼻が感知したものと一致することを確かめて、ファンドラは頷いた。それから視線をライン上と、そのサイドの木々へと走らせる。形に異常は無いか、品種が違ったり変に生育が早かったり遅かったりしていないか、ましてや人工物が存在していないか。何かしらの仕掛けが施されていれば、見逃しては大変なことになる。

 ゆっくりと周囲を確認しながらファンドラは進んでいく。目に見える障害物は無い。隠蔽の痕跡も無い。痕跡を隠した痕跡も発見できない。それでも、目的地に近づくにつれて臭いはかすかに濃くなっていく。

(罠の可能性は?)

『二割ほど。どちらにせよ強行突破になるでしょうから気にする必要は無いでしょう』

(隠密じゃないのかよ……逃げられても困るけどさ……)

 呆れていても仕方がない、とファンドラは歩を進める。予想通りに途中には何もなく、臭いの発生源へと辿り着いて周囲を見渡す。

(ここ、だな……)

 変なものを置いて探知に引っかかるよりもそのリソースを使って拠点を増やした方がいい。囮、トカゲの尻尾、時間稼ぎ。ここがそういったものの類じゃないといいけど。

 作戦室では先ほど採取された土の解析が進んでいた。簡単な試薬から土壌の微生物から何からケースの中で可能な限り探査をする。

『なんでしょう……組織液に似ていますが、そんなものを落とす必然性がありません』

『染み出たってことはないのか? 下の方が濃いぞ』

『だとして、この成分は何だ。改造人間でも……』

 人間工場。作戦室、ファンドラにも一瞬で想起された言葉は、足を止めさせるに充分だった。

(そんなものが地下から染み出してるってことは、この下に何かあるのか)

『入り口を発見できませんか』

(臭いの元が入り口の可能性もある。まずは臭跡を確認してからだ)

 再び歩き出す。足は自然と早くなり、目前となった目標に進んでいく。それは、警戒が追いつかなくなるギリギリの速さだ。その甲斐あってか何事も無く臭いの発生源に辿り着く。

 それは、森の中だというのに陽光が差し込む空間だった。

 空の上から見たらこの場所だけが不自然に開けているだろうか。いや、木々の重なりに覆い隠されて、広域調査では発見できないだろう。そうなるように剪定された可能性が示唆されるが人の手が入った痕跡は見当たらない。ずっと前に放置されたが自然がそれを取り込んでしまったのか、初めからこうだったのか、分からないが不自然に自然な場所。

『臭いはここで途切れて……』

(いや)

 ファンドラの嗅覚は、細かく散っていたそれを嗅ぎ分ける。

 過去に人の手が入っているならばそれを利用する者が現在にいてもおかしくない。まるで幾人もがこの空き地を森の中から囲んでいたかのように、周囲から臭いが寄せてくる。それが起こる状態を推測しようとして、異変に気が付いた。

(──っ!)

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