第1章 神葬・七光-7
空中のネフィリムは動かない。しかし光糸は激しく動いてこちらの邪魔をする。いくら切断してもきりがない。
跳ぶ。飛び乗る。上を目指す。伸び続ける光糸を何回も乗り越えて大元を目指す。
伸び出る光糸は数を増し、自分の行く手を阻む壁となっていく。身体を叩くもの、周囲を囲むもの、突如落とし穴を開けるもの。邪魔だと思うがそうそう相手にしてもいられない。一々大きく切るのは時間の無駄だ。剣に纏った虹光をぶつけて寄せ来る光糸を弾いていく。
正面、複数の光糸が束になる。背後──いや、左右上下も追加して六方に同じ気配。それらが一斉に加速し、自分を押し潰そうと迫ってくる。
走りながら剣を掲げ、斜め前に振り下ろす形を保ちながら正面に突っ込んだ。刃は光糸を縦に断ち、自分はその隙間を行く。足元の光糸が波打ち自分を弾き飛ばそうとする。剣を返し、波打つうねりの跳ね上げに合わせて天へと振り上げた。
空が見えた。跳ね飛ばされる勢いで宙に躍り出て、上は灰色の空以外に何もなく、下は幾本もの光糸が蠢いている。──光糸に飛ばされた。
何か足場になるものは──光糸だけだ、けど。光糸は神光を放出する。神光は虹光と反発し、稲妻のような音とともに虚空へと押し出される。
一度大きく空へと昇って、落ちる。光糸は遠く、それに操られている亡霊も動かない。虹光を背中から噴射しても少し移動するか体勢を整えるだけで、重力の軛から逃れることはかなわない。いくら身体が常人よりも強いとはいえ地に打ち付けられてただでは済まないだろう。
このまま怪我を負うか、死ぬのか。どうにか手は無いか。
焦燥が苛立ちに変わる、その時。
大地を打つ衝撃音。ちらと目を向けると《首無し》が地面に倒れていた。光糸を蠢かしている塊は、どこかクジラの骸と骨から生える生物を思わせる。その頭があるはずのところから飛び出すもの。衝撃を利用して空中へと出た者。
シシェーレ・ルシャナ。跳飛の彼とは自由落下の線上で交差するだろう。
一瞬、目が合った。ネフィリムの頭部を指さす──シシェーレが軽く頷いた。何をやりたいのか通じた気がする。
シシェーレが拳を振り上げる──身体の角度を調整して足を拳の軌道上に置く。カレイドスコープを構えて虹光を溜める。
藍光の拳+虹光の足の裏=莫大な力の衝突──神光すら霞む蒼穹色をした光の大爆発。イリス──前へ一直線に/シシェーレ──後ろへ叩きつけられるように。爆発の威力で吹き飛んでいく。
狙うはネフィリムの頭部。莫大な推力を得てイリスは飛ぶ。
「灯虹彩色・
虹光を纏い剣先を中心にして飛翔にひねりを加える──さながら弾丸の如く。
蒼穹光の爆発で何かを察したかネフィリム=光糸を操り亡者を空中へと飛ばして虚空に壁を作り始める/頭を動かして少しでも衝突の軌道から逃げようとする──だが遅い。
弾丸と化したイリス──光糸を貫いてネフィリムの鼻の位置から侵入/後頭部へ抜けた。
腕を広げた。回転はすぐには止まらず錐揉みのまま飛んでいく。目が回る。平衡感覚がおかしくなっている。正しい姿勢が分からない。大地の茶色と空の灰色と光を失っていくネフィリムと、それだけが認識できるもののすべて。
目を閉じて首を振る。全身を伸ばし直線にして背中から虹光を噴射、勢いで強引に錐揉み姿勢を抜ける。目を開けて、最初に見えたのは灰色の空。天空へと再び舞い上がって、噴射を解除、重力に引かれるがままに落ちて上下を確認。見下ろす先の遥か彼方に失墜するネフィリムが見えた。
落ちる、落ちる、落ちる。ネフィリムに落とされた時よりも高空で、これは助かっても無事ではいられないだろう。
それでもネフィリムを倒せたのだから、醒者としての役目は果たせたのだ。これでいいと思った。その時、音がした。静かなジェットの音。空気を切り裂く、どこかで聞いた音。
何かが飛んできた。一度真上まで上昇してから重力加速よりも速く降りてくる。並んで、その正体が分かった。胴体と一体になった三角形の横長の翼。ブーメランを前後に引っ張って伸ばしたような何とも言えない形。ここに来るときに乗ってきた飛行用の機体。動かしているのは、きっとシシェーレだ。
