第2章 双翼・連理-2
世界が変わったのはいつからだろう。
連合企業に召し上げられた時から? 訓練鍛練啓発を詰め込まれた時から? 天に還る時期が過ぎた時から?
それとも、光を持って生まれてきた時から?
地下に帰還する機内では特別な部屋を与えられ姉さんと2人。並んで椅子に座っている。
「ごめんね、姉さんの手を煩わせてしまって」
「いいんだよ。兄貴は兄貴の、アタシはアタシのやることをやるんだからさ」
姉さんは僕と一緒に戦っているけど、実際には姉さんにこんなことをしてほしくない。僕の力が足りないばかりに一番危険な場所で戦わせてしまうのは正直つらい。時間をかけなくても光を溜められるようになれば──手を見る。
翠光。自分に与えられた神の力。姉さんが光を拡散することができるのとは反対に、自分は凝縮させることができる。だけど溜めるにも時間は必要だし、なにより一度に一発しか作れない。ネフィリムを倒せるほどにするにはそれなりの時間が必要だし、まるで欠陥品だ。
「兄貴、どうした?」
「なんでもないよ。それより怪我してない? 火傷とか、見えないところにできているかもしれないよ」
「大丈夫だって。アタシは守ることだけは上手いんだ」
でも、欠陥品は姉さんも同じ。守る力はあっても仕留めるには及ばない。お互いに欠けていて、だから一緒にいられる。守りたいけどこの関係がいつまでも続いてほしい。きっと、姉さんも同じことを考えているだろう。そうだといい。だって、神よも知らぬだろう、この世に神の力を持って生まれ落ちた片割れ同士なのだから。
輸送機が地面に描かれた“H”のマークの上に止まった。その部分だけ周囲から浮いてコンクリートの灰色であり、すぐに下降して地底に入る。輸送機が完全に地表の下に入ると蓋代わりにもなっている耐性装甲が閉じて、地上と隔絶を作る。
輸送機は整地された穴を降りていく。神話では地下は死者の国とされているが、現在では地下こそが生者の世界だ。神にも等しい力で荒らされた地上は死の国。皮肉な逆転は、ノアの方舟に乗り遅れた人類への試練だろうか。そんな囁きが街に降りるたびに聞こえてくる。
──馬鹿馬鹿しい。何が聖書だ。現在起きている事象は神話の出来事とは別のものだ。聖書をなぞらえて言葉を当てはめて、それらしく説明しているように見せかけているに過ぎない。ただ、それで人々の心が幾分か救われるのだとしたら、このままでもいい。どうせ僕と姉さんのやることは変わらないし、それで人々が救われることは無いのだから。
高速で移動していた輸送機が動きを止めた。深さは地上から約8000メートル。10分も経たないうちに底へと辿り着く。降りた先は大小様々機種多様の輸送機が並ぶ格納庫だ。中央には5機の大型輸送機が並べる広さがあり、左右に機体ごとの格納ベースが並んでいる。武器兵器の類は一切皆無。しかし、この世界を守る前線基地であることに違いはない。
輸送機を降りて昇降機に乗り込み、格納庫から出る。2分ほど降りると、とあるビルの最上階に出る。広がる窓には日常の街並み。地上から天井までを埋める高層建築物群はアトラースの柱と呼ばれ、800メートル超の高さで人々を見下ろしている。その柱の上、天井の先に格納庫があるのだ。
「作戦終了後、醒者には休息が与えられます。指定の時間まで自由行動が可能です」
早口で決まった文言を読み上げる管理官を横目に更衣室に入る。このビル一つが基地の一部であり、自分たちの住居兼指令室。この都市では、醒者がここから出撃する。
「風呂入ってるから待ってて」
姉さんは別の更衣室。さすがに男女は別れている。
「僕はシャワーだけにするよ。飲みたいものある?」
「水でいいよ」
さっさと身体を流して着替えを終えて姉さんを待つ。窓から“外”を見れば既に地上から隔絶された日常の光景が広がっている。
ネフィリムが出るようになってから42年。人類が地上を捨ててから27年。地下暮らしの第一世代が産まれ育ち、天空を知らない人が社会の中心に入ろうとしている。技術発展は目覚ましく、ネフィリムに対抗するという免罪符を得た軍需産業は大きく成長。核融合施設まで造り上げた。
その裏では、旧世界から生き残った人々がこれまでと同じ形の世界を構築している。企業は大きくなって肉塊のような経済圏としてまとまり、力を失った国々は雨宿りのように寄り集まって共栄圏を作った。思い思いに進んでいく世界は無軌道なようで権力と資本とネフィリムの脅威に支配され、それでもかつての人類が夢見たように外敵に対して団結することもなく、薄目で互いを窺っている状況は加速している。
それでも庶民の暮らしに変わりは無いし、過去の記録を見ているとよっぽど今の方が発展している。
物思いにふけりつつソファに身体を沈める。戦闘衣を脱いで軽くなった身体は気だるい疲れを訴えている。水をひと口だけ飲むと、心地よい眠気が頭を包んでいく。まぶたが落ちてきて、気が抜けてきて。
はっと気づいて目を開けると目の前にリップルがいた。口の端を苛立たしげにひねってくたびれたような顔でいる。ああ、寝ちゃってたのか。
「ごめんね」
「水は」
「はい」
飲みかけのコップを渡すと一気に飲み干した。寝ている間に飲んでいてもよかったのに。意外に思われるかもしれないけど、ずっと一緒にいるとリップルは結構律儀だと分かる。というよりも口や態度が悪いところが変わっているのだ。照れ隠しなのかもしれないとは常々思っている。
「ふぅ」
もう一度水を汲んで飲んでからコップを置いて、姉さんはこっちを見る。
「なあ兄貴、これからどうする?」
「どうしようか。行きたい場所は特にないし用も無いし」
醒者といえども基本は暇である。ネフィリムはいつも現れているけど毎度の出撃は無い。多くても週に3、4回だし、訓練をしていない時は時間を持て余してしまう。姉さんも僕も、特に趣味があるわけでもないし。
「んじゃ美容院に行っていい? さっき髪が溶けちゃってさ」
このままだと髪が傷んでいく、と。粗野な口調だけど、そこは女の子らしいというか、年頃というか。姉さんが綺麗でいるのに反対する理由もない。
「いいよ。とするといつものところ?」
「そ。思い切ってもっと短くしてもらおうかな」
「姉さんは今くらいの方が似合うよ」
襟足が隠れるギリギリでうなじがちらりと見えるくらいがちょうどいい。これは僕の好みでもあるけれど。
部屋を出て一階に降りる。垂直昇降機から見える外の景色はあまり変わらず、建築物の上か下かしか違いはない。天井が段々遠ざかって、床が段々と近くなって、
「天井高いなァ……」
ほぅ、と息をつきながら姉さんは上を見る。地上から見上げた空は重く暗灰色で、実際よりも低く見えるのだろう。天井はレイリーフィルターがかかっており、その上では疑似陽光が燦然と輝いて、本物の青空と太陽のようで。──映像で見たものと同じだ。
自分たちも本来の空の色を知ってはいない。たまに老人からの話を聞くことはあっても、その色が自分の目でどう視神経に焼き付くかは体験したことがない。この先、空を見られることは無いのだろうけど。
一階に出る。そこに、意外な待ち人がいた。
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