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私は再び神奈川宿に行き、今度はフリヘル氏とともに江戸へ向かった。フリヘル氏は駕籠、その脇に私は馬で付き添っていた。とにかく一般庶民とフリヘル氏を接触させないために、私は監視の目を光らせていなければならなかった。他に与力、同心が多数警護について、ちょっとした行列となった。
江戸に到着すると同時に私とフリヘル氏は、阿蘭陀商館長参府の折の常宿である日本橋長崎屋に入った。すぐに私は在府のお両方のお奉行と別所様、さらに宗門改め役の横田備中守様のところへ報告に走り回った。
別所様からは決してフリヘル氏を外に出さぬよう、また一切の訪問客を入れぬよう、きつく言い渡された。
ただ、宗門改め役の、横田様だけは訪ねて来られた。公儀としても気になるのは、フリヘル氏が切支丹ではないかということのはずだ。彼が蘭国人で商人であることは申し上げではいるので、おそらくは念を入れてのことだろう。
横田様の問いを、私は間に入って通訳した。問いはもちろん、切支丹かどうかということだった。自分はカトリコではないとフリヘル氏は言ったので、私は彼が切支丹ではないことを通訳して横田様に伝えておいた。横田様はそれを聞くと、ニコニコして帰って行かれた。
私はしばらくここで監視役という意味で、フリヘル氏と同宿することになっていた。そのうち上様への拝謁の日時が、新井勘解由様より在府お奉行の永井様へ申し伝えられたとの知らせが、別所様より私のもとへもたらされた。
四月十日だという。あと三日後だ。その間に私が拝謁の作法を、フリヘル氏に教えなければならない。
時には彼と、夕食をとともにした。彼にとって一人用の膳がひどく珍しかったらしく、両手で持ち挙げては側面や下までをも見ていた。箸の使い方はまあまあで、琉球で覚えたのだという。
拝謁の前日に、別所様が長崎屋に来られた。新井勘解由様よりのお達しで、フリヘル氏を新井様のお屋敷に内密に連れて来いとのことだそうだ。しかも今日中にという。上様への拝謁に先立って、新井様はフリヘル氏に会っておきたいと思われたようだ。
新井様というお方にお会いするのは、私にとってもはじめてのことだった。侍講をされていたというのだから、儒者のはずだ。それだけに好奇心もおありなのだろう。ただその頃はまだ、新井様のお名前すら存じ上げる者は案外少なかった。だから私も、それほど緊張はしていなかった。
新井様はわりと小柄な方で、口元はお優しそうだったがお目は鋭く、眉が濃いのが印象的だった。漢文訓読調に言葉を切って話されるので、やはり儒者だなと私は感じた。
そんな口調で新井様は、まずはフリヘル氏の生まれ在所をお尋ねになった。私の通訳を聞き、フリヘル氏は自分が蘭国のライデンという所で生まれたことを答えた。
「来航の目的は」
新井様のその問いに対するフリヘル氏の答えも、私は手短に通訳した。
「第一は琉球王の親書を上様にお渡し申し上げること、第二は故国への船の便を求めてとのことでございます」
新井様は大きくうなずかれた。
「難船してからの、いきさつを申せ」
私がそれをフリヘル氏に伝えると、彼は堰を切ったように語りだした。しかしそれをそのまま新井様に伝えるには、私はとまどいを感じてしまった。何度も問い直し、語句の意味を確認した。それほどまでに突拍子もない内容だったのである。
私は新井様の方へ、向きを変えた。
「この者が申しますにはまず難船したあと、小さな島へただひとり泳ぎ着きましたとのこと。そのあと、空を飛ぶ島にすくい上げられたということでございます」
「なにィ! 空を飛ぶ島じゃと!?」
表情は変わらぬまでも語気を荒くして、新井様はそう問い返された。しかしフリヘル氏は、確実にそう言った。さすがに私は、額に汗がにじみ出すのを感じた。フリヘル氏だけが、ひとり涼しい顔をしている。
