第2章 双翼・連理-6
警報の音で叩き起こされた。時間は早朝4時。まだ修練の時間にも早い。
「ネフィリムが来たのか? でも当番じゃないはず」
もう一度寝ようかと考えて。しかし、そうもいかない。身体は目覚めているし、何より緊急事態だ。すぐに全部屋を繋いだ回線が開き、壁に指令室や他の醒者の映像が投影される。
『なんですか故障ですか寝かせてください』
不機嫌を隠さずに言うのはピカト・ライファ・アースウィ。夜の出撃から帰ってきてすぐで、眠ったばかりなのか目が開いてない。彼女と一緒に出撃したケルケオン・アースウィは顔も見せず、起きてすらいないのか。
しかし、それらの確認も取らず言葉は放たれた。
『ネフィリムの出現予測が出た。あと3時間40分後で、移動時間は約1時間』
司令部最高権限保持者、司令・インステル・アルト=カーディナルは重々しい声で告げた。
『その程度のことなら担当の醒者にすればよろしくて』
顔の下で怒りが沸々としているピカトの言葉にアルトは答える。
『担当は虹の醒者、イリス・アースウィの予定だった。──っっっっが! この直前になってイリスが拒否しやがった!』
返事というよりも獣の咆哮。一瞬の沈黙と、咳払い。そして人を取り戻して、
『失敬。イリスは複数人の出撃に加え監督者の要請をしている。これまでのイリスの扱いとは大きく異なる由、最近の出撃から考えるとシシェーレ・ルシャナなる隠れ醒者の影響が大きい、というよりも影響下にあることは確実だ。だがまあ、イリスの扱いが醒者の基本とは異なることもあるがね』
「つまり、お嬢様に余計な知恵がついてきて困った、ということでしょ」
画面の向こう側に声が届かないように小さな声で言う。
「ま、本人にとっちゃどっちが健全か分からないけどな」
醒者は意思を持つ兵器だ。その管理方法が間違っているかは本人と管理者の両方で決めること。ただ、イリスは意思が弱かった、あるいは弱くなるように育てられていた。司令部にとって、シシェーレ・ルシャナは余計な存在だったようだ。
『厄介なことは、イリスの望みがシシェーレ・ルシャナ当人にあることだ。今後、それを条件に出撃を拒むようになるかもしれない。──いや、いま現在、そうなっているようだ』
自業自得としか言いようがない。だが司令は苦々しさを隠そうともせず、むしろそれが自分を正当化する手段かのように大仰に言う。
『これによる対応のため、当分の間イリスは出撃に参加しない。残りの醒者によって穴を埋める。もちろん、ある程度の保証はするし要求も呑む。他の都市から醒者を呼んでもいい』
その対応を最初からイリスにしていればこんな事態にはならなかったろうに。他の醒者をきちんと育てられているのが何よりの証拠だ。
ただ、あまりにも大きな力を腫れ物扱いするしか無かった、というのは理解できる。虹の醒者が本気を出せばこの都市一つなど1日も経たずに壊滅するだろう。それほどまでにネフィリムに近い存在。怖がっても当然で、あまり責める気にはなれない。
『差し当たり、次の出撃を早急に決めなければならん。ピカトとケルケオンは戻ったばかりなので待機、ファンドラも待機、リップルとペブルも早すぎる。エスタス、フェン、リキ……前倒しにするのはスケジュールが調整できない。──仕方ない、リップルとペブルにお願いする』
お願いと言いつつも、それは強制と変わらない。だったら命令にすればいいのに。少しでも反抗される要因を無くしておきたいのだろうけど。
他の醒者も暴れると言ったらどうする気だろう。いっそ、全員で画策して都市ひとつ分を人質に取って要求してみようか。
「分かったよ」
「大丈夫です」
やると言った。それを聞いた画面の向こうの顔たちが形を変えていく。ほっとしたのもつかの間、さらに厄介ごとが降りてきたように。
『……お前ら、また同じ部屋で寝ているな。やめろと言ったはずだ』
