第1章 神葬・七光-3

 シシェーレは2体目のネフィリムが地獄を揺り動かしたのを見た。

 あの糸は、その場所で死んだ生命の姿形を引きずり出す、いわば死者の操演のようなものだ。擬似的な生命を与えられ動く亡霊のような存在。それを操るものは、確かに神と呼ぶに相応しい。

 しかし、それを神の行為というなら、その神は邪神か魔神の類だろう。

 第2のネフィリムが相手でもイリスは変わらず戦っていた。否、ネフィリムが操る亡霊と戦っているのだ。

 地を這う獣を踏みつ蹴りつネフィリムに近づかんと走る。宙を飛ぶ鳥を剣で叩き、群がる虫を握り潰し、かつて人であったものを一顧だにせずその上を駆ける。向かう先は操者たるネフィリム。大元を叩くためにひた走る。

 その前に《首なし》が立ち塞がる。大きく腕を広げて光り出して──虹のオーロラがネフィリムを包み込む。融解は生じずネフィリムは立ち尽くすまま。

 その隙にイリスは《首なし》の足元を過ぎ、ついでとばかりに足首を薙いで、剣を構えて通り抜ける。イリスを追って《首なし》が後退しようとするが足首から上が滑り落ちて地に倒れていく。

 大地に蠢く操られ人はいくらもいくらも湧いてくる。それらを、まるで枯れ木の枝を折るようにイリスは剣で倒していく。斬られた者は虚空へと返るが、光糸は残ったまま新たな亡者を生み続ける。

(近づいてはいる──が、きりがない)

 虹のオーロラを出すには体力がいるのだろう。シシェーレの目には、イリスが段々と疲弊しているように見えた。

 なんとかしなければいけない。シシェーレはイリスの移動に合わせて場所を変えながら端末の回線を切り変える。繋げる先は醒者の管理の大本だ。

「──シシェーレ・ルシャナです。ヨーロッパ方面の醒者管理部でよろしいですよね。現在、複数のネフィリムが出現していることはあなた方も分かっている筈です。イリス・アースウィのみで対応できるか状況は不確定。あと1人でいいので醒者を送ってくれないでしょうか」

 端的に言う。しかし向こう側からは沈黙と少しの吐息のみ。待ってはいられないと畳みかける。

「この状況を見逃せばどうなるかお分かりでしょう。いくらあなた方が信を置くイリス・アースウィといえどもかなりの消耗……あるいは死亡も考えられます。今回の措置はそれを考えてのことですか?」

 5秒の沈黙。

 いい加減無理か、と考えたその時。反対側から聞こえるかすれた声。無味乾燥な声色は機械音声よりも無機質で、無関心以外の感情が見えなかった。

『それは、あなたが判断したところで変わるべくもないことです。あれはそうやって戦ってきました。いかなる損耗であってもネフィリムを倒す。あなたの役目は、行動を終えたあれの回収です』

 一瞬、意味が分からなかった。〝あれ〟というのがイリスのことだと理解するのに数瞬を要した。醒者はその特性上極めて慎重に扱われる。それこそ聖者の如く、丁寧に丁重に敬意を持って畏怖されて。精密機械に例えられることもあるが、モノのような扱いは、他の醒者では見たことも聞いたことも無い。

「……つまり、増員は無いと」

 言葉を発した瞬間、言うべきことは終わったというように回線が切れる。これ以上は無意味とシシェーレも判断する。結局、彼女1人に任せるしかない。あるいは自分が手を貸すか? それで何ができるというのだろう。非力な自分はただ見ているしかできない。そして彼女が倒れるのならば、あの声が言うように回収するしかできることはない。

 監督者とは醒者の補佐をする役割、とは名ばかりで。大抵は強大な力が吹き荒れた後始末が基本。しかも醒者は変人、難物、際物が当たり前。深く関わっても面倒になることばかりだ。それでも、彼らが心置きなく戦えるよう状況を整え、可能ならば彼らの声を聴く。それがシシェーレのやり方だった。だが、今回はそれが叶わない。見捨てておけと言われたも同じ。

 それではいけないと心のどこかで声がする。

 イリスの行く手には無数の動物やヒト、それらが一体化した兵器までもが神光となって復活している。戦車は神光の砲弾を発射し戦術ヘリは空中から神光のミサイルをバラ撒く。かつてネフィリムに向けられていた近代兵器の暴力が、いまはネフィリムと戦う醒者独りへと向けられている。

 戦車やヘリをレーザーで撃墜しながらイリスは走っている。しかし敵の数は多く、無限に湧き出る相手に脚は鈍っている。このままでは空中のネフィリムへ到達するまで少し時間がかかりすぎてしまうだろう。

