第1章 神葬・七光-5

 イリスは無数の光の中にいた。光糸に虹光をぶつけても光の亡霊はほとんど姿を減ずることなく、むしろ自分が疲弊するばかりだ。

 監督者は、もう生存者を安全な場所まで連れていけただろうか。それとも逃げただけだろうか。光糸が頭にぶつかって端末が壊れてしまったからもう自分のことだけしか分からない。ネフィリムを倒せばいいとしか分からない。

 だいたいの時間から逆算して時間稼ぎは終わりにしていい頃合いだ。でも、空中のネフィリムに届く攻撃を放てない。

(こんなこと前にもあったっけ)

 その時はどうした。監督者は何もしなかったしネフィリムは2体いた。生存者は自力で逃げていたし2体とも七光一閃で済んだ。でも、今回は近寄れない。空中に届かない。

 地面を埋める亡霊、戦車や戦闘機は途切れることを知らない。それに《首無し》。いくら手や足を斬り捨てても四つ這いになってまで執拗に追ってくる。それ以上は太くて斬り落とす手間がかかる。

 亡霊が多いのはそれだけ操者のネフィリムの力が強いということ。《首無し》がしつこいのはそれだけ元のネフィリムとして強いということ。それに、常に虹を出してこの場一帯を包んでいるのは結構疲れるということ。自分一人の力の限界なのだ。

 腕と脚の手足を失った断面で器用に四つ這いになって《首無し》が亡霊を蹴散らし横からぶつかってくる。操者には近づけるものの、すぐに押し戻されて決定打を放てない。

(何とかして《首無し》さえ排除できれば──)

 疲労を自覚している身ではそれも難しい。何か、もう1つでいいから手が欲しい──

 そう考えて、ほんのわずかに気が散っていた。横から《首無し》の腕が迫って断面の神光をぶつけてくる。後ろに下がって回避。でも、その中から光糸が生えるように伸びてくる。5本をまとめて薙いで1本を踏んで跳び、腕に乗って背中を目指す。その足元に異変を感じた。前でも後ろでも横でもなく空中へ跳んだ。その判断は正しかった。

 《首無し》の背中一面に光糸が生えた。数百本はあろうかという触手に空中でどう対応するか。思案は一瞬、実行に移す。

 虹光を背中と下方に出して斜め上方へと飛び出す。飛行はできないが、一瞬の加速と進路の変更は可能だ。落ちる場所を《首無し》から地上へと変え、追随してきた光糸にはカレイドスコープを振るう。

 地面を行くしかない──その地面に亡霊が集まって、亡霊の背を貫くように光糸が生えた。

 カレイドスコープが光る。剣として振るには足場が無く、虹を撃つには細すぎる。ならば、

「灯光彩色・七光斬軌セブントゥスライサー!」

 手首のスナップを利かせてカレイドスコープを横薙ぎに、剣閃の軌跡として虹を飛ばす。

 薄い刃となった虹光は宙を奔り正面の光糸をまとめて切り裂く。虹刃の勢いは衰えず、光糸とそれを生やす亡霊を切り裂きつつ地上へと落ちていく。

 一瞬の空白地帯へとイリスは降りる。だが止まっている暇はない。もはや《首無し》は光糸を無数に生やした奇怪な山のようになっていた。ヒトの200倍の高さの巨躯が物理法則を無視して動いているにも関わらず、光る触手がまるで安っぽいホラー映画の演出にしか思えない。

 触手の塊を置き去りにして空中のネフィリムに向かって走る。あんなものをまともに相手できようもない。

 正面、亡霊たちは光糸を生やしながら駆け寄ってくる。光糸は《首無し》のものよりも短いが、捕まったらまずいという感覚はある。

 奔る。壁のように立ち塞がる光糸を切り開く。地面から直接は生えないからまだマシか。それに、光糸を出せる亡霊はそこまでいるわけじゃない。亡霊自体の数が多いから分かりづらいだけだ。でも、結局かなりの数がいることには変わりない。じゃあ駄目だ。

 空中のネフィリムの周囲には亡霊が集まっている。まるで城壁、あれを超えていかなければならない。空を飛んでも戦車と戦闘機と戦闘ヘリが見張っているから撃ち落とされてしまうだろう。本当にどうしよう。股下から脳天まで割断するには400メートルの刃があればいいか。無理だ。

 攻めあぐねているうちに背後から風切り音と大光量が迫ってくる。《首無し》が追いついてきた。

 これ以上は無理なのか。ネフィリム相手に持久戦は不可能だ。向こうはいつでも雲の上へ逃げられる。それ以上に、単体で見た場合、ネフィリムの方が何百倍もエネルギーを保持してるということ。端的に言えば、ネフィリムの活動限界は醒者のそれを遥かに超えている。

