第2章 双翼・連理-1

 リップル・アースウィは地上に立っていた。星が見えぬ重苦しい夜空はいつもうんざりするほど圧迫を与えてきて、闇は汚泥を詰めたような感覚で気持ち悪い。

 それでも、灰色の雲の上から光が射す瞬間だけは晴れ晴れしい気分になれる。しかし光の意味は破壊。喜ぶべきものではない。

「兄貴、来たよ。うん、こっちはもう待機できてる」

 通信機の向こうに呼びかける。ネフィリムの到来だ。今日は3匹、多いというほどではないが2人だけだと少し疲れそう。

『こちらからも見えるよ、姉さん』

「あれだけ明るければそりゃ見えるよなァ。──準備はできた?」

『大丈夫さ。監督者もいつも通り、見ているだけ』

「なら問題ないね」

 互いに小さく笑う。その間にも空からの光は大きくなっていって、まず最初の足先が大気の中に降りてくる。

「ところであの話聞いたか? 監督者が醒者と戦ったっていう」

『ネフィリムと? 本当ならすごいけど、僕たちに勝手に手を出されるのも嫌だね』

「兄貴はそうだよな。でもイリスだからいいんじゃない」

『ああ、あのすまし顔のお嬢様。いつも1人で寂しかっただろうしね、確かに良かったんじゃないの』

 通信機の向こうで少し冷笑を含んだペブルが言う。そういうのはあまりよくないとは思うが、自分にも同じ感情があるのは確かだ。

 話している間にもネフィリムは胴体の半ばまでを雲から出して、地上は昼間よりも明るくなっている。さらに第二第三の光輪も大きくなっていてすぐに複数のネフィリムが並んでしまうだろう。そうなれば戦況は苦しくなってしまう。

「まあまあ、アタシ達はアタシ達。兄貴とアタシと2人だけなんだし、それでいいでしょ」

『まあね。僕たちには他に誰も必要無い』

 少し過激かな、とも思うけど細かいことは考えない。

「『それじゃ、行こうか』」

 ネフィリムが頭を出した。大地に向かって降下していく、それを合図に駆け出した。

 彼方からペブルの視線を感じる。それがネフィリムに向けられるまであと数分ほど。ネフィリムには誘導と時間稼ぎに付き合ってもらおう。

 地上に降り立ったネフィリムは行動を開始する。何かを探すように頭を回した後、歩き出す。どこへ行きたいかは知らないが、この場所にとどまって貰わないと困る。

「せいやっ!」

 巨人の進行方向直線の前、あと2歩で踏み潰される位置に立つ。物理的に立ち塞がることはできないが、足を止めることならできる。

「青海波ァ!」

 溜めていた光を放出=碧色の光を身体から放出──向かう先は上空。魚の鱗のような半円の光がいくつも昇っていく。それは重なりあって続き、地上からネフィリムの頭を超えて吹き上がる光の壁となる。

 巨体故の勢いでネフィリムは壁に突っ込んだ。そこに音は無い。声を持たないネフィリムは悲鳴も上げず、神光と碧光の反発で光を散らしながら後退する。その巨体がまた壁に突っ込んでいくことはない。少し方向を変えて壁を迂回しようとする。

(そんなことはさせないけどさ──)

「大波小波!」

 ネフィリムが足を向けた方向に回りながら腕を振る──横に広がりうねる波を出していく。大きさはテンション任せでそれだけ大きさに幅があるのだが、逆に歪な波がパターンを崩し対応しようとする歩行の邪魔をする。動きを止めれば足をすくわれ/足を出せば押し流される。

「漣波の醒者、その名の通り!」

『ひとり言が大きいよ姉さん』

「この方がテンション上がるの。で、そっちはどうなの兄貴」

『もう少しでチャージ終わる……ああ、大丈夫。──シュート』

 立ち止まっていたネフィリム──その頭を翠光の一閃が貫く。距離=3㎞彼方、光にとっては誤差の範囲でしかない。だが、狙撃手にとってはどれほどの距離だろうか。いかに近くで射撃ポイントの誘導があったとして、いかに機械の補助があるとして、目標が異様に大きいとして、精密射撃を可能とする手腕は驚嘆に値する。

 閃光の残像を残し飛来した光の弾丸──一撃でネフィリムは崩壊。寸毫も外すことない狙撃は本人の性格とはまるで違って機械のようにも思える。半分以上は機械に任せているけど、揺れる空中の一点からの狙撃を可能とする能力は天が与えた贈り物に等しい。