私はもう一度、„Vliegende land?”(空を飛ぶ島?)と、尋ねてみた。彼は、„Ja.”(そうだ)と言う。手まねで島が宙を飛んでいる様子を作っても、大きくうなずいて嬉しそうに„Ja, Ja.”と言う。
「間違いはないようで」
「そなたの蘭語も確かか。訳し間違いないではないのか」
「はあ、まず、間違いなかと思いますばってん」
ついつい私は、故郷の言葉で答えてしまった。それほど狼狽していた。語学には自信はあっても、その自信を失わせてしまうような話の内容なのだ。
„De vliegende heeft Laputa geheten.”(その島の名はラピュタだった。)
と、フリヘル氏は言った。
「その空を飛ぶ、まあ天空の城とでも申しましょうか、その名はラピタだと」
「で、この者はそれまでも、そのような不可思議な国にばかり、行っておったと申すか」
私の通訳を聞き、フリヘル氏は大きくうなずいた。そしてまたたて続けに喋る。私はそれを、たどたどしく通訳していく。まるで稽古通詞のような遅さと緊張だ。
「申しますには、この者が行ったことのある国のうち、リリパトと申します国は小人の国で、国人は身の
「もうよい!」
新井様の一喝が、私の通訳をさえぎった。明らかにそのお顔は曇り、眉がひそめられていた。
「わしを馬鹿にしておるのか」
「い、いえ、滅相もない」
「いいか、明日の上様への拝謁の時は、必要以外のことは喋らせるな。ただ来航の目的のみを申し上げるよう、そなたからもよく言い聞かせい!」
「は、はい」
新井様の剣幕におじおじしながら、私は畳に額をこすりつけていた。脂汗が、目の前にひとつぶ落ちた。
「それから、言っておく」
まだ何か、新井様からはあるようだ。
「『上様』を翻訳する時、『将軍』では駄目だぞ。『国王』と言えよ」
長崎で商館長相手の会話の時は、御公儀も上様も、„Yedo”ですんだ。必要ある場合は、そのまま„Shogun”、もしくは„Taikuun”という。京の朝廷をはばかってのことだが、新井様はそれでは駄目だと言われる。もっともフリヘル氏は、もともと上様のことを„koning”(国王)と言っていた。いっそのことと思って私は「上様」というところを、„Keizer”(皇帝陛下)として訳して、新井様の御意向をフリヘル氏に伝えておいた。
新井様は立ち上がられた。
「今日はこれでよい。下がれ。この異人は頭がおかしいらしい。わしは狂人とつきあっているほど、暇ではないのだ」
そのまま新井様は不機嫌そうなお顔つきで、部屋を出て行かれた。
この異人に対しこれまでは、私は新井様が言われたようなことを思ったことはなかった。あらためて私は、フリヘル氏を見てみた。彼に対して当初に持っていた変な先人観は、この時に植えつけられたようだった。
拝謁の日が来た。よく晴れていた。新緑の季節もすぎ、そろそろ汗ばむころである。
行列は日本橋長崎屋を出て呉服橋を渡り、大名屋敷街を通る。そこから日比谷御門を入って、まずは長崎奉行役宅へと向かった。そこでお奉行様方と合流。そこから桜田御門を通って、西ノ丸大手橋より御城内に入ることになる。
拝謁は、西ノ丸で行われることになっていた。西ノ丸様は五年前から将軍継嗣と決まっておられ、今や実質上は上様ではあるが、まだ代が代わったばかりで正式の朝廷からの征夷大将軍宣下はまだであった。したがって拝謁は、西ノ丸でなのだそうだ。
私にとっても、数年前に阿蘭陀商館長参府の同行がまわってきた時以来、久しぶりの千代田のお城だった。着慣れない
櫓門を入るとすぐに行列は右に折れ、いくつかの木戸をくぐった。道全体が、ゆるやかな登り坂だ。やがて西ノ丸下乗橋――すなわち先程大手橋から見上げていた二重橋だ。左手には伏見櫓が多聞櫓を従え、緑あざやかな土手の上の石垣の上にあるのが近くに見えた。反対側は、先程渡ってきた西ノ丸大手橋を今度は見降ろしている。