 自爆覚悟で特攻するしかないのか。覚悟を決めて前を見た、その時。

 突如彼方から聞こえる、ひゅ──んと、宙を何かが横切る音。

 それは地上に落下し砂煙を上げて亡霊を追い越し走って来る。《首無し》が伸ばした腕がイリスへと迫る手前で反転、跳び上がり、叫びながら殴る。

「征業・烈破!」

 《首無し》が伸ばした右腕が弾けた。手首の断面から肘まで約50メートル。その長さが一瞬のうちに圧力を加えられ、衝撃が逃げ場を失い内部が爆発し外部が受け止められず破裂、結果として触手を含んだ上腕が消し飛んだ。

 破壊の衝撃でバランスを崩し《首無し》の右肩が後ろへと跳ねる。対して彼は、殴打の反動を利用して地上へと加速しながら飛び降りて、さらなる反動をつけて跳び上がり《首無し》の胸部を下から叩いた。胸部で発生した爆発の勢いでのけぞる《首無し》は、光糸すら驚きを隠せぬように細かく震えている。

 そして、イリスの前に彼が着地する。

「遅くなりました。生存者は安全な場所に移しましたので、存分に戦ってください」

 言葉は掠れ声の男のものだった。

 黒い髪が神光を反射して光る。その中には白髪の光も混じっている。青と黒を基調とした東洋風のゆったりとした服に身を包み、金色の縁取りや赤色の装飾品がその服を彩っている。頭には顔が半分隠れる笠を被っていて、顎で短く切り揃えられた髭が白い顔に違和感を与えている。垂れた袖から見えるのは──先が広くなっている手甲だ。

 見覚えの無い姿。しかしその声は、端末越しに聞いていたものよりも明瞭に聴こえる。

「だったら、あなたが監督者」

 でも、なぜ監督者がそんな恰好をしているのか。

「はい、少し前までは。今は──あなたの味方です」

 男は空中から飛来したミサイルを殴り飛ばしながら言った。一瞬、その意味が分からなかった。だが行動は雄弁に意味を示している。

「つまり、あなたも戦うと」

 ネフィリムの神光に対抗できるヒトは醒者だけだ。すると、彼も醒者なのだろう。

「はい」

 どうしてかを訊く時間は無い。その必要も無い。

 真っ直ぐに空中のネフィリムに向かって走り出す。前にシシェーレ/後ろに自分。

 正面の亡霊を相手するシシェーレ=上段から殴り叩く/正面から殴り返す/下段から殴り上げる/右へ殴り弾く/左へ殴り飛ばす/光糸を踏み潰す──自分より大きな相手に一歩も止まらず。

 空中から落ちるミサイルの雨──「七光斬軌!」──剣を振る途中で手首をスナップし角度を変えて刃を3枚飛ばす/宙を裂いて光の帯が爆発する。

 前に進むシシェーレ+自分──道を塞ごうと驀進してくる戦車を意に介さず/もとより気にも留めず飛び越える。その眼前にいきなり現れる光糸の壁=亡霊の大群。眼前の大地を埋め尽くす亡霊に、まだこんなにいたのかとうんざりする。

「代わる」

 シシェーレの横をすり抜け前に出る。「七光斬軌!」=シシェーレが戦っている分蓄積した虹光を解き放つ──剣閃は止まらず奥まで続いていた光糸を割って道を開く=まるでモーゼのよう。海と違って渡るまで待ってはくれないので隙間に飛び込む。

 横から道を押しつぶそうと迫る光糸の壁──挟まれる前に駆け抜ける。その先に待つ空中のネフィリムがゆっくりとこちらを向く。雲の下の暗がりで影になった顔は凹凸の陰影が目を薄く開いて笑っているようで不気味だ。

 光糸の壁を抜けると、ネフィリムはもう眼前に浮かんでいる。2人ならこんなにも簡単だったのかと軽い驚きだ。

 それにしてもシシェーレは足が速い。一歩の幅が違う。すぐに先を越され追いつくにもひと苦労だ。少しでいいからこちらの気を遣ってくれても──いや、今はそんな場合ではない。どうして考えてしまっているんだろう──その思いを頭の片隅に押しやる。

 ネフィリムが繰り出す光糸=津波のよう。先行するシシェーレ──殴打の連撃=阿修羅の化身が如く凄まじい。腕の動きが速すぎて目視できないのは彼がそれなり以上の力を持っているからだろう。波濤が勢いを減じ、拳の中心に至っては押し戻される。

「突っ込むよ」

 シシェーレを超えて跳ぶ。着地は光糸=空中へ至る橋として駆け上がる──うねる足場を蹴って前へ/上へ/虹光を背中から噴射してさらに上へ──ネフィリムを倒すために。

 地上のシシェーレ──背後から落ちる巨大な影=《首無し》を見て振り返る。大丈夫だろうか、とイリスは思う。

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