「羨ましいなら嫁さんのところに行けばいいじゃないか。それとも元・嫁だっけか?」
『うるさい! いいから早く準備をしろ!』
他の画面では、引いた顔、眠たい顔、笑顔と反応はとりどり。ただ、醒者に良識を求めるのは筋違いだとみんな理解しているから、司令とは違って何も言ってこない。画面の消え際に手を振る者もいるくらいだ。
「じゃあ姉さん、行こうか」
「そうだな。それじゃ明日──じゃなくて今日は戻ったら1日休みにしてもらおうか。1日中デートってのはやったこと無いし」
「気が早いよ」
パジャマのまま並んで部屋を出る。昇降機で最上階へと上がって、
「寝汗落としたいしシャワーしてから行くよ」
「アタシも」
5分くらいで汗を落としてシャワールームを出ると、用意のいいことに更衣室には戦闘衣が置いてあった。引き換えにパジャマは回収されたらしく姿形は無い。あとで洗濯されて返ってくるだろう。
身体を少し冷やしてから戦闘衣を身に着ける。専用の下着の上に、厚手のタイツにも似た素材のインナーを上半身と下半身に。圧着で身体にフィットする黒いインナーは手首や足首まで伸びて、その上に手袋や靴下、ヘッドセットを装着する。さらに装甲ともなる上着やパンツを着て完了だ。
更衣室を出て並ぶ。お互いに似た格好だが細かいところは違う。前線で戦う姉さんは動きやすさを重視した一般戦闘型で、膝上や肘上丈のものだ。兄貴は耐久性に振った、身体固定用に装甲を調節された狙撃専用型。互いを補うための形。
早くも少し蒸れてきたけどすぐに水分が抜けていく。垂直昇降機に到着する頃には、既に身体にとって心地よい塩梅になっている。
上へ。格納庫では、いつでも出撃できるよう数機の輸送機が常に待機している。その内の1つに物資を詰め込んでいる最中だった。特に狙撃装置は専用の装備なので時間がかかる。それまで、少しの時間ができた。
ふと、面白半分でイリスに繋いでみようと思った。意外にも彼女は回線を切っていることも無く、すぐに切られることも無かった。
「おい、イリス。お前のせいでアタシたちが出ることになったじゃねぇか」
「姉さん、そんなこと言ったらまた怖がっちゃうよ」
画面に映るのは震え顔。こんなことをしていれば当然のことだろう。でも、文句のひとつでも言ってやりたい。
「そんなにシシェーレが重要とはね。巻き込まれる僕らよりも」
イリスの顔が青から白に変わってゆく。何か言おうと口を動かしているけど、言葉は喉で止まっているのか出てこない。
「はいはい。分かってるよ。そんな気は無いって。でもさ、それくらい分かってよ。僕らだって好きで代わってあげてるんじゃないって。境遇が違うって、僕たちより悪いってのも知ってる。少しだけでいいから僕たちのことも考えてってだけ。──本当は、すぐにやめてほしいけどさ」
これで姉さんも落ち着いただろうか。姉さんはもう何も言わないで良さそうで、しょうがないというように画面を見ている。イリスにそれが伝わっているといいのだけど。
でも、イリスが口を開くのは予想外だった。
『でも、ここで引けない。諦められない』
意外なほどにしっかりとした声。我慢強いのではなく、融通が利かなくて頑固で拘泥するタイプで、つまり自我が強いということ。意思が固まってきたということ。
「イイ顔だよ。そっちの方がアタシは好きだね」
できるじゃん。少しだけだけど見直した。え、と拍子抜けした顔になったイリスに小さく笑って見せる。と、背後からかかる声。
「準備完了しました! これより移動します!」
「そんじゃアタシたちは出撃だから。早くシシェーレの野郎が見つかるといいなァ」
返事は聞かずに通信を切った。そんな必要は無い。イリスの顔が何よりの答えだった。
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