下乗橋を渡りきったところにある櫓門の西ノ丸書院門をくぐれば、すぐに西の丸御殿の玄関だ。
フリヘル氏の謁見名目は、あくまで琉球国の使節としてであった。玄関を入るとすぐ脇の控えの間に通され、私だけが奥へと呼ばれた。拝謁の準備のことを知らせるのが、私の役目だったからである。
しばらくして上様もお出ましになり、準備万端整ったという旨を取り次ぎの若い侍から耳打ちされて、私はお奉行方やフリヘル氏の待つ控えの間に知らせに行った。
商館長参府の時もそうだが、何度やっても緊張してしまう大役だ。裃がとにかく重苦しい。それだけで肩が凝りそうだった。
商館長参府と違って献上品はないので、準備は早かった。私の先導で謁見の間へフリヘル氏を連れて入ると、途端に「オランダー、カピターン!」という大声がした。彼は琉球国の使節という名目のはずだなのにおかしいなと思った。習性というものは恐ろしいものだ。
鴨居をくぐるようにして畳に足を踏み入れたフリヘル氏は、すぐにそこに畏まってひれ伏し、教えこんだとおりそのままの姿勢で前へと進んだ。いろいろな国を訪問し、各国の王に拝謁した経験があるであろう彼だけに、のみこみは早かった。さまざまな風習に接してきたに違いない。
謁見の間は大広間で、左右にずっと廷臣が並んでいる。書院番、旗本、そして上座の方は若年寄、御老中といったところだろう。
作法どおりにフリヘル氏は平伏しているのでなんとか安心し、私も平伏したまま横目でちらりとフリヘル氏を見た。なんと驚いた。彼は伏せている顔の前の畳を、舌を出してペロペロなめているではないか。私は慌てて小声で彼を呼び、首を横にふってやめるように示した。
「
頭上で声がした。上様ははるか遠くにおられたが、なんと
御簾がなくてもやはり上様までは遠く、その御容貌はよくわからなかった。いくら「
前の商館長参府の折はまだ先代の常憲院様――綱吉様だった。今の上様は御先代様よりもは少しはお若いようではあったが、そうお年は変わらないのではないかとも思われた。いずれにせよわが神州の最高権力者の御尊顔を拝しているのである。私の膝は前の時と同様に震えていた。
上様のお近くにおられる方が、お側用人の間部越前守様のようだ。新井様のお姿もある。ただ御大老であるはずの、柳沢美守様らしきお姿はなかった。
私はさっそく、すでにフリヘル氏から受けとっていた琉球王の親書を、まずは別所様に差し出した。次々と多くの人の手に触れて、親書は間部様から上様へと手渡された。上様はそれをお読みになると、満足げにうなずかれていた。
「大儀であった」
上様はそう言われたようだ。そのおことばも次々に多くの人の口を経て、私は別所様から承った。それを蘭訳してフリヘル氏に伝わった。
さらに伝わってきた上様のお言葉は、
「願いがあれば、何なりと申し出るがよい。交誼厚き琉球王への信義を重んじ、許してつかわす」
ということであった。この言葉をフリヘル氏に伝えると、彼は背筋をのばして正面を見据えた。
彼がその時に言ったのは、自分はオランダの商人で遠い国で船が難破してやっと琉球国へたどり着いたが、自分の国の船が日本へ交易のために来ると聞いて渡って来た。できればその交易船で母国へ帰りたいので、無事長崎へ送り届けて頂けるように皇帝陛下の格好御配慮を賜りたいと、ざっとこんな内容だった。
彼は上様のことを、はっきりと”keizer”とお呼びしていた。それを私は、また別所様へと伝えた。そこまではよかった。そのあとが奇妙だった。
„Ik heb nog een zerzoek”(もうひとつ、おねがいがあります)
彼は遠くの上様にまで届くような、大声で言った。私は慌ててそれを制したが、彼はおかまいなく話し続けた。その内容は、「琉球王との誼に兔じて、オランダ人に課せられる儀式である。„op het kruisbeeld trappen”を免除してもらいたい。自分は交易が目的ではなく、不運な事故によって漂着した者だからだ」ということであった。
私はそれを通訳する前に、とまどってしまった。„op het kruisbeeld trappen”とは、どう考えても切支丹宗門改めの「踏絵」であろう。彼がなぜそのようなことを知っているのかも疑問だったし、それ以上に彼が言っていることは奇妙だった。
踏絵はあくまで国内の宗門改めのためのものであり、蘭国人に課すものではない。不審に思いながらも、とにかく私はそのまま訳して伝えた。別所様も
その時の上様の、御沙汰はこうであった。
「そのようなことを申す蘭国人は、はじめてだ。本当に蘭国人であるのか。もしや伴天蓮ではあるまいな」
そのお言葉をフリヘル氏に伝えたあと、私は大丈夫である旨を上様の方にはお返ししておいた。
なんとか拝謁も終わった。私は全身汗だくだった。とにかく一刻も早く、裃を脱ぎたかった。
長崎屋に戻って、楽な服装に着替えたあと、フリヘル氏の部屋へ行った。彼は笑って言った。
„Ik ben moe”(疲れた)
こちらはそれどころの騒ぎではない。寿命が十年は縮まった思いだ。
„Mag Ik eene vraag stellen?”(ひとつ質問してもいいですか?)
などと、彼はさらに言う。
„Wat?”(何かね?)
„Waarom zijn vele honden in dit land aan de hele stad?”(この国では、なぜたくさんの犬が町じゅういるのか?)
それは今回の出府で、私も気がついたことだった。その時得た情報は、常憲院様の御法度によって野犬のための御殿が作られて多くの犬が集められていたが、公方様の代変わりで御法度が廃されたために犬御殿は壊されて、そこにいた犬が一斉に町に出たのだということだった。私はそのことをフリヘル氏に伝えてあげた。彼は関心深げに聞いていた。
今度はこちらから、質問することにした。
„Waarom U de tatami-mat likt?”(あなたはなぜ、畳をなめたのか)
彼はすぐ答えた。つまりLuggnaggでは王に謁する時、王座の下の床をなめるのを許されることが最高の名誉で、ついその癖が出てしまったのだという。私は琉球にそのような風習があるとは、これまでに聞いたことがない。
さらに彼は、質問を重ねてきた。
„Er waren mensen Struldbruggs heten, en nooit gestorven zijn, in Luggnagg. Ik heb wie ziji over twee honderd jaar oud gezien aan daar.Wet U iets daarozer?”(ルフナフではストルルドブルフスという、決して死なない人間がいた。私はそこで二百歳以上の人とも会った。あなたはそれについて、何か知らないか?)
私はまともに相手にするのが、ばかばかしくなってきた。不老不死といえば秦の始皇帝の蓬莱山のことも頭に浮かんだが、いちいちその話をするのも面倒だったのでやめた。
私は適当にきりあげ、自室に戻った。
やはりフリヘル氏は新井様がおっしゃっていたとおり、頭がおかしいらしい。あのような狂人は早く長崎まで連れて行って、さっさと蘭国へ帰してしまおう。
その時の私は、そんなふうにしか考えていなかった。
長崎への出発は、三日後と決まっていた。私はとにかく身心ともに疲れており、まだ西の空はほんのりと明るかったが、女中を待つまでもなくさっさと自分で蒲団を敷いて寝てしまった。
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