『チャージ』

 ペブルが次の準備をしている間、降りてくるネフィリムの足止めをする。でも、

「今度は2体まとめてかァ。しかも片方は浮かんでるときたよ」

『姉さんならできるよ。でも、先に上のをやっちゃうね』

 砂礫の醒者、ペブル・アースウィ。光を圧縮できる、翠光の持ち主。

「助かる。それじゃ頑張んなきゃね」

 そしてアタシの片割れ。

「青海波!」

 降りてきたネフィリムをスっ転ばせつつ地上を覆うように波を放出し、光糸を届かせないように蓋をする。亡霊の相手をするなんて御免だ。

 光糸が弾かれると知った空中のネフィリム=神光をぶちまけようと腕を広げる。立ち上がろうとするネフィリムは一旦無視。

「津波!」

 空中のネフィリムに向かって大きく高く光の波を発射。突き進む波は神光と対消滅──せずに神光に沿うように薄く高く縦横に広がって伸び、身を護る壁となる。

 神光の放出は一瞬で、それでも大地は足の踏み場も無いほど熱に溶けた地獄の惨状と化す。神光から守れた地上もわずかで、その中にいたって立ち込める熱で蒸し焼きになりそうだ。立ち上がったネフィリムが動くたび地面の飛沫が上がる。そして、その行き先は自分だ。動くのもままならない状況でどう逃げてどう足止めするか。

「楽しくなってきたァね!」

 足の裏に小さく波を放出し灼熱の大地に踏み出す。できるだけ身体の周りに碧光を出して遮断しようとするが、なんとか熱湯の中にいるくらいまでしか抑えられていない。その状態でネフィリムに近づいていく。

 光糸が伸び始めた。再び地面に波を流す。しかし執拗に光糸の群も第一波第二波と数を頼りに波状攻撃をしかけてきて、地表を流れる波を強引に突き抜けて地上へと到達していく。引き抜かれる時にも地上から出られず消える亡霊もいるが、数体でも出てきてしまえば一瞬で殺されるだろう。

(どうする──ちょっとまずいかな)

『シュート』

 と、亡霊が浮かんできたその瞬間。空中のネフィリムの頭部が弾け、身体が崩れ光が地上へと落ちていく。光糸がほつれるように地上へと散って亡霊も消えていく。いいタイミングだ。

『大丈夫? 危なそうだったから少し早めにしたけど』

「ちょっと危なかったけど大丈夫。ありがと」

 へへへ、と向こうから照れた声が聞こえた。そういうところは可愛い。

 だが、そのとき天から落ちるネフィリムの光に地上のネフィリムが両手をかかげるのが見えた。

「やべっ! 青海波!」

 屋根を作るように斜めに波を展開。落ちる光がネフィリムに当たらないようにして──

 どおん、と地響きを立ててネフィリムが跳び上がった。跳躍は地震のように地面を揺らして立っていることなどできずに跳ね飛ばされる。

 ネフィリムは重力など知るものかと空中に躍り出て、波を質量で強引に突き抜け手を伸ばす。その手が掴んだのは、かつて仲間だったものの光。太陽の欠片にも似たそれを大切そうに胸に抱え込んだ。途端、大きく光が増してネフィリムが空中に固定される。両手を広げ十字の形に宙へ浮かんでいる姿はさっき墜落したネフィリムと同じだ。

「第二神化?! こんなところでか!?」

『運が悪いね……けど、狙いやすくなった』

「アタシがやりづらいっつうの」

 空に固定されていればそりゃ撃ちやすいだろうけどさ。

「青ッ海ッ波ァッ!」

 頭の上に波を張る。光糸がうざったいのなんの。落ちてくる光糸が当たれば痛みもある。

 天を仰げばネフィリムの足が広がっている。落ちてくることは無いが圧迫感は絶大だ。恐怖ではない、畏れという感情が相応しいのか。まったく、自分たちでさえこうなら一般人はどうなることやら。まったく神と呼んでしまうだろう。

 負けないようにと波を厚くする。うねる波頭は高くどこまでも伸びていき、到達する端で千々に切れて消える。波は単純に空への壁となるだけでなく光糸を巻き込み逸らす盾でもある。

 浮き上がった光糸に波を絡ませさらに高みへ、空の上に鎮座する忌々しいネフィリムまで届くように。

 しかし碧光は神光に焼かれるように消えていく。せいぜい時間稼ぎにしかならないのは重々承知している。自分はネフィリムを倒すには力不足。それでも兄貴に繋ぐことなら──

『ちょっと波を抑えて』

「了解」

 波を止める。昇っていく波は減って空間の揺らぎも収まっていき、

『シュート』

 3度目の翠光が宙に穴を穿つ。ネフィリムの頭部に侵入し内部で爆発し、消滅。同時にネフィリムも崩れていく。

『作戦終了』

「ネフィリムももう来ないみたいだな」

 光輪が落ちてくる予兆はない。これで帰れる。彼方に点のように見える輸送機兼兄貴の射撃台から兄貴が自分を見ているだろう。手を振った。反応は見えないけど、きっと笑っているに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る