 どうにかできないかと、ネフィリムに対抗できるものが残っていないか周辺状況の観測範囲を広げた。──その中に生命反応があった。

「人がいる?!」

 思わず口から出てきた驚きの叫びは通信機を素通りしてイリスに届く。息を呑む音と共に、向こうから小さく短い声が返る。

『どこに』

 イリスが立ち止まる。その場で全ての攻撃を受け止め、しかし身体は空中のネフィリムを向いたまま。

「イリスを基準に九時の方向約300メートル。生命反応は微弱!」

『分かった』

 答えた瞬間、イリスが跳んだ。近寄ってきた動物の背を蹴り空中へ踊り出す。

 光糸の先のモノたちがイリスへと向かって動く。ミサイルやナパームの群がイリスの剣から出る虹光で消し飛び、イリスは背中から虹光を出して勢いでその場から離れようとする。ジェットの如く虹光は爆発をもってイリスに60メートルの距離を与えた。

 シシェーレは彼女と反対側へと行く。段々と強くなる反応は、しかし現在の生存を意味するだけのものだ。生命が残るかは生存者とシシェーレ次第である。

 急ぎ駆けるシシェーレは、打ち上げられたクジラの骨の山にも似たビルの残骸の間を走る。倒れかけたビルからは建材が剥がれ落ちて道を塞ぎ、風化しつつある壁面は脆くなりいつ落下するか分からない。生存者もそのビルの一つにいる。

 地面を埋める瓦礫の上を走る。アスファルトは砕けて土が見え、デコボコの大地はお世辞にも走るのに適しているとは言えない。足場になりそうな場所へと跳んで、少しでも平面を見つければ走り、区画をジグザグに走り遠回りながらも目的地へと近づいている。

 だが。生存者のもとに近づくにつれ、瓦礫が多くなっている。中には壁面が大きく削がれていたり爆発でもあったかのようにビルの上部が吹き飛んでいたり、明らかに人為的な壊れ方をしている。それも、ごく最近に壊れたかのように。

 ネフィリムが人類史に現れてから42年。科学兵器が主力として活躍したのは人類が地上を捨てるまでの最初の15年ほどで、以後は醒者による対応が主となった。醒者をネフィリムのいる場所へと送り届けるにしても貴重な輸送手段を破壊することは考えにくい。

(こんなところに人がいるのはおかしいと思ったが、やはりな──)

 今は不明でも何か理由があるのだ。それを承知の上でイリスは時間稼ぎをしてくれているし、彼女に報いなければいけない。

 目標がいるビルに近づいた。──と、前から射撃。タタン、タタン、タタン、と正確に刻まれるリズムは自動射撃のものか。近くの瓦礫を遮蔽としあたりを窺う。これで何者かの思惑が絡んでいることは明らかだ。しかし、何者が。

 それを考えている暇はない。早くあそこに辿り着かないと。

 こちらにも銃火器はある。音から割り出して相手の場所も補足できた。残念ながら、よほど近距離からでないと対処できそうにないが。だったら近づくしかない。

 端末の主用途を予測演算に切り替える。赤熱した端末が肌に熱を届けて、それを合図に飛び出した。

 足の踏み場まで予測している余裕はない。点の連なりである射線を実線として表示し三秒先の死を回避するだけで精一杯だ。あとは十年以上の経験を補佐として進むだけ。

 右/右/左/右/左──法則性があるわけでもなし。身体を左右に揺らしつつ前に出る。砲火は2門のみ。複数だったら危なかったが、避けるだけだったら大きく身体を動かさなくていい。向こうの予算不足に感謝だ。

 近づけば相手の武装が見えてくる。自動小銃UKB-25。反動が吸収しやすく対人用兵器のお供によく使われているものだ。

(──ってことは、おい!)

 予測演算を無視して後退/瓦礫の後ろに飛び込んで伏せる。直後に瓦礫が爆発し降りかかる砂礫が身体を埋める。あの威力は対戦車砲! そんなものを軽々にぶっ放すなと言いたい。

 だが、そんなものを撃てるのは数回だけだ。その前にあの忌々しい自動歩兵を叩き潰せばいい。

 自動歩兵PK-245型。世界で最も人を殺している兵器だ。歩兵と名は付いているが四肢を持つ動物型で、身体の内部に武器を隠し持つ。多くの武装はできない代わりに軽量を活かしてゲリラ戦を仕掛けたり、機械の眼で斥候を務めつつ暗殺をしたり、単純な物量をぶつけたりと戦場で使われまくった。つまり、どこにあってもおかしくない兵器。

(設置した奴の情報は得られそうにないか……破壊してもいいな)

 だが、それには大きく動くことになる。身体は砂礫に埋もれているが、仕方ない。近くにある石を掴み思いっきり身体を跳ね上げた。

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