頭を下にして、機体上面の装着用レールへ手を伸ばす。両手で掴み身体をへこみに入れたと同時、全身を覆うように防護コックピットが展開され急減速した。減速の中で段々と頭が持ち上がり身体が水平へと近づいていく。それから上へ。飛行の空へと到達してようやく水平になる。
完全に身体が水平になると通信が入った。飛行は安定していてどこかへと向かっている。
『大丈夫ですか? どこか怪我は』
「大丈夫。そっちこそ、大丈夫なの」
『ええと……身体は、大丈夫な方です』
またネフィリムと戦えと言われたら全力で逃げますが、と返ってくる。面白い人だ。
「《首無し》はどうなったの」
『少しの間は光糸が動いていましたが、すぐに消滅しました。光糸を出していたネフィリムが消えたからでしょうね。──そうでした、ありがとうございます』
突然の感謝。どうして、と思った。でもすぐにネフィリムを倒したことだと気づいた。
「そんな、当たり前のことをしただけです」
『分かっています。これは自分の問題ですから』
ため息が聞こえた。口ごもっているのか息を吸ったり吐いたり悩む音が伝わってくる。その正体が知りたくて、
「あの、いいですか」
『何でしょうか』
「あなたは醒者なんですか?」
醒者は現在、地球に百人程度しかいない。醒者なら誰が醒者なのかを覚えている。なのに、この男はネフィリムに対抗できる力を隠し監督者として活動していた。自分が知らないだけで他にも同じような者がいるのか。だったらそういったことも知っておかなければいけない。
『……いえ。その成り損ないですよ』
通信機から聴こえる声は苦笑と諦念が混じっている。
『こちらに来るまで少しだけ、話しましょうか』
「はい」
『アジアのどこかに、武道を修めた親とその子供がいました。その親がひどいものでしてね、子供が常人よりも頑丈なことに気をよくして無茶な修行をさせ色々な技を叩き込み、それが生きる道なのだと教え込んで。あの頃は鍛えることしか知らないで大変な日々でしたよ。──そのうちに神化の時期を過ぎていたんです』
あっさりと告げられた言葉は、想像以上に重いものだった。
「えっと、神化の時期を過ぎていたって」
『言葉通りです。親はきっと神子だと知っていたんでしょうね。そのうえで自分の全てを教えたのだから度胸だけはあったのでしょう。大人になって思えば、かなりの綱渡りですが。まったく山奥に道場があったのが不幸ですよ』
神子を申告しないのは国際法規で禁じられている行為だ。罰則もあるし、何より人類の救世主を家族ひとつのものにするのは非難されるべきことだ、ということになっている。それでも神化によるネフィリムの誕生は止まっていないのだから法規はそう守られていないだろう。
でも、それは幸福なのかもしれない。醒者になんてならないで済んだのは。
「監督者になったのは、醒者になりたかったから?」
『……よく分からないんですよ。本当なら醒者として人類を救っていたのかもしれないというのは未練です。しかし醒者の助けになりたいというのは未練でしょうか。代替の感情でしょうか。ただ醒者から離れられないのは、迷いなのでしょうけど』
ふう、とため息。シシェーレの人生を自分が推し量ることはできないけど、積み上げてきたものは想像もできないほど大きくて重いのだろう。
『親が修行の最中に死んでから、連合企業に入って、監督者になって。ネフィリムにならなかったのは親に感謝してますよ。それに、こんな身体だから監督者にもなれた。でもね、醒者になる道もあったんじゃないかって思ってしまう。そんな自分が嫌だった』
幼いころから醒者になるための修行ばかりだった自分とどれだけ違うのか。比べて思う。その最終的な目標は何だったのか。醒者はネフィリムを倒すため。では彼は何のために? シシェーレが生きる目的は何だったのだろう。
『そんな風に生きてきて、醒者を側で見たら何か起こるんじゃないかと思って、でも何も変わらなかった。今じゃ死ぬ理由が無いからって無様に生きているだけです。それも正体がバレてしまったので終わりですね。醒者にさせられるのか実験材料になるのか、はたまた殺されるのか』
覚悟はありませんが諦めは持っているので大丈夫です